『ブギーマンの最期』―A serial killer in Queens -2―
「……こいつは、特殊部隊のメソッドだな」
俺が昨日の凄惨な現場写真を渡すと、マシューの旦那は巨体を硬直させ、難しい顔をしてそう答えた。
「特殊部隊?」
「ああ、特殊部隊の殺しには、ある種の演出的効果が求められる。
こうやって、皮膚の表面を太い静脈が流れてるところを何度も刺すと、
大量に出血する。
――仮に、その現場を相手の味方が見たらどう感じると思う?」
俺が思案している横からアンナが言った。
「怖いだろうね」
「ああ、そうだ。血ってのは人間に恐怖心を起こさせるには一番手っ取り早いツールだ。
こうやってあえて何度も同じ個所を刺して大量に出血させることで、恐怖を演出してるわけだ。
『テキサス・チェーンソー』で血がブーブー出るのはエンターテイメントだが、
そいつは現実になった瞬間、恐怖のアトラクションになっちまうのさ」
「じゃあ、アンナの所見通り、ガイ者の動きを封じたのは魔術だけど、
殺し事態は魔術と何の関係もないスキルってことか?」
「ああ、そうだ。
この犯人がそういう分野のプロフェッショナルなら
痕跡を残さずに逃走してることも説明がつく。
暗殺の特殊スキル持ちなら、物的な痕跡を残さずに逃走するのは基本だからな」
「じゃあ、そういうことなら……」
俺は髪を掻きむしって――俺の悪い癖だ――言った。
「魔術が使えて、特殊部隊での経験があるやつを探せばいいってことか?」
「ああ、そうだ」
「ニューヨークには800万の人間がいるけど、そんな奴はせいぜいいても1人だろうね。
間違いなく犯人はそいつだ」
俺はは聞き取った内容を手帳に書き留めると言った。
「旦那、誰かそういう手合いに心当たりはないか?」
「生憎と俺はない。お前の話だと、こいつが殺したのは魔術と何の関係もない一般人で、殺し自体はただの刺殺なんだよな?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、こいつは多分、ソサエティにお尋ね者魔術師を売るハンターじゃなく、
魔術を使って在野の軍事行為を行う傭兵や殺し屋の類だろうな。
そういう奴なら何人か知ってたが、モリーと一緒になって
外道魔術師と人外専門のハンターにてからは、すっかりその世界には疎くなっちまってな」
控えめに言ってガックリ来た。昨日はほぼ徹夜だ。
その結果が空振りならガックリもくる。
だが、旦那の答えには続きがあった。
「だが、兄貴なら多分何か知ってるだろう。ラッキーだったな、パトリック。
兄貴はしょっちゅう国外に出てるが、いまならニューヨークにいるぞ」
×××××××
「はい」
そう言ってドアを開けたのは、どう見てもまだティーンエイジャーの女の子だった。
どことなくアンナに雰囲気が似ている、と俺は思った。
「よう、ジェシカ」
「マシュー叔父さん、アンナ」
「なんだ、また美人になったな。
俺がハイスクールボーイだったら、死んでもお前をプロムに誘ってるぞ」
「アハハ、ありがとう、マシュー叔父さん」
マシュー"叔父さん"?
ということはこの娘は旦那の姪っ子、つまり旦那の兄貴、ロバート・ロセッティ氏の娘か。
所帯持ちの傭兵とは意外だ。
「傭兵」という言葉から俺が連想したのはやもめ暮らしのむさくるしい中年だったが、
確かにこのグラマシーの閑静な住宅街はそういう人種には明らかに似つかわしくない。
人を肩書で決めつけるもんじゃないな。
「ねえ?そっちのお兄さんは?」
"お兄さん"
良い響きだ。ティーンエイジャーの女の子にそう呼んでもらえるなら、自分もまだ捨てたものじゃなさそうだ。
俺がバッジを見せようとすると、アンナがそれを遮って言った。
「私のロミオ様だよ、ジェシカ」
ジェシカと呼ばれたその少女の眼の色が変わった。
その眼は俺に、サバンナでか弱きシマウマを狙うチーターを連想させた。
「へえ!じゃあ、今日は親戚にご挨拶って感じ?」
「そうさ。ロバート伯父さんが帰ってきてるっていうからちょうどいいと思ってね。
ねえ?ダーリン?」
反応に困っている俺を横目にアンナは話を続けた。
「ねえ、ロバート伯父さんはいる?」
「パパならテレビ見て寛いでるよ」
「じゃあ、お邪魔していいかな?ロバート伯父さんに相談があってね」
「いいけど、あいさつに来たんでしょ?私とママは?」
「あんたとナディア叔母さんには後で食事でもしながらゆっくり話すよ
ねえ、ダーリン?」
俺が言うべきセリフは1つしかなかった。
「ああ、もちろんさ。ハニー」
俺たちが通されたのはダイニングルームだった。
軽い東欧の訛りに黒髪に黒い目の妙齢の女性
――彼女はナディアという名前でアンナの叔母さんにあたる――
が迎えてくれ3人分のコーヒーを淹れてくれた。
ジェシカは
「ねえ、ママ。この人、アンナの王子様だって!」
と嬉しそうに話している。
ロミオ様の次は王子様かよ。
この年頃の女の子は恋の話が大好きだ。
合衆国の首都がワシントンD.C.だというのと同じくらいよく知られた事実を今更ながら思い出した。
「へえ!そうなの!」
妙齢のご婦人も眼を輝かせている。
「あら、ごめんなさい。ロバートにご用なんですよね?呼んできますね」
3人の女性は10分ほどガールズトークに花を咲かせていたが、
一番の年長者がようやく本題を思い出してくれた。
やれやれ、助かった。
「ええ、ありがとうございます。マダム」
「ごゆっくり」
と言ってジェシカとナディアはようやく去って行った。
去り際に
「ねえ、結構かっこいいじゃん」とジェシカがアンナに耳打ちしているのが聞こえた。
悪い気はしないが、素直に喜ぶ心情にはなれなかった。
マシューの旦那は明らかに笑いを噛み殺していた。
クソっ、なんて日だ。
「なあ、純真なティーンエイジャーの前でパパ宛てに尋ねて来てバッジを出そうとしたのは悪かったよ……」
「わかってるなら、このくらいの罰は甘んじて受けてほしいね」
ニヤっと笑いながらアンナは言った
マシューの旦那は変わらず下を向いて笑いを噛み殺している。
軽率な行動をとった10分前の自分を撃ち殺してやりたい。
「しかし、所帯持ちの傭兵とはな」
「なんだ?傭兵っはみんなやもめ暮らしのムサい中年だとでも思ってたか?」
思っていたことを一字一句あてられた。
「何だよ、旦那。読心の魔術でも身に着けたのか?」
旦那は苦笑して言った。
「兄貴は傭兵なんていうヤクザな稼業をやってることを除けば、限りなく善良な一市民だ。
ジェシカとナディアには貿易関係の仕事だと言ってあるらしいが、
あの2人は一片も疑っちゃいない」
「その"限りなく善良な一市民"が傭兵なんていう危険な稼業をわざわざ続けてるのは?」
「魔術の世界に足を踏み入れるってことはな……」
マシューの旦那はそこで一度言葉を区切った。
「死の世界に近づくってことだ。わかるだろ?」
"こちら側"のものが見えるようになってから、確かに死の世界を身近に感じるようになった。
言われてみればわかる気がする。
「だから、おれたちはどうしても多かれ少なかれデンジャラスな仕事を選んでしまいがちだ。
お前さんみたいにな」
確かに、俺は除隊になって自らの意志でニューヨーク市警の門を叩いた。
なぜか?と言われると、それが俺にとって適切なことに思えたからだ。
せっかく死と隣り合わせのイラクから五体満足で帰ってきた俺に「どうしてまた危険に首を突っ込むようなまねをするの?」
とおふくろも妹も不思議がっていたが、改めて旦那にそう言われると、どうして自分がその選択をしたのかわかるような気がした。
コーヒーを一口すすって、マシューの旦那が言った。
「まあ、なにも兄貴がこんなヤクザな家業を続けてるのは、リスクジャンキーだってだけが理由じゃない。
金払いのいい仕事だからってのも相当にデカい。
だから、兄貴は死に親近感を抱きつつも、必ず生きて帰ってくると自分に誓いを立てて"出張"に出てる。
――ジェシカは成績優秀でな。SATの点数はアイビーリーグにも行けるレベルだ。
幸いにして魔術の才能が受け継がれなかったから、アンナみたいに闇の力に狙われることもない。
ナディアは幼いころにルーマニアから亡命して、昔は相当苦労したそうだ。
金を稼いで家に帰り、女房と娘に出来るだけいい暮らしをさせる。
それが兄貴を生者の世界に踏み留めさせてる原動力だ」
マシューの旦那がひとしきり話し終わったところで、
巨大な影が現れた。
その影は、地の底まで響き渡るような重低音で言った。
「よう、マシュー、アンナ」
そこに立っていたのはマシューの旦那と瓜二つのむさ苦しい大男だった。
――さっきの可憐なティーンエイジャーには欠片一つも面影が見いだせないほどの
「兄貴」
そういうと、2人はグリズリーが取っ組み合うような豪快なハグをした。
「ハイ、ロバート伯父さん!」
そう言うとアンナともハグをした。
アンナは長身の部類に入るが、"ロバートおじさん"と比べると風車とドンキホーテぐらいの差があるように見えた。
「アンナ、また美人になったな。俺があと20年若かったら辛抱たまらなくなってたとこだぜ」
「伯父さん、姪っ子に言うセリフじゃないよ、それ」
「全くだ」
そういって"ロバート伯父さん"は豪快に笑った
「そっちの若いのは?」
「私の相棒だよ。前に話したでしょ?」
「ああ、するとお前さん、ニューヨーク市長の犬か」
場の雰囲気が凍りつく。俺は口に出すべき言葉が見当たらなかった
明らかに気まずい沈黙が続いた後、マシューの旦那がこらえきれない、といった具合に笑い出した
「冗談キツいぜ、兄貴!」
"ロバート伯父さん"も子供が聞いたら泣き出しそうな重低音で豪快に笑った。
「さて、するとお前さんは俺にアドバイスを求めに来たってことか?」
「ええ、ご協力願えると大変うれしいです。ミスター・ロセッティ」
「ああ、いいとも。年長者を敬う若者は嫌いじゃないぜ。
――かわいい姪っ子もいろいろ助けてもらってるらしいしな」
「ありがとうございます」
「ああ、それとおれのことは"ロバート"でいいぞ。
えっと……」
「パトリックです。パトリック・ケーヒル」
「おう、よろしくな、パトリック。」
そう言うと、ロバートはグリズリーみたいな大きな手を差し出し、俺とガッチリ握手をした。
見た目通りタコだらけのゴツゴツの手だった。
「じゃあ、なんだ。どうせ、
お菓子のお家が出てくるようなファンシーな話をするわけじゃないんだろ?
外で話そうや」
××××××
結局4人でマディソンスクエア・パークを目前に臨むダイナーに入った。
ロバートの大将――マシューが「旦那」なのでそう呼ぶことにした――は「腹が減った」と言ってブルーベリーパンケーキを注文し、
オキアミを丸呑みするクジラのようにものすごい勢いで掻き込んだ。
間の長いピッチャーだったら、まだ1球投げ終わらないんじゃないかというほどの早さで
パンケーキを掻き込んだロバートは、トドかセイウチが求愛行動をするようなゲップをすると言った。
「さあ、いいぜ。話してみろ、若いの」
俺は、1連の事件とその特徴についての説明をした。
話を聞き終わった大将は何秒か黙っていたが、おもむろに口を開き、言った。
「そんな奴は1人しかいねえよ」
「心当たりがあるのかい、大将?」
「ああ、ジェイソン・アルバレスだ」
アンナとマシューの旦那を見る。
2人とも「知らない」というようにかぶりを振った
「奴の経歴についてはっきりとしたことはわからないが、
噂を総合すると、とある諜報機関の特殊工作員だったそうだ」
「随分と曖昧だな」
「そりゃあおれたちが奴の経歴について知ってるのは噂だけだからな。
だがな、パトリック。考えてもみろよ。
工作員に暗殺をさせてたとして、それをアンクル・サムが認めると思うか?」
「たしかにそうだ」
「アルバレスは、父親がメキシコ人で幼いころに両親が離婚するまではティフアナで過ごしてる。
それでスペイン語が堪能でな」
水を一口飲み、一度言葉を切るとロバートは続けた。
「暗示が唯一にしてもっとも得意な魔術で、スペイン語が堪能なことを重宝がられ
中南米のどこかに行っては反政府組織や軍の司令官を暗殺して回ってた」
「傭兵に"転職"した理由は?」
「2つあるが、1つは思想的理由だ。
――奴が一度だけ酔って口を滑らせたことがあってな。
はっきりとは言わなかったが、理由もわからずブギーマンみたいに人の家をサプライズ訪問しては、血みどろの死体を作って去っていく。
そういう諜報機関のやり口に嫌気が差したんだろうな。
アンクル・サムの命じる殺しならそれなりの理由があるんだろうが、
その理由がクリーンなものかどうかなんてアルバレスみたいな末端の人間には知りようがない。
奴は、愛国者と顔に書いてあるようなタイプの人間だが、融通が利かないレベルのクソ真面目な性格でな。
そのうち、自分のやってることが信じられなくなったんだろ。
それで、思想に関係なく金だけで仕事をこなす傭兵に転職したんじゃないかとおもうぜ」
「もう1つは?」
「お前さんもわかってると思うが、奴が魔術師だからだ。
魔術が使える奴はどうしてもデンジャラスな仕事選んでしまいがちだ。
アンクル・サムの手先をやめたアルバレスが、殺人スキルの活かせる傭兵稼業に転職したのも自然と言えば自然だろ。
――ところがな」
大将はまたしても水を一口飲んだ。
嫌な間だ。
「あいつは壊れちまったんだ
――アルバレスとは何度か一緒に"仕事"をしたことがあるが、あいつはこの稼業を続けるには神経が細すぎたんだ。
最後に一緒に"仕事"をしたのは2年前だが、その時にはもうあいつはまともじゃなかった。
あれは何か大事なものが壊れちまった眼だったよ。
その直後のことだ。
――クイーンズの酒場でつまらんことで行きずりの相手とケンカして、相手を一方的に嬲り殺しにしたのは。
心神耗弱で実刑は免れたが、精神科の隔離病棟に収監されたはずだ。
だが、奴のことだ。暗示で脱走したんだろう。
厳重警備の隔離病棟でも暗示が使えれば脱走なんぞ難しくもなんともない。
調べてみろ、パトリック」
俺は、同僚のモラレスに電話して記録へのアクセスを頼んだ。
調べはすぐについた。
アルバレスは心神耗弱を理由に実刑を免れ、精神科の閉鎖病棟に収容されていたが、1か月前"なぜか"脱走に成功していることが分かった。
「奴は、どうしてそこまでして傭兵稼業を続けたんだ?」
「俺と同じだよ」
マシューの旦那が重々しく言った。
「……家族か?」
「ああ、美人な嫁さんと可愛い息子がいた。
おれたち魔術師はどうしても危険から遠ざかる生活に馴染めない。
だというのに、クソ真面目な奴の精神はどんどん擦り減っていく。
それでもなんとか精神の均衡を保っていられたのは嫁さんと息子のおかげさ。
出来た嫁さんでな。アルバレスが収監されてからも戻ってくる日を信じて健気に待ち続けてたよ」
また嫌な間が出来た。
嫌な予感がする。
「まったく。不幸な事故だった。信号無視の車に衝突されてな。妻子ともにほぼ即死だ。
おれはアルバレスとは特に親しかったわけじゃないが、ありゃあまりにも不憫すぎた。
傭兵仲間でカンパしあって、墓は建てたが、もし、アルバレスがシャバに出てきたら、その時はあいつは全くの孤独だ。
一体どうなっちまうんだろうな、なんて他人事みたいに思ってたらこれだ」
「現場を見せてもらえるか、パトリック」
その一声で俺たちはクイーンズ、ウィレッツ・ポイントの現場に向かった。
「南米のスラムに似てると言えなくもないな」
ロバートは開口一番そう言った。
確かに言われてみればそうかもしれない。
ここはウィレッツ・ポイントの大通りだが、穴だらけの道路沿いに崩れそうな家屋が立ち並ぶ光景は、
資本主義社会の中心地というより、内戦中の途上国のようだ。
実際、大通りのいかにもニューヨーク的な慢性的渋滞さえなければ
そう勘違いしていたかもしれない。
しかもこのエリアは中南米系の移民が集中している。
「アルバレスの自宅は確かフォレスト・ヒルズだ」
「近いな、ここから十分歩ける距離だ」
「……多分、奴は、隔離病棟をまんまと抜け出して、真っ先に家に帰っただろう。
ところが、そこには誰も居らず、気が動転してさ迷い歩いていたらたまたまここに迷い込んだ。
精神を病んだアルバレスには、ここがニューヨークじゃなく、カラカスやボゴタに見えたのかもしれねえな」
しばらく全員が物思いにふけっていた。
最初に口を開いたのはアンナだった。
「そろそろ、ここから離れない?
ロバート伯父さんと親父をわざわざ強盗しようなんていうバカは居ないと思うけど、
暗くなってからこのエリアに居るのはあまり良いことじゃないと思うよ」
「そうだな。そろそろ重いケツを上げて移動するか」
そう言って、俺たちは荒廃したウィレッツ・ポイントに背を向けた。
「ああ、ところで、悪いがおれは明日からまた"出張"だ。協力してやれない」
「いや、有益な情報どうも。ロバートの大将」
「礼には及ばねえよ。若いの」
そう言ってロバートは屈託なく笑った。
マシューの旦那はずっと押し黙っていた。
見かけによらずお喋りな旦那の珍しい姿だった。
全6回の予定です。




