メッセージ 前編
お久ぶり、ニューヨーク編です。
前、後編です。
メール受信の通知音で目が覚めた。
差出人はアンナ・ロセッティ。
俺の友人でパートナーだ。
テキストメッセージにはシンプルに三つの単語が連なっていた。
「Are you free?(ヒマかい?)」
〇
遺憾なことながら俺は非番で、暇だった。
普段ワーカホリックな俺は休日になると途端にやることが無くなる。
刑事の仕事はシフト制で、誰かと休日を合わせるのが難しいし、そもそも俺は無趣味だ。
それを見越した呼び出しだった。
ロウアーマンハッタンにあるロセッティ親子の家に到着したのは昼過ぎだった。
彼らの部屋がある建物の一階にあるベーグル店からはベーグルの香ばしい匂いが漂っていた。
朝からコーヒーしか口にしていないことを思い出した俺はサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを購入し、二階に上がった。
アンナとマシューのロセッティ親子は私立探偵のライセンスを持ち、電話帳にも「ロセッティ探偵事務所」として登録されている。
ただし、「ロセッティ探偵事務所」の後ろに「霊能力者」という但し書きがついているためマトモな依頼が一般人からくることはほぼ無い。
多くは冷やかしだ。
ご丁寧にも古ぼけた部屋のドアにも「霊能力者、冷やかしお断り」と書かれている。
「ハイ、パトリック」
ドアを開けるとアンナが迎え入れてくれた。
「そう強張った顔、しないでくれよ。今回は切羽詰まった状況ってわけじゃない」
「そうなのか?」
「そうだとも。死人は逃げないからね」
俺は彼女が用意してくれたレモネードを飲み、ベーグルサンドをかじりながら説明を聞いた。
一週間前。
一人の人物が失踪した。
その人物の名前はコウスケ・カジウラ。
五十代後半の日本人ビジネスマンで、三十年前に渡米。
妻と二十代の一人娘が居る。
気が動転してしまい、何も手に憑かないミセス・カジウラに代わり積極的に動いたのは娘のアヤだった。
弁護士事務所で働く彼女は、警察に失踪届を出したもののさしたる成果が挙がらないことに業を煮やし、事務所のコネで
様々な探偵事務所に相談を持ち掛けていた。
判断としては間違っていない。
失踪は事件なのかそうでないのか判断するのが非常に難しい。
おまけに失踪から四十八時間を経過した失踪者はまず見つからない。
警察は当然ながら、一週間も前に失踪した人物の捜索にそれ程のリソースを割けない。
ならば頼む先は探偵事務所になる。
だが、残念ながらどの探偵事務所も成果を挙げられなかった。
それぞれの事務所の見解は「残念ながらお父様はお亡くなりになっている可能性が高いです」というものでほぼ一致していた。
アヤ・カジウラは完全に参っていた。
そして、何気なく見ていた電話帳で「ロセッティ探偵事務所 霊能者」の表記を見つけた。
普通に考えれば明らかな暴挙だが彼女は新しいアプローチを試す必要があると考えており、特に他に案を思い付いたわけでもなかった。
今回の依頼主は藁をもつかむといった具合でロセッティ探偵事務所に依頼をした。
それでアンナは依頼を受けることとなったわけだ。
「それでどうやって依頼を完遂するんだ?」
「降霊でミスター・カジウラの霊を降ろす」
「お前の見立てじゃミスター・カジウラは亡くなってるってことか?」
「ああ、そうだ。あんただってそう思うだろ?」
アンナは現実主義者だ。
普段から警察関係との付き合いも多い。
統計的事実からして妥当な判断だ。
「実際、降霊でどの程度分かるんだ?」
「術者の適性にもよるけど、私の場合はその霊が体験した出来事が擦り切れたレコードみたいに朧げに聞こえるってところだね。の記憶ってのは曖昧なものだろ?それがゴーストになるとさらに曖昧になるらしくてね。聞き出せるのは本当に重要な部分だけだ。それも不鮮明な形でね」
「そりゃあアレか?例えば自分が殺されたときの状況はある程度わかるってことか?」
「調査するには十分だろ?」
俺の頭には刑事として当然のアイディアが浮かんでいた。
「そりゃあすげえ。大抵の殺人事件は解決だな」
「だったらとっくに操作方法として推薦してるよ。よく考えてみて。ゴーストの証言は証拠として採用できるかい?」
「警察犬の嗅覚は証拠にはならねぇが参考にはなるぜ?」
「情報源を聞かれたら『幽霊に聞いた』とでも答えるのかい?それで令状取れるなら協力するよ」
「やっぱり地道な捜査が一番だな」
俺はベーグルサンドの包み紙を悔しさ紛れに握りつぶした。
アンナはそれを手に取るとダストボックスにスリーポイントシュートした。
「何であれ、アンタも一応、術師の端くれだろ?降霊は一度くらい見ておいて損は無い。さあ、行こうか」
〇
そば、カレー、ラーメン、しゃぶしゃぶ――。
夜ともなると若者が集まるニューヨーク・イーストビレッジの一角は通称「ジャパンタウン」と呼ばれ、居酒屋や和食レストラン、純和風の喫茶店、そば屋などが軒を連ねる。
かつては治安が良いとはいえない一帯だったが、ここ30年の間に徐々に和食店が集積し、自ずと「ジャパンタウン」と呼ばれるようになった。
8丁目/セント・マークス・プレイスはまさにそのど真ん中であり、統計的にはマンハッタンで最も日本人が多いエリアとされている。
俺とアンナはgoogleマップを頼りに目的の住所を目指していた。
「ところでよ」
「何だい?」
今日は良く晴れている。
冬のニューヨークは冷凍庫の中のように寒いが、夏はオーヴンに放り込まれたような暑さだ。
日よけのサングラスで照り返しから目を保護しながら俺とアンナは歩みを進めていた。
「今回の依頼者は一般人だよな?ホンモノの魔術を見せて問題ないのか?」
「良い質問だ。魔術とその秘匿は魔術という技術自体を保存するためにセットで行わなければならない行為だ。魔術は秘匿されたからこそ神秘を保ってきたわけだからね」
「んじゃ、今回受けた理由は?」
「たまになら問題ないってことだよ。今回の霊媒が終わったら依頼者の記憶を少し操作して、私が何をしたかという部分の記憶を曖昧にしておく。
口コミから評判になって依頼が殺到するようになったら魔術という技術そのものの危機だからね」
「なるほど」
〇
今回の依頼人、アヤ・カジウラはどう見ても参っているという感じだった。
俺は殺人課の刑事だ。
遺族にとって人生最悪の出来事かもしれない事を事件が起きるたびに報告しに行かなければならない。
こういうのには慣れたが、慣れたというだけでやはり堪える。
おそらくは未亡人となってしまったアヤの母親、サキコ・カジウラは娘以上に参っているらしくセラピストのセッションに行っているとのことだった。
「最初に言っておくことがある」
そう言ってアンナは説明を始めた。
彼女の話は大雑把に三つだった。
一つは父君は亡くなっている可能性が高いということ。仮にまだ生きていたらロセッティ探偵事務所の領分ではなく、今日一緒に来てくれている刑事さん(俺のことだ)の領分だということ。
二つ目は、これから極めて突飛なことをするが信じて欲しい。
三つめは報酬は成功報酬で構わない、具体的には父君の行方がはっきりとわかった時に払ってくれればいいとのことだった。
特に三つめはアヤを驚かせたようだった。
「経費もですか?」
「経費なんてほぼ何もかかってないよ。特に道具は使わないし、ここまでは地下鉄で来た。身一つなのに何の経費がかかるんだい?」
彼女の強張っていた表情が少しだけ緩んだ。
「さあ、はじめようか」
アンナはそう言うと、アヤを座らせ、自分はテーブルの反対側の席に座った。
「私の手を取って」
アヤは言われるままに机に載ったアンナの手を取った。
アンナは深呼吸すると目を瞑った。
「Veni Spiritus(来たれ、霊よ)」
ラテン語だろうか、短い文句を唱えるとアンナの周りに白い靄のようなものが現れた。
どうやらアヤには見えていないらしい。
話には聞いていたがこれが本物のエクトプラズムというやつなのだろう。
明らかに怪しい行動をとっているアンナは不審な目で見るだけで、その視界に不可解な靄は入っていないようだった。
アンナは目を瞑ったままシリアスこの上ない趣で熱心に何かに耳をそばだてているようだった。
俺には全く聞こえないが、熟練の術者である彼女には何かが聞こえているのだろう。
「うーん。わからない」
稍あってアンナの口から飛び出したのは実に情けない発言だった。
「魂の状態は本能が前に出てくる場合がある。お父様は日本生まれの日本育ちだよね?
どうも日本語らしくてね。何かを訴えているのは分かるけど、何を言っているのかわからない」
この発言もまた、アヤにとっては意外だったようだ。
「最もらしいことは言わないんですね」
「心外だね。私は奇術師や占い師の類じゃない。最もらしいことを言って依頼人を安心させるのは私の仕事じゃないよ」
どうとでも取れる曖昧な発言や最もらしいことを言って情報を引き出すのはコールドリーディングと呼ばれる手口だ。
詐欺に引っかかる人間は希望的観測からつい都合の良いように言葉を解釈してしまう。
アンナ曰くテレビに出てくるような霊媒師の九割以上は降霊でも霊媒でもなくコールドリーディングを使っているだけだそうだ。
「あの……わからない、ということはこれで終わりということでしょうか?」
アヤが不安げに言った。
もともとこのような怪しいものに期待などしていなかっただろうが、アンナの意外な言動の数々で少し信頼する気になったようだ。
アンナが答えた。
「いや。適任者を知ってる。遠方からくるから少し経費がかかるけど、経費も成功報酬に含めて構わないよ。失敗したら私が立て替えておくよ」
次回後編です。