消えた子供たちと母親
自分でも意外なことにまた更新しました。
NY編です。
短いの一回で終わります。
大した事件じゃない、俺はこの一件をそう評価していた。
実際、それは大した事件じゃなかった。
マシューの旦那はあっという間に結論に辿り着いたし、事件は綺麗に解決した。
そう、「事件は」綺麗に解決したんだ。
〇
冬が終わり、春が来た。
ニューヨークは寒暖差の激しい土地だ。
これから来る猛暑を想像して憂鬱になりながら、冬の寒さが残るマンハッタンを俺は歩いていた。
俺が真昼間から路上をウロウロしている理由は非番だからじゃない。
ハードワークすぎる俺を見かねてボスが強制的に休暇を取らせたからだ。
唐突の休みに面食らったが、いつも一緒にオーバーワークしているモラレスとグリーンは
「休暇、楽しんできて」と快く送り出してくれた。
しかし、急に休みをもらうとどうしたらいいかわからない。
俺は特別凝った趣味を持っているわけではないし、何より自分の仕事に誇りを持っている。
NYPDの刑事は悪くない額の給与を貰える。不満がない以上、長く休みたいという欲求も無かった。
二週間の休みは俺には持て余し気味な時間だ。
さてどうしたものか、と俺は思った。
そして、俺の思考を一通のテキストメッセージが遮った。
俺はメッセージを確認し……それは差しあたっての俺の行動を定めることになった。
〇
「休暇じゃなかったのか?」
俺を出迎えた毛むくじゃらな大男、マシュー・ロセッティは怪訝な表情で言った。
ここはロウアーマンハッタンの一画。
ニューヨークを拠点とする魔術師、ロセッティ親子の拠点だ。
娘のアンナは割のいい依頼があったらしく、モントリオールに出張中だった。
レンガ造りの古い建物の二階で、一階はベーグル店になっている。
ニューヨークは歴史の浅い街だが、地震や津波と無縁な土地柄であるため思いのほか古い建物は多い。
ロセッティ親子が済んでいる建物はレンガ造りで、十九世紀にドイツから移民してきた人物が建てたらしい。
ユダヤ系が経営するベーグル店が入り、二階にイタリア系が済んでいることを当時のオーナーが知ったらどう思うのだろうか。
「休暇だよ。休暇のついでに仕事もするだけさ」
俺が受け取ったテキストメッセージはアナポリスに移り住んだ元同僚からだった。
元同僚のグリービーはまだ三十代だが、ニューヨークの喧騒が嫌になり、NYPDを退職した。
探偵のライセンスを取得し、今はアナポリスで私立探偵(PI)をしている。
そんな彼に最近、奇妙な依頼が舞い込んだ。
「ウチの子の挙動がおかしい。調べてもらえないだろうか?」
五人の母親からの連名による依頼だった。
母親たちの話はこうだ。
最近、子供たちの様子が明らかにおかしい。
口数が極端に少なくなり、やけに母親の傍に居たがろうとする。
高い医療費を払って精密検査を受けさせたが何も異常は見つからなかった。
子供たちのことが気になって仕方がない母親たちは、(警察に頼むわけに行かない以上賢明な判断だろう)
街でも評判の私立探偵であるグリービーに素行調査を依頼することにした。
母親たちの知らないところで何か、オカルト的な儀式にでも関わっているのではないか?と彼女たちは疑っているのだ。
「それで?そのグリービーって私立探偵はどういう結論に至ったんだ」
「わからない」
「何だって?」
「わからない、だよ。グリービーが念入りに調べたが何もおかしなところは無かったんだ」
グリービーは自身の信用のため、精一杯の調査をした。
しかし、子供たちの怪しい影は一切なかった。
学校に行くのを除けば、外出はほとんど無く、放課後のチームやクラブの活動にも参加しなくなった。
クラブのコーチは子供たちが急に熱心さを失ったことを不思議そうにしていた。
そして、突然の情熱の欠如は誰にも理由がわからなかった。
グリービーは完全にお手上げだった。
そして思った「これはまるでオカルトだ」と。
「オカルト」という単語が頭に浮かんだ時、同時に一人の人物の名前が浮かんだ。
それがパトリック・ケーヒル。
つまりは俺だ。
俺が「視える」ようになったのは、NYPDでまだパトロール警官をやっていたころだ。
俺は当時、力の制御がままならず方々で「幽霊が見えた」と騒いでいた。
グリービーはそのことを思い出し、「有り得ないとは思うが可能性として」俺に協力を仰いだ。
「んで?それはいつからだ?」
そこまで話したところでマシューの旦那が聞いた。
答は用意してある。
「ああ。それははっきりわかってる。その子供たちは、春休み揃ってアパラチアントレイルを歩いたんだが、
まる一日音信不通になった日があったらしい。心配した引率の大人が、警察に届けを出そうとした矢先に
戻ってきたそうだ。引率した人物の話だと、その時からおかしかったらしい。なあ、キナ臭えと思わえか、旦那?」
「ああ。確かに臭えな。ハドソン川に浮かんだヘドロみてえにプンプン匂ってくるな」
マシューの旦那は俺と同行することに同意してくれた。
アナポリスは隣のメリーランド州とはいえ、それなりに距離がある。
準備をするということで、翌朝に合流して出発ということになった。
「ところで旦那」
「何だ?」
俺は今一番気になっていることについて意見を求めた。
「ショーヘイ・オータニの事をどう思う?」
マシューの旦那は答えた。
「あれは人間じゃねえ。トヨタかホンダが作ったサイボーグに違いねえ」
〇
翌日。
ニューヨークを発ってたっぷり四時間。
旦那が車庫から引っ張り出してきたシボレー・インパラを交代しながら運転し、ようやくたどり着いた。
メリーランド州アナポリスは歴史の浅い、アメリカにおいて「古都」と言える数少ない町だ。
人口は四万人にも届かないがメリーランド州の州都であり、独立戦争直後は首都だった。
宿は取っていない。
ギリギリ日帰りが可能な距離であり、マシューの旦那の見立てでは「事件は早々に解決する」とのことだったからだ。
早々に解決する目途がついているにも関わらず旦那浮かない表情なのが気がかりだったが、人の考えていることなどそうそう分かるものでもない。
俺はその気がかりを隅に追いやった。
アナポリスについた俺たちは、まずグリービーに話を聞いた。
新しい情報が得られる可能性は低いと考えていたが、やはり彼からは特に新しい情報は無かった。
俺とマシューの旦那はグリービーの探偵事務所を後にすると、関係者たちから話を聞くべく再びシボレー・インパラを走らせた。
〇
「現職の刑事さん……ですか?」
「ええ。グリービーは元同僚でしてね。現役の警察官が私的にアレコレするのは良くないんですが、
今回は一つボランティアとして協力することにしました」
実際、経費だけはグリービーから受け取っているが報酬は受け取っていない。
グリービーには同僚だったころに幾らか恩がある。
ロセッティ親子には普段から色々と便宜を図っている。
なのでマシューの旦那もボランティアで協力してくれている。
「お医者様にもミスター・グリービーにも同じ話をしているのですが……」
俺たちはグリービーに子供たちの調査を依頼した母親の一人、ハークネス夫人の元を訪れていた。
ハークネス夫人は仕事中とのことで、彼女が働いているスーベニアショップに直接赴いていた。
ショップはアナポリス最大の名所である海軍兵学校のすぐ近所にあり、例によって海軍関連のグッズを扱っていた。
仕事中だったが店に客はおらず、俺は型通りの質問を片っ端からぶつけていた。
理由は旦那が「観察に集中したい。何でもいいからお前は質問をしろ。俺は観察に徹する」と要望したからだ。
凶悪なご面相によらず快活で人当たりの良い旦那だが、今日はほぼ無言を貫いていた。
そして俺がしばらく当たり障りのないことを話すと、突然口を開いた。
「奥さん。二つ聞きたいことがあります。まず、一つ目。頭がクラクラすることはありませんか?」
ハークネス夫人は毛むくじゃらな不審者の突然の問いに面食らった様子だった。
旦那が「大事なことです」と言うと「はい。確かに時々クラクラすることがあります」と答えた。
旦那は小さく唸るとまた質問した。
「じゃあ二つ目。首筋に痛みを感じることがありますか?」
夫人は答えた。
「はい。確かに最近、時々痛みを感じます……あの、何故お分かりになったんですか?」
旦那は渋い顔をして黙ったが、何か思いついたらしく口を開いた。
「奥さん。息子さんの名前はジェイミー・ハークネスでしたね」
「はい」
「良い名前ですね。オカマの水兵みてえだ」
俺はハークネス夫人に謝罪すると旦那を引っ張って店を出た。
〇
「悪いな。パトリック。突っ込まれたくなかったんでね。とっさに野暮で無礼な発言をして誤魔化すことにした」
先刻の無礼な発言に対してマシューの旦那は弁明をした。
毛むくじゃらで野生の王者にしか見えないが、旦那は阿呆ではないし下品だが粗暴ではない。
「にしてやり方が悪いぜ、旦那」
「ああ。俺も重々反省してる。だが、これで推論がほぼ結論になった。
パトリック、これからあと四人の母親に会いに行くが、まず間違いなく首筋に傷があって
頭がクラクラする症状に悩まされてるはずだ。確認しに行くぞ」
そう言い切ると旦那は、シボレー・インパラの運転席に乗り込んだ。
〇
「取り替え子だ」
一通りの聞き込みを終えた後、俺と旦那はダイナーでクラブケーキを平らげていた。
グリービー推薦のダイナーだ。値段もさほど張らず、ボリューミーで美味だった。
食べ終えると旦那がレモネードを一息にあおり、言った。
「取り替え子?」
俺が単語を反芻すると旦那の説明が始まった。
チャンジリングはスカンジナヴィアとケルト圏の伝承に語られる妖魔の一種だ。
伝承では人間の子供を密かに連れ去り、その子供に置き換わると言われている。
妖魔だが脆弱な存在であり、子供を連れさり置き換わることを除けば悪事と言えるようなことは行わない――正確には行う力がない。
チェンジリングは見た目こそ人間の子供にそっくりだが大きな違いがいくつかある。
事前に聞いていた通り口数が少ない、というのも一つだが何より大きな特徴がある。
「パトリック、お前もあの首の傷、見ただろ?」
二件目以降の聞き込みの際、「首筋をよく見ておけ」と旦那は忠告した。
旦那の言うとおり、母親たちの首筋には噛み跡のようなものがあった。
チェンジリング最大の特徴は特有のエネルギー補給だ。
チェンジリングは人間の髄液、母親の髄液を吸い取る。
ハークネス夫人に限らず、俺たちが聞き込みした家庭の母親はことごとく首筋に噛み跡があり「頭がクラクラする」という症状を訴えていた。
状況からしてチェンジリングに髄液を吸われたと考えてまず間違いない。
旦那曰く、チェンジリングは補給路さえ断ってしまえば消滅するという。
具体的には簡単な魔除けを母親に施せば事足りると言う。
「それでよ、旦那。その置き換えられた子供たちは助かるんだよな?」
旦那の説明を聞き終えたところで俺は聞いた。
旦那はレモネードを飲み干して盛大なゲップをしたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「……俺たちが優先すべきは助かる命だ。このクラブケーキを食い終わったらすぐに出るぞ。
日が暮れる前に終わらせる」
〇
俺たちは今日、聞き込みをした家々を回り、母親たちの首筋に旦那がヒイラギから作った魔除けの粉を刷り込んだ。
相手は全員が一般人であり、魔力抵抗はゼロだったため俺が暗示で動きを一時的に止め旦那が素早く作業を行った。
「チェンジリングは脆弱な魔物だ」
五軒目の家を出ると旦那が言った。
「母親の髄液って栄養源を失えばいずれ朽ちて死ぬ。
死体すら残らない。これが残酷なのか、我が子の死体を見ずに済む以上いくらかマシなのかなんとも言えない
ところだがな」
俺と旦那は路上に止めた、シボレー・インパラに向かった。
外はまだ仄かに明るい、
西の空に落ちかけた太陽がまだいくらか勢力を保っている。
今すぐ出れば今日中にニューヨークに戻れるだろう。
「どうしてこんなことするの?わたしたちはただ生きたいだけなのに」
荷物を詰め込み、車に乗り込もうとしたとき背後から声がした。
振り返ると無表情を顔面に張り付けた子供たちが整然と横一列に並んでいた。
五人の子供たち――子供たちに置換したチェンジリングだった。
俺は何も言えなかった。
旦那は黙っていたが、子供たちを見据えはっきりと言った。
「お前たちはただ生きようとしてるだけだ。人を襲うグリズリーやクマと変わらねえ。
だがな。俺はお前たちを許せない。だからお前たちを朽ちさせる」
旦那はそのまま助手席に乗り込んだ。
俺は黙って運転席に乗り込み、アクセルを踏み込んだ。
〇
赤いレンガ造りの建物が並ぶ景色はすぐに遠くなり、どこにでもある長距離道路の光景が広がった。
まだ空は微かに明るい。
「嫌なことを思い出しちまった」
渋い表所をしていた旦那が徐に口を開いた。
「カミさんが……モリーが死んだとき、アイツは妊娠してた」
驚きだった。
旦那とは結構な長い付き合いだが、そんな話は初めてだった。
「受精卵から人になる過程のまだ二週目だったがな。俺はカミさんを無くした時、娘の弟になったはずの存在も失ったわけさ」
俺は聞いた。
「アンナはそのこと、知ってるのか?」
無粋な質問だと思ったが聞かずにいられなかった。
「すぐ言うつもりだったが、なぜか言いそびれちまってな。結局知らないままだ。今後も言うつもりはない」
時速五十マイルで走る車窓から何でもない郊外の風景が通り過ぎていく。
空はまだかすかに明るい。
「優しいんだな。旦那」
「そうでもねえさ」
道路は空いている。
思ったより早くニューヨークに戻れそうだ。
俺はそう思った。
最後までお読みいただきありがとうございます。




