彼女たちの秘密 前編
なんと10か月ぶり更新です。
まさかまた書く気が起きるとは私自身も驚きです。
私は一葉の写真を差し出した。
写真の中で中年の男が一人、口から泡を吹いて倒れている。
「見たところ、急性左心不全による肺水腫だな。
これが俺の専門分野とどう関わる?マーフ」
彼はいつも通りの実利一辺倒な反応だった。
ある意味安心する。
「もちろんこれから説明する。ところでコーヒーはどう?」
私はスターバックスで購入したトールサイズのコーヒーを差し出した。
「遠慮する。ドイツ料理も褒められたものではないがアメリカンコーヒーは最悪だ。一体どうしたらあんなに薄い液体をコーヒーと主張できるんだ?
税金か何かで薄めているのか?」
「せっかく買ってきたのに」
「それは悪かった。ならば頂こう。君の味覚はともかく、気遣いには感謝する。今度来るときは俺がコーヒーを振舞おう。
コスタリカから個人輸入した本物の豆だ。気に入るぞ」
彼の謝罪の言葉を受け取り、私は先を続けた。
被害者の名前はジャスティン・マッケンジー。
ゲームメーカーのCEOでまだ46歳という若さだった。
ある日、オフィスに現れず連絡もないことを不審に思った彼の秘書が自宅に赴きこと切れている彼を発見した。
ジャスティン・マッケンジーの妻はガリーナに小旅行に出かけており不在。
メイドもその日は休暇を取っており、彼は前日の夜から自宅に一人だった。
ジャスティン・マッケンジーの契約しているセキュリティー会社によると本人以外の誰かが来訪した記録はないとのことだった。
私たち警察が公表している死因は「心不全」だった。
心不全は極めて多義的な意味で用いられる用語で、「心不全」と表現されているということは「死因はよくわからない」と言っているのとほぼ同義だ。
状況から考えて「不幸な自然死」として処理されることだろう。
このような不自然な自然死には法が届かない存在――例えば魔術が絡んでいる。
私、イヴァナ・メーガン・マーフィーはシカゴ市警察の刑事だ。
だが、それと同時に代々受け継いできた魔術師の家系でもある。
私の家系はもはや衰退しきり、魔術を使えるのはほぼ形だけの状態だが、その特技を見込まれて刑事に昇進した。
私が今訪ねてきているここは正真正銘の魔術師で私立探偵で友人、セバスチャン・シュマイザーの事務所だ。
ゴージャスなミシガンアベニューから道を一本入った古ぼけた雑居ビルの一階にあるこの事務所は、表から見ると一発でどんな場所であるかわかる。
なぜなら表には「セバスチャン・シュマイザー 探偵、魔術師」と書かれているからだ。
念のために注釈すると彼は、この看板の表記を大真面目に考えて決めた。
「実態を表しているのだから問題ないだろう」私がこの場所を初めて訪問し、表の看板について感想を述べると彼はそう言った。
「イタズラ電話が絶えないんじゃない?」と私が聞くと彼は言った。
「いい暇つぶしになる」
今回、通報を受けたパトロール警官に「念のため」呼ばれた私は、マッケンジー氏死去の現場で微かな魔術の痕跡を感じ取った。
そして妥当な判断としてセバスチャンに協力を要請した。
「協力してくれる?」と私が聞くとセバスチャンは「君は大事な友人だ。もちろん請け負うとも」と答えてくれた。
「ところで……」
私は尋ねた。
「その壁の文字列は何?私の知らない魔術の呪文?」
事務所の壁に意味を成すのか成さないのかよくわからない文字列が貼り付けられていた。
セバスチャンは答えた。
「wifiのパスワードだ」
××××××××××××
調査の手始めに私たちは死去したジャスティン・マッケンジーの妻、マーサ・マッケンジーと面談した。
シカゴ市警21分署の私のデスクに現れた彼女はバーキンのバッグを持ち、私が一生着ることの無さそうな一目で高級とわかる衣装を身に着けて、
私が一生つけることの無さそうな高級な香水の香りを盛大に周囲の空間に振舞っていた。
亡くなったジャスティンはMMORPGで一発あてて莫大な財産を作っていた。
マーサは亡くなったジャスティンより二回り以上若く、結婚前はウェイトレスとして働きながら女優を目指していたそうだ。
「彼らの結婚は間違いなく純粋な愛によるものだろう。実に合理的だ」と経歴を検めたセバスチャンがコメントした。
私はまず「お悔やみを申し上げます(アイムソーリーフォーユアロス)」というお決まりの文句を口にした。
そして隣にいるセバスチャンを「私立探偵で警察のコンサルタント」と紹介した。
「私立探偵」は便利なキーワードだ。我が国では探偵を名乗るのにライセンスが必要で一定の警察情報にもアクセスできる。
「警察」ほどでは無いしても私立探偵のライセンスは調査をするうえで相当に便利に働く。
セバスチャンはその有用性を理解しているため、シカゴを拠点にする時に苦労して探偵のライセンスを取得した。
彼は完ぺきな英語を話すが、ドイツ人だ。アメリカ文化の理解には苦労したことだろう。
「夫は人から恨まれるような人ではありませんでした。社交的で人好きのする、とても優しい人でした」
私は「ご主人は誰かから恨まれていませんでしたか}」という型通りの質問をした。
その質問に夫人は最上の評価を以って答えた。
職業柄、故人がこういった評価を下されるのを幾度となく聞いている。
統計上、殺人事件の加害者で最も多いのは被害者の親族だ。
親族からの個人の評価がどんなに高くてもそれを鵜呑みにするの危険と私は経験から学んでいる。
そもそも「社交的で人好きのする人物」ならば人との接触は多かったはずだ。
ならば恨みを買うことがあってもおかしくない。
「俺からも質問がある」
セバスチャンが鋭く口を挟んだ。
「なんでしょうか?」とマーサは問い返した。
「まずい」と私は思い、止めに入った。
しかし、一呼吸遅かった。
「ご主人の浮気相手の名前を教えてくれ」
私は頭を抱え、マーサ夫人は目を丸くした。
「君たちアメリカ人は実利主義者だろ?俺は効率的な仕事が好きでね。
安心してほしい。どこかに漏らすつもりはないし、あなたの亡くなったご主人の人柄がどれほど悪どかたっとしてもそれ自体には何の興味もない。
とにかく大事なことだ。教えてくれ」
マーサ夫人は静かに――しかし確かな怒りを含んだ動作で立ちあがった。
「質問は以上でしょうか?」
××××××××××××
面談を終えた私は現場に向かった。
現場は郊外の住宅地だった。
その場所、オークパークはシカゴのダウンタウンの西、約12マイルに位置する。
この一帯はフランクロイドライトか設計した実験都市の様相を呈している。
シカゴでも選ばれた人間だけが住むことの許されるエリアだ。
消防士の父と一緒にホワイトソックスを応援して少女時代を過ごした私にはまったく縁のないエリアだ。
「セバスチャン、ちょっとは遠慮してよ」
私たちはモダンで洒落たライトの建築物の間を縫いながら現場の一軒家を目指していた。
「無理だな。あいにくと俺は気遣いの容量が極端に小さい。俺が気遣いできるのは親族とごく僅かな友人だけだ。
例えば君だ。マーフ」
彼は全く悪びれる様子を見せなかった。
「あとは誰?アンナとアンドリュー?」
「よくわかってるじゃないか」
アンナ・ロセッティとアンドリュー・マクナイトはどちらも魔術師でセバスチャン曰く「三人しかいない友人の一人」だそうだ。
その狭いセバスチャンの気遣いリストに私が入っていることをどう思うべきなのか……
警察の現場検証が済んでいないため家主は実家に戻っているらしい。
『CSI:科学捜査班』の大ヒット以来、現場検証は短時間で済むと世間では思われているらしいが実際のところ現場検証は数日にわたるのが普通だ。
邪魔をしてはいけないので、私たちは鑑識の出払った時間帯を見計らって現場に入った。
見張りの警察官にバッジを見せると当然ながら私たちはあっさり通された。
「さて、始めるか」
現場に踏み込むとセバスチャンはそう言って、ポケットから取り出した袋の中身を吸い込んだ。
何度か見ているが、袋の中身はセバスチャンが特別に調合した薬草の混合物だ。
彼はこれで嗅覚を強化して魔力を探知する。
吸い込むと、彼はその場に座り込み――微動だにしなくなった。
そして十秒ほどすると勢いよく立ち上がり、どこかに消えてまた戻ってきた。
何かを手にして戻ってきた彼は言った。
「遠方から誰かを殺すとして――どのような方法が考えられる?」
どうやら質問らしい。
私を試しているのだろう。
彼と組むようになって二年、私も全くの無知ではない。
思い付くことを言ってみた。
「呪いか召喚術が妥当なセンじゃない?他にないとも言い切れないけど」
私の問いに対し、彼は懐から小さな袋を取り私に差し出した。
「これが答えだ」
見てもいいか許可を取ると私は袋を開き、中身を検めた。
「……チキンの骨に……とがった小動物の歯?それにこれは……人の髪の毛」
私の歯切れ悪い感想に対し、彼は言った。
「鳥の骨にウサギの歯、ガイシャの毛髪。これは『呪い袋』。古来より呪殺に使われてきた儀式の道具だ。
見たところ古典的な黒魔術の様式に従ったもののようだ。
これは呪殺。殺人事件だ。マーフ」
次回、後編です。




