Happy Holidays NY
メリークリスマス
十二月の二十四日。
俺は昼のシフトを終えると珍しく残業せずにオフィスを出た。
冬のニューヨークは凍てつくように寒く暗い。
まだ夕刻に差し掛かる程度の時間だがすでに夜の闇が空の多くを覆っていた。
だがこの街は眠らぬ街だ。
この時期特有のまばゆいイルミネーションがいつも以上に煌びやかにこの世界最大の国際都市を彩っていた。
ニューヨークマンハッタン区の五番街は世界で最もゴージャスなショッピングストリートだと思うが
この時期は眩暈がするほどのゴージャスさになる。
普段の五番街が目の覚めるような美女だとするならば、この時期の五番街は極上のドレスと極上のダイヤモンドを身に着けた
目の覚めるような美女だ。
この国の最高権力者は表向きは大統領だが最大の勢力は共和党でも民主党でもなくキリスト教だと思う。
アンナに連れられてヨーロッパを幾度か訪れたが西側社会でこれほどキリスト教色が濃い国は他にないように思う。
そんな最大勢力の始祖が生まれた日。それはアメリカにとっても当然に重要な日だ。※1
|ハッピーバースデイ・ジーザス・クライストの日も刑事には関係ないが
今週は運よく昼のシフトになった。
その前日であるの今日も勿論昼のシフトだ。
明日はスタテンアイランドの実家で。
今日は風変わりな相棒の親子と過ごすことにした。
五番街を南下してしばしの散策を楽しんだ俺は地下鉄に乗りロセッティ親子のもとに向かった。
×××××
「おう。来たか」
ロウアーイーストサイドのロセッティ親子のアパートを尋ねると
一家の家長マシューの旦那が巨大なビーフの塊にガーリックと塩を刷り込んでいるところだった。
ローストビーフの仕込みをしているらしい。
娘のアンナはカウチでテレビを見ながらくつろいでいていた。
親子の力関係がよくわかる。
「パトリック。手足二本は健在かい?」
カウチに寝ころんでいたアンナは俺の姿に気付くと不穏なことを言った。
「健在だが俺の手足の何の用だ?」と聞くとビールの買い出しに付き合ってほしいとのことだった。
「ちょいと待ってろ。お前ら二人じゃ手が足りないだろう」
マシューの旦那は肉の塊と格闘しながら俺たちのやり取りに割り込んだ。
マシューの旦那は大型肉食獣なみに飲み食いする。
巨大になりすぎたせいで座った瞬間に便器がクラッシュしたこともあるほどだ。
成程、俺とアンナで手の合計数は手が四本だが、それでは大型肉食獣を満たすに十分な酒が
持てないということか。
旦那は料理していた手を止めるとアンナと俺を連れて近所の家族経営のスーパーに酒の買い出しもとい買占めに向かった。
×××××
店に入ると今、まさに取り込み中だった。
店番の初老のアジア系男性に若い黒人男性が銃を突きつけているところだった。
このスーパーは韓国移民一世のチャンホとその息子のジョンホが主に店番をしている。
家長のチャンホはアメリカにやってきて三十年。完璧に英語を理解できる。
が、彼の英語には一つ致命的な問題がある。
それは北米英語に慣れ切った人間には彼の英語が理解不能だということ。
実際チャンホの英語は俺にはサッパリわからないがチャンホは俺の話していることが完璧に分かるらしい。
そういう時はジョンホが間に入って通訳してくれるのだがあいにくとそのジョンホは留守だった。
強盗男はカウンターにいたチャンホが何を言ったか解らなかったらしく怒りを過熱させていた。
強盗男は俺たち三人に気付きこちらを向いた。
「お前らも手を挙げろ!妙なマネするなよ!ヒーローになろうなんて思うな!
妙な仕草を見せたら撃つぞ!」
モノはいかにも粗悪そうなリボルバー。サタデーナイトスペシャルと巷で言われている類いの物だろう。
強盗男はギャング映画よろしく銃を横に構えて至近距離で銃口を突きつけていた。
典型的な素人だ。
やれやれ運の無い奴だ。
刑事は非番の時でも法の執行ができるよう拳銃とバッジと手錠の携帯が義務付けられている。
俺はベルトのバッジとヒップホルスターの銃にそっと手を伸ばし
――マシューの旦那に遮られた。
「よう。ブラザー」
「てめえは俺のブラザーじゃねえ!」
マシューの旦那の気さくな挨拶に強盗男は激昂してみせたがその程度でマシューの旦那がビビるはずもない。
「ブラザー。お前、名前は?」
「|ノンオブユアビジネス!《テメエに関係ねえ》」
「『テメエに関係ねえ』か……イカれた名前してるな。
お前、親父の名前はマザーファッカー(お袋とヤッてる奴)でお袋の名前はファザーファッカー(親父とヤッてる奴)か?」
マシューの旦那の上品なユーモアに対しアンナが更に上品なユーモアで応えた。
「マイルドシングとファッキンカントかもよ?」
マシューの旦那は今世紀最大のため息をついた。
「モリー、すまねえ。俺は娘の教育を間違えたみてえだ」
「おや?意外な反応だね。こういう時は『お前を誇りに思う』って言うものじゃないかい?」
「黙れ」
「ふざけてんのか!テメエら!」
本人にとってはシリアス極まりないやり取りを邪魔されて強盗男はさらに激昂した。
が、ロセッティ親子が銃を持った素人強盗ごときにビビるはずもない。
マシューの旦那はブロンクス動物園のボスゴリラが取り巻きのゴリラに対するかのようにのっそりと強盗男に近づいた。
男は「撃つぞ!」とすごんで見せたが旦那は全く動揺しないため気圧されてしまったらしく、
強盗男と旦那の距離は二フィートほどまで縮まっていた。
「なあ、ブラザー。
俺はサンタ・クロースって奴の存在を信じててな。
クリスマスは全員が誰かからプレゼントをもらえる権利があると信じてる。
――ってわけでな。今年は俺がお前のサンタさんだ。手品をプレゼントしてやるよ」
「はあ?な、何言ってんだテメエ!」
強盗男は凄んでみせたが完全に声が上ずっていた。
そしてこれが可愛そうな素人強盗男の最後の虚勢だった。
「これからお前の銃を消す」
そう言うと巨体から想像もつかない男の手から銃を引ったくり
――そのまま握りつぶした。
何を言っているか解らないかもしれないが文字通りの意味だ。
旦那の手の中で粗悪なリボルバーは貧相な鉄塊と化していた。
「ほら。消えた」
強盗男はしばらく何が起きたのか理解できなかったらしい。
ただ唖然としていた。
しばし唖然とした後――男の顔には明らかなある感情が表れていた。
恐怖だ。
恐怖から男の口から悲鳴が漏れかけた。
漏れかけた悲鳴は――吹きだす鼻血で遮られた。
男の顔面にアンナの強烈な右ストレートが決まっていた。
俺は神かけて誓う。
仮にフロイド・メイウェザーがアンナと戦っていたら無敗のチャンピオンのまま引退できなかっただろう。
可哀想な素人強盗男が倒れるとマシューの旦那は俺の方を振り返った。
「おい。パトリック。これは正当防衛か?過剰防衛か?
それともなんか別の法解釈になるのか?」
俺は取って置きのウィットで解釈を返した。
「どっちも違えよ。旦那。自殺だ」
×××××
俺の呼んだ応援が駆け付け素人強盗男は逮捕された。
俺たちはチャンホから割引料金で大量のビールを買った。
尚も礼を言い続けるチャンホに対し踵を返しながら旦那は言った。
「クリスマスおめでとう」※2
街はイルミネーションで煌めいている。
やはりは今日は良い日だ。
ハッピーバースデイ。イエス様。
※1 キリスト教へヨーロッパで生まれた宗教ですが今日ヨーロッパにおける信徒数は減少傾向にあり
信徒数の最も多い国はアメリカ合衆国。二位以降は中南米の国が占めています。
※2 様々な文化的バックグランドを持つ人が集まるニューヨークでは「メリークリスマス」とは言わないのが今ではスタンダード。
こういったお祝いごとの時は「ハッピーホリデイ」と言います。
実際私が年明けにニューヨークに行ったときタクシーの運ちゃん(黒人。訛りがあったので恐らくアフリカ大陸からの移民)
から「ハッピーホリデイ」と言われました。
まだまだ続きます。
次回はシカゴが舞台の予定。




