『亡霊たちの夜』―Dead people struttin' in Central Park -4―
その夜、ホームレス以外は近づかないような時間、俺とアンナはセントラルパーク南西の入口、コロンバス・サークルに来ていた。
夜のセントラルパークは昼間以上に不穏な気配を漂わせていた。
まだ入り口だというのにたとえようもない程に不快な悪寒が背筋を走る。
まるでバスキン・ロビンスの冷凍庫にでも閉じ込められたみたいな気分だ。
「ここはヤバい」と俺の第6感は警告を発していた。
コロンバス・サークルを見下ろすコロンブス像も「帰れ」と言っているように見えてくる。
「パトリック、銃は持ってるよね?」
「ああ、バッジ、ID、拳銃の3点セットは非番時でも持ち歩くのがルールだからな」
「じゃあ、私から心ばかりのプレゼントだ」
アンナはそう言って、俺にマガジンをひとつ渡した。
「銀で鋳造して、術式を施した特別性だ。
護身用ぐらいにはなるかもしれない」
"なるかもしれない"
何て心強い言葉だ。
「ならなかった場合はどうなる?」
「さあ、自殺用かな?」
Jesus Christ(何てこった)
「……なあ、そこまでヤバい相手なのか?」
「わからない。でも、相手は6マイルにも及ぶ結界を構築できる程の術師だ。
攻撃魔術が得意かどうかはわからないけど、相当な力の術師の結界内、
つまりホームグランウドに行くことに変わりない。相応の覚悟はしておくべきだと思う」
アンナの眼を見る。
限りなく真剣なその眼は「引き返すなら今だよ」と語っているように見えた。
ぜひとも、方向転換して立ち去りたいところだったが、俺が立ち去ったらアンナは恐らく、一人で行くだろう。
あまり頼りになる存在とは言えないが、彼女とコンビを組んで6年。
不義理は出来ない。
……仕方ない
「――その"相応の覚悟っていうのは"
――フェンウェイパークに行くときのヤンキースファンぐらいの覚悟でいいか?」
アンナはいつものように微笑してクールに言った。
「それじゃ足りない。テッド・ウィリアムズの銅像の前でヤンキースのユニフォームを着て立小便するぐらいの覚悟は欲しいね」
「お前は本当に上品だな」
コロンバス・サークルからセントラル・パークの西側エントランスに入る。
入った瞬間、全身を違和感が包んだ。
「人除けの結界だ。それほど強力なものじゃないけど、一般人を遠ざけるには十分だね」
人除けの結界は、魔力を使って人が生理的不快感を覚える見えない膜を作る魔術だ。
魔力に耐性のない一般人は、無意識に結界の張られた場所を避けてしまう。
体内で多量の魔力を生成できる俺たち魔術師は結界に耐性があるため、結界内に踏み込むことが可能だ。
言ってみれば、一般人を遠ざけるための魔術版モスキートトーンだ。
「昼間、こんなのあったか?」
「いいや。どうやらこの術師、夜はよっぽどイケないことをしてるみたいだね」
1メートル、2メートル……
いつの間にか距離の換算が頭の中でメートル法に変わっていることに気付く。
軍時代の習性か、俺には危険を察知すると頭がメートル法に切り替わる癖がついている、
サーチライトを手にさらに進んでいく。
夏の夜の乾いた空気に混ざって湿り気のある嫌な匂いがしてきた。
それが血の匂いだと気づくのに5秒とかからなかった。
脳内に響き続けていた警報がさらに音量を上げる。
……嫌な予感しかしない、血の匂いがさらに濃くなってきた。
ウエストドライブにかかる橋をくぐると、開放的なシープ・メドウの芝生が見えてくる。
その先は、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
夥しい死体の山、血に濡れた牧草。
19世紀風の古めかしい衣装に身を包んだ人々が、ある者は手に鈍器、ある者は銃を持ち、
またある者は黒人を囲んでリンチに勤しんでいた。
あたり一面に鮮血が飛び散り、飛び散った鮮血の上に更に鮮血が重なる。
スプリンクラーで庭の芝生に水やりでもするみたいに、あちこちに赤い液体が飛び散っていた。
俺はわけがわからなかった。
これは話に聞く、ニューヨーク徴兵暴動そのものだ。
この一件をおこした奴は徴兵暴動を再現しようとしているようだ。
だが、何のために?
俺はただひたすらに訳が分からなかった。
そして怖くなった。
――そう、イラクでハンヴィーごと吹き飛ばされた時の何倍も。
あの時は、まだ人間と戦っているという実感があったが、
こんなことをする奴がとても人間とは思えない。
一体、俺は何を相手に戦おうとしているんだ?
ふと相棒の存在を思い出し、アンナの方を見る。
アンナも呆然としていた。
その端正な顔に浮かんだ感情はただ1つ「一体、何なんだこれは?」だった。
その時、1人の男がこちらに棍棒を持って向かってきた。
アンナは呆けていたが、俺がアンナから預かった特製の弾丸を込めたグロックC19を引き抜くと、彼女も反射的に愛用のSIG P229を引き抜き、ほぼ同時に発砲した。
男は、熱を加えた瞬間のポップコーンみたいに弾けて、夜の闇に跡形もなく消えていった。
「ここを出よう。急いで」
銃声がとどろいた次の瞬間、アンナはそう一言だけ絞り出した。
「賛成に一票。多数決で確定だな」
俺たちは急いで、踵を返すと、血のシャワーが降り注ぐ地獄のアトラクションを後にした。
――公園を離れる時、また昼間の嫌な視線を感じた。
その視線は、やはり胃がむかついてくるような例えようもないほど不快なものだった。
×××××××××××××
セントルパークを出てそのまま、ミッドタウンに出た。
マンハッタン1のこの繁華街は真夜中にも関わらず賑やかだった。
時にうんざりすることもあるこの街の喧騒も今は心地よかった。
「……ホシは、一体何が目的なんだ?」
俺たちは一言も発さず、グラスを片手にただじっと虚空を見つめていた。
どれほど時間がたったかわからなくなったぐらいになってようやく、俺は口を開くことが出来ていた。
「わからない。……分かったのは……」
「奴はニューヨーク徴兵暴動を真夜中のセントラル・パークで再現した。
そして、おそらくそれを貸切状態で"観戦"してる」
「……何のために?」
堂々巡りしたディスカッションはそれで終わりだった。
目の当たりにしたあまりにも異様な事態に2人とも思考が停止する。
2人仲良く動揺した俺たちは、目についたアイリッシュ・パブに入り、
特に飲みたくもないアイリッシュ・ウィスキーの入ったグラスを手にしていた。
10分前に目の前に置かれたグラスの中では氷が解けだして、琥珀色の液体と混ざり合っていた。
「確かに目的は分からないけど……」
アンナがずいぶん小さくなった氷を指で弄びながら言った。
「奴が強引に回収した魔力の使い道は分かった。奴はセントラル・パークの霊体を補強して、
徴兵暴動があった当日の思念を思い起こさせ、殺し合いを再現している」
「ああ、俺もそれは分かった。それで?」
「ねえ、パトリック。落書き防止の効果的な方法知ってる?」
「ああ、知ってるよ。何度落書きされても、諦めずに消しに行くことだろ?
『何度来ても無駄だ』という決意表明だな」
「正解。さすが街の治安を守る刑事さんだね。じゃあ、今回の件だけど、
奴は19世紀の事件を再現するのに相当な手間と時間をかけたはずだ。
仮にそれを全部ぶち壊されたらどうだろう?」
「そうだな。試す価値はあるかもな。でも、あの数だぜ?どう対処するんだ?」
アンナはようやくかすかだが笑顔を見せて言った。
「アベンジャーズ集合だよ」