『マンハッタンの吸血鬼』―New York, I love You But You're Bringing Me Down -1―
新エピソードです。いつものクールでドライな調子に戻ります。
短いです。
ドロシー・ヴォイトは夫であるリチャードと共にテネシー州ノックスビルから新婚旅行でニューヨークを訪れていた。
旅行初日。ヴォイト夫妻は8番街のグレイラインビジターセンターから観光客向けのダブルデッカーバスに乗り、マンハッタンを南下していた。
2階の後方側の座席に座ったドロシーの眼前にはマンハッタンの高層ビル群が次から次へと去来していた。
幼いころから大都市に憧れを抱いていたドロシーは夢見心地だった。屋根がなく完全に体が屋外に晒されるバス2階席には真冬の
ニューヨークの寒気が容赦なくなだれ込んでいたがそれすら彼女には心地よかった。
バスが進むたびに彼女は歓声を上げて写真を撮り、温厚なリチャードは大人しく従った。
バスは8番街からブロードウェイに渡るとまっすぐ南下し、タイムズスクウェアに差し掛かった。
「かつての劇場街だったタイムズスクウェアは今は繁華街です」
というバスのアナウンスが流れる。
ドロシーは興奮して言った。
「見て、あれMTV studioよ!」
「ああ、そうだな」
「ねえ、写真撮ってもらいましょう」
そう言うとドロシーは周りを見渡した、シャッターを切ってもらう相手を探した。
すると隣に人の気配を感じた。
ドロシーは隣は空席じゃなかったかなと訝しんだが、隣の客は1人で頼むには御誂え向きだった。
「あの、すいません」
そう、ドロシーは声をかけた。
何の反応も帰ってこなかった。
ドロシーはもう一度声をかけると、今度は隣の客の肩を叩いた。
すると、その人物はゆっくりと崩れ落ちた。
ドロシーが恐る恐る帽子を取ると、その下にはヒスパニックの若い女性の顔があった。
その若い女の眼は大きく開き、また瞳孔も完全に開いていた。
そして、首筋には獣が噛みついた後のような噛み痕があった。
××××××××××
冬のニューヨークは度々雪が降る。
冬のニューヨークはいつでも震えるほど寒いが、今日のニューヨークは体の芯から痺れそうなほどの寒さだった。
予報では今夜は雪らしい。
時刻は午後4時。既にこの街には暗闇の気配が忍び寄って来ていた。
「ケーヒル」
「グリーン」
オフィスでペーパーワークに勤しんでいた俺の元に、現場に行った同僚のグリーンから呼び出しが来た。
俺を呼んだグリーンはいつものように温厚で爽やかな笑顔で俺を迎えた。
現場はタイムズスクウェアに停車した観光客向けのダブルデッカーバスだった。
人がやたらと多いこのニューヨークでも特に人通りの多いこの現場にはすでに多くの野次馬とマスコミ関係者が集まっていた。
そのバスの2階。奥の座席に若い女が倒れていた。
「状況は?」
「ガイシャはJane Doe。推定年齢は10代の後半から20代の前半。
肝臓温度から推定される推定死亡時刻は午前3時頃。検視官の見立てではCODは栄養失調による衰弱死です」
「お前の見解は?」
「このガイシャは身なりからしても所持品からしても経済的に困窮していたようです。
ポケットの中の全財産は27セントでした。
衰弱の理由は経済的な困窮と考えるのが自然でしょうね。
身分証もないので、恐らく不法入国者ではないでしょうか。
死体の遺棄自体は重罪ですが、殺人課のヤマとは思えませんね。
でも、ボスに報告したらあなたに連絡するように言われました」
体に拘束されていた後はない。拘束されて栄養失調状態に追いやられたのならば事件だが、このガイシャにその形跡はない。
まだ若いようだが肌にはハリがなく、唇と頬がささむけている。それらは彼女が栄養失調状態であることを物語っていた。
これだけならば、殺人ではなく死体遺棄と考えられるが問題がある。
死体に微かに魔力の痕跡が感じられた。こちら側の事件だ。
「グリーン刑事、ケーヒル刑事」
現場を検めていると後方から聞きなれた人物の声が聞こえた。
振り返るとそこには見慣れた人物の姿があった。
「アンナ」
俺の相棒、アンナ・ロセッティだった。
彼女は俺とグリーンに歩み寄ると言った。
「ハイ、パトリック。それにグリーン刑事」
「ミス・ロセッティですね。ご足労ありがとうございます」
俺が彼女がいることに不思議そうな視線を向けると彼女が言った。
「あんたのボスのウィンタース警部から連絡があってね」
ウィンタース警部は魔術の存在こそ知らないはずだが、勘が良い。
気を利かせて専門分野不明のコンサルタントである彼女に連絡しておいてくれたようだ。
ありがたい。彼女に連絡する手間が省けた。
「えっとグリーン」
魔術の総本山であるソサエティは魔術の存在を可能な限り知られないよう行動することを基本指針としている。
グリーンはこの世界のことを知らない。不思議の国のマッド・ティーパーティーには誘うわけにはいかない。
「ええ、分かってますよ、なんだかわかりませんけどあなたたちの管轄なんですよね?
それでは僕はこれで。あとはお願いします」
そう言うとグリーンは黒い肌から真っ白な歯をのぞかせにっこりと爽やかに笑って去って行った。
「ナイスガイだね」
「ああ、19分署殺人課一の好青年だ。さて、まずはどうする?」
「不思議の国行きのバスに乗ってしまったドロシーの話を聞こうか」
俺とアンナは第一発見者のドロシー・ヴォイトに話を聞いた。
「もう他の刑事さんに話したんですが」と言いながら彼女は渋々、俺たちに話を聞かせてくれた。
ドロシーの話を十分に咀嚼し、現場に戻って解析を始めた彼女に俺は水を向けた。
「お前の見解は?」
「タイマー式の結界だ。死体が遺棄されていた座席に局所的な人除けの結界を張って、有効時間を設定してある。
『誰も居なかったはずの場所に人が現れた』ように感じたのは結界の効果が切れて、一般人にもそこにいる者の存在が視認できるように
なったからだ。
相当に高度な術者だね」
「あんたはどう思う?」
「死体の発見が午後3時。人通りの多い時間帯だ。魔術ってのは基本的に人目を避けて使うもんのはずなのに解せねえ。
どうにもただのイタズラって感じじゃねえな。ホシには何か主張した事があるんじゃないかと思う」
「首筋の噛み後についてはどう思う?」
「野次馬の1部が吸血鬼だって騒いでるみてえだな。
どっから噂を聞いたんだかファルコが興奮して電話してきた。
明日の一面は『吸血鬼マンハッタンに現れる』だそうだ」
アンナはニヤリと笑って言った。
「さすがファルコ」
「大外れってことか?」
「いいや。大当たりだ」
そう言うと、アンナは死体を持ち上げた。
死体の背中には白く光る糸のような物がついており、その糸のようなものは、バスの外へと続いていた。
「吸血鬼っていうのは例外なく極めて強力な魔術を使う。
この魔力の糸、恐らく何マイルも先から続いてる。
高度な術者でないとできないパンくずの残し方だ。
結界をタイマー式にしたのも日中に自分が外に出ないようにするための対策だろう。
奴らは日の光が苦手だからね」
俺はホシが残したと思われる魔力の糸を検めて言った。
「こんなもんを残していくホシの目的は何なんだ?」
「さあね。でも、コイツは自分のお菓子のお家を見つけてほしいらしい。
さあ、行こうか。ヘンゼル」
「了解だ。グレーテル」
来週、後篇です。




