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magus hunter 紐育魔術探偵事件簿  作者: ニコ・トスカーニ
『モリーを偲んで』―In Memorial of Molly―
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『モリーを偲んで』―In Memorial of Molly -5―

「おい、モリー。行くってどこに行くんだ?」


 旦那は石室を勢い良く飛び出したモリーさんの後を追った。

 モリーさんは歩調を変えず前を向いたまま言った。


「この先に城に繋がる階段があります。この地下神殿と城は繋がっているのです。

その階段が唯一の出入り口です」


 当主就任の儀式の日取りは一度決めたら変更する事はできない。

 そのため、次期当主の候補者は序列5位までがあらかじめ自動的に決められている。

 モリーさんはそう旦那に説明した。


「今まさに儀式が執り行われようとしている所のはずです」


 旦那は彼女が何をしようとしいるのかまるで見当がつかなかった。

 当たり前だ。

 そこにはモリーさんに次ぐ序列の者

ーーおそらく彼女の襲撃を命じたであろう人物がいるはずだ。

 なぜわざわざ自分から危険に飛び込んで行こうとしているのか?


「行ってどうするつもりだ? あんた」


 次に彼女が言った言葉は旦那を驚愕させた。


「この目で確かめてやるのです。こんな真似を平気でできるのは何者なのかを」


 唖然とする旦那をよそにモリーさんは歩みを進める。

 やがてその先に階段が見えて来た。


 彼女は石造りの階段を昇ると城に繋がっているであろう扉を押し開き地上に出た。


 出た場所は城の礼拝堂だった。

 席はフィッツジェラルド家の一族で埋め尽くされ宝座の前では候補者が恭しく跪いて神父から今まさに精霊の象徴たる宝玉を埋め込んだ首飾りをかけられる所だった。


 モリーさんと旦那が出たのは礼拝堂の扉の前だった。

 列席していたフィッツジェラルド家の一同は突如として現れた2人の姿に

驚きを隠せない様子だった。


 神父と候補者も動きを止めて2人の方を振り返った。


 モリーさんは凛とした声でこう言い放った。


「やはりあなただったのですね! モーガン!」


候補者はモリーさんの実の姉、モーガン・フィッツジェラルドだった。


 俺がアンナのお供でソサエティに行った際(※『ソサエティ』ーin Oxfordー参照)

に彼女はモーガンの事をこう評していた。


「私が知る女の中で最悪のBitch(クソ女)だ。

年中生理不順と便秘に悩まされてそうなしかめ面を浮かべてる魔法使いのババア。

趣味は毒リンゴの栽培」


 アンナは普段の言動があまりにも上品なため誤解を受ける事が多いが、

本来それほど人の好き嫌いが激しい方ではない。

 そのアンナがあれ程辛辣な評価を下すのはどんな人物なのかと思っていたが

なるほど、自分の母を手にかけようとした人物を好きになれる奴がこの世にいるわけがない。


 モリーさんは呆気にとられたままの一同の前で続けてこう言った。


「あなたは実の妹を手にかけてまで当主の地位を手に入れたかったのですか!?

あなたが手を下さずともこのような血塗られた一族の次期当主の座などこちらから願い下げです!

せいぜい私から譲られた地位に甘んじていなさい!

Shame on you<恥を知りなさい>! You back-stabbing cow<この卑怯者>!」


 彼女の演説に皆が呆気に取られる中、続けてモリーさんはこう言った。


「行きますよ、マシュー」


 ツカツカと礼拝堂を出て行く彼女に付いて旦那もその場を辞した。


 それからしばらくの間、何も言わずにモリーさんは歩き続けた。

 古城の姿が遠のき湖畔近くの農道まで出ると彼女は急に立ち止まった。

 続けて彼女はまるで糸が切れた操り人形のようにヘナヘナと座り込んだ。

 旦那が慌てて駆け寄る。

 彼女の傍らにしゃがみ込むと旦那はこう尋ねた。


「おい! どうした、モリー! お前まさかどこか俺の知らない怪我でも負ってるのか?」

 

 旦那の問いかけに対してモリーさんはゆっくり面を上げると、

今にも泣き出しそうな表情を浮かべて旦那に言った。


「……マシュー……。どうしましょう……」


 旦那は唖然とした後大笑いして言った。


「もうやっちまった物は仕方ねえ。

後はニューヨークいちタフで頼りになるこのクリント・イーストウッドに任せな」


 旦那の台詞に対しモリーさんは不思議そうな表情を浮かべて言った。


「何ですかそれは? どこかにかかる橋の名前か何かですか?」


 フィッツジェラルド邸と一族が所有する古城はアイルランドで最も早く認定されたキラーニー国立公園の敷地内にあった。

 2人はたどり着いた農道を歩き続け運良くーー運転手にとっては運悪くだがーー

通りがかったジープを拾うと旦那曰く"最高のスマイル"で"努めて紳士的に"お願いし、3時間以上かけてコークシティまで送ってもらった。

 2人にとっては人生最良の日だっただろうが、捕まった運転手にとっては人生最悪の日になったに違いない。


 旦那とモリーさんは来た時と同じくコーク空港からガトウィック空港を経由し、JFKまでのちょっとしたハネムーン旅行を楽しんだ。


 ロウアー・イーストサイドの我が家に戻るとレイモンド親父は

よりによって依頼主の娘を連れて来た息子に仰天し詰問した。

 しかしモリーさんから事の顛末と旦那への思いを聞かされると

ニヤッと笑って一言こう言った。


「やるじゃねえか、マシュー」


 その後しばらくモリーさんはロセッティ1家と共に暮らし

旦那が彼女のために荒くれの傭兵家業を辞めてハンター1本に仕事を絞ると

レイモンド親父が仕事部屋として所有していた同じ地区の小汚いテネメントを改修し引っ越した。

 翌年にはアンナが生まれ、それからモリーさんが亡くなるまで16年夫婦として共に過ごした。


 最後に余談だが、これはアンナから聞いた話だ。


 俺がロンドンで出会ったサマセット・クロウリーは根っからの変質者で、

自分以外のすべての人間を見下しているような男だ。


 彼は悪ふざけが大好きで、特に高い地位に居る人間をからかうことを好んでいる。


 ソサエティの理事を務めているモーガン・フィッツジェラルドは哀れクロウリーの生贄になった。


 彼女の執務室には、高名な画家に描かせた自身の肖像画が飾られている。

 そのお高く留まったスノビズムを象徴する存在だ。


 同じくソサエティの理事であるサミュエル・スコットが肖像画に落書きされた一件により、

(※『悪魔を憐れむ歌』―A friend and an acquaintance in London―参照)

彼女は最大限の警戒心を持って、肖像画を保管していたが、

桁の違う天才であるクロウリーはその包囲網をたやすく突破すると、まんまとイタズラを成功させた。


 その日の朝、モーガン・フィッツジェラルドが執務室に入ると、

彼女の分身たる肖像画には吹き出しと共に油性ペンでこう落書きされていた。


「私と一発ヤりたい方はいらっしゃらない?

Is there any gentleman who want to shag me?

お願い!最後にヤったのは100年前なの!

Please! The last time was 100 years ago!」


 クロウリーは一切の痕跡を残さなかったが、自分の悪ふざけを吹聴して回るのが大好きな彼は現場で撮った証拠写真と共に自分の悪ふざけをさんざん吹聴して回った後、止めにオールド・カレッジの廊下ですれ違ったモーガン・フィッツジェラルドにこう言ったそうだ。


「いい男を紹介しましょうか?ミセス・フィッツジェラルド。

50ポンド払えば、蜘蛛の巣が張った大事なところもナめてもらえますよ?」


 アンナはその時のことを述懐して、思い出し笑いをかみ殺しながらこう語った。


「あの時だけは、あの変態オリンピックのチャンピオンみたいな変質者のことを好きになりかけたよ」


×××××××××××××××××××××××××××××××××××


 旦那の長い昔話は大いに俺を驚かせた。

 人に歴史ありとは言うが、まさかこの野生のゴリラとオラウータンを足してドワーフの要素を取り入れた野生の王者にこんなロマンティックな過去があるとは夢にも思わなかった。


「旦那、あまりにも驚きのストーリー過ぎて上手い言葉が出てこねえんだがよ。

いくつか質問しても構わねえか?」


 旦那は3本目のミラーを飲み干すと「ああ」と言って頷いた。


「この話、アンナは知ってんのか?」


「ああ、モリーがおとぎ話代わりに何度も聞かせてたからな。

俺が白馬に乗ってたり、ジョン・トラボルタみてえな真っ白いスーツ着てたり、話すたびに細部が変わってたがな」


 なるほど、グランドセントラル駅の時(※『ピグマリオンの願い』―Grand Central Station romance―参照)

にいつもクールな彼女がらしくもなくあの2人に入れこんでたのは

旦那とモリーさんの姿を重ね合わせていたからか。


 さらに俺はもう一つの疑問を旦那にぶつけた。


「モリーさんはなんで『フィッツジェラルド』の名前を変えなかったんだ?」


「あいつは言ってた。『フィッツジェラルドの名前は出せば魔術の世界で役に立つ事もあるから。

だからあなたのためにも変えないつもり』俺はそんなの望んじゃいなかったんだがな。

とにかくあいつは頑としてフィッツジェラルド姓を変えなかった」


 俺の疑問は解消した。

 そういえば俺は彼女の容姿を知らない。

 旦那の話を聞く限りきっとキュートな女性だったに違いない。


「なあ、写真とか残ってねえのか?」

「ああ、アンナが悲しがるからほとんど処分しちまったが、1枚だけ昔のが残ってる」


 旦那はそう言うと、尻ポケットから"ファック野郎"と書かれた趣味のいい2つ折りの財布を取り出し、札入れから一枚の古ぼけた写真を取り出して俺に渡した。


 その写真には、鮮やかなオレンジ色の赤毛に透き通るような白い肌

翡翠の瞳が卵形の輪郭の中に奇跡のバランスで配置された20歳ほどの可憐な女性

(これがモリーさんだろうか)と

ジェームズ・ディーンに精悍さを足したようなルックスの、耽美な美声年が

どこかの公園で肩を寄せ合い写っていた。


「おい、旦那。写真が間違ってるぜ」


俺の疑問に旦那は「ああ?」と声を挙げた。


「この写真、旦那が写ってねえじゃねえか」

「何言ってやがる。写ってるだろ、ここに」


旦那はそのジェームズ・ディーン似の美声年を指差して言った。


「冗談だろ!? エイプリルフールはとっくに過ぎたぜ?」

「ああ? どう見てもこれは俺だろ。

確かにちょいとシワは増えたが、それ以外は大して変わってねえじゃねえか」


 俺は何度も旦那とその写真に写った青年を見比べたが

その2人の間には目と口の間に鼻がある事以外の共通点を見いだす事は終ぞ出来なかった。


「旦那、この30年の間、あんたの身に何があったんだ?

宇宙人にゴリラの遺伝子でも埋め込まれたのか?」


 そう言って俺は旦那に写真を返却した。


 旦那は写真を凝視して何度も唸り声を上げていた。

 俺の疑問の出所が旦那にはどうしても理解できなかったようだ。


 旦那は写真を大事そうに財布にしまうとシリアスな表情になってこう言った。


「パトリック、俺はな時々モリーと一緒になった事を後悔する事がある。

俺と結婚したせいであいつはこんなヤクザな世界に足を踏み入れちまった。

もしあのままフィッツジェラルド家に残っていたらあいつは今頃まだ元気だったんじゃねえかとな」


 旦那らしくない弱気な意見だ。

 だから俺もらしくなくクサい台詞を吐いた。


「そいつは違えよ、旦那。モリーさんがあのままそのラプンツェルの塔みてえな家に留まっていたとして、それは生きてるって言えるか?

そんなアメリカン・アイドルも観れなきゃ、ネットでポルノサイトも漁れねえ人生なんて死んだも同然だぜ。

モリーさんは旦那と一緒になって本当の人生を生きたんだ。

それが普通の人間の物より短かかったとしても彼女は間違いなく幸せだったと思うぜ。俺はな」


 旦那は俺の発言をしばらく咀嚼するとこう言った。


「お前もたまには良い事言うじゃねえか。

ご褒美にお前のケツにキスしてやるよ」

「俺はいつも良い事しか言わねえ。

それとそれは何かの罰かよ、旦那?」


 旦那は豪快に笑うと、4本目のミラーを注文し俺にも3本目のサミュエルアダムスを注文した。


 カウンター席ではビジネスマン風の男が幸せそうな表情を浮かべて寝入っていた。

 はす向かいの若いカップルはすっかり仲直りし、濃厚な口づけを交わしていた。


 時刻は午前4時を過ぎた。

 ニューヨークの冬の夜明けはまだ遠い。

 俺は旦那が注文した3本目のサミュエルアダムスに口をつけた。

これでエピソード完結です。

今回はらしくなくちょっと湿っぽかったですね。

次回はまたドライな感じにもどります。

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