『追憶の木』―The Tree -2―
時刻は20時40分過ぎ。
オフィスにはいつものメンバーが残っていた。
つまり俺とモラレス、それにグリーンの3人だ。
モラレスはいつもの通り男にフラれて登山に行った話。
生真面目なグリーンは彼女の話を困り顔で拝聴。
俺は彼女の話を遮断。
いつもと違う点は俺が残っている理由が
ペーパーワークのためではなく来訪者を迎えるためという所だった。
時刻は20時50分を過ぎた。
モラレスの話が登山の話題から男と金の話に意外な展開を見せたあたりで戸口に2人の人物が見えた。
その内の1人我が相棒アンナに連れられる形で待ち人は現れた。
身長およそ5フィート9インチ。
栗色の髪を撫でつけ、いつも通りに吊るしの安物のスーツにストライプの安物のボタンダウンシャツを身に纏って件の人物は現れた。
その人物、アンドリュー・マクナイトは俺の姿を発見するといつもの皮肉めいたニヤけ顔を浮かべまっすぐこちらに向かってきた。
彼に手を差し出して言う。
「よお、アンディ。相変わらずシケた面してんな。
ヨークシャープディング(※1)だかハギス(※2)だかよくわからん不味い物ばっか食ってるからじゃねえのか?」
彼は差し出された手をガッシリつかみ答える。
「ハインツのケチャップとハンツのバーベキューソースしか
舌が認識できないような連中には言われたくないがね。
……ところでパトリック、君のシャツにその大好きなハンツのバーベキューソースが付いているぞ」
「あ?本当か?」
その言葉に従い自分のシャツを確認する。
どこにもシミは見当たらない。
俺の様子を見てからかうように彼は言った。
「失礼、ソースのシミではなく君の趣味の悪いシャツの柄だった」
「……この野郎!」
俺は彼の背中をバンバン大きく2度叩くともう一度ガッチリとハンドシェークした。
そんな俺たちの様子をアンナはなにか憐れな物をみるような目でみていた。
数分後、俺は2人を伴って空調の効いたカンファレンスルームに移り
昨日あの気色悪い物体を発見してから得た情報について話した。
「あの木に絡めとられてた人たちだがな、失踪人課に照会したら身元が判明した。
全員ここ半年の間に捜索願いが出されてたからな」
「全員、一人の例外もなくか?」
「ああ、そうだ」
「……ちなみにここ半年の間にセントラルパークで
なにか君たちが動くことになったケースは起きたか?」
俺とアンナは彼の言葉に答えるため頭の中のデータベースに検索をかけた。
先に回答を出したのはアンナだった。
「あるね、死霊のエレクトリカルパレード。あれは丁度半年前だった」
「なかなかエキサイティングそうな催しものだな。聞かせてもらってもいいかい?」
"死霊のエレクトリカルパレード"あれはジャーニーマンと呼ばれる正体不明の魔術師がセントラルパークで徴兵暴動を再現した事件だった。
※『亡霊たちの夜』―Dead people struttin' in Central Park―参照
アンナから事件の説明を受けると彼は言った。
「ジャーニーマンがニューヨークに?」
「ああ、そうだ」
彼はアンナの説明が終わると、暫く手を口にあててなにか考え事を始めた。
そしてしばしの沈黙の後こう言った。
「ま、とりあえず現場を見せてくれ。
本当にその樹木が中つ国の住人か確かめてみよう」
××××××××××××××××××××××××××
アンドリューの要望に応え私達3人は凍てつく真冬の夜のセントラルパークを連れだって歩いていた。
時刻は22時前、人影の見えない公園はエントの発する魔力と立ちこめる肌を刺すような冷気で、さながら天然のホーンテッド・ハウスとなっていた。
道中最初に口を開いたのはアンドリューだった。
「全く、か弱い可憐なレディと二人きりなら実に心躍る状況だと言うのにな。
よりによって旅のお供が屈強なメスゴリラにその飼育員とは。
パトリック、飼育対象から目を離すなよ」
「冗談じゃねえ、一人でこんな凶暴な個体の世話係は無理だ。
アンディお前も手伝え」
「それもそうだな。安心しろパット、君を一人にしたりはしないさ」
そう言うと二人は顔を見合わせて笑い――鳩尾に私の強烈な一撃を貰うことになった。
二人が痛みに腹部を抑えて蹲る。
私はため息をつき言った。
「ふざけてないで早く行くよ」
二人とも私の言葉に従い顔を苦痛に歪ませたまま付いてくる。
全く、どうもこいつがいると調子狂うな。
背中からパトリックが"パンジーが咲き誇る花畑で死んだ爺さんと婆さんが笑って俺に手を振っているのが一瞬見えた"と話している声が聞こえてきた。
「What the hell is this?(何だこれは?)」
それを見て最初に彼が発した言葉は他の人間と同じ物だった。
しかし、それからが他の人間と違った。
彼はすぐに平静さを取り戻すとボウ・ブリッジから身を乗り出して注意深く対象を観察し始めた。
外観の検分を終えると彼は私に訊ねた。
「アンナ、君の愛用のナイフを貸してもらえないか?」
「あんたいつもアーミーナイフ持ちあるいてただろ?」
「これから、この物体の一部を削り取る。
用途から言って君の野蛮なナイフの方が使いやすい」
「ひと言余計なんだよ、あんたは」
「褒めているんだがね」
そう言うと、彼はナイフを受け取り魔術で鋭利さを強化すると物体の表面を小さく削り取った。
削り取った一部をナイフの腹の部分に乗せたまま、観察を続ける。
削り取られた一部はしばらくウネウネと動いたあとまるで植物が干からびるように動かなくなった。
「どうやら蔦や蔓の1本1本が自立行動可能なようだな。
だが削り取られて養分の補給が滞ると干からびる……と。
さて、この状態なら触れても取り込まれることはあるまい」
彼はそう言うと干からびたその物体に触れ、解析を始めた。
解析は繊細な作業だ、解析対象に極限まで細く絞った魔力を通し
物質の微小な隙間に充填することで内部構造を把握する。
目を閉じて外界からの情報を遮断し、その作業に没頭する彼の額には氷点下の気温にも関わらず脂汗が浮かんでいた。
どれほどの時間そうしていたのか――やがて彼は目を空け大きく深呼吸した。
解析が終了したようだ。
「何かわかったか?」
「概ねな。この物体は取り込んだ人間に幻覚を見せ、それを見た人間の思念を養分として吸い取って成長している。
あとは……」
彼はそこで言葉を切ると何か難しい顔をして考え始めた。
私もパトリックもそのまま彼の言葉の続きを待つ。
やがて再び口を開くとこう言った。
「ここから先の話は少し待ってもらっても構わないか?
こちらで調べたいことがあるんでね」
××××××××××××××××××××××××××
「|夢幻樹《menghuanshu》だ」
調査の翌々日、俺達2人を宿泊先ホテルのラウンジに呼び出して開口一番アンディが口にしたのはその謎のフレーズだった。
「ジャーニーマンは東洋人だと聞いたからな、
それで東洋の礼装の類を中心に調査したんだが――」
そう前置きして彼がした夢幻樹なるものの説明はこうだ。
中国・雲南省の迪慶デチェンチベット族自治州で活動するチベット仏教の僧侶が作成し、弟子たちに修行の課題として使用していた。
その僧侶の教えはチベット仏教の中でも極めてストイックな密教的実践を行う物で
この夢幻樹からの脱出が解脱への道と説いていた。
「おそらくジャーニーマンは例の死霊のエレクトリカルパレードで集めたマナを肥料にして夢幻樹を植えた。
そして、成長した木は周辺の人間を無差別に取り込むことで自らの役割を担い始めた」
「囚われた人間はどうなるんだ?」
俺が質問する。
「囚われた人間は木の牢獄の中で望む幻影を見続けることになる。
囚われた物の内の誰か1人でも幻影を打破しない限りはな」
「誰か1人でいいのかい?全員じゃなく?」
アンナが質問する。
「そうだ、だがそれが修行に臨む人間にとってはかえって足かせとなる。
この試練に臨む前に修行僧たちにも同様の説明がされる。
――するとどうか。誰かが打破してくれれば自分は助かる、無意識の内にそういった油断が生じる。その油断がより一層試練の突破を困難なものとする」
続いて俺が質問する。
「こいつは外からは破ることはできねえのか?焼き払うとか引きちぎるとかよ」
「なるほど、君らしい乱暴な意見だ。
確かに君たちのヒーロー、ランボーあたりを連れてくればそれは可能だろう。
だが囚われた人間を強引に引きはがすと、幻影と現実の境界を認識できなくなり廃人と化す可能性が高い」
「ってことは……」
アンディからの情報を基に話をまとめに入る。
「誰かがあの気色悪いエントの中に入って、内側からケツの穴をファックして出てくるしかねえってことか」
俺のまとめに対しアンディはいつもの皮肉めいたニヤけ面で呆れたようにこう言った。
「パトリック、君は本当に語彙が豊富だな」
----------------------------------------------------------------------------------------------------
※1…イングランドのヨークシャーで生まれた英国の家庭料理のひとつ。
小麦粉と卵に少量の塩を加え、牛乳と水で溶いて生地としそれを型に流し込んで焼いて作る。
ローストビーフなど肉料理の付け合わせとして供されることが多い。
不味い。
※2…スコットランドの伝統料理。
羊の内臓のミンチ、オート麦、たまねぎ、ハーブを羊の胃袋に詰めて茹でるか蒸して作る。
2005年、この料理を口にしたフランスのシラク大統領(当時)が「こんな不味い物を食べる連中は信用できない」と発言して物議を醸した。
それに対し、英国のジャック・ストロー外務大臣(当時)は「ハギスに関してなら、シラク大統領のご説はご尤も」と賛意を示した。
ここまで読めば想像つく通り、不味い。




