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magus hunter 紐育魔術探偵事件簿  作者: ニコ・トスカーニ
『追憶の木』―The Tree―
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『追憶の木』―The Tree -1―

 その日、マーヴィン・レイノルズ氏はセントラルパークで日課となる朝の散歩を愛犬のボストンテリアと楽しんでいた。

 真冬の早朝の冷たい空気に肩をすくめながらレイノルズ氏はいつものコースを辿っていた。

 "ザ・レイク"周辺を散策中、奇妙な……真冬の寒さとは違う悪寒のようなものを氏は感じた。


「風邪でもひいたかな?」


 そう独りごち、家で朝食の準備にとりかかっているであろう妻のジェーン・レイノルズの事を思い浮かべながら帰路につくため踵を返そうとした。


 その時、彼はボウ・ブリッジ周辺に濃い霧が立ちこめている事に気がついた。

 ニューヨークでは早朝霧が立ちこめる事は珍しくないが、これほどの濃い霧がしかもこんなに局所にかかっている光景を見るのはレイノルズ氏の70年以上の人生の中で初めての事だった。

 何か薄ら寒い物を背に感じながらも、好奇心には打ち勝てずその正体を確かめるために彼はボウ・ブリッジに歩みを進めた。


 レイノルズ氏がブリッジに近づくと共に徐々に霧が晴れて来た。

 霧の中からはゴッホの絵画に登場するような奇妙な形の杉の木のようなものがぼんやりと見えて来た。

 さらに確かめるために前進する。

 やがて霧が晴れ、その正体が明らかになる。

 氏の口から次にでた言葉はこうだった。


「What the hell is this? (一体なんだこれは?)」


 そこにあったのは巨大な前衛芸術のオブジェを思わせる奇妙な形の樹木とその枝に絡みとられ、木の一部と貸した数十人の人間だった。


××××××××××××××××××××××××××××××××××


「What the hell is this? (一体なんだこりゃ?)」


 俺は相棒のニューヨークいちタフな女魔術使いアンナ・ロセッティを伴いいつもの通り不思議の国の事件の捜査に取りかかっていた。

 場所はニューヨーク市民の憩いの場、セントラルパーク

 通称「ザ・レイク」にかかるボウ・ブリッジ周辺。


 いつもの通り、Crime Scene Do Not Cross<犯罪現場立ち入り禁止>のテープを乗り越え現場に到着した後、最初に発した言葉がそれだった。


 隣に立つ相棒の様子を見る。

 いつもタフでクールな彼女も一体目の前にある物がなんなのか

 理解の範疇を超えているらしく、その顔には驚きの表情が浮かんでいた。


 俺は正体を確かめるためその謎の物体に手を伸ばし――「やめておきな、大やけどするよ」――彼女のその一言で伸ばした手を引っ込めた。


「アンナ、こりゃ一体なんだ? お前にも見当つかないのか?」


 彼女は何か難しい顔をして数秒考え込んだあとこう言った。


「……確かな事は言えないが、このエントみたいな気色悪い物体は魔術的な行程を経て栽培された自立型の礼装みたいな物だ。それも相当複雑なね。

おそらく取り込んだ人間の思念を養分にして成長してる。

今まで人除けの結界で意識が向かないように細工されていたんだろうけど、爆発的に成長した事で結界をぶち破ったんだろう。

それにしても、第一発見者のジイさんは災難だったね。

今頃家にある『ロード・オブ・ザ・リング』のDVDボックスを処分してるところだろうね」


 俺は彼女の言葉を反芻しながら、ひとことこう返した。


「処分したのは2巻と3巻だけって可能性は?」


 事態が収束するまで現場を完全封鎖し、誰も近寄らせない事と取り込まれた人物たちの身元を洗う事を俺に依頼し続けてアンナは助っ人を呼ぶ事を俺に提案した。


「解析ならうってつけの人物に心あたりがある。もっとも年の半分は国外を飛び回っているからつかまるかはわからないけどね」

「誰だよそいつは? ひょっとしてこの前ロンドンで会ったクロウリーとかいう変態のことか?」

「とんでもない。あいつじゃドーヴァー海峡を渡る前に風紀紊乱罪で逮捕だよ。

あんたも知ってる奴だ。ロンドン在住の万屋……これだけ言えばわかるだろ?」

「アンディか?」

「パット、良い子だ。大正解」


××××××××××××××××××××××××××××××××××


 パトリックと別れると私は件の人物にコンタクトをとるため

 iphoneを取り出し、コールした。

 7コール目が過ぎ、かけ直す事を覚悟すると電話口から件の人物の声が聞こえて来た。


「こちらアンドリュー・マクナイト。ロンドンいちハンサムな万屋の魔術使いだ。

残念ながら今電話にでることができない。もしこの素敵なバリトンボイスを聞くのが目的ならこれで勘弁してくれ。それ以外の用件があるなら無機質な発信音の後にメッセージをどうぞ」


 全くこの男は……。

 私は半ば呆れながらメッセージを吹き込んだ。


「アンドリュー、アンナだ。

あんた3日に一度応答メッセージを変えてよくネタがつきないね。

ちょっと込み入った話だから、メッセージを聞いたらコールバックしてくれ」


 それだけ言うと私は通話を終了させた。


 数時間後、私が自宅の固いカウチでバケツ入りのチョコレートアイスを貪っているとiphoneがけたたましく鳴った。

 安寧の時間を邪魔されたことに軽い苛立ちを感じつつ

 ディスプレイを見る。


"Andrew McKnight(アンドリュー・マクナイト)"


 思ったより早くコールバックがあった事に感謝しつつ私は電話にでた。


「やあ、アンナ。メスゴリラ界いちの美女が僕に何の用かな?」

「それ、褒めてるつもり?」

「最大限に」


 アンドリュー・マクナイトはロンドン在住の魔術使いで首都警察とシティ警察の非公式な顧問を勤める傍ら、私のように外道魔術師の捕縛といった荒事から、研究に使う資材調達といった雑務まで何でもこなす文字通り魔術専門の万屋だ。

 アンドリューは当時英国領だった香港の出身で幼くして両親を不慮の事故で亡くした後、残った唯一の親族である叔父のユアン・マクナイトと共にロンドンに渡った。

 魔術の才能を叔父に見いだされた彼はユアンに魔術の手ほどきを受け、15の頃にはハンターをしていた叔父の専属助手としてこの世界に足を踏み入れていた。


 私と彼が出会ったのは私の短いオールド・カレッジ在籍中の事だった。

 魔術で名を成そうと殺気立つ在校生の中で彼は明らかに異質に写った。

 講義中は主に惰眠を貪り、成果発表の際には適当に書き綴った論文を講師に突き返されてお説教をくらっていたのをよく覚えている。

 講師からすれば彼は明らかに困った生徒だったが学術としての魔術に何の興味も抱いていなかった私はシンパシーを感じていた。


 ある日の昼下がり、次の予定まで手持ち無沙汰だった私は日光浴に興じるためオールド・カレッジの地上、モードレン・カレッジの緑豊かな庭へ向かっていた。

 そして運河のほとりのベンチでいつものように惰眠を貪る彼の姿を発見した。

 私が傍らに立つと、片方だけ目を開けてこう口にした。


「悪いがここは僕が予約済みだ。違う場所を探してくれ」

「あんた、いつも寝てるね。夜になにか悪い遊びでもしてるのかい?」

「魔術師狩りだ。なにぶん貧乏暇無しなものでね」

 彼はいかにもつまらなそうにそう返した。


「そうか。余計なお世話だとは思うが、せいぜいパクられないように気をつけるんだね。

この国の銃規制は馬鹿みたいに厳しいからね」


 私の発言が余程以外だったらしく彼は驚きの表情とともに言った。


「君は僕のことを下賎とはそしらないのか?」

「私も同業者だ。今は休業中だけどね。だから、そいつを言うのは自分を貶めるのと同じ事になる」


 それから私と彼は時折、ランチを共にしたり幽霊が出そうな彼の小汚いアパートでビデオゲームに興じる仲になった。

 彼はその小汚いアパートでドワーフみたいに毛むくじゃらのむさ苦しいユアン伯父さんと同居していた。


「僕はこのflat(アパート)を『中つ国』と呼んでいる」

「冗談じゃない。こんな下水道みたいな中つ国はご免だよ」


 時折挟まれる、ユアン伯父さんの主に人種と下ネタに関するジョークとアンドリューの皮肉やメリットの無い嘘に辟易しながらもその時私は自分がオールド・カレッジに在籍している事を完全に忘れていた。

 つまり彼、アンドリュー・マクナイトと共に過ごした時間は碌な思い出のなかったオールド・カレッジ在学時代、私にとって唯一と言っていい楽しい時間だった。


 その後、オールド・カレッジを辞して間もなく彼もそこを去った。

 もちろん私を追いかけてきたわけではない。

 彼には友情を感じていたがそれはロマンティックな物とは完全に別だった。


 きっかけは仕事中に不測の事態でユアン伯父さんを亡くしたことだった。

 私は、傷心の彼のために渡英した。


 彼らの住んでいた小汚いアパートには血のように赤い夕日が射していた。

 アンドリューは荷造りの最中だった。


「ここを引き払おうと思っていたんだ」

「あんた、これからどうするんだい?」

「仕事は続けるさ。というよりもはや僕には他の事などできない」

「なあ、あんた――」


――自暴自棄になって無茶やらかすなよ――と忠告しようとすると彼はこう言った。


「無茶はしないさ。叔父さんに言われたんだ。簡単にくたばったりはしないよ。

それより、もし君から良い仕事があれば僕に是非回してくれ」

「お安い御用だよ」


 彼はいつものニヤケ面を顔から消し、しばらく真剣な顔で黙りこむと言った。


「アンナ、来てくれてありがとう」


 私もまた、仕事中に母を亡くした。

 彼の身に起きたことをとても他人事に思えないと話すとアンドリューは言った。


「愛しい人間を亡くした痛みは何にも代えられない。真理だな」


 私がパトリックとコンビを組んでからも、今回のような込み入った術式が絡んでくる事態では彼を頼るようにしている。

 友人だからというのもあるが、万屋の名の通り彼は多彩で小器用であり特に解析に関しては信頼が置ける。


 パトリックとアンドリューは最初から馬が合った。

 解決後には2人で連れ立って夜の街に繰り出しミッドタウンでクラブを泥酔してハシゴした後に「腹が減った」と言ってコリアン・タウンの深夜営業店でコリアン式BBQを平らげ、ブロードウェイと5番街の真ん真ん中で口にしたばかりのBBQを生のオムレツとして路上にぶちまけていた。

 とても刑事の取って良い行動とは思えないが、それだけパトリックはアンドリューの事を気に入っていたようだった。


「さて、ところでこの僕、ロンドンいちハンサムな万屋の魔術使いは今どこにいると思う?

3択で答えてくれ。1.コート・ダジュールで優雅なバカンス、2.カイロで神秘を巡る冒険、3つめは……」


 また始まった。彼の悪い癖だ、この長い前置きに付き合っていると今度は別の長い前置きが始まる。


「あんたが今どこにいるかは知らないが、私は今家の固いカウチでチョコレートアイスを消費中だ。

羨ましいだろ?」

「優雅な時間だな」

「そいつはどうも。早速だけど本題に入らせてもらうよ」


 私は今日の事件のあらましを伝え彼の反応を待った。

 数秒の沈黙の後、電話口から彼の返答が帰って来た。


「僕は今我がホームタウン、ロンドンにいる。丁度仕事が済んだところだ。

運が良かったな。明日朝イチの便で向かうからJFKにはそちらの時間で19時頃には到着するはずだ。

急ぎなんだろう?」


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