『不完全な永遠』"At the end of South Bronx -3"
アンナの後をついて赤茶けた無機質な建物が並び立つサウスブロンクスを歩いて進む。
さっきゴーレムにタックルをくらって激しくなっていた俺の動悸はだいぶ落ち着いてきていた。
難しい表情で黙り込んで進むアンナを後ろをついて数分。
アンナは一軒の廃屋の前で立ち止まった。
「パトリック」
「私の推測が確かなら、さっきみたいな危険はないと思う。
でも、一応、用心して。
OK?」
「ああ、OKだ」
アンナについて廃屋に入る。
建物には入り口をはじめ様々な場所にイディッシュ語が書き連ねられていた。
どうやらここが結界の起点で間違いないらしい。
外れかかったドアをくぐり、ヒビだらけの壁を伝ってすすむ。
やがて、アンナは一つの部屋の前で立ち止まった。
「ここだね」
そういうと彼女はゆっくりとドアを開けた。
どうやらここはもともと何かの公共施設だったらしい。
ドアを開けた先は俺が予想していたよりもずっと広い空間が広がっていた。
「――こいつは一体」
まず最初に目についたのは、横たわる幾人もの人々だった。
何人かは見覚えがある。
ゴーレンがら見せてもらった資料にあった失踪者だ。
そのうちの何割かはすでに残念ながら息絶えていた。
さらに部屋を見渡す。
部屋の片隅には無機質な土くれが転がっていた。
数分前に俺を襲撃したゴーレムのなれの果てだろうか。
「パトリック」
そう、声をかけられ、声の主の方に向かう。
アンナの足元には、白骨化した死体が横たわっていた。
死体の周りには今日、散々目にしてきたイディッシュ語の文字が書き連ねられている。
――ということは
「ソロモン・ポドリスキだ」
アンナは意外でもない、という口調でそう言った。
「すでに死んでたとはな
これがお前の『推測』の答えか?」
「ああ。これで綻びだらけの結界に説明がつく。
丁寧に構築された結界は魔力さえ充足されれば起動には問題ない。
でも、高度な結界ってやつはメンテナンスを怠ると徐々に綻びはじめる。
おそらく、ポドリスキはニューヨークにたどり着いた時点でもう余命いくばくもない状態だったんだろうね。
それで、自分が動かずとも自動的に起動してくれるような結界を考えた」
「そのカギが失踪者か?」
「結界を維持するには魔力を流し続ける必要がある。
だが、余命いくばくもないポドリスキにはそれが難しい。
無いものは他所から持ってくるのが魔術の基本だ。
まず、体が動くうちに周囲に結界をはり、ゴーレムに動きをプログラミングする。
ゴーレムに人気にない場所に迷い込んだ人間を誘拐させて連れ帰り、魔力を奪う。
ポドリスキが魔力を生成できなくなってもゴーレムの人さらいは続くから、魔力は補充され続ける。その魔力でゴーレムを自動的に生成し、あらかじめ術式で動きをプログラミングしておけば、魔術の永久機関の完成だ。
実に典型的な魔術師らしい利己的なやり口だ」
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俺の連絡で駆け付けて応援に現場を引き渡し、
ポドリスキの遺体はソサエティのリエゾンに引き渡された。
ソサエティからの報酬の条件は、お尋ね者の引き渡しだ。
それは生きていても死んでいてもどちらでも満たされる。
失踪人課のゴーレンに発見までのことのあらましを魔術の話は伏せて報告すると、ゴーレンは「不可解」という表情をしてはいたが、一言「助かった」と言って現場を引き継いだ。
「なあ、そこまでして、このポドリスキとかいう奴は何をしようとしてたんだ?」
鑑識と刑事たちがいそいそと働く赤茶けたブロンクスの現場を背に
俺とアンナは仕事の後の一服をしていた。
アンナは紫煙を吐き出しながら言った。
「噂に聞いたことがあるけど、ポドリスキはすでに100年以上生きている老体だそうだ。
魔術を使えばある程度老化を遅延させることは出来るけど、それにも限度がある。
魔力の生成能力は自然と衰えていくものだからね」
「つまり?」
「不死ってやつを目指そうとしたんじゃないかな。
ここまでして生きようとする生き意地の張った奴だ。
そのぐらい壮大な欲を見せてもおかしくない」
「途方もない話だな」
「まったくだ。
でもねパトリック、魔術は神の御業じゃない。
完全な不死なんて不可能だ。
いかに魔力を喰らっても、肉体という脆い器はいつか限界を迎えるし、
精神は長く生きているうちに摩耗してくる。
吸血鬼化に成功すればその問題も解決だけど、成功したという例は皆無に等しいし、吸血鬼になった時点で人間としての生はお終いだ。
つまり――」
「――つまり、人はいつか死ぬってことか?」
「そういうことだ」
「少し、残念な結論だな」
「そうかい?
肉体を若く保つ方法は良く知られているけど、
精神を若く保つのは長い魔術の歴史で誰も成功していない。
考えてもみなよ、精神が摩耗しきって
ブルックリンラガーとルートビアの違いも分からなくなったような状態を
はたして『生きている』と言えるかい?
少なくとも私は御免だね」
既に完全にブロンクスの陽は暮れていた。
歩き始めた俺とアンナの背には相変わらず刑事たちがせっせと現場検証に励んでいる。
俺は、根元まで吸い尽くしたラッキーストライクを足元で揉み消して言った。
「一杯やるか?」
彼女は軽く頷いて言った。
「いいね、生きている人間の特権だ」
最後まで閲覧ありがとうございます。
このエピソードは完結です。
次回はイギリスに舞台を移す予定です。




