『残留思念』―The ghost of Greenwich Village -2―
回答編です
習慣になっているシエスタから目覚めた時に
感じたものは"あの時"と同じなにか妙な感覚だった。
覚醒しきっていない視界で半分閉じたカーテンの向こうに
見えたのは薄闇と―あの日と同じ鮮やかなイエローのスプリングコートを着た
何者かの背中だった。
そして私が逡巡している間にその背中は
揺らめくカーテンの陰に消えていった。
私はその背中を追ってベランダに出た。
そこにはあの時と同じようにいくつかの赤いメッセージと手形が残されていた。
「誰かに知らせなくちゃ」
まっさきに浮かんだのはケーヒル先生のことだった。
私はルームキーを手に取り、部屋を出た。
部屋を出るとそこには黒髪のくせっ毛で眠たそうな目をした
長身の青年が私の事を待ち構えたように立っていた。
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オリビアが事件当時と同じ動きをしてくれるかは
不確定要素だったが実験は完璧にプラン通り成功した。
部屋から出てきたオリビアは俺の事を不思議そうな表情で見上げていた。
俺は努めて紳士的に優しくこう言った。
「部屋に戻ろう。これから種明かしをするからね。」
オリビアは驚いた表情を浮かべた後小さく頷いた。
部屋に戻ると俺はまだベランダにいる
――そして今いささか不機嫌になっているに違いない――
相棒に向かって言った。
「いいぞ、もう入ってきて」
俺とオリビアが見ている前でベランダのカーテンの陰から
黄色いスプリングコートを着たアンナが現れた。
アンナは明らかに不機嫌そうだった。
無理もない。
安眠を妨害された上に、彼女に言わせれば
探偵ごっごの実験台にされたわけだからな。
アンナはブロンドのウィッグを外して言った。
ウィッグの下からは燃えるような赤毛が現れた。
「これでいいかい?ホームズ」
「ああ、完璧だ。ワトソン君」
俺たちのやり取りを見てオリビアが尋ねた。
「あの…ケーヒル刑事、これは一体…」
「ああ、そうだったな。順を追って話そう」
俺はあの日行われたであろう出来事を推測を交えながら語った。
「まず、窓の外に立っていたのは亡くなった君のお姉さんのイザベラじゃない。
黄色いスプリングコートを着た全くの別人だ。」
「でも、確かにあの時は姉だと…」
「こいつはアイリーンから聞いた話だが。
人間の心理ってのは何か強い印象のあるポイントが
あると、そいつに意識がいって思いこみが働くらしい。
黄色いスプリングコートなんて目立つ物着てれば
思いこみで錯覚するのも当然だって話だ。
ましてや、薄暗闇のなかでなおかつ目覚めたばかりの寝ぼけ眼でみたんだろ?
現に、今さっきベランダに立ってたのは間違いなくそこにいるアンナだ。
でも、君にはお姉さんに見えた。間違いないね?」
オリビアは頷き、続けてこう尋ねた。
「でも、その人はいままでどこにいたんですか?
それにあのベランダにあった赤字のメッセージは?」
「それも単純なことだ。ここは角部屋だが…となりの部屋は空き部屋だろ?
ベランダの仕切りを乗り越えて隣の部屋のベランダに屈んで隠れてたのさ。
ただそれだけのことだ。
それとメッセージはセロファン紙に書いて貼り付けてあっただけだ。
君が部屋を出ていったタイミングで剥がせばそれで消えるメッセージの完成ってわけだ」
そこでアンナが右手に握ったセロファン紙を広げて彼女に見せた。
彼女はそこに書かれた文字を確認して言った。
「そんな…でもなんで?誰がそんな事を?」
「実はな、誰がやったのかもわかってる。
こんなおざなりなトリックだ。
普通にやったら、始終ずれた脱腸帯を直してるようなボケた爺さんぐらいしか
騙せないが、今やったように薄暗闇で寝ぼけた人間なら騙せる可能性もあるわけだ。となると、ターゲットが昼寝から起きるタイミングを見図るくらいしかないわけだが…
そうすると一番やりやすい立場の人間が犯人ってことになる。それはな…」
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犯人はオリビアのルームメイト、ジェニファーだった。
犯行の動機は実にティーンエイジャーらしかった。
――恋愛がらみだ。
オリビアには成績優秀で背が高く、アメフトをやっていて
『トワイライト』にいい感じの脇役で出てきそうな
絵に描いたようなジョックのボーイフレンドがいるが
彼に好意を抱いているのはオリビアだけではなかった。
当然のことだそこまで揃っていれば大抵のティーンエイジャーは気絶するくらい憧れるだろう。
そんなわけでジェニファーは失恋したわけだがその後が良くなかった。
失恋の痛みの癒しかたは人それぞれだがジェニファーはそれをルームメイトへのいたずらという形で実行した。
「ただちょっと怖がってくれればいいと思った」
そんな軽い気持ちでその計画は実行された。
オリビアからイザベラの事はよく聞いていた。
イエローのスプリングコートを着たのは二人の写真を見て印象に残っていたから。ただそれだけのことだった。
あれだけずさんな計画だ。
彼女はすぐにばれると思っていた。
ばれたらばれたですぐに謝るつもりだった。
しかし、外部から調査員が入ってくるなど事態が深刻化していくのを見て言いだせなくなってしまったようだ。
ジェニファーがオリビアに謝罪しこの件は終わった。
オリビアは彼女を訴えようとはしなかった。
ただ一つだけ変わったことはジェニファーがドミトリーを出て行ったということだ。
俺が仕事をどうにか切り上げてイースト・ヴィレッジのバーに行くと、
アンナはすでに―良く言えばカジュアルな、悪く言えば小汚いバーのいかにも座り心地が悪そうなスツールに座っていた。
隣にはヤッピー風の男が座ってアンナに話しかけていたが、
アンナはただおざなりな返事を繰り返すだけだった。
アンナが見知らぬ男から声をかけられているのを見るのはこれで何回目かわからない。
美人は人から羨まれるものだが、色々と気苦労もあるらしい。
「ハイ、パット」
アンナは俺の姿を認め、軽く手を挙げると、
ヤッピー風の男に「消えて」と言って手を振った。
男は「納得いかない」という顔をしていたが、俺がバッジを見せると
そそくさと立ち去って行った。
これでも刑事だ。雰囲気でわかる。
きっとデートレイプドラッグでもキメようとしていたのだろう。
もっとも、アンナがそんな手にひっかかる筈もないが。
俺はヤッピー風の男が残したコロンの香りが漂うスツールに座って言った。
「勘弁してくれよ。調子狂うな。いつも通り呼んでくれよ」
「いいじゃない。愛称で呼び合う仲。私のこともアニーでいいよ」
「やめとくよ。何年もアンナで通してきたのに、いきなりアニーか?じゃあ、マシューの旦那はマット?お互い調子狂うだろ」
「全くだ」
時刻は19時過ぎ、バーで飲むような時間帯ではないが
この店はハッピーアワーで平日20時までビールが半額になる。
店のチョイスはアンナに任せたが、俺の金銭事情を鑑みて店を決めてくれたのだろう。
今日はほんのお礼のつもりで「奢る」と言ったが、「ブロードウェイのステーキハウスを予約しておいた」
などと言われたらどうしようかと内心ビクビクしていたところだった。
俺は無愛想なマスターが注いだきちんとサージングされたギネスに口をつけ言った。
「今回は付き合わせて悪かったな。
しかし、恋愛がらみでティーンエイジャーのいたずらとはな…。
なんとも締まらない結末だったぜ」
「そうでもないさ。彼女のボーイフレンド、
実物を見たけど、なかなかのハンサムガイなことは間違いないよ。
気絶するほど憧れるのも分からなくはないね。私のタイプじゃないけど」
「一応訊いておくが…お前のタイプってのはどんな種類の人間なんだ?」
「そうだね…。チャック・ノリスかスティーヴン・セガール
妥協して『コマンド―』の頃のシュワルツェネッガーだね。
やっぱり男は武術の心得があってコルドガバメントが似合うのに限るよ」
アンナはしばしば冗談なのか本気なのか測りかねることを言う。
俺は少し思案して応えた。
「そいつはよかった。一応人類か。
マウンテンゴリラのオスとか言いださなくて安心したぜ」
「心外な感想だね」
彼女はブルックリンラガーに口を付けてそう言った。
「ところでだ、実はあの件まだ不明な点が残っててな。
ドミトリーの集積所からセロファン紙が見つかったわけだが
いくつか妙な点があったんだ」
「妙な点?」
「ああ、まずメッセージだがな『So Long Nola』ってセンテンス、
ジェニファーが不思議がってたよ。
『こんな文章を書いた覚えはない』ってな。
そもそも彼女はオリビアの事をオリーって呼んでたらしい。
その他の大学の友人も大抵そうだったらしい。
それと手形についてだがな、照合してみたところ一つだけ違う人物の掌紋が見つかった。
オリビアから聞いたんだが、その掌紋の持ち主は彼女のことをノラって呼んでたそうだ。
…誰だと思う?」
「イザベラかい?」
彼女はこの驚くべき事実に特に驚くこともなく答えた。
「ああ、そうだ。
――驚かないんだな」
「パトリック、お忘れみたいだけど、私は普通ならニキビの対処法に悩んでいるような歳の頃からこの稼業をやってるんだよ?
もう、大抵のことには驚かないさ」
「なあ。でも、最初に部屋に踏み込んだ時、お前、今回の件は神秘と関係ないって言ってたよな?
ならどうこの事実に説明をつければ良い?」
「パトリック。セントラルパークでの死霊のエレクトリカルパレードを覚えてる?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「あの時、言ったよね?霊の正体は霊体と残留思念だと」
「ああ、そうだな。でも、イザベラが亡くなったのは1年前だぞ?
霊体はそんなに長期間留まれないだろ」
「普通はね。でも、亡くなった人物の思いが強いと、
長期間に渡って霊体がこの世に留まることもあるんだ。
たとえば、不慮の死を遂げたとか、無残な最期を迎えたとかね。
セントラルパークの件は後者の例だね」
「ああ、そうだったな」
「気になって少し調べてみたんだけど、
ジェファーソン姉妹は片親で、エグゼクティブの父親はいつも留守がちだったそうだ。
ベビーシッターを雇ってはいたけど、亡くなったイザベラは年の離れた妹を溺愛していた。妹のことは相当心残りだっただろうね。
つまり――」
「つまり?」
「死して尚、妹を思うイザベラの残留思念が
あの状況を借りてお別れに来た。
そんな筋書きはどうだい?」
――まったくゾッとしない話だ。
「俺が10歳だったら、今晩は一人で小便に行けなくなってたところだぜ」
「違うよ、パトリック。そいつは今回の感想としては無粋すぎる。
こういう時は、こう言うのさ。『麗しい姉妹愛だ』ってね」
最後までお読みいただきありがとうございます。




