『ピグマリオンの願い』―Grand Central Station romance -extra―
おまけのエピローグです。
こうしてクリストフとエーファの物語はひとまずのハッピーエンドを迎えたが、私自身がひとまずのハッピーエンドを迎えるにはまだ一山必要だ。
事態の深刻さはわかっている。
ホーエンハイムという魔術界における最高度の権力者との契約を一方的に破棄し、所有物を破壊したのだ。
これが一般社会ならば、法廷に持ち込むところだ。
普段はつつましい暮らしをしてはいるが、腕利きのハンターである私たち親子の収入はマンハッタンの企業に勤めるエグゼクティブ並とは言えないまでも、そう悪くはない。
ペリー・メイスンとまでいかずとも、それなりに良い弁護士を雇えるだろう。
だが、非常識の極みである魔術の世界でトップに君臨するホーエンハイムが
この件を法廷に持ち込むことなどあるはずがない。
ホーエンハイムがどのような報復を仕掛けてくるか、考えただけでも恐ろしかった。
権力には権力で、非常識には非常識で対応するしかないが、そんな対応を私が自力でとることはできない。
選択肢は1つしかなかった。
私は深くため息をつくと、日本にいる話すのに気の進まない知人の2人の内の1人にコンタクトを取った。
カゼノミヤは予想通り在宅中だった。
奴は先祖代々の霊地を守るため、簡単に自分の土地を離れられない。
事の次第を話すと、カゼノミヤはこちらが切り出すよりも先に、私が仕出かした不始末の処理を申し出てくれた。
理由を聞くと、彼はこう答えた。
「ホーエンハイムのホムンクルスなど、私にとっては安物のアクションフィギュアほどの価値もない。
お前は利用価値がある。どんな阿呆でもわかる天秤の傾きだろう」
カゼノミヤは感情をどこかに置き忘れてきたような口調でそう言った。
この男と話すと、奴の声は実はジェームス・マーフィーあたりがスタジオで作った合成で、体はトヨタかホンダが極秘で作り上げたサイボーグなのではないかと思えてくる。
「納得の理由だ」
と私が言うと、カゼノミヤは私の感想に対しては何の興味も示さず、ニューヨークに滞在していたカゼノミヤ家の関係者が、街中で偶然遭遇したホーエンハイムのホムンクルスと誤解から戦闘になり、やむなく破壊したという、私も知らなかった事実を話し始めた。
「その"事実"は少し無理があるんじゃないか」
と私が言うと、カゼノミヤはこともなげに言った。
「話に信憑性があるかどうかは問題ではない。
大事なのは私が『事実だ』と認めることだ。
お前たちアメリカ人が大好きなパルプフィクションも、
私が一言"それは事実だ"と言えば価値がある。権力とはそういうものだ。」
asshole
だが、私は今、そんなことを言える立場になかった。
「手間を取らせて悪いね。恩に着る」
「ああ、大いに恩に着ておいてくれ。お前のような利用価値のある人間に消えられるのは困るが、何の見返りもなく私の厚意を受けてもらうわけにもいかないのでな」
「いずれにしても、ありがとう」
と私が言うと、カゼノミヤは"bye bye"の一言もなく電話を切った。
感じのいい奴だ。
××××××××××
後日、ホーエンハイムからまた使者が来た。
今度も銀髪に琥珀色の眼のホムンクルスだった。
ホムンクルスは、国籍不明なアクセントの英語ではなくドイツ語で、
トマス・フォン・ホーエンハイムがクリストフとエーファの捜索を打ち切った旨を淡々と報告し、「ご協力ありがとうございました」と言うと、私が安堵する暇もなく去って行った。
わざわざホムンクルスを送り込んできて何をする気かと不安になったが、裏を返すと、ホムンクルスを送り込んできたのに何もせずに去って行ったということは報復を恐れる必要はないということだろう。
ホムンクルスと入れ違いで、ようやく父が帰ってきた。
父には電話で事の次第を報告してあった。
私のやらかした若気の至りを話した時、、電話口からは父の深いため息が聞こえてきたが、私をとがめるようなことは一言も言わなかった。
「眠い」
帰ってくるなりそう言うと、父は、私のやらかしたことには一言も触れずに寝室に消えていった。
父が寝室に消えると、今度は電話がかかってきた。
クリストフからだった。
クリストフは改めて、今回の件について丁重な礼を言うと、私がホーエンハイムから何か報復を受けていないか心配している事を話し始めた。
権力者の友人――実際のところカゼノミヤは友人ではないが便宜上ここではそう呼んだ――のおかげでこの件は手打ちになったと言うとクリストフは安心していた。
「ああ、それとあなたの御父上とお兄上だけどね――」
電話口の向こうから、息をのむ音が聞こえた。
家族とはソリが合わないと話していたクリストフだが、やはり気がかりではあるらしい。
「あなたのことは絶縁したと関係各所に言って回ってるそうだよ」
「そうだろうね。当然の結果だ。
父と兄はどうなったかわかるかい?」
「お父上のフロリアンとホーエンハイムのトマス翁の仲が険悪になったらしい」
「それで?」
「それだけ」
「それだけ?」
「それだけだよ。まあ、考えてみれば当然の結果だ。
お互いに報復合戦を繰り広げても誰も得をすることはないからね。
この件を知っているのはごく1部の人間だし、
ホーエンハイムだって、ホムンクルスの失踪を許したなんていう不名誉なことは知られたくないだろうから、今後も噂が広がるようなこともないだろう。
これ以上波風を立てないほうがいいという判断に至るのは自然な帰結じゃないかね」
「そうか。では、父上も兄上もご壮健ということだね」
「たぶんね」
「そうか。安心した」
そう言うと、クリストフは「教えてくれてありがとう」と言ってエーファに電話を変わった。
「アンナ、ご機嫌はいかがですか?」
「最高だよ」
「本当ですか?それならば良かった。
ボストンを去る時のあなたは酷くお疲れのようでしたから心配してました」
ああ、どうも、とおざなりな返事をすると、彼女は新しい土地での生活を、
付き合いたてのボーイフレンドとプロムに行くハイスクールの女の子のように嬉しそうに話し始めた。
彼女があまりにも勢いよく話すので何度か「わかったから少しスローダウンしてくれないか」と言わざるを得なかった。
自覚はなかったが、私はボストンで行動を共にしたときにどうやらエーファに懐かれてしまったらしい。
ひとしきり、話し終えると、「また電話します」と言って彼女は電話を切った。
ようやく一息つき、愛飲しているアメリカンスピリットに火をつけ紫煙を味わった。
今回の1件には本当に疲れた。
近所のダゴスティーノまで歩いていくのも億劫なぐらいにクタクタだ。
少し営業を休んで、キュラソーあたりにバカンスに行くかなと考えていると、
電話が鳴った。
パトリックだった。
何か厄介ごとの相談に乗ってしまったらしい。
とても気乗りしなかったが、大事な相棒に相談を持ちかけられて無下に断るわけにもいかない。
さて。まずは、グリニッジ・ビレッジに行かないと。
カリブ海でのバカンスについて考えるのはそれからだ。
最後まで閲覧いただきありがとうございます。
次回から新エピソードです。




