『ピグマリオンの願い』―Grand Central Station romance -5―
不味い。
明らかに不味い状況だ。
トマス・フォン・ホーエンハイムの要求水準は相当のものだったらしい。
ジークリンデの強さは予想以上だった。
9mm弾もフルオートの4.6x30mm弾も体術だけで簡単にはじかれ、
ルーンの炎も簡単に切り裂かれる。
私は体術にもそれなり以上に自信があるが、このバケモノに接近戦を挑むのはどう考えても自殺行為だ。
接近戦はエーファに任せたが、彼女の戦闘における能力はやはり些か以上に劣るらしく、何度となく打ち合っては打ち負けていた。
クリストフが治癒魔術で援護してくれてはいたが、すでに1クォート近く出血している。
常人ならば、今頃ICUで生死の境をさまよっているところだろう。
アドレナリンを分泌させて痛みを抑えているが、このままでは行動不能になるのも時間の問題だった。
エーファの動きも些か鈍くなってきている。
荒く息をしている私たちに対し、ジークリンデは
「これからロングアイランドのギャッツビー邸にパーティに行くから、そろそろ開放してもらえないかしら?」
とでも言うように悠然と立っていた。
「アンナ、もう止めてくれ。君は本来無関係だったはずだ。これ以上、君に迷惑はかけられない」
私に治癒魔術を施しながらクリストフが言った。
まったく、ナイスガイだ。
「せっかくの申し出だけど、お断りだ。私はシカゴ・カブスがワールドチャンピオンになる可能性より可能性の低いことはしない主義でね。
今もこうして、休みながら戦略を練っていたところだよ。
このままサポートしてくれ」
「この状況を見る限り、あなたに勝算があるように思えませんが、フロイライン。
それは人間が心理戦で用いるというハッタリというものですか?」
「へえ、ずいぶん気の利いた言葉知ってるんだね。なら、ここは気を利かせて、
この2人を見逃してはくれないかな?そうしてもらえるとすごく助かるんだけど」
「私がトマス様から仰せつかったのは、2人を連れ帰ることです。
それ以外の結末はありえません」
「そりゃ残念だ」
「アンナ、私もその勝算というものがどこにあるのか測りかねます。
どうされるおつもりですか?」
私は溜息をついて言った。
「エーファ、あんたは味方だろ?信じてくれよ」
実際に勝算はあった。
私の懐に。
ブリューナク
私が開発した特殊装備。
私がS&W M500などというゲテモノを持っているのは、クリント・イーストウッド願望の表れではない。
.50マグナム弾の物理的破壊力と、圧縮した魔力を詰め込む体積が必要だからだ。
私がブリューナクと名付けたこの弾丸は、被弾した相手の体に許容量を遙かに上回る魔力を叩き込み、肉体を破壊する。
水をやりすぎた植物が枯れるのと同じ原理だ。
だが、並の魔術師を遙かに凌駕する魔力を持った私が毎日コツコツ魔力を蓄積させても、この弾丸は1年に1発程度しか作れない。
手持ちは1発だけ、外したらわずかな勝機がゼロになる。
あのバケモノに命中させるには誰かに動きを止めてもらわなければならない。
「わかりました。あなたを信じます。どうすればいいですか?」
気は進まないが今とれる方法は1つだけだ。
「ほんの数秒でいい。奴の武器を封じて欲しい」
「止めてどうするのですか?」
「とっておきのカウンターをお見舞いする」
「それだけですか?」
「ああ、それ以上は言えない。敵を欺くには、まず味方からってね」
「わかりました。あなたを信じます」
「ああ、頼んだ」
エーファは私を見て、少しうなずくと、振り返ってクリストフに言った。
「Lebe wohl, Liebling(さよなら、愛しい人)」
そのロマンチックな一言を言い終わるや否や、エーファは魔力の刃を解除し、ジークリンデに向かって行った。
私は、他の.50マグナム弾と混ざらないように、胸のケルト十字のロザリオに仕込んだブリューナクを装填する。
エーファの非論理的な行動に、ジークリンデが一瞬ためらう。
だが、次の瞬間にはその無防備な奇襲に容赦なく刃を振り下ろしていた。
ギリギリで致命傷は避けたが、左腕の肘から先が彼女の体から泣き別れをしていた。
構わず突っ込んでいったエーファが残った右腕で鉄塊を持ったジークリンデの腕を抑える。
明らかに自力で勝る相手、しかも自分は片腕。
引きはがされるのは、ミゲル・カブレラの痛烈なライナーがレフト前に達するよりも早いだろう。
だが、それで十分だった。
私は懐からS&W M500ハンターモデルを引き抜くと、刹那にも満たない時間で
照準を合わせ、トリガーを引いた。
.50マグナム弾の強烈な反動が手のひらを伝う。
狙いは完璧だった。
ジークリンデはすでにエーファを引き離し、回避行動をとり始めていたがもう遅い。
.50弾はその右肩を掠めただけだったが、それでも十分だった。
ホムンクルスは被弾した次の瞬間、全身から体液を流し、やがて起動を停止した。
「TATA」
ホムンクルスが停止したのを確認した瞬間、私の体も限界を迎えた。
1クォートも血を流したのだから、当然か。
アロルディス・チャップマンの速球を頭に喰らったかのように足がふらつき、
その場に倒れこんだ。
アドレナリンが切れて、意識が朦朧とする。
「アンナ!」
誰かが駆け寄ってくるのが聞こえる。
この声は――そう、パトリックだ。
「来なくていい」とは言ってあったが、作戦決行については伝えてあった。
心配して見に来てくれたらしい。ああ、まったくいい相棒だ。
かすむ視界の端が、クリストフとエーファの存在を捉える。
エーファは生きているようだ。
「さよなら愛しい人」などと言った後では少々締まりがないが、生きていてくれて何よりだ。
「この世界で最も強きものは愛だな」
誰にともなく、そういうと、私の意識はブラックアウトしていた。
×××××××××××
私はパトリックから応急処置を受け、意識を取り戻すと、2人をつれてボストンに向かった。
ありがたいことにパトリックが同行してくれた。
さすがにボストンまで1人で運転するのは手負いの私には無理な相談だった。
ボストンまで向かう道すがら、エーファはありとあらゆるものが新鮮だったらしく、辺鄙なダイナーのまずいベーコンエッグやなんの変哲もないガソリンスタンドにまで興味を示した。
クリストフはアメリカに来るのは初めてではなかったらしい。
その一つ一つについて丁寧にレクチャーしていた。微笑ましい光景だ。
買い換えたばかりのシボレー・インパラはすこぶる快調で、旅は何のトラブルもなく済んだ。
2人をキンケイドに引き渡すと、キンケイドは思いのほか喜んでいた。
「おれは攻撃は得意だが他の魔術はからっきしでね。
色々サポートしてくれると助かる」
勿論、仕事への協力の要請をクリストフは快諾した。
保護してもらう身なのだから、そのくらいの対価はそもそもの最初から織り込み済みだろう。
2人の身の振り方について策を練るべく、私は数日ボストンに滞在した。
パトリックは休暇を取っていたらしく、観光がてらに付き合ってくれた。
キンケイドは2人のことを気に入ったらしく、2人に仕事の説明をしながら、よくわからないセンスのジョークを飛ばしていた。
明らかに2人とも困惑していたが、よくわからないセンスのジョークを飛ばすのは、キンケイドの奇妙な親愛の情の表現だ。
馴れてもらうしかない。
2人の新生活への根回しが終わり、私とパトリックはシボレー・インパラに給油を済ませ、帰り支度を整えた。
その日はニューイングランド特有の雨が降っていたが、雨に濡れるのも構わず、クリストフとエーファは私たちを見送りに来てくれた。
クリストフはフェンウェイパークの外野席に居ても目立たないような格好をし、エーファは髪をブロンドに染め、カラーコンタクトをしていた。
それでも、2人の雰囲気は明らかに一般市民と違っていたが、これならまだいくらかマシだろう。
「これを渡しておく」
私は懐から2枚の紙切れを取り出した。
「東京行きの航空券?」
「東京に良い心霊術師を知っていてね。
事情を話したら、エーファの左腕を作ってくれると。
それも無償でね。変態野郎だけど、腕は確かだ。
生身の腕と同じように動かせるようになる」
私は、片腕生活を送らなければいけないエーファのことを不憫に思い、まったく気は進まなかったがヒノサキにこの件を相談していた。
彼女が「厚意」などという感情を持ち合わせているとは期待していなかったので、ダメ元だった。
法外な対価を要求してくるようなことになったら、残念ではあるがこの件はなかったことにすればいいだけだ。
彼女も追われている身だ、仮に断られてもこの件を口外したりはしないだろう。しかし、意外なことに彼女はこの件を無償でやると言ってくれた。
「気でも違ったのか?」
と私が言うと、彼女は興奮気味にこう言った。
「ホーエンハイムのホムンクルスに施術するんでしょ?
アンナ、それはpricelessだよ」
さらに彼女は興奮してまくしたてた。
「ねえ、ホムンクルスの体ってなにで出来てるのかな?
肉はタンパク質?骨はカルシウム?それとも何か別の物に置き換えてるのかな?
内臓はどんな形状何だろう?戦闘の衝撃に耐えるなら頑丈にできてなきゃおかしいし、心肺機能も人間とは違うはずだよね?
それから……」
「いいから黙れ」
そう言って私は電話を切った。
ヒノサキとは短くない付き合いだが、今もって彼女の思考回路は理解できない。今後も理解できる日は来ないだろう。
「けた違いに優秀な術師だね。一体何者なんだ?」
「そう、それで一点注意が。決してこのことは口外しないでもらいたい。
その心霊術師もワケありな身分なんでね」
「ああ、わかった。肝に銘じておく。ありがとう」
「ありがとうございます。アンナ、パトリック」
「いいさ、このぐらいはおせっかいのついでだ。ハネムーンだと思って行っておいで」
「ハネムーン?」
エーファは不思議そうに首を傾げて言った。
「――そうか。知らないのか。じゃあ、後でクリストフに聞いてくれ」
「はい。そうします」
ここ数日、エーファとは女同士ということで何度か行動を共にしたが、
武器を持っていない時の彼女は純真無垢で人畜無害も良いところの存在だった。
素直で好奇心が旺盛で、何を見てもおもちゃを与えられた子供のような表情をする。
私に兄弟はいないが、妹がいたらこんな気持ちを抱いたかもしれない。
パトリックにそう言うと、なぜかパトリックは嬉しそうだった。
彼がシスコンなことを忘れていた。
「どうだい?アメリカの生活は?」
「これでも、新しい環境に身を置くのは慣れていてね。
ヘル・キンケイドも良くしてくれるし、何とかなりそうだよ。
ベルリンのフィルハーモニーに気軽に行けないのは少々残念だが、
ボストンのオーケストラもなかなか悪くない」
「へえ、ベルリン・フィルを聴いて育ったあんたのお気に召すとは。
この国のオーケストラも捨てたものじゃないみたいだね」
「ニューヨークにもいいオーケストラがあるのだろう?
アメリカに根を下ろすことになったんだ。一度聞いてみたい」
「ええ、ではこちらにお越しの際はご一報を。チケットを手配しておくよ」
「ああ、そうだね。だが、チケットがなくても行くつもりだよ。
――ニューヨークの友人に会いにね。2人とも本当にありがとう」
そう言って、クリストフは私とパトリックに手を差し出し、握手した。
「Auf Wiedersehen, meine Freunde.(また会おう。我が友よ)」
「Ja. Bis nachher(ええ、またいつの日か)」
エーファは私たちを見てほほ笑んでいたが、車に乗り込むと恭しく頭を下げた。
排ガスを巻き上げて、車を発進させる。
バックミラーに2人の姿を見やる。
仲睦まじく肩を寄せ合い、その手はしっかりと繋がれていた。
「さて、今回の件だが――」
パトリックがハンドルを手に言った。
「色々と想定外のことが起きたけど、感想は?」
私は少し考えて言った。
「シニカルな『ピグマリオン』だと思った話が、実はハッピーエンドの『マイ・フェア・レディ』だったっていうのはどうだい?」
「――そりゃいいね。何事もハッピーエンドが1番だ」
ニューイングランドの雨がフロントグラスを濡らしている。
雨はハッピーエンドにふさわしくないが、それでもこの物語がハッピーエンドであることに変わりはない。
「悪いが眠い。運転に疲れたら言ってくれ」
そう言うと返事も待たず、私は眠りに落ちた
最後まで閲覧いただきありがとうございます。
このエピソードはお終い、次回はおまけのエピローグです。




