『ピグマリオンの願い』―Grand Central Station romance -2―
「どうしたものかな――」
成果は思わしくなかった。
ホーエンハイムが寄越した使者が帰った後、俺とアンナは当の伯爵家次男坊と、ホムンクルスが滞在しそうな場所を虱潰しに当たっていた。
移民局のデータベースも当ってみたが予想通り、クリストフ・フォン・シュタウフェンベルクなる人物が入国した事実は、記録上存在しなかった。
相手は高度な魔術師だ。
暗示を使って入国審査官の意識を操るぐらいは造作もないことだっただろう。
だが、キンケイドの偶然による目撃情報から入国した日はわかっていたので、監視カメラもあたった。
こちらは欺ききれなかったらしい。
人ごみに紛れ、ジャマイカ駅までエアトレインに乗った2人は、E線に乗り換えてグランドセントラル駅で降りたことが確認できた。
その後の足取りは全くつかめなかったが、おそらく2人はマンハッタンに居ると考えていいだろう。
アンナは探す場所の方針をあらかじめ決めていた。
「魔術師ってのは大抵が金持ちだ。魔術の研究には莫大な金と時間がかかるけど、奴らに金稼ぎをしているような時間はない。
だから、名門の魔術家系ってのは大抵が唸るような財産を持ってる名家だ。
シュタウフェンベルク家は小国の国家予算に相当するぐらいの金を持ってると聞いたことがある。
そういう家系で生まれ育った坊ちゃんなら、逃亡中でも高級な生活は捨てられないはずだ」
「その理屈、どのぐらいの確信を持って主張できる?」
「前にローマで"仕事"をしたことがあるんだけど……」
アンナは眉を顰めながら言った。
良い思い出ではないらしい。
「その時の依頼主がオリヴァー・クロウリーっていう絵に描いたような高慢なボンボンでね。
そこの跡取りが仕事を完遂するまでの監視役として同行してたんだけど、
そいつ、滞在中、どこに泊まってたと思う?」
さあ?そういう人種に縁がないからわからないな、と俺は言った。
「老舗ホテルのワンフロア貸切だよ。それも2週間もね。
こっちは報酬を渋られてホステルの堅いベッドで毎日寝起きしてたって言うのに。
経費を削りたいのなら、依頼側でも多少は我慢してほしかったところだね」
「ああ、まったくだな」
「まあ、ともかく。名家の魔術師ってのはそういう人種だ。
クロウリー家に関わらず、私が知ってる名家の人間ってのは大抵がそうだ。」
アンナは苦い思い出にまだ怒りが収まらないらしい。
彼女はすぐヒステリックになるような性格ではないが、
今は余計なことを言わない方がよさそうだ。
俺はただ、「そうか」という一言に感想を留めておくことにした。
「まあ、そういうことだから、探すべき場所は決まってる。
まずは高級ホテル、高級アパート、そういう金持ちが滞在しそうなところを中心的に当たろう。
伯爵家の坊やを満足させる場所はこのニューヨークでもそうはないだろう」
アンナの判断は妥当に思えた。
俺は素直にその方針に従うことにした。
だが、結果は思わしくない。
金持ちが滞在しそうなところは片端から当たったが、
今のところ魔力の痕跡どころか、カスすら探知できていない。
俺とアンナは手分けしてマンハッタン中の高級エリアを歩いて回り、
今日もまた空振りに終わっていた。
「この事件……」
「あんたはどう思う?」
「研究意欲旺盛な魔術師が、高性能な実験台を持ち出して家出したってとこじゃないか?」
「本当にそうなのかな?」
「どういうことだ?」
「私たちはここまで、典型的な名門の魔術師が典型的な名門の魔術師の思考で動いていることを前提に捜索を進めてきた。そうだね?」
「ああ」
「でも、そうじゃないとしたら?」
「――そうだな。実は俺も引っかかってた。シュタウフェンベルクの伯爵様が、お前の言うとおりの人物像なら、公共交通機関での移動は避けるんじゃないかってな。
だが、実際のところ、伯爵様は庶民に紛れて電車移動して、グランドセントラル駅で姿を眩ました。人物像を見誤ってたのかもしれないな」
「そうだね。まったくその通りだ。でも、じゃあ、次の手は?私は、生憎とアイディアが在庫切れだ」
「俺に一つアテがある」
××××××××××
「よお。超能力刑事。」
でっぷりとした体躯で眼鏡をかけた男――俺の訓練兵時代の同期でファルコという名の馴染みのタブロイド紙の記者だ――は言った。
「おまえ、ダイエット計画はどうしたんだ?」
「ああ、ダイエットの一環として野菜を食うことにしたぜ。
今じゃ、何を食っても付け合わせはポテトだけだ」
ファルコは巨体を揺らしながら、堂々とそう言い放った。
こいつにそのダイエット計画の根本的な欠点を懇切丁寧に毎日説明しても理解する日は来ないだろう。
――魔術師は基本的に自らの術を隠そうとする。
だが、慎重に魔術を行使しても時にその行動は誰かの注意を引くことがある。
そう、たとえばタブロイド紙の記者の。
軍で報道員をやっていたファルコは、そのころから除隊したらジャーナリストになると公言していた。
いつも卑猥なジョークばかり言っていたファルコとジャーナリズムの間に俺は接点を見いだせないでいたが、奴がタブロイド紙の記者になったと聞いてなるほどと思った。
アンナの仕事を手伝うようになってから、俺はファルコがツバをまきちらしながら得意げに話す与太話に時折役に立つ情報が混ざってることに気づいた。
それ以来、旧交を温めるという名目で時々こいつから話を聞くようにしている。
俺が予想外に自分の話を聞きたがるので――このニューヨークでもこいつの話に耳を貸す人間は限られている――いつしかファルコは俺のことを超能力刑事と呼ぶようになった。
実際、俺が魔術を扱えることなどファルコは知らないので、無論ジョークだが。
「今日はアンナも一緒なのか?相変わらずいいケツしてるな!」
ファルコは両手で大きな桃のジェスチャーを描きながらそう言った。
こいつがごく稀に有益な情報をよこすことを知って以来、アンナも時折、俺とともにファルコの元を訪れるようになっていた。
そして、ファルコはアンナに会うたび、挨拶代わりに卑猥なジョークを言うようになっていた。
アンナのことは市警のコンサルタントだと言ってあるが、勿論、魔術師であることは知らない。
「ありがとう。そう言ってくれるのはあんただけだよ」
アンナは微笑してあっさりとそう言った。
完璧なあしらい方だ。
ファルコが専門的に扱うのは超常現象の類だ。
怪しげな目撃情報をかき集めてきては扇情的に書き立てて記事にしてしまう。
ファルコの記事を信じるならば、ヤンキースタジアムの上空は毎日UFOが飛んでいるし、真夜中のワシントン・スクエアは幽霊だらけだ。
下水道には白いワニがひしめき合っていて、ニューヨークの街全体はフリーメイソンに支配されている
だが、実際そんなことはない。そのことは、何よりも書いた本人が1番よくわかっていることだろう。
こいつはまっとうな刑事としての仕事ならばまずアテにならない情報源だが、
こと、こういう分野の仕事の場合に限り、インターリーグで打席に立ったアメリカンリーグのピッチャーの打率程度の確率で有益な情報を寄越すことがある。
実際、お尋ね者魔術師と人身売買組織のコンビを捕まえたことがあったが、その時はこいつのいかにも胡散臭い情報が多少の役には立ってくれていた。
もっとも本人は自分の情報が役に立ったことがあるなどとは夢にも思っていないだろうが。
「で、今日もおれのホットな特ダネをご所望か?お前さんが今夜のおれをホットにしてくれるなら考えてもいいぜ!」
「いいけど、あんたのその腹の下で情けなく縮こまってるJohnson、一体どうやって使うつもりなんだい?
その問題だけ解決してくれるなら考えてもいいよ」
「まったくだ!」
そう言ってファルコは"下品な"という以外の形容詞が思い浮かばないような下品な笑顔を二重アゴが張り付いた顔面に浮かべて、ツバを半径1フィートにまきちらしながら笑った。
「フラれちまったな。ファルコ。報酬ってほどのもんでもないがこいつで一つ手を打ってくれないか?」
俺は近所の黄色いロゴで有名なチェーン店で買ったキングサイズのコーラを差し出した。
「さすが、我が戦友パトリック・ケーヒルだ。後でお前のケツにキスしてやるぜ!」
そう言うとファルコは俺からコーラを受け取り、ストローもつかわずに一気に飲み干した。
飲み干すと、マンハッタン中に響き渡るような音で盛大なゲップをした。
「さて、何が聞きたい?」
「何でもさ」
「いいぜ、お安い御用だ!」
ファルコが得意げに語り始めた"トクダネ"とやらはいつもの記事と何ら変わらない類いのものだった。
UFOが飛んでいるのがヤンキースタジアム上空からシティーフィールド上空に変わり、ニューヨークを陰で支配しているのがフリーメイソンからオプス・デイに変わっているだけだった。
だが、一つだけ興味深いものがあった。
「グランド・セントラル駅でな……」
「なんだ、駅は地下何階まで存在するのかってネタか?お前も飽きないな」
「違う違う、そうじゃねえよ。」
「じゃあ、なんだ?」
「最近2人組の幽霊がよく目撃されてるんだ」
「へえ、それで?」
「その幽霊の風貌ってのが変わっててな、男と女の2人組なんだが、
女のほうは銀髪でアルビノみたいな白い肌をしてて眼は琥珀色だっていうんだ」
まさかの当たりだった。
俺とアンナは顔を見合わせた。
「地下鉄のプラットフォームを根城にしてるホームレスが証言してるんだが……」
そう言って、ファルコはメモ帳を開いた。
「ふと気づくと、線路わきから音もなく二人組が現れた。
男は金髪に碧い目で、女は銀髪に琥珀色の眼だった。
しこたまウォッカ飲んで酔っ払ってたから、定かじゃないが
ドイツ語だかフランス語だが、どっかの外国語で話してた気がする。
気が付くと二人の姿は消えてた。ありゃあ絶対に幽霊だ」
「それだけか?」
「それだけだ。」
「お前、そのネタ、ウラはとったのか?」
「ウラ?そんなもの取るわけないだろ!こういうのはな、ウラをとらないから夢があるんだよ!」
――やれやれ、助かった。
こいつは時々、魔術の世界に知らずの内に首を突っ込んでしまっていることがあるが、おそらく、こいつの口を封じに来るような暇な魔術師はいないだろう。
「ありがとう。ファルコ。またな」
「なんだ、もういいのか?まだとっておきのヤツを話してないぜ?」
「その話はまた今度な」
残念そうに肩をすくめるファルコを背に俺とアンナは足早に立ち去った。
「ケーヒル!気をつけろよ!ナチスの残党が風水でニューヨークを支配するぞ!」
そう、ファルコが背中越しに叫んだ。
「おまえ、さっきはオプス・デイが支配するって言ってただろ?」
「そうだったっけか?」
まったく幸せな奴だ。
「思わぬところに正解が転がってたね」
「ああ、そうだな」
「酔っ払いのホームレスの証言に、タブロイド紙の記者の記事。
ホーエンハイムも見逃すわけだ」
「ホームレスに二人の姿が見えた理由は?」
「恐らくだけど、泥酔したことで一時的に脳が魔力を感知できる状態になって
たまたま結界の魔力と波長が合ったんだと思う。
珍しい例だけどあり得ないことじゃないね」
「――しかし、グランドセントラル駅から出ていなかったとはな。
グランドセントラル駅以降の足取りが掴めなかったのも当然か」
「そうだね。私も完全に盲点を突かれてたよ。
でも、おかげで捜索の必要があるエリアが絞れた。今夜にでも行ってみよう」




