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magus hunter 紐育魔術探偵事件簿  作者: ニコ・トスカーニ
『少年と鬼』 ―Tokyo nightmare―
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『少年と鬼』―Tokyo nightmare -5―

 トーキョーを出発しおよそ2時間。

 私はナゴヤステーションに降り立っていた。


 ナゴヤから目的地への乗り継ぎにはまだ時間があった。


 私は駅の近くにあるカフェに入りコーヒーを注文した。

 コーヒーには厚切りのトーストとボイルドエッグが付いてきた。


 トーストもボイルドエッグも何の変哲もない味だったが

 よくローストされたコーヒーはなかなか悪くなかった。


 朝食を済ませ、ナゴヤから電車を乗り継ぐ。

 ナゴヤ市街を離れると景色はゴミゴミした無個性なピル群から長閑な田園風景へと変わった。


 私は800万人の人口を擁するニューヨークで生まれ育った。


 カントリーライフに憧れたこともしてみたいと思ったことも一度たりともないが

"仕事"を引退したらニューイングランドのケープコッドあたりで悠々自適というのも悪くはないかもしれない。


 2時間後、電車を降り駅から目的地にはタクシーで向かう。

 タクシーの運転手はやはり英語が話せなかったが外国人の私を見ても特に慌てたそぶりは無かった。


 場所柄、外国人観光客が多いからだろう。


 およそ15分後、私は日本式の巨大な神殿の前に立っていた。


 ノースカロライナのインゲン畑のように巨大な敷地内を散々迷ったあげくレセプションに辿り着き

目的の人物を呼んだ。


 応対したシャーマニストの装束を着こんだ若い女はやはり英語が話せなかったが

"奴"の名前を出すと私を待合室のような場所に通しここで待つように言った。


 待合室は白を基調にした簡素だが

 清潔感のある部屋だった。


 待つ間、女がグリーンティーと楕円形をした黒いペースト状の菓子を出してくれた。

 その黒いペースト状の何かをプレート上に置かれた木の棒のような物で切って口に運んだ。


 菓子はニョッキのような弾力があり黒いペーストには高級で控えめな甘さがあった。

 なかなか悪くない。

 ナゴヤのモーニングもそうだったがこの国の食文化も捨てた物じゃないな。


 私はその黒い何かを平らげると渋いグリーンティーを飲み干した。


 目的の人物――風宮和人が現れたのは

 私が2杯めのグリーンティーを飲み干してすぐだった。


「久しぶりだなロセッティ」


 その身長5フィート5インチほどの小柄で目つきの悪い日本人は明瞭な発音だが嫌味な響きのするBBC英語で

私にそう挨拶した。


 カゼノミヤという人物について――

 これは私が耳にした断片的な情報を合わせた話だ。


 カゼノミヤは由緒正しい神の血を引く一族の末裔だが奴は直系からは縁遠い、ほぼ普通と言っていい家庭に生まれた。

 しかしながら、先祖の血を一際濃く受け継いだために化け物じみた魔力量を持ち、巨大すぎる力がしばしば周囲の人間を傷付けた。


 10歳になる頃には一族の術者の手にも負えなくなり厄介払いの形でソサエティに引き取られた。


 イギリスに渡ったカゼノミヤは西洋魔術を学び自らの能力をコントロールする術を身につけると

圧倒的な戦闘力を手にソサエティ直轄のハンターであるパニッシャー(断罪人)としてキャリアをスタートさせた。


 通常、外法を行った魔術師は私達フリーのハンターがソサエティから委託を受けて追うことになるが

時折、ハンター達の手に負えなくなるケースが出てくる。


 そんな時がパニッシャーの出番だ。


 彼らパニッシャーは少数部隊ではあるものの圧倒的な戦闘力を持って

外法を断罪する執行者として魔術業界では大きな存在感を持っている。


 私が奴と出会ったのは5年ほど前、ルーマニアの森林地帯でだった。


 人間の記憶と経験を物質化し容易に保存する研究をしていたミヒャエル・ポペスクは研究の成果を見届けるためには時間が足りないことに気が付き自らを吸血鬼化し寿命を延ばすという素晴らしいアイデアを思いついた。


 東京で遭遇した鬼もそうだが、この世界には空想上のものと考えられているが、一部の人間なら実在を知っている生き物が存在する。


 サンタクロースや誠実な政治家のようなおとぎ話の生き物が本当に存在するのかどうか私は知らないが、

そういった神秘の世界の生物の中でも特に良く知られているのが吸血鬼だ。


 19世紀の終わりごろまでは吸血鬼がエサとして人間を襲う例が絶えず、

魔術師の中には吸血鬼狩りを専門とするものもいたらしいが

20世紀に入って輸血技術が確立されると、彼らは人を襲わずともたやすく血を得られるようになり、人間と吸血鬼の間では

相互不可侵の紳士協定が出来上がった。


 吸血鬼は人間とそれほど変わらない外見を持つが、人間では遠く及ばない身体能力を持ち、多くの者は強力な魔術を使う。


 そして長寿だ。


 そのため、ポペスクに限らず吸血鬼への転生を試みるものは後を絶たない。

 ――だが、成功したという話はほとんど聞いたことがない。


 ポペスクの転生は失敗。

 出来上がったのは血だけを追い求める半妖怪だった。

 吸血衝動を抑制できなくなったポペスクは欲望のままに行く先々で住民の血をすすり

討伐対象のお尋ね者にめでたく指定されることになった。


 追われる立場となったポペスクは母国ルーマニア・トランシルヴァニアの山岳地帯に逃げ込み

そこに住まう野生動物たちを自分と同じ出来そこないの吸血鬼化して使役し、

森の中に王国を築き上げていた。


 私と父はポペスクを捕えるためにルーマニアに渡り奴が籠城する山に入ったは良かったものの

いつもとは勝手の違う野生のハンターとの戦いの上、相手は森林という自然の結界と圧倒的な物量を活かして

ゲリラ戦をしかけてきた。


 山に籠って1週間ほどで食料も水も尽きてきた

 視界が悪く、いつ襲撃されるかわからない状況での籠城戦は肉体的にも精神的に堪えるものがあった。


 私たち親子はポペスク捕獲を諦め付近一帯を爆破して撤退することを決意した。

 音と爆炎で敵から居場所が丸わかりになるリスクはあったがやむを得まい。


 そしてそのアイデアを実行しようと試みたとき奴が現れた。


「下がっていろ」


 そう言うと奴は体を屈めて野生動物たちの視界から逃れようとしていた私の前に立った。


 丸腰で突っ立っていたカゼノミヤの姿は野生のハンターたちからは格好の的に見えたはずだ。


 唸り声を上げて獰猛な肉食獣たちが襲いかかってくる。

 奴が―無造作に腕を振るうと―無数の風の刃が発生し襲いかかってくる憐れな動物たちを次々とミンチにしていった。


 カゼノミヤが何体目かの吸血オオカミをハンバーガーパテにぴったりなひき肉に変えると

 獲物の思いがけない戦闘力に怯んだのか攻撃が1時止んだ。


「あなた方親子がなかなか成果を報告してこないので

ソサエティがしびれを切らしましてね。

それで私が派遣されたわけです。」


 心底面倒そうに自分が現れた理由を説明すると奴は続けて父にこう言った。


「ミスターロセッティ、状況を説明してください」


 父は簡潔に奴にあらましを説明した。

 その間、私にもいくつか質問をしてきたが、父を"ミスター"と呼んだのに対して、私はただの"ロセッティ"だった。


 話が終わると嫌味な響きがするBBCイングリッシュでカゼノミヤは言った。


「つまりこのあたり一帯。目に見える範囲を破壊すれば良いわけだな」


 私も父も奴の発言に我が耳を疑った。

 しかし次の瞬間にはそのいささか乱暴なアイディアが実行に移されていた。


 決着はあっという間だった。

 カゼノミヤの全身に巨大な魔力の奔流が現れると、超人ハルクも両断できそうな特大の刃を無数に展開し四方に放った。


 後に残ったのはバンガローが何軒か建てられそうな大量の木材とハンバーガーの繁盛店が1日使っても余りそうなほどの

大量の得体のしれない動物たちのミンチ肉だった。


 グリーンピースの関係者から猛烈な抗議を受けそうな光景だ。


 勿論、ポペスクの肉体も得体のしれない動物との合びき肉となって含まれていたはずだが

その全くもって食欲をそそらない肉の塊の中に手を突っ込んで憐れな外道魔術師の肉片だけを選り分ける作業に時間を割く気には

私も父もなれなかった。


 いささか以上に強引な解決方に呆気にとられはしたがお陰で助かったのも事実だ。

 私たち親子は素直に奴に感謝を述べた。


 カゼノミヤは表情1つ変えずに言った。

「礼には及びません、ミスターロセッティ。

このような泥仕事もnoblesse oblige(高貴な者の義務)ですので。」


 私と父は顔を見合わせた。

 我々の顔に浮かんでいたのは同じ感想だった。


Asshole(嫌な野郎)だ」


 その後、"仕事"で何度か顔を合わせるようになり図らずも奴とはあまり好意的ではない知人になった。

 なにより幸運だったことは1度たりともカゼノミヤと敵対する立場にならないで済んだ

ということだろうか。


 最近のことだが、奴は男系の後継者が途絶えた本家からの要請に応える形で今の職についた。

ソサエティは当然カゼノミヤを惜しんだがそれも当然だ。


 歴代パニッシャーの中でも指折りの存在だった人間を失うのは痛手に違いない。


 しかしながら、他宗教の神職に就任しようというのを止めるのは内政干渉でもある。

 それに、こんな豊富なマナを抱える地を管理する人物にコネができるのはソサエティとしても悪くはない事ではあったはずだ。


 そのような政治的意図も絡み合って奴は今、私の前に座っている。


 私は目の前の痩せぎすで人相の悪い男に言った。


「単刀直入に聞くよ。

状況は今朝、伝えた通りだけど…

あんたなら今回の相手について何か見当がついているんじゃないのか?」

「役小角という名前を知っているか?」


 "エンノオヅノ?"聞き覚えのない名前だ。

 私は「知らない」と答えた。


「役小角は日本の高名な呪術者だ。強大な霊力を持ち

前鬼・後鬼という2体の鬼を操ったと伝えられている。

お前の言っている術者は恐らく役小角の末裔だろう。

他に鬼を使役する家系があると聞いたこともないしな。」


 なるほどオニを使役する術者の末裔か。

 では次の質問だ。


「奴は何故霊体喰いなんて行いをしている?」

「お前も知っての通り、霊体喰いは人にあらざる物の力を高める。

あの一族はどちらかといえば仏門に近い存在でな、私も内情を詳しくは知らんが――

近々代替わりがあるという噂を耳にした記憶がある。

大方それで内輪もめが起きて力が必要になったとか、凶行に及んだ理由はそんなところだろう」


 奴は"そんな俗事には興味が無いね"というような顔でいかにも関心がなさそうに言った。

 本当に興味がないのだろう。


 カゼノミヤにとって術者が使役するペットのために子供の霊体を犠牲にすることは

私にとってニューヨーク・ニックスの試合結果と同じくらい関心を引かれない出来事なのだろう。


 やはりこいつとは相いれないな。

 私はそのことを再確認し

 話は終わった。


 何もかもすっきりとまではいかないが相手の正体と目的が大よそ判明しただけでも

収穫と言えるだろう。


 私は奴に礼を言い立ち去ることにした。


 奴の返答は意外なものだった。


「ロセッティ。お前まだ時間はあるか?」


 何の用だ?

 まさかアメフト観戦しながら一緒に庭でバーベキューって柄でもないはずだが。


 私は答えた。


「明日トーキョーに戻れれば問題ないが……」


 "そうか"の後に続く奴の言葉はさらに意外な物だった。


「お前、野球は好きか?」


 それから数時間後、我々は蔦の絡まるリグレーフィールドに似た球場で

トーキョージャイアンツとオーサカタイガースのナイトゲームを観戦していた。


 カゼノミヤの服装は黄色と黒の縞模様に虎の大きなロゴの入ったスタジアムジャンパーと

目がチカチカするような蛍光色のチノパンツという、ゲイのパレードを思わせる組み合わせだった。


 意外にも奴はオーサカタイガースの熱狂的なファンだった。


「この地方に住んでいる人間はな、タイガースを応援しなきゃならないって

法律で決まってるのさ」


 と奴は言った。

 多分ジョークだとは思ったが、私はこの男がジョークを言ったところを見たことがなかった。


 もしかしたらこの国には本当にそんな法律があるのかもしれない。


 なのでただ一言「そうか」とだけ言っておいた。


 私の反応に対して特にカゼノミヤはなんの感想も持たなかったようだ。


 カゼノミヤがタイガースを応援しているので便宜的に私はジャイアンツを応援した。


 ジャイアンツのスターティングピッチャーは中々の好投手だった。

 常時90マイルの前半程度を計測するファストボールと多彩な変化球をコントロール良くゾーンに投げ込んで

淡々と打者を打ち取っていた。


 ゲームは終始ジャイアンツが押し気味に進んでいたが両チームとも決め手を欠いたまま終盤までもつれた。


 7回の裏、タイガースはエラーとフォアボールでチャンスを作った。


 打席に立ったのは小柄で貧弱そうなセカンドベースマンだった。


 ジャイアンツのピッチャーは2球であっという間に追い込んだ。

 そして3球目、高めにピッチドアウトしたファストボールを小柄なセカンドベースマンが振りぬくと――

フラフラと上がった打球は風に乗ってレフトスタンドの最前列に飛び込んでいった。


 クソッ

 私は日本に来て何度目かになる悪態を心の中でついた。


 試合後、私はカゼノミヤとキョウトの日本式高級レストランにいた。

 どの料理も色鮮やかで美しく、そして味がしなかった。


「どうだ?」


私は正直に答えた。


「なんの味もしないね」


 奴はいかにも呆れたという様子で大袈裟に肩をすくめて言った。


「全くもったいないことをしたな。お前たちアメリカ人が知覚できるのは

ハインツのケチャップとハンツのバーベキューソースだけだということを忘れていたよ。」

「好みの問題だろ。――ところで」


 私はずっと気になっていた疑問を投げかけた。


「どうして、今日は私を連れまわしたんだ?あまりにも素晴らしい接待をされたんで、自分が合衆国のファーストレディにでもなった気分だったよ」

「はるばる海外から来た"友人"に心ばかりのもてなしをした。それだけだ。他意はない」

「そいつはどうも」


 奴の言うことを真に受けたわけではないが私はとりあえずおざなりな礼を口にした。


「こいつを忘れるところだった」


 象をダイナーに連れて行って好きなだけ注文させてもチップ分くらいは残りそうなほど高い

会計を済ませると、去り際に奴は私にギフトを渡した。

(驚くことに会計はカゼノミヤ持ちだった)


「なんだ、こいつは?」


 ギフトは謎の文字が書かれた紙切れだった。


「私が作った呪符だ。対象を"縛る"効果がある」

「そいつは感動的な機能だけど、私は日本語は"アリガト"と"カローシ"ぐらいしか知らないよ?

それに、あんたたち日本人はやたらとプロセスにこだわるだろ?

何か面倒な手続きとかがあるんじゃないの。

トーキョーの本社にお伺いを立てなきゃ術式が起動しないとか」

「心配には及ばない。その札に書かれている文字は"言霊"と言ってな

文字自体に魔力が宿る。お前が使うルーン魔術みたいにな。

使う時には念を込めてキーになる言葉を口にするだけだ。」

「なるほど。で、その言葉は?」


 カゼノミヤが教えてくれた言葉は実にシンプルで口にしやすい短い音だった。


「私が出張れば話は早いんだがな、こちらも神に仕える身だ。

簡単には動けんのでな」


 "健闘を祈る"の後にその余計なひと言を付け加えて奴は城のような我が家へと戻っていった。


 いちいち癇に障る奴だ。


 それに、あのご面相は"神に仕える身"というよりジャパニーズマフィアのヒットマンだな。

 私はそうひとりごちて今夜の寝床を探すことにした。


 翌日の早朝、私はトーキョー行きのシンカンセンに乗っていた。

 さあ、ケリをつけよう。


最後まで閲覧いただきありがとうございます。

次回でこのエピソードは完結です。

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