『少年と鬼』―Tokyo nightmare -2―
目的の家はやはり狭苦しく無個性な住宅だったが、閑静な住宅街の端の方にあった。
ハマーあたりで乗り付けたら両側の家の軒先を破壊してしまうそうなほど狭苦しい道幅の通り沿いにある、
これまた狭苦しいパーキングに、ヒノサキは悪趣味なカラーリングの愛車を停めて目的の家に向かった。
クライアントであり、そして18番目の犠牲者の母親でもある女はサトウヒロコと言った。
彼女は私より一回りは年上のはずだが、どう見ても同世代にしか見えなかった。
日本人というのは全員年より若く見えるのだろうか。
憔悴しきった表情のヒロコにヒノサキは例の――私からすればいかにも胡散臭い笑顔で――
「心中お察しします」とかいうような慰めの言葉をかけた。
ヒロコはヒノサキのことを信頼しきっている様子だった。
私からすればヒノサキほど信用できない人間もそうはいないと思うのだが、
とにかく奴はクライアントからは絶大な信頼をおかれているようだった。
一方で、ヒロコは私の顔を見るといかにも不安げな表情を浮かべた。
「ところでそちらの方は?」
表情を見ただけで何が言いたいのかよくわかる。
無理もない。
彼女からすれば私は正体不明な外国人に過ぎない。
ヒノサキは30種類ほどあるクライアント用の胡散臭い笑顔をナンバー17に切り替えて言った。
「この手の事件に詳しい私の友人です。力になってくれます」
"この手の事件に詳しい"は事実だが
"友人です"は事実と明らかに反している。
だが、反論して無闇に不安感を煽っても誰も得はしない。
私も大人だ。
その程度の常識は弁えている。
私は言った。
「ご安心ください、マダム。お子さんは必ず助けて見せます」
ヒノサキが私の言葉を訳するとヒロコはようやく少しはこちらを信用する気になったらしい。
「よろしくお願いします」
そんなような事を日本語で私に伝え日本式に頭を下げた。
ヒロコの話から大した情報は得られなかった。
公園で娘を――娘は8歳で名前はサチコと言った――遊ばせていたところ突然目の前にあった何かが知覚できないような
そんな妙な感覚に捉われた。
気が付くと先ほどまでいた場所で我が子が昏倒していた。
すぐに病院に連れていったが、原因不明のまま今も眠り続けているとのことだった。
「直ちに調査を開始します」
そう伝え我々はその家を後にすることにした。
ヒロコは玄関まで見送りに来た。
その時二階の階段から小学校低学年と思われる少年がこちらの様子を伺っていることに私は気が付いた。
少年は私が見ていることに気が付くと顔を引っ込めた。
私は尋ねた。
「マダム、あの少年は?」
ヒノサキが通訳するとヒロコはこう教えてくれた。
「長男の幸一です。幸子の双子の兄なんです」
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「この件どう思う?」
パーキングまでの短い道のりを歩きながらヒノサキは私にそう尋ねた。
「どうもこうもないね。この事件は間違いなくこちら側の領分だ。
人払いの結界に、どうやったのか、方法はわからないが――
何者かが健全な児童たちから霊体を抜き取り、
その健全な霊体を何かに"喰わせた"そんなところだろう。
正体も目的も不明だがな」
ヒノサキは私の推論に何も言葉を返さなかった。
概ね奴の想像の範囲内だったのだろう。
パーキングにたどり着き、目玉の飛び出るような駐車料金を支払って
悪趣味なカラーリングのヒノサキの愛車に乗り込もうとした時だった。
何者かが私たちの方に走り寄ってきた。
音の主の方を振り向くと、先ほど家で2階から我々を見ていた少年――コウイチといったか――
が立っていた。
少年は英語で、それもEngrish(日本語英語)ではなく、中国語のような響きのある妙な訛りで言った。
「あの!」
ヒノサキは例の胡散臭い笑顔をナンバー8に切り替えると、少年のそばにかがみこみこう言った。
「どうしたの坊や」
「おばさんたち、妹のことを助けてくれるんですか?」
"おばさんたち"?
"おばさんたち"とは私たちのことだろうか?
私はまだギリギリとは言え20代だ。
おばさんはひどい。
だがヒノサキは特に気にしなかったようだ。
「そうだけど、何か"お姉さん"たちにお願いかな?」
前言撤回。
ヒノサキの口調にはわずかに――ほんのわずかだが――怒りが感じられた。
少年はかぶりを振った。
だが特に"お姉さん"の部分は気に留めなかったようだ。
そして、僅かな逡巡を浮かべた後、意を決してこう言った。
「サチは…妹は…鬼に食べられたんだ!」
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私とヒノサキ、そしてコウイチ少年の3人は、「M」の黄色い看板の世界中どこにでもあるハンバーガーショップのチェーン店に入った。
コウイチはオレンジジュースをヒノサキはコーヒー豆をケチっているとしか思えない黒いコーヒーに似たケミカルな液体を
そして私はコーラとチーズバーガーを注文した。
この店は偉大だ。
世界中どこに行っても同じ味の物が出てくる。
このペシャンコのジャンキーな味のバーガーも
砂糖の塊のようなドリンクも今の私の心を慰めてくれた。
コウイチ少年の話はこうだった。
あの事件の日、コウイチ少年と妹のサチは、公園で四葉のクローバーを探していた。
どちらが先に発見できるか競争していたらしい。
実に心温まる光景だ。
額縁に入れて飾っておきたいぐらいだ。
運が良ければMOMAに展示される日が来るかもしれない。
しばらくたつと少年は自然の欲求を催した。
だが、残念ながら公園にトイレはなかった。
やむを得ず、彼は奥の草むらまで行き、用を足すことにした。
あまり褒められた行為ではないが仕方があるまい。
8歳にもなって粗相をしてしまうことは少年のプライドが許さなかったのだろう。
草むらに隠れて用を足し1息付くと少年は妹の元に戻ろうと考え、そして妙な光景を目にした。
妹の傍らにはモノトーンの衣装に時代劇で見るような編み笠をかぶった男と赤銅色の巨人が立っていた。
もう1つさらに奇妙だったのは、いつの間にか周りから人がいなくなっていたということだ。
少年はとっさに木陰に身を隠し、様子を伺い続けた。
男が何か呪文のようなものを唱えると妹の体がボウッと光ったように見え、淡く光る「何か」が体から飛び出していった。
そして妹は――糸が切れた人形のように倒れこんだ。
妹の体から飛び出した"何か"を巨人はつまみ丸呑みにした。
全てが終わると2人は音もなく去って行った。
その時コウイチ少年は感じた。
自分の半身が引きちぎられて遠ざかっていくような感覚を。
「妹はあの巨人の中にいる」
コウイチ少年はそう確信した。
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人払いの結界に怪しげな術者、赤銅色の召喚獣のような何か――少年はオニと呼んでいたが――
霊体喰い、そして双子のシンクロニシティ。
ビンゴだ。
私の第6感は「この先危険、侵入注意」というハザードランプをこれ以上はないほどに点滅させていた。
だが「お疲れさん。じゃあ私はこれで」というわけにもいくまい。
何せ文字通り自分の左腕がかかっているのだ。
それに、今の話には特に気になる点が2つあった。
まずはそいつを確認してみよう。
「坊や。ちょっとごめんよ」
私は可能な限り優しくそう告げると
少年の頭に手を置き解析を始めた。
解析はあまり得意ではない。
私は解析を得意とするニヤケ面の友人のことを思い出した。
彼ならば皮肉の1つ2つを言いながら鮮やかに処理していたことだろう。
間違いない。この子は魔力を持っている。
未発達で魔力量も少ないがこれで1つ疑問は解けた。
魔術に対する抵抗力があったからこの子は結界の影響を受けなかったのか。
私は手を離し、そして少年の不思議そうな瞳が私をとらえた。
「ありがとう。わかったよ」
コウイチ少年の顔には
「どういたしまして」と「何が?」
という言葉が浮かんでいたが声にして発することはなかった。
控えめないい子だ。
「さて、聞いていいかな?」
少年は頷いた。
「まず、妹さんのとのシンクロニシティだけど―
知覚できる範囲はどれくらい?」
「わからない。…でもそんなに遠い距離は無理だと思う。あの時も姿が見えなくなってからちょっとして
妹の感覚も消えたから…」
なるほど、探査機としての性能は「無いよりはマシ」といった程度か。
だがそんな程度のものでも、あるに越したことはない。
パトリックも術者としての能力はかなり心許無いが意外と役に立っているのは疑いようもない。
――そう、時折夜中に叩き起こして彼の安眠を妨害する程度には。
今日もニューヨークのどこかで職務に勤しんでいるであろう相棒に思いを巡らしつつ私はもう一つの
――こちらは事件とは関係ないことだが――疑問を少年にぶつけた。
「そういえば坊や。英語はどこで?」
「シンガポールだよ。僕もサチもシンガポールで生まれたんだ。去年まで家族みんなで住んでた。」
なるほど、あの妙な響きの英語はSinglishだったのか。
「坊やのママは英語が話せないようだったけど?」
「お母さんは覚えようとしなかったから…」
なるほど、こういう時に子供は逞しい。
その順応力は大したものだ。
「質問は終わり?」
「ああ、上等だ。とても役に立ったよ」
「おばさんたち、お願いだ。サチを助けて。僕に出来ることなら何でも手伝うよ!」
麗しい兄妹愛だ。泣かせるじゃないか。
映画化されればニューヨーク市民の涙を搾り取るに違いない。
もっとも飽きっぽいニューヨーカーのことだ。
封切から1か月もすれば皆忘れるだろうが。
だが、変わらず私の第6感が撤退の信号を発し続けていたにも関わらず、
年甲斐なく青臭い正義感をくすぐられてしまったのも確かだった。
――やるしかないか。
私のためにも、この兄妹のためにも。
その前に1つ訂正しておかなければならないことがある。
極めて重要なことだ。
私をそれを少年に伝えるために口を開いた。
「坊や、ママから報酬は貰っている。全力を尽くすさ。安心していいよ。
ま、坊やにも少し手伝って貰うかもしれないけどね。それと――」
少年の瞳が言葉の続きを待っていた。
「"おばさん"じゃなくて"お姉さん"だ。私はいいけどそっちの"お姉さん"は
こう見えても怖い魔女なんだ。次に"おばさん"なんて呼んだらカエルに変えられちゃうからね。」




