『少年と鬼 プロローグ』 A hard night in Newark -Prologue to Tokyo episode-
新エピソードです。
全7回の予定です。
しまった。
そう思ったときにはもう遅かった。
その晩、私は一人で「仕事」をこなさなければならなかった。
父はセルビア、ロバートおじさんはエルサルバドル、パトリックは不向き。
止むを得ず、真夜中のニューアークで一人獲物を探し、狩ることにした。
標的はヤコブ・ミケルセン
デンマークの新興魔術家系出身のミケルセンは錬金術を専門とする魔術師で、練成によって本気でキメラを生み出そうとしていた。
外法な実験はたいがい、外法な結果を生み出す。
キメラの練成はうまくいかず、生産されたのは人の肉をくらう食人鬼だった。
食人鬼は騒ぎをおこし、ミケルセンはめでたくソサエティのお尋ね者になっていた。
私はミケルセンのようなゲス野郎がホームタウンにも近いニュージャージーでよからぬことを画策していることが我慢ならず
年甲斐なく青臭い義侠心に駆られてリスクマネージメントを十分にしないまま狩りに臨んでいた。
いけると思ったが、計算が甘かった。
ニューアーク空港付近の荒廃したエリアにミケルセンが潜伏していることをつかんだ私は、
さっさとケリをつけるべく、単身で乗り込んだ。
それが不味かった。
ミケルセンはどうしてか私が来ることを把握していたらしく、スラム街のチンピラたちを食人鬼にした上で従えており、
私は強烈なマークを受けるランニングバックのごとく、食人鬼の大群から襲撃をくらった。
数の暴力で対応してくる可能性を考え、いつものSIG P229だけではなく、H&K MP7を用意していたがこれは大正解だった。
食人鬼と化した人間は食欲にすべてが支配されて脳のリミッターが外れ、いわゆる「火事場の馬鹿力」を発揮する。
接近戦に持ち込むのは得策ではない。
私はアウトレンジからMP7を掃射し、放たれた4.6x30mm弾は次々と食人鬼を撃破していった。
私の圧勝と言えるほど良い状況ではなかったが、オフェンスラインを保つことには成功していた。
だが、数の暴力にはかなわなかった。
20体はいた暴徒を最後の1体になるまで倒したところで、丁寧にクリーニングしておいた
MP7がまさかの弾詰まりを起こした。
とっさにMP7を捨て、魔術を発動させようとしたが、その時隙が生まれてしまった。
最後の1体になった大柄なスキンヘッドの突進をかわした時、私にかみつこうとしたそいつの歯が左手をかすった。
――この感触は不味い。おそらく何らかの毒が仕込まれている。
選択肢は一つしかなかった。
かわしながら放ったルーン魔術の炎でスキンヘッドを嫌なにおいのするバーベキューにすると、
歯を食いしばって左手首から下に錬金術を応用して鋭利さを強化したファイティングナイフで別れを告げた。
――さようなら。
29年間ありがとう。
君は良き左腕だった。
激痛に意識を失わないよう、自己暗示で大量のアドレナリンを分泌させると、まだ遠くまで逃げていなかった
ミケルセンを死なない程度に痛めつけて動きを封じ、バッテリーの切れかけたiPhoneでこの時間に起きていて助けてくれそうな唯一の人間に連絡を試みた。
常識的には救急車を呼ぶべきだが、自分の左手首から下を切り落としたこの行為を保険会社に説明したら
間違いなく揉め事になるだろう。
これ以上の面倒は御免だった。
切り落とした左手からサルベージした血だらけの腕時計を見る。
午前0時30分過ぎを指していた。
いつもならまだ職場にいるはずだが、この時はとにかく不安だった。
1コール、2コール……
ほんの数秒が1000年にも感じる。
「もしもし」
と言って電話に出たのはモラレスという若い女性の刑事だった。
殺人課に電話して若い女性が出るとは思わなかった。
荒い息づかいを抑え、なんとか必要な一言を告げる。
「ケーヒル刑事はいますか?」
「ええっと……失礼ですが、あなたは?」
当然の疑問だ。
「アンナ・ロセッティから緊急の電話だと言ってください」
「少々お待ちください」
そう言って保留音が鳴る。
電話の保留音は歯医者の待合室でもかかっていそうなファンシーな音楽だった。
こんな状況でなければ癒されたかもしれないが、事は一刻を争う。
少々が永遠にも感じる。
「一体どうしたんだ?」
「お電話変わりました」でも「ケーヒルです」でもなく、パトリックはそう言った。
「ああ、よかった。パトリック」
「どうした?明らかに緊急事態の人間の息づかいだぞ?」
「悪いけど、状況を説明してる余裕がないんだ。一生のお願いだから迎えに来てくれないか?」
すぐに状況の緊急性を理解してくれたパトリックは、仕事を切り上げ ―いつものことだがよくこんな時間まで働けるものだ――
決して週末のレクリエーションでは来ることがないであろうニューアークまで迎えに来てくれた。
パトリックが来るまでに残りのなけなしの魔力で治癒魔術をかけていたが、出血はまだ完全には収まっていなかった。
車を飛ばして駆け付けてくれたパトリックは私の惨状に顔を蒼くしたが、
刑事になる前、海兵隊にいた彼はミネラルウォーターと食塩で即席の点滴を作り、ドラッグストアでそろえた市販品で手際よく応急処置を施してくれた。
彼が友人でいてくれることをこの時ほど感謝したことはない。
××××××
ミケルセンはソサエティに引き渡し、悪くはない額の報酬が手に入った。
だが、これから私が手に入れなければならないものは金では買えない。
「行くしかないか……」
蜃気楼でも起きそうなほど、強烈な日差しが差し込むある日の夕方、パトリックがやって来た。
左手首から下を失った私を気遣い、様子を見に来てくれたらしい。
父はまだセルビアから帰ってきていなかった。
「その傷でどこに行くんだ?」
不自由な体でパッキングをしている私を見て、パトリックが当然の疑問を口にした。
「東京」
「東京?東京って日本の東京か?」
「私が知る限り東京って名前の街は日本にしかなかったと思うけど」
「いや、それは分かってるけど、その前にまずお前が行かなきゃならないのは病院だろ?」
「常識的に考えればね。でも、お忘れのようだけど、魔術の世界じゃ常識は通じないんだよ」
「そりゃどういう意味だ?腕の良い医者以上の存在が東京にいるってことか?」
「なんだ、わかってるじゃないか」
正解を言ったはずなのに、「わからない」という顔をしてパトリックは肩をすくめた。
しかし、気が重い。
苦手なんだよな、あいつ……