ホーンティングハウス 前編
どうもお久しぶりです。
ネタ自体はだいぶ前に固まってたんですが、仕事の関係で書いてる時間がありませんでした。
というわけで、今回はニューヨークに戻ります。
舞台はニューヨーク州ロングアイランド。
いわゆる幽霊屋敷ものです。
人が生活する上でまず必要なものは何か?
異論もあるだろうが、俺は家だと思う。
物価がクソ高いニューヨークで給料の結構な割合を家賃に費やしながら、それでも「仕方がない」と割り切れるのは家が生活にとって必要だからだ。
俺の軍時代の戦友にちょっとばかり変わった男がいる。
そいつはイラクから帰った後、ロサンゼルス市警の警察官になった。最初の内はまともなアパートに住んでいたが、突如家を引き払い、古いフォルクスワーゲンのバンで生活しながら職場に通うようになった。
もともと軍でMP(憲兵)をしていたその男は刑事としても優秀で、叩き上げながら警部補まで昇格している。
いわく「家賃の支払いで悩まずに済んだお陰で仕事に身が入るようになった」そうだ。
その変人男はバンで寝泊まりする生活に概ね満足しているが、唯一不満があった。
「寝る分にはやはり屋根のある家で寝たほうがいい。回復度合いが全く違う」
そいつの話を聞いてそんなシンプルライフもいいかと思った。
だが、やはり家に住んで寝泊まりする生活の方がいい。
俺はそう悟った。
基本的にはありがたい存在である家だが、神秘の世界では時に住民や来訪者に牙をむくことがある。
今回はそういう話だ。
○
「え?今、何て言いました?」
ボスのオフィスに呼び出された俺は困惑を隠せなかった。
ボスのウィンタース警部はニューヨーク市警殺人課の刑事だ。
俺はその殺人課で、普段は主にコールドケースを担当している。
コールドケース担当になっているのはコールドケース担当には緊急の用事が発生する可能性が低いからだ。
おそらくは、上層部の誰かに魔術世界の息がかかった人物がいて、俺はこの仕事をしている。
コールドケースの担当も実際にするが、俺の本職は魔術に関する事件の調査だ。
同僚のモラレス刑事もグリーン刑事もそのことは知らない。
ウィンタース警部もおそらくは知らない。
だから、今回こうして仕事を頼んでいる警部本人も俺と同じように困惑していることだろう。
依頼された仕事の内容は凡そ殺人課の刑事が担当するようなものではなかった。
ある家――家と言うより館と言った方がしっくりくるが――の調査だ。
その館はニューヨーク州ナッソー郡にあり、家を訪れた者が怪我を負うケースが続いているという。
話を聞く限り、殺人事件でも傷害事件でもない。
人災というよりも事故だ。
となると、これは何か神秘が働いている可能性がある。
そう、上位の方の誰かが判断したのだろう。
「お前も困惑しているだろうが、私も困惑しているよ。だがこれは、ナッソー郡からの正式な要請だ」
「そうですか、ボス」と俺は言った。
警部は言った。
「あの何者かよくわからん赤毛の別嬪も一緒なんだろ?とにかく頼む」
○
こうして当然の流れで、俺はロウアーマンハッタンのロセッティ探偵事務所を訪れていた。
昼時だったので、事務所の一階にあるベーグル店でサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを買った。
こちらは仕事を頼む側だ。土産代わりにあの親子にも買っていこうかと思ったが親子は自炊してランチを済ませているかもしれない。
俺は少し思案した結果、近所のデリでチョコレートドーナツとシュガーコーティングドーナツを購入した。
ドーナツを三つ購入したのは自分で食べる分も計算してではない。
アンナが一つ食べてマシューの旦那が二つ食べることを計算したためだ。
三つドーナツを購入したのは結果として正解だった。
客人がいた。
以前、別件で協力を仰いだ、魔術師のセバスチャン・シュマイザーが来ていた。
彼はドイツ人だがシカゴ在住で、ドイツ人なのに英国人が話すような完ぺきな英語を話す。
バリバリに武闘派のロセッティ親子と違い、黒縁眼鏡をかけたいかにも学者風の青年で、実際、格闘技の経験もなければ銃は撃ち方すら知らない。
一度会っただけの仲だが、セバスチャンは相当に記憶力がいいらしく、俺の名前をミドルネームまで含めて覚えているだけでなく、俺がニューヨーク市警の
どこの分署に所属しているまで覚えていた。
「まあ、座れよ。パトリック」
部屋の主であるマシューとアンナのロセッティ親子も当然に在宅中だった。
毛むくじゃらで巨体のマシューの旦那は俺をソファに座らせると自分も座り、セバスチャンが訪問しているわけを説明した。
なんでも、相当に珍しい魔術の道具がニューヨークでオークションに流れた噂があり、シカゴからセバスチャンが応援に来て協力して捜索を行うらしい。
ロセッティ親子は腕っぷしも強いが知性にも優れており、神秘にまつわる事件を扱う万能タイプの便利屋だ。
万能なので、何でも人並み以上にこなせるが、特定分野が得意な人間には及ばない。
それでセバスチャンに協力を依頼した次第だった。
「で、モノは何なんだ?」
セバスチャンが会話に食い込んできた。
「ハンド・オブ・グローリーだ」
教養に乏しい俺はそれが何なのかよくわからなかったので、当然聞こうとした。
彼は先回りして答え始めた。
どうやら自分の得意分野について語り始めると止まらないタイプらしい。
ハンド・オブ・グローリーは魔道具の一種で、罪人の腕を切り落としたものらしい。
加えて罪人の腕が死蝋化――外気と長期間遮断された結果腐敗を免れ、その内部の脂肪が変性して死体全体が蝋状になったもの――したものを呼ぶらしい。
今回、ニューヨークに流れた噂の代物は18世紀にカリブ海を荒らしていた海賊が死刑になった後、その腕を切断し造られたものだそうだ。
相当に珍しい代物らしいが、19世紀にニューヨークに移民してきたイングランド貴族の末裔が持っていたものがどうやら最近になってひっそりとオークションに出されていたらしい。
セバスチャンの話はさらに続き、「ルルドの泉の発見で知られるベルナデッタ・スビルーの遺体が腐敗しないのも死蝋化現象によるものだ」と実例を挙げ始めた。
さらに中国やイタリアのシチリアでも実例があるとまくしたてた、
俺は頭痛がし始めた。
熱が籠り始めたセバスチャンをアンナがやんわり止めた。
「で、あんたの方の要件は?」
俺はようやく本題に入れた。
マシューの旦那が淹れてくれたコーヒーを飲みながら俺はベーグルサンド、他の三人はドーナツを齧りつつ受けた依頼を話した。
どうせなら腕利き三人に手伝ってもらいたかったが、話し合いの結果、セバスチャンとマシューの旦那が例の魔道具を捜索することになり、
俺の依頼はアンナが受けてくれることになった。
魔道具捜索は相当にギャラがいいらしく、そちらを中断するわけにはいかなかった。
しかし、ナッソー郡からの依頼もなかなかの額だった。
結局、人のモチベーションになり得るのは金銭だ。
金銭に執着しないような人物はキアヌ・リーヴスのような仙人かスティーブ・ウォズニアックのような根っからのギークぐらいだろう。
「魔道具捜索は面白そうだけど、でも、こっちもなかなか面白そうだ」
アンナは手先をブラブラさせている。
タバコを吸いたいが我慢しているのだろう。
セバスチャンが極度の嫌煙家だからだ。
粗暴だが彼女は気遣いができる。
「幽霊屋敷とは心躍るね。新しいロングアイランドの名所になるかもね」
〇
いつもの地下鉄でジャマイカ駅に向かい、ジャマイカ駅からいつもの地下鉄ではなくロングアイランド鉄道に乗り変える。
圧迫感を感じるニューヨーク地下鉄に比べ、ロングアイランド鉄道の車内はゆったりとしている。
窓からみえる景色も大きく違う。
高層ビルは遥か彼方でのどかな田舎の景色だ。
合衆国は一つの国としてはあまりにも広すぎる。
それゆえに多くの土地は田舎だ。
マンハッタンを離れてほんの30分でそれを実感する。
「ロングアイランダー」と言えば一般的にはナッソーかサフォーク、どちらかの出身者を指す。
俺とアンナが訪れているナッソー郡は全米でも有数の豊かな郡で、マンハッタンへの通勤者も多いベッドタウンの役割を果たしている。
確かにここなら夜、静かに眠れそうだとミネオラ駅を降りて思った、
俺たちは思ったよりも歓迎されているようだ。
ミネオラ駅につくと、事前の連絡通りに迎えが来ていた。
迎えの車は見れば一発で高級とわかるアストンマーティンだった。
まるでボンドカーだと思ったが、実際にボンドモデルの1965年製DB5を整備して使っているらしい。
そう説明してくれた運転手は50がらみの背筋の伸びた紳士で、いかにも元軍人に見えた。
ウィギンズと名乗ったその人物は英国訛りの英語を話し、やはり英国人だった。
俺が思った通り元軍人で、ロイヤル・フュージリアーズ連隊に所属していたと話した。
主人が英国趣味で、英国人の使用人を探していており、縁あって採用されたそうだ。
主人の名前はハワード・アラン・キング。
オカルトホラー作家として成功した地元の名士だ。
ファーストネームとミドルネームは文学好きだった父親が付けたものでハワード・フィリップス・ラヴクラフト、エドガー・アラン・ポーの組み合わせだ。
スティーヴン・キングと同じファミリーネームだったことは単なる偶然だが、ここまで来ると運命すら感じる。
キングは50本を超える小説、脚本を残しており、そのほとんどがベストセラーになった。
作家として権威ある賞をいくつも受賞し、脚本家としてエミー賞の候補になったこともある。
地元では「ニューイングランドにはスティーヴン・キングがいるが、ロングアイランドにはハワード・アラン・キングがいる」と言われるほどの名士だ。
スティーヴン・キングが熱狂的なレッドソックスファンであるように、ハワード・アラン・キングは熱狂的なヤンキースファンだったことも地元人気を押し上げている。
結局実現しなかったが、ナッソー郡の郡政府行政官にハワード・アラン・キングを推す声も挙がっていたほどだ。
やたらと広い合衆国は地元愛が強い。
ボストン・レッドソックスのオーナー、ジョン・ヘンリーは「パリにエッフェル塔があるように、ボストンにはフェンウェイパークがある」と語ったが地元民のハワード・ハラン・キングへの愛もそれと同じようなものだろう。
もっともエッフェル塔に関心のあるアメリカ人はある程度いても、野球に興味のあるフランス人はごく少数だろう。
クラシックカーのアストンマーティンはややおぼつかない足取りで長閑な町並みを通り抜けていく。
ロングアイランドは緯度の高さに反して温暖な気候だ。
加えて近郊にギラギラした世界最大級の経済都市、マンハッタンが存在している。
サフォーク郡ハンプトンズが金持ちニューヨーカーのリゾート地として発展し、ガーデンシティが金持ちニューヨーカーの高級住宅地になっているのも自然な流れというものだろう。
金持ち喧嘩せずの理屈で、富裕層の多いナッソーとサフォークは犯罪発生率も極めて低い。
毎日のように犯罪と対峙している身としては、ほんの近場なのに異世界のように思える。
車窓から町並みを眺めても犯罪の匂いは殆どしなかった。
このいかがわしさとまるで無縁な場所に調査依頼を受けた如何わしい建物がある。
そのことがこの時はまだピンと来なかった。
〇
アストンマーティンはほんの5分ほどで目的地に着いた。
車が止まったのはいかにも郊外の高級住宅といった風情のかなり大きな一軒家で、見たところ三階建てで庭にプールがある。
部屋数がいくつあるのかは想像もつかない。
この家を建てたハワード・アラン・キングは今年、75歳で亡くなったが現行の法律では死後70年まで著作権は保護される。
残された家族は一生食うに困らないだろう。
そのことについてただ羨望しか感じなかった。
俺たち客人のお世話は運転手のウィギンズから豪邸の警備員に引き継がれた。
警備員は体格が良くいかにも元軍人に見えたが、聞いてみたらやはり元軍人だった。
スタンデージと名乗った警備員はやはり英国訛りで話し、やはり元軍人だった。
故郷ではロイヤルマリーンズに所属していたらしい。
主だったハワード・アラン・キングのファンで、この仕事に就けたことを心から光栄に思っているそうだ。
「少々風変わりな方でしたが、良い雇い主でした」と彼は語った。
スタンデージの案内でスタテンアイランド・ヤンキースの本拠地よりも広そうな庭を抜け、玄関口に着く。
玄関口を入るとこの家の主人が迎えてくれた。
主人のチャールズ・キングはハワード・アラン・キングの次男だ。
長男のジョー・キングは父の才能を順調に受け継いで作家として成功し、兄ほどは文学に興味の無かったチャールズは父と兄の著作物を管理する出版社を立ち上げた。
なかなかの辣腕らしく、今ではキング親子以外の作家も抱えてかなりの収益を上げている。
映画やテレビドラマの制作も手掛けており、プロデューサーとしてアカデミー賞候補になったこともある。
彼が今回の依頼主だ。
地元の名士である彼から話が出て、ナッソー郡にまで話が広まり、こうして俺たちはここに来た。
依頼主は本題に入る前にランチを振舞ってくれた。
マイク・タイソンの拳ほどもありそうなステーキとロブスターが出た。
ステーキは日本のワギュウらしい。
普段食べているビーフがサンダルの底なのではないかと思えるほどに柔らかい、上質な高級ビーフだった。
「コーベビーフですか?」とアンナが聞くとやはりコーベビーフだった。
ここまでされると、仕事を受けた当時の「厄介ごとを抱え込んでしまった」という気持ちはどこかに消えていた。
チャールズ自身は菜食主義者らしく、サラダとスープに口をつけた程度だった。
彼は40代の半ばだがほっそりとして引き締まった体つきをしている。
成功した人物らしく、彼の話は機知に富んでいた。
独身主義者であるため、未婚だがゴシップ紙に描かれている通りプレーボーイだというのも納得がいく。
本題を忘れてしまいそうなほどゴージャスな時間だった。
だが、当然、ランチが終わると本題に入った。
調査を依頼された館はここではなく、1ブロック隣にある。
「では、行きましょう」
モダンで瀟洒で居心地のいい邸宅を離れ、俺たちは件の館へと向かうことになった。
やっぱりアメリカンな表現を考えるのは楽しいですね。
無駄話ばっかりになっちゃう。
前、後編の予定。
ある程度書いたけどまとめてる時間がない……