ニューヨークのはずれで 後編
その家にはチャイムが無かった。
古めかしい木製のドアで、網戸がついている。
おまけに他の家から離れている。
仕事熱心な空き巣だったら、真っ先に目を付けるだろう。
しかし、不思議とその家には誰かが近づくことを拒むような「妖気」とでも形容すべきものが漂っていた。
奥からは先ほどから聞こえていたフィドルの音が聞こえてくる。
デカイ図体に似合って度胸も大きい旦那が、殴られたらアメフト選手でも吹っ飛びそうな拳を振り上げてドアをノックした。
5秒経ち、10秒経ち、反応は何もなかった。
かなり大きな家だ、音が住人に届いていないのかもしれない。
出てきたのは10歳ほどの少年と少女だった。
二人からは微かに魔力を感じた。
この規模の街なら住人の多くは知り合いだろう。
明らかな余所者が出てきたことに、困惑の様子だった。
噂を聞きつけ立ち寄った町で明らかに魔力を持つ子供が出てきた。
ただ事ではない。
しかし、どう言ったものかわからない。
マシューの旦那は無難なことを思いついた。
「やあ。こんにちは。それとも夕方だから今晩はか?」
二人は行儀よく「今晩は」と返した。
旦那は巨体に似合わない柔和な口調で続けた。
そういえばこの凶悪なご面相のデカブツも人の親だった。
ヘルボーイにだって親がいるし、サノスにだって子供がいる。
誰かの子で誰かの親であることは、地球だろうとアスガルドだろうと普遍の事実だ。
「俺たちは見ての通り余所者だ。用事があってこの町に来たんだが、適当に歩いてたら迷っちまってな。ちょいと道を教えてもらえねえか?お父さんか、お母さんはいるか?」
無難な選択と言っていいだろう。
幼い兄妹のこわばった表情が和らいだ。
「ちょっと待ってね」
少女の方がそう言った。
その時、別の気配を感じた。
少女の傍らに音もなく別の少女が立っていた。
不思議な髪の色をした色白な少女で、茶色い服を着ている。
我たち三人はその少女を一見して人ではないことが分かった。
「マーサ、お父さんを呼んできてくれる?お客さんが来た」
まるでことも無く、少女は人ならざる者に声をかけた。
現れた時と同じ、音もなく消えていた。
俺たちは顔を見合わせた。
子供は感受性が鋭い。
俺たちの態度から察した様子だった。
「おじさんたち、視える人なの?」
「すごい!親戚以外の視える人、初めて見た!」
〇
マイケル・イェーツといういかにもアイルランド系らしい名前の人物が家の主だった。
先ほど魔力を感じ取ったフィドルがマイケルが弾いていたものだった。
俺たちが最初に感じ取ったのは彼の魔力だったようだ。
息子と娘はそれぞれハミルトンとカサンドラという名前で双子らしい。
マイケルは40絡みで、黒縁の眼鏡をかけていかにも人のよさそうな丸顔をしていた。
俺たち余所者に嫌悪感を見せるようなことはなく、穏やかな笑顔で俺たちにアイスティーを振舞ってくれた。
その傍らには明らかに人ではない少女が佇んでいた。
子供たちがそうだったように、マイケルにとっても親族以外で「こちら側」の人間にあったのは初めてだったようだ。
こちらに対して興味を持っているようで、「何を聞きたい?」と積極的に調査へ協力するような姿勢を見せていた。
「では」
アンナがいかにも彼女らしい率直さで質問した。
「その子はブラウニーですか?」
ブラウニーは住み着いた家で、家畜の世話をしたり家事をしたり、人間の助けをすると言われている妖精だ。
茶色のボロを纏っていると伝承では語られており、ブラウニー(茶色い奴)の名前はそこに由来する。
マイケルは頷いて肯定した。
「僕の知る限り、少なくとも曽祖父の代にはこの家に住み着いていて、"マーサ"と僕らは呼んでるよ。妻は、隣町の出身でハリー・ポッター的に言うとマグルなんだけど、目と耳に術をかけて、彼女も認識できるようにしている」
マイケルは丸顔の温顔を浮かべてそう答えた。
妖精は……"マーサ"はその隣で静かに佇んでいる。
俺たちは後ろを向いて、小声でそれぞれ私見を述べた。
「どう思う、親父」
「紛れもねえ、本物の妖精だ。雰囲気で分かる」
「目撃談についてはどういう見解なんだ?」
「この町で魔力を持ってるのはおそらく、この一家だけだ。たまたま一時的に波長が合って見えた人間が何人かいたんだろう。はっきり見えた訳じゃないからタブロイド紙の記者ぐらいしか相手にしなかった。そういうことだろう」
「なんにせよ、この一家から話を聞く必要がある。悪意のない存在と断言できねえからな」
ブラウニーは本来、北部イングランドやスコットランドのフォークロアに登場する妖精だ。
それがアイルランド移民であるイェーツ家に住み着いている理由は、聞いてみたがマイケルにもわからないようだ。
「実のところ、僕らはマーサと会話ができる訳じゃない。彼女の存在は知覚できるし、こちらが何を言っているのか向こうは理解してる。でも、彼女が何を言ってるはわからない。だから理由は知らない……でも推測は出来る」
アイルランドは土着のアイルランド島土着のケルト民族は多数を占める国だが、北欧をルーツとするデーン人の末裔、フランスがルーツのノルマン系、スコットランドから渡来したスコットランドのケルト人、イングランドから渡来したアングロサクソン系のアングロ・アイリッシュも存在する。スコットランドをルーツとする先祖の誰かがブラウニーをアイルランドまで連れてきたのだろう。
「妖精は悲しい存在だ。滅ぶことを許されず、いつまでもあり続けなければならない。だから代々一族の誰かがこの家を受け継ぐルールになった。町を出た兄弟と親族も援助してくれてるよ」
聞きながらアンナとマシューの物知り親子が解説してくれた。
ブラウニーはクリスマスのサンタクロース伝説と習合し、サンタの弟子がブラウニーであり、年長のブラウニーがサンタクロースとなるという伝承もある。
このさえない町がどうにか永らえているのも、ささやかな妖精の加護のおかげかもしれない。
経験豊富なアンナとマシューにとっても相当に意外な展開のようだ。
こんな神秘とほとんど無縁そうなただの田舎町に、妖精と当たり前のように暮らす一家がいるなど聞いたことも無いそうだ。
「まだ何か聞きたいことは?」
マイケルが言った。
アンナと俺は首を振った。
旦那がそっと聞いた。
「マイケル。あんた、家を継ぐことに抵抗はなかったのか?」
旦那の問いに彼は答えた。
「言いたいことはわかる。この街が退屈なのは認めるよ。……でも、僕は自分の意志でこの家に残ったんだ」
彼は言った。
「働いて帰ってきて、家族で一緒に食卓を囲んで、マーサの作った料理を食べるのが好きなんだ。それを叶えるにはここに居なきゃいけないからね。……ああ、ところで夕食の予定はあるかい?」
この死んだ町でどうやって空腹を満たしたものか思案していたところだった。
特に示し合わせることも無く、俺たちは仲良く首を縦に振った。
「では、ご馳走しよう。用意するのはマーサだけどね」
〇
その晩は、祝宴と呼ぶに相応しいものだった。
マイケルは俺とアンナが半分アイルランド系で、旦那の亡くなったカミさんがアイルランド人だったと知ると喜び、アイルランド料理でそろえたディナーを用意してくれた。
食卓に並んだのはごく普通の家庭料理だった。
ラムのアイリッシュシチュー、ベーコン・アンド・キャベジ、ソーダブレッド。
父方のバアさんが生前に時々振舞ってくれたものだ。
アイルランド料理の色合いは鮮やかに遠く、決して評判も良くない。
種類も豊富とは言えない。
だが、驚くほど上手かった。
陳腐な表現なのは承知だが、「魔法のように美味い」という表現こそが相応しい。
この美味さはボブ・ディランですら詩にできないだろうと思った。
俺たち三人は素朴な四人家族と一匹の妖精と一緒に食卓を囲み、語り、飲んだ。
気前よく出してくれたギネスもただの量産品を注いだだけのものだったが、信じられないほど美味かった。
「絶妙な方法でサージングしてるんだ。もっともマーサに教えてもらっても同じようにできなかったけど」
マイケルは温顔でそう語った。
飲んで食べて話しているうち、夜も遅くなった。
父と母に促された、子供たちはベッドに向かった。
子供たちが寝室に消えると、マーサも消えていた。
それを見ていた俺にマイケルが苦笑しながら言った。
「子供たちはマーサに育てられたようなものだ。親としてはちょっと情けないね」
マーサは子供たちを寝かしつけているのだろうか。
伝承の妖精には悪事を働く者もいる。
取り換え子に代表される、子供をさらう妖精もいる。
だが、俺の脳裏には自然とマーサが子供たちを寝かしつける様子が浮かんでいた。
「眠る子供たちと妖精」そんなタイトルでメトロポリタン美術館に並んでいそうな、そんな光景を想像していた。
〇
翌日、イェーツ一家に丁重に礼を述べ、俺たちはニューコノートを後にした。
チェックインしたときと同じようにB&Bの女将にカトリック式の十字を切ってチェックアウトし、車を走らせた。
車を走らせると、鼻クソのように小さい町はあっという間に遠ざかり、視界の外に消えて行った。
車窓からはクリントン郡の長閑な光景が広がっている。
「居眠り注意の光景だね」と助手席でアンナがつぶやいた。
マンハッタンまでの車中、何かい休憩をとって何かい運転を交代するかを話し合いながら、
その切れ目で俺が聞かなければと思っていたことを聞いた。
「まさか、ソサエティに報告しようなんて考えてねえよな?」
ソサエティに知られるということは、多くの魔術師に彼らの存在が明らかになることだ。
魔術師は善人ばかりではない。
熟練の二人は考える暇の無く首を振った。
「幸せ一家の日常にそんなもの介入させられないよ」
「そうだな」
ニューヨーク州のはずれ。パっとしない田舎町に、妖精と暮らす一家がいる、
その事実を俺たちだけが知っている。
それで十分で、それ以外のことは必要ない。
心からそう思った。
というわけで久しぶりアメリカ編でした。
繰り返しますが舞台になった町は実在しません。