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magus hunter 紐育魔術探偵事件簿  作者: ニコ・トスカーニ
最後の魔術
105/120

最後の魔術 後編

後編です。

 依頼人の父方の家系、ミスラ家はもともとバラモン教の僧侶だった。

 家系の歴史は記録すら残っていないほどの昔に遡り、伝承によると大変な高僧として敬意を集め、先祖には妖魔退治の伝承もあるという。

 ミスラ家はもう少し近い遠い昔のどこかの時期にペルシャの血縁を取り込んだミックスになり、記録が残る程度の近い時代の昔にはさらにイギリスの血縁を取り込んでより複雑なミックスになった。

 記録によると、18世紀終わりごろのミスラ家は南アジアでもちょっとした大物術師として名を馳せていたそうだ。

 しかし、そこが最盛期であると同時に凋落の始まりだった。

 19世紀にはいると、イギリスの対インド貿易が自由化。

 産業革命によって大幅な生産性向上を遂げたイギリス製品が流入し、インドの伝統的手工業が壊滅的な打撃を受ける。

 インドは貧困化し、対イギリスへの不満が高まり動乱の時代となる。

 動乱の中近代化も進み、世の中は魔術どころではなくなっていた。

 旧家であるミスラ家は完全に時代の流れに飲まれた。

 一族は神秘の探求に対する熱心さを徐々に失い、力も失った。

 葵氏の父親であるファルーク・ミスラの代の頃には俗世の人間と大差ないレベルにまで退化していた。


 子供の頃のファルーク氏はいい意味で普通の子供だった。

 元々ミスラ一族は古都であるコルカタの家系だったが、20世紀にデリーに遷都されたタイミングで居を移し、20世紀も後半になると魔術師の匂いもバラモンの匂いもしないただの成功した貿易商になっていた。

 ファルーク氏が日本に興味を持ったのは消去法だった。

 彼は魔術師の家系としてはあるまじきことに無神論者だった。

 ヒンドゥー教に立脚する身分制度であるカースト制を心底軽蔑しており、出来るだけ宗教色の薄い国で暮らしたいと思っていた。

 家族愛も郷土愛もあったが、インドは自分の生活する国ではないと思った。

 その望みに見合ったのが日本だった。

 たしかに日本は世界でも有数の宗教色の薄い国だ。

 一応は仏教と神道の国だが、日本の仏教は土着の神道と神仏習合して境目が曖昧なうえ、江戸以降は形骸化した葬式仏教になっている。


 ファルーク氏はデリーの大学を卒業したのち、念願かなって日本の大学に留学。

 卒業後はヒンドゥー語と英語と日本語を操る語学力を生かして商社で活躍し大学時代の同級生だった日本人女性と結婚、やがて葵氏が生まれた。

 完全な異文化圏でありながら、ファルーク氏は日本を居心地よく感じていたようだ。

 葵氏の記憶によるとインドに里帰りするのもせいぜい年に一回程度だったらしい。

 家庭を持つようになってからは日本語の訛りもほとんどなくなり、時々危うくヒンドゥー語が出てこなくなるという始末だった。

 

 子供のころの葵氏にとってファルーク氏はただの優しい父親だった。

 血筋のせいで、葵氏も幽霊や妖の存在を感じる程度の力は持っていたが、微弱過ぎて魔術師の家系であることなど意識したことも無かったそうだ。


 「……でも」と葵氏は一度言葉を切った。


「先祖返りなのか父はそういうものに執念のような感情を持っていたようです」


 ファルーク氏が50代も後半に差し掛かったころ、異変が起き始めた。

 魔術に対して執着を示すようになったのだ。

 最初はオカルティズムや歴史の本を好んで読むようになる程度だった。

 そのうち怪しげなものを購入してくるようになった。

 以前よりの頻繁にインドに帰るようになった。

 この頃から家族の歯車が狂い始める。


 ファルーク氏はもはや妖や幽霊を微かに「視る」程度の能力しか残っていなかったが、先祖伝来の方法で魔道具を作ることに執着した。

 千鶴さんの推測では「その道具を作る過程で先祖代々の力が復活するかもしれないと考えたのかもね」ということだった。


  〇


 待ち合わせしていたネパール料理店を出た我々は、メインストリートの大久保通りから一本入った場所にあるマンションに場所を移していた。

 ファルーク氏の妄念で完全に夫婦仲はこじれ、ミスラ夫妻は別居し事実上の熟年離婚状態だった。

 既に結婚して家を出ていた葵氏はこじれてしまった夫婦間の鎹になろうと努力したがそれは実らなかった。

 夫婦関係は修復されることなく、ファルーク氏は自身の血筋のように複雑なエスニックタウンに居を構えた。


 ファルーク氏はワンルームの部屋を借り、完全に引きこもった独居老人状態だった。

 細々だった連絡が完全に途絶え、心配した娘の葵氏が確認に来ると、彼はすでにこと切れていた。

 警察の話では死後3日は経過していたそうだ。


「こちらです」


 隣の輸入食品スーパーから流れてくる異国情緒あふれる匂いを鼻腔に感じながら、エレベーターを三階まで登り廊下を進む。

 壁が薄いのかエレベーターから一番近い部屋からは中国語の音楽が、その隣の部屋からはアラビア語と思しき言語の音楽が聞こえてきた。

 音楽を聴くという当たり前の行為も言語が違うとひどく非現実的に感じる。

 

 葵氏の母であり、ファルーク氏の妻であるミスラ・佳代子は今日の鑑定に立ち会わないし、する予定も無いとのことだった。

 佳代子氏は 娘と孫に会うために、葵氏とは度々対面していたが、ファルーク氏とは数年は口をきいていない可能性があるとのことだった。

 「どうせ老い先短い身だし、適当にやっておいてくれればいいよ」と遺産の処理についても投げ槍だった。

 夫婦の関係についてこれ以上聞かないぐらいの分別は私にもある。


 先導した葵氏が合鍵でドアを空け、私と千鶴さんが続いて入った。

 その先はさながら異界だった。 


 よくわからない何かとよくわからない何かが折り重なってちょっとした山脈を作り出している。

 そのよくわからない何かにはよくわからない言語で何かが書かれており、一瞥しただけ普通のものではないことがわかる。

 いままで千鶴さんの鑑定に立ち会ったことは何度かあるが、確かに今回は今までと違う。

 それらは「妖気」とも「魔力」とも形容できる威容を放っていた。


 千鶴さんはワンルームの部屋を検め、言い聞かせるように私に言った。

 

「ファルーク・ミスラ氏の収集癖は相当なものだったみたいだね。

玉石混交だけど、全体の鑑定額はそれなりのものになりそうだよ」


  〇


 それから丸々五時間。

 千鶴さんは一時の休憩も取らずに働いて鑑定を済ませ、鑑定額を書いたリストを仕上げていた。

 五時間続けて仕事をするなど私には不可能だ。

 集中力一つとっても私が決して敵うことのない人物は相当するいるのだろう。

 作業開始は昼前だったが、日が傾き始めていた。


 依頼人が同意すればこの額でバイヤーに買い取られることになる。

 葵氏はリストを一瞥して、額を確認した。彼女は額面に対して驚きも感動も示さなかった。

 ただ「信頼してお任せします」と売却に同意するサインだけ静々と済ませた。


「ところで……ですが」


 事務的なやり取りを終えたところで、千鶴さんの口調が変わった。

 この先のやり取りがビジネスライクでないことを悟ったのか、葵氏は意外そうな様子だった。


「これが何かご存じですか?」


 そう言って千鶴さんは丼のようなものを差し出さした。

 丼のようなものは不思議な意匠で、いくつかの国の美術をパッチワークしたようなデザインだった。

 それは「これは売っちゃいけないものだね」と千鶴さんが鑑定のリストから外していたものだ。

 葵氏はその不思議なものをじっと見た。

 そして、「いえ、知りません」と不思議そうに答えた。


「これは……葵さん、貴女が持っておくべきだと思います」


 千鶴さんは静かにそう言ったが、その口調には有無を言わせない確固たる意志があった。

 葵氏は困惑しながら差し出された丼のような器を受け取った。

 受け取った瞬間、何かが起きた。


 最初に感じたのは匂いだった。

 その匂いは隣の輸入食品スーパーから流れてくるスパイスの匂いに似ていた。

 似ていたが別物だった。

 その匂いは鼻腔ではなく心を直接刺激するような懐かしさを感じる匂いだった。

 匂いのもとを辿ると、不思議な意匠の器にたどり着いた。


 器から湯気が漂っている。

 湯気の漂う器の中を依頼人の葵氏がじっと見ている。

 その表情は鑑定額を聞いた時の無関心な表情とは別物だった。


「……ラッサムです」


 彼女は絞るように呟いた。


「……父の得意料理でした。スパイスの調合が凄く複雑で、レシピを教えてもらって作ってもどうしても同じ味にならなくて。

……子供の頃に食べさせられて、辛すぎてビックリしてしまって。たまにしか作ってくれなかったけど、大人になってからは好きになってました」


 こうなることを予見したのだろう。

 用意していたように千鶴さんが語り始めた。


「この陶器にはいくつかの要素が見られます。まず一つ目はこの五色の模様で、これは『五彩』と呼ばれる九谷焼の特徴です。裏側に描かれている茶褐色の人物はバラモンとヒンドゥーの神様、インドラでしょう。隣の模様はケルティックノットで、ブリテン島の先住民族だったケルト民族にとっての三位一体を表しています。星型のパターン模様はハータムカーリーによく見られるイラン美術の特徴です。

お父様はインド、ペルシャ、イギリスの混血で、お母様は金沢の出身でしたね?

インド神話のドラウパディーの壺、俵藤太物語の米が尽きない俵、ケルト神話のダグザの巨釜など食べ物が無限に湧いてくる器の伝承は各地にありますが、お父様はご自身とお母様の文化的バックグラウンドにモチーフを絞っています。

お父様とお母様が合わさったもの……つまりこの陶器は貴女です」


 依頼人は呆然としながらも聞いている。


「お父様が最後にたどり着いた魔術は貴女だったんですよ」


 千鶴さんは静かに締めくくった。

 葵氏は器の中身に口をつけた。 


「……辛い」


 彼女の目には光るものがあった。

 ラッサムの辛さだけが理由ではあるまい。


  〇


 外に出ると、傾きかけた日は落ちかけていた。

 昼のにぎやかな繁華街は、装いを変えた夜の繁華街に変貌していた。

 「せっかくだから」と我々は国籍迷子状態の大久保通りを散策していた。


「きっと亡くなったファルークさんの血には魔術師の遺伝子という時限爆弾みたいな因子が眠っていたんだろうね」


 千鶴さんはそう考察を述べた。

 彼女がそう言うからにはきっとそうなのだろう。


「それは本人が否定しようとどうにもならない、ファルークさんの切り離せない一部だったんだ。でも……」


「でも?」と私は間抜けな相槌で続きを待った。


「娘を思うただの優しい父親も間違いなくファルークさんの大事な側面だった。きっと、その二つが最後まで本人の中で鬩ぎ合ってたんだろうね」


 インド料理店の客引きが声をかけてきた。

 今夜は自炊しようと思っていたが、誘いに乗るのも悪くないと思った。

 そういう気分だった。

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