ノスタルジー
久しぶりに書いてみました。
アイルランドをルーツとする我が一族ケーヒル家は、アイルランドでは農民だった。
アメリカに渡ってきたご先祖様が最初に就いた仕事は八百屋で、その次は肉屋だった。
祖父は大工で、親父は消防士。俺は警察官だ。
これらに共通しているのは体を使うことだ。
そういう意味で我らがケーヒル家は肉体労働者の家系とくくって差し支えないだろう。
そんな一家に育った俺は何かの間違いで大学に進学したが血筋の期待に応えて中退し、学歴は高卒だ。
種と畑が同じ妹が大学を卒業したのは奇跡としか言いようがない。
そんなわけでケーヒルの血筋と教養は無縁の存在なわけだ。
だから、俺はこいつを何と呼べばいいのかよくわからない。
多分「都市伝説」なのだろうが、正直定義がよくわからないし、人から説明を聞いても理解できる自信が無い。
俺がダラダラとそんな言い訳をしていると、麗しの我が相棒アンナ・ロセッティは言った。
「言い訳が女々しいし、話が長い。キンタマ落としたの?」
部屋のカウチで中華のテイクアウトをかきこみながら話を聞いていた彼女はそう言った。
彼女の物言いは俺に「男らしさと女らしさの違い」について考察させるに十分な粗暴さだった。
「で、要件は?アンタが無い頭絞って考え事してる間に、やり手のストリッパーなら100ドル稼いでるだろうし、ビル・ゲイツなら3000ドル稼いでるよ?」
アンナの発言が俺の考察を中断させた。
俺は言った。
「俺が落としたキンタマはお前に付いてるよ」
彼女の鋭いボディー・ブローが俺の腹部に突き刺さっていた。
〇
有能な魔術師で民俗学にも詳しいアンナによると、都市伝説とは民俗学者のジャン・ハロルド・ブルンヴァンが広めたものだそうだ。
その学者先生の名前は初めて聞いた。アメリカ人らしいが、ブルンヴァンなる学者先生と俺の共通点はアメリカ人であることと成人男性であることぐらいだろう。
都市伝説とは大雑把には「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」らしい。
アンナは続いて「都市伝説っていうのは『消えるヒッチハイカー』みたいな話だと思えばいい」と説明した。「消えるヒッチハイカー」の伝説ならば俺も知っている。
ようやく理解が追いついた。
これで、俺の持ってきた話が都市伝説に分類されるということが分かった。
今回は都市伝説に分類される事件だ。
〇
俺の海兵隊時代の戦友で、記者をしている男がいる。
ファルコと言う名のその男は、元軍人にも関わらず完全なメタボリックシンドロームで、記者なのに事実を書いた事が一度も無い。
ファルコが編集部に所属している雑誌は「ISBNコード以外すべて偽造」と言われるほど社会的信用度が低く、基本的にその内容はガセネタと創作に基づいている。
その雑誌の記者や編集者がネタのウラを取ったことは一度としてなく、物好きがニヤニヤしながら読む通俗的存在として地位を確立している。
ところが、その中には人知れず真実を伝えているものが含まれている。
こちら側――魔術師の世界の出来事だ。
結局、どのような事柄であれ物事には二面性がある。
「ニューヨークにUFO着陸」という記事を見たら多くの人はガセネタだと思って一顧だにしないだろうが、メン・イン・ブラックにとっては重要な情報かもしれない。
「真夜中のマンハッタンに移動遊園地が現れた」という記事もそれと同様の代物だ。
ファルコは自分の関わっている雑誌を毎月送ってくる。
どうせ碌な内容ではないので、毎月流し読みをしておしまいだが、その月の号に乗ったその記事はなぜか俺の目を引いた。
体験者の一人、証券会社で働くA・J氏(28)が語っている。
「深夜に仕事を終え、五番街を歩いていました。時刻は0時を回ったころで、さすがに人気も少なく、地下鉄を止めてUBERでも呼ぼうかと思っていました。UBERを操作するためにスマートフォンに目を落とすと、どこかからファンシーな音楽が聞こえてきました。迷惑な誰かがスピーカーから流しているとかそんな感じではなく、もっと温かみのある音です。
顔を上げると五番街沿いに巨大な移動遊園地が現れていました。何が起きたかよくわからず、とりあえずそぞろ歩きしていると、誰かに声をかけられました。その後のことをよく覚えていません。ただ、不思議なことに、気が付くと遊園地は消えていて、私は泣いていました。
決して不快な涙ではなく、心を丸ごと選択されたような不思議な爽快感を感じていました」
この記事が気になったのは「勘」としか言いようがない。
これでも魔術師の端くれだ、一応そういう勘は備わっていると思う。
気になった俺はファルコに話を聞き、この記事と同じような体験をした人物が複数いるとの情報を得た(もちろん彼はウラなど取っていない)
体験者が一人ならいつものガセネタと切り捨てたところだが、今回はどうも違うようだ。
いよいよ神秘の事件の予感がした。
それで有能なるアンナ・ロセッティに相談を持ちかけたわけだ。
〇
「まあ本当に移動遊園地だった可能性もあるけど、場所からしてさすがにおかしいね」
顎に手を当て、俺の話を咀嚼したアンナはとりあえずそんな現実的な感想を述べた。
「しかも夜中に突然現れて消えてるしな」
「目撃者がラリって幻覚を見た可能性もあるけど、同じ幻覚を複数人が見てるのは説明がつかないね」
彼女の言うとおりだ。
大都市ニューヨークにも移動遊園地がやってくることはあるが、そういうものが展開されるのはセントラルパークのような規模の大きな公園か住宅街だ。
夜中の五番街に移動遊園地が現れるなど明らかに理屈に合わない。
「しかし不思議だね」
聡明なアンナが言った。
「何がだ?」と間抜けな俺は質問した。
「事件のあらましを聞いても邪気のようなものを感じないんだよね。悪徳魔術師、悪霊、妖魔の類の匂いがしないんだよ。実際に実害が出てないだろ?」
確かにそれは不思議だ。
何かをやらかす魔術師は大抵、人体実験もいとわないマッドサイエンティストのような思考回路で動いている。
この事態を引き起こしたのが何者かわからないが、その何者かは被験者――というか体験者を感動させただけだ。確かに悪意のようなものを感じない。
アンナは整った形の顎に指をあてて黙考していたが、現実主義者の彼女はすぐに結論を出した。
「まあ、何にしろ調べればわかるか」
〇
眠らない街ニューヨークでも、マンハッタンは最も活発なエリアだ。
その背骨のような位置にある五番街は特に活発だ。
0時過ぎだがまだちらほらと人影が見えるし、高層ビルの窓にはいくつか明かりが灯っている。
マシューの旦那はどこぞの別案件で夜勤中らしく、俺とアンナの二人だけだった。
仕事の速さに定評のある彼女らしく、俺が話をした後、数時間仮眠を取っただけで即行動だ。
本当に男らしい。見た目はモデル体型の美女だが、俺は彼女がどデカいキンタマを持っている可能性を疑っている。
俺たちは目撃情報を鑑みて、プラザホテルのある59丁目からワシントン・スクウェア・パークまでを歩いてみることにした。
深夜のマンハッタンはさすがに静かだがサイレンや酔っ払いの歌声が思いがけないBGMとして聞こえてくる。パトロール警官だった時代によく聞いた音だ。
彼女は歩きながら赤いペンでマーキングした地図を差し出した。
「真夜中の移動遊園地が出現した場所をマーキングしてみた。何か気づくことはない?刑事さん」
すでにアンナはある程度の見当を得ているようだった。
俺は彼女がマーキングした地図を見て、意外なことにすぐに気付いた。
「教会か」
俺の答えに彼女は満足したようだった。
「正解。お利口さんだね。パトリック」
「そう褒めるな。俺は大学中退だぜ?」
イエス様よりお金様が大事な経済都市ニューヨークでも祈りの場はある。
それがたとえ五番街のような商業主義ど真ん中の場所でもだ。
地図を見るとセントトーマス協会、聖パトリック大聖堂、五番街長老派教会と言った教会群と重なるように目撃談の赤いマーキングは出現していた。
「教会は神の家、言ってみれば異界みたいな場所だ。こういう場所は"境界線"にしやすいし、異界を"作り"やすいんだよ。目撃者が悉く『何が起きたかよく覚えてない』のは、異界の魔力に耐性が無くて、戻った途端に副作用が出たんだろう。泥酔した翌日に記憶が飛んでるのと同じだね」
彼女はいつものように淡々と私見を述べた。
「やっぱり人為的なものだと思うか?」
「ああ。思うね。出来るとしたら相当な術者だ。それだけに、事件からまるで悪意を感じないのが不思議……」
そこで軽やかだった彼女の口が止まった。
まず最初に感じたのは空気が変わったことだ。
体は変わらず動いているが、微かに重力が重くなったようなそんな違和感がした。
それから少し遅れて音楽を感じた。
それは音楽を「聞く」というより「感じる」と表現するにふさわしい体験だった。
流れている曲が「アマポーラ」だと気付くより前に、その懐かしい音楽は脳をダイレクトに刺激していた。
感動が先に来て聴覚が遅れてやってくるような異様な感覚だった。
続いて視覚が追いついた。
俺たちは間違いなくマンハッタンの五番街にいた。
聖パトリック大聖堂の前を通り過ぎるところだったと記憶していたが、確かにそこは聖パトリック大聖堂の前だった。
違うのはまばらにいたはずの人影が消失し、いつの間にか移動遊園地が現れていたことだ。
光りながらくるくる回るメリーゴーランド、自力で登れそうな高さしかない観覧車、まるでスケール感のない幽霊屋敷にいくつかの屋台。
「移動遊園地」と言われて思いつく平均値のような光景が広がっていた。
俺に限らずアメリカ人ならば誰でもノスタルジーを感じるような光景だった。
異様な光景なのに不思議なことに俺は自分の胸中に不安や恐怖が浮かんでいないことに気づいた。 代わりに浮かんでいたのはノスタルジーだった。
アンナもそうだったに違いない。
俺たちは示し合わせたわけでもなく、移動遊園地をそぞろ歩きした。
静かだ。
どこからか流れてくる「アマポーラ」と遊具の控えな駆動音だけが聞こえてくる。
「私たちだけが世界から隔離されたみたいだね」
アンナが言った。
「冗談。俺のいない世界なんて寂しすぎるだろ」
「俺"たち"でしょ」
一応は注意をしながら探索を続ける。
アンナが徐に立ち止まった。
彼女の止まった視線を追う。
視線の先は射的の屋台だった。
冷静なアンナが尋常ならざるレベルで驚愕の表情を浮かべている。
「どうした?」と聞くと、彼女は景品が載っている台の一点をそっと指さした。
バーニー・ウィリアムズのボブルヘッドだった。
「……パトリック。あの人形、バットの部分を確認してもらえない?」
「ああ、いいが。どうした?」
「まさかと思うけど、バットのヘッド部分に傷がついてたりしないよね?」
「待ってろ」と言うと、俺は台を乗り越え景品台の上のナンバー51を検めた。
彼女の言う通りバーニーが持っているバットのヘッド部分に小さな傷がついていた。
俺は何も言わなかったが、表情からアンナの推測が正しいことが伝わったはずだ。
アンナは何も言わなかったが、俺には何が起きたか何となくわかった。
このボブルヘッドは彼女の思い出の品だ。
それも遠い昔に失われた。
「ようこそ」
誰かが音もなく近づいていた。
音もなく近づいた何かのフランクな挨拶で俺たちはようやくその存在に気付いた。
フランクな挨拶をよこしたのは若い男だった。
男は砂金を散らしたようなブロンドの髪と金貨を嵌めこんだような不思議な色の目をしていた。
人の姿をしているが人ではない。それがすぐに理解できるような風貌だった。
「誰だ?」とお決まりの質問をしようとしたが、俺の口からクソを垂れるような気の利かない質問が出る前に相手が口から答えを吐いていた。
「旅の者とでも言っておきましょうかね。ひと月前はルイジアナに居たんですが、暑くてね」
男は飄々と答えた。
アンナは男をキっと見た。
「アンタは人間?……いや、混ざりものか」
男はふわりと答えた。
「ご明察です。私は人間と夢魔の混血です」
アマポーラが終わり、曲は「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」に変わっていた。
「夢魔の性質が前に出ているようでしてね。残念ながら私は普通に食事を摂ることが出来ません。代わりに人間の感情を食べているのです。特に今回は――」
男はアンナを指さした。
「貴女からとてもいい匂いがして思わず呼び止めてしまいました」
男は俺の方にゆっくり歩み寄ると、俺が阿呆のように持っていたバーニーのボブルヘッドを受け取りアンナに渡した。
「これは貴女の思い出から"失われたもの"を一部再現したもの――貴女の思い出の欠片です。
さあ、遠慮なく。触れてみてください」
〇
いつの間にか、移動遊園地は消えていた。
魔法使いのバア様が放った屁の方ですらもう少し痕跡を残しそうなぐらい、綺麗に痕跡を消していた。
だが、アンナの心からは消えていなかった。
彼女は現実の五番街に戻ってくると、倒れこむように聖パトリック大聖堂前の階段に座って、そのままずっと下を向いていた。
「悪いけど、当分動けない」
らしくない弱気なことを一言だけ発して、そのまま一言も話さなかった。
こんな時、相棒にしてやれることは俺にはほとんどなかった。
俺は彼女の隣に座り、白んでいくマンハッタンの空をただ見ていた。
やっぱりアメリカンな言い回しを考えるのは楽しいですね。
では、またいつか。