孤児は神聖魔法を得る。
方はシャキシャキ、片はフラフラ。
私達は連れたって、薄暗い山を歩く。
「ねーねー、一度戻ろうよ。夕飯を食べて、身体をキレイにしてから寝て、起きて朝ご飯を食べて遊んでお昼ご飯を食べてからもう一度出て来ようと」
「お前喰ってばっかりだな!?」
なんだよー、そんな人を食いしん坊にいわなくてもいいじゃんか。
「お前、もう帰れよ」
「君も一緒じゃないと、イヤ」
「……っ」
おや、顔が赤いけど今度は何に怒った?
もしや、何だかんだと偉そうなことをいっておいて、実は帰り道がすでにわからなくて一人じゃ戻れないことに気が付いたのか。
おぬし、なかなかやるな!
「し、仕方ないな。だったら特別に、父上に頼んでお前をボク付きの」
「しぃっ!!」
「ぶっ!?」
反射的に男の子の口を塞いで、そのままの勢いで二人で倒れこむ。
彼に覆いかぶさるように地面に伏せた私は、気持ちよくしゃべっていたのに遮られた挙句、体当たりで引き倒されて怒りに震える真っ赤な顔の男の子に構っている余裕はまったくなかった。
手の下でもごもご何事かいっているから手の平が濡れるのは、男の子のせい…だと思いたい。
これは汗、しかも冷や汗だなんて思いたくなかった。
自分が怯えていると思ったが最後、私はもう恐怖のあまり立ち上がれなくなりそうだから。
「静かに」
「ふご、ふごごっ!」
「ごめん、何いってるかわからない」
地面に伏せたまま、その巨大な存在に全神経を向けた私は男の子の抗議に構うことなくそういった。
「モンスターがいる」
その呟きに、さすがの男の子も大人しくなった。
モンスターなんてそんな、RPGに出て来るような存在が現実にいるとは思っていなかった。
てっきり、『悪いことをすればオバケが出るぞ』みたいな子どもの躾に出て来るコワいもの的なものかとずっと思っていたのに、今目の前にいるすさまじい存在感に顔が自然と笑ってしまう。
本当におかしいわけじゃない。
ただ、恐怖のあまり口が引きつって、歪な笑みの形に見えるようになっているだけだ。
身をよじって私の下から這い出し、体勢を低く保ったまま様子を伺う男の子はその大きさと迫力に息を呑む。
毛深く太ましい足が何度も地面を抉り、『フゴフゴ』荒い鼻息を吐く大きな鼻、ブルブルと大きく身を振るう姿は私たちにはちょっとした小山みたいだ。
ケモノ特有の臭さが鼻を突くが、今はそれどころではない。
そんなことでゲロッとなってたら、気付かれてあの足で私たちなんてあっさりと挽肉になりそうだ。
「ゆっくり、静かに、逃げよう」
「……」
男の子は黙って頷く。
このタイミングで、まだ『父上』のところへ行きたがったらさすがに殴っていただろう、よかった。
「じゃぁ、いち、に、さ、ああああぁんっ!?」
「おい!?」
じりじりと腹ばいのまま、三つ数えて逃げ出そうと思っていたから背後に注意を払っていなかった。
緩やかとはいえ、後ろは坂になっていたのだ。
突然上げる悲鳴に驚いてモンスターから目を離した男の子は、転げ落ちそうになっていた私の襟首を慌てて
掴んでくれたけど、勢いは止められずにそのまま一緒に転げることとなった。
「ひえぇぇぇっ!?」
「うわぁあああ!?」
ゴロゴロ転がった私は緩やかな坂を転げ、男の子が足を踏ん張ってくれなかったら今もまだ転がっていただろう。
「ごめん!ありがとう!!」
「いいから、逃げるぞ!…ぐっ!」
子どもが自分と私を転がる力に逆らって止めれば、成長途中の華奢な身体はどこかに支障をきたす。
現に男の子は私の手を掴んで逃げ出そうとしてくれたのに、踏ん張った足を捻ってしまったらしく、痛みに顔を歪めた。
慌てて彼の足に手を伸ばすけど、どうなっているのか医療知識のない私では状態がわからない。
ただ、真っ青になる顔を見て、動かしてはいけないことだけはよくわかった。
「う…ぐ……」
「だ、大丈夫?」
大丈夫なわけがない。
聞いておきながらも、答えは聞かなくてもわかる。
それでも命の危険以上に大変なことはないと、彼は私の手をしっかり握りしめて必死に足を引きずりながらもモンスターから距離を取ろうとよろよろと歩き出す。
握られた手を外して、そんな彼の腕を自分の肩に回して少しでも足の負担が減るようにしてゆっくりと歩いた。
こっちは必死だ。
もうすでに日が落ちて暗い山の中、幼い丸腰の子どもがたった二人。
しかも方や足を痛めているのだ、ちょっとくらいそれを考慮してくれたって罰は当たらないと思う。
しかし、こちらの必死さを嘲笑うかのようにモンスターが後ろから差し迫って来た。
「ちょちょちょ、ちょっと!ケンケンして!歩かないでケンケンして!!」
「け、けんけん?」
「ギャーッ!鼻息が首筋に当たるー!!!???」
「フゴーフゴー!!」
パニックを起こす私に抱えられて、痛めた足をかばってケンケンしながら必死に急ぐ男の子。
そして、鼻息を首に吹きかけて来るモンスター。
「うわーうわー!キモいマジキモい!これはあれだよ、あいつは私たちは食料としてしか見てないんだよ!!」
「見ればわかるだろー!?」
「しってるー!」
わー!なんか粘っこいものが飛んで来たと思ったら、涎だよー。
ははは、若鳥とか仔牛とか柔らかくておいしいだろうけど、私たちは孤児だから先生がいくら頑張ってくれてもあまり太ってないからおいしくないよー!!
そう念を飛ばしてみるけど、モンスターの返事は『フゴフゴ!』で、諦めてくれる気配は皆無だ。
「わーわーわー!あれだよあれ!ここはチート能力が開花する場面だよ!ド○えも~ん!なんか道具を出してよ!」
「だから何度も間違えるな!あとそのドラえ○んというのは男か!?」
「……一人称がそうだから、たぶん」
「たぶん!?」
現実逃避に付き合ってくれる男の子も、本当はきっとコワいのだろう。
青い顔に荒い息遣い、必死に片足を動かしながらも口はずっと動きっぱなしだ。
コワい、コワいに決まってる。
だって、背後には見たこともない生きものが、鼻息も荒く私たちをずっと追って来ているのだから。
「うぅっ、こここそ神様が、『世界を知る者に聞きたいよ』!」
リン
どこかで涼やかな鈴の音が聞こえた気がした。
「『私たちを助けて!どうすれば助かるの、ねぇ世界を知る者!聞いているなら答えて!!』」
神様、助けてー!!
リンリンリン
鈴の音がうるさいくらいに響き渡り、私の見ている世界が暗転する。
間近で何か男の子が怒鳴っているのに、それが次第に遠のいていく。
そして、暗転する世界の中でさまざまな場面が目まぐるしく変わっていく。
真っ暗な石造りの古い遺跡。
響く男とも女とも、若いのか年寄りかもわからない声。
フードをかぶった中にあったのは、凹凸のない仮面のようなのっぺりとした顔。
『冥府を統べる神』だと自らを名乗ったその神は、私に嘲りを含んだ笑い合間に。
『お前はこの生を家族を得ることもなく、友を得ることもなく、愛するものを得ることもなく、たった一人で—―—』
仮面のような顔の下で嘲りを隠すことをしない神は、武骨な指で私を指して何かをいった。
何を?
……とても、寂しくて悲しいことを。
全ての場面を、神の言葉を全て聞き終える前に世界は元に戻り、今度は代わりに視界が真っ白に染まった。