孤児は悲しみを抱える。
その日は、何の変哲もない日常だった。
ただ、そう思えたのは先生の舎弟さんの一言を聞くまでのことだ。
「あれ、一人足りねーっすよ?」
外遊びは基本的に、先生と舎弟さんたちの目が届く範囲、つまり林の方や傾斜になっているところは入っちゃいけないことになっていた。
さすがにこの周辺に、強面な先生や先生を崇拝する舎弟さんたちを怒らせるような悪いことを考える人はいないとはいえ、立ち寄った人がまっとうな人とは限らない。
舎弟さんの一人が先生には内緒でこっそり教えてくれた話では、私を含めたここにいる大半が戦災孤児というもので、そんな行く当てのない子どもを攫って売り飛ばすようなゲスがいるそうだ。
売り飛ばすのも十分ひどい話だけど、乱暴目的で小さな子を連れ去ったり悪い人がいることを遠い昔にニュースで見て知っている私は、慌てて走り出した。
前世を合わせればもう結構な年になるはずの私は、この孤児院ではお姉さんだ。
だから私が先生を助けて、みんなを守んなきゃいけないんだ!
「おーい!帰る時間だよー!隠れてないで、出ておいでー!!」
カンで坂の方に狙いを定めた私は、結構きつい斜面を登って声を張り上げる。
好奇心旺盛な子なら、真っ暗でじめっとしてる林よりもこちらを選ぶと思ったんだ。
「おーい、おーい!今日のスープはキノコ入りだよー、パンを浸すとおいしいよー早く帰って食べようよ~」
ぐりゅ~
食べもので釣ろうと夕食のメニューを話してたから、おなかが鳴っちゃった。
辺りは徐々に暗くなっていて、もうすぐ完全に日が沈みそうな雰囲気になっている。
まだ寒さはないけど、問題は夜になれば獣が出ることにあるんだ。
RPGみたいに、魔物が出るんだってさ!…いや、魔獣だっけか?
ともかく、子どもが外を歩いていていい時間じゃない!
私は必死になって、さっきよりも大きな声で呼びかける。
「出ておいで~スープの中味は、キャベツの芯をみじん切りにしたのと、ニンジンの皮を千切りにしたものと~芽の出たたまねぎ~キノコはたっぷりだよ~おいしいよ~」
「そのいいかたじゃ、ぜんぜんおいしそうじゃないだろっ!?」
あっ、迷子はっけーん!
『思わず』といったように私の言葉にツッコミを入れたのは、いじめっ子なあの青い髪の男の子だった。
いつものお付きの者の姿はないし、舎弟さんがいうように一人みたいだ。
「もう、探したでしょ!さっさと戻ろう!」
完全に日が落ちる前に見付かって安堵する私が近寄って手を掴んだら、それは振り払われた。
ムッとして彼を睨み付ければ、彼は彼でつり上がり気味な目を怒らせている。
「誰があんな貧相な孤児院に戻るか。ボクを誰だと思ってる!ボクにはお前と違って帰る場所があるんだ!」
「あー、ハイハイ。わかったわかった。じゃあ、みんなのところに戻ろうね」
「………っ!バカにするなっ!!」
否定するのも可哀想だと思って肯定したら、逆に怒ってしまった。
年頃の男の子の扱いはむずかしいね。
怒りに染まった真っ赤な顔で身を翻した男の子を追って、私も彼を追いかける羽目になった。
はぁ…、おなか空いた。
「ねーねー、どこ行くの?」
「うるさい!どっか行け!」
「そうはいっても、子どもが出歩く時間じゃないって」
「お前だって子どもだろう!さっさと戻ればいい!」
「あっ、心配してくれるんだ?」
茶化して聞けば、真っ赤な顔のまま男の子が振り返る。
「そんなわけないだろ!!」
その割には、律儀に答えてくれるなぁ。
素直じゃないな~、ニマニマ。
「気持ち悪い顔で笑うな!」
「失礼だね!?」
素直じゃないにも程がある!
「ねーねー」
「…なんだよ」
「もしかして、今向かっているのは君の実家?」
「……父上のところだ」
「ふーん」
可愛くないことをいいつつも、何だかんだと答えてくれる男の子の後を付いて歩く。
どうにか孤児院に彼を連れて戻りたいけど、梃子でも動きそうもないし、どうしようかと考えつつ進む。
子どもの足とはいえあまり進み過ぎると戻れなくなりそうだから、話を長引かせて舎弟さんから報告を受けた先生が来るまでの時間を稼ぎたいところだ。
まぁ、単純に彼の行動の理由が気になったというのもあるけど。
「ボクの父上は王都でも上位の神官なんだ」
「ふんふん」
「紡ぐ神聖魔法は美しく、まるで周囲に光が舞っているかのよう」
「へー」
「そんな方が、ボクの父上なんだ」
誰から話しを聞いたんだろう。
これって、自分で見て知っている『父上』の話しじゃないと何となくわかった。
だって、孤児院にいてその間になんの音沙汰もないのに、彼の言葉の端々からは『父上』へ向ける羨望と、話を聞いている私に対する自慢が滲んでいたから。
「ボクが会いに行ったら、きっとこれからはずっと一緒にいられる」
純粋にその『父上』を信じている彼の姿を見ていたら、思ったことは口に出せなかった。
彼が孤児院にやって来たときは、すでに物心付いていた。
今でこそいじめっ子な彼だけど、頭だっていいし礼儀作法はしっかり覚えていて、行動力もある。
しかも、将来が楽しみなキレイな顔立ち!
普通に考えれば私のような戦災孤児でもない限り、手放すのがおしい子だと思う。
だけど、彼は孤児院にやって来た。
理由はわかる、彼がいっていることが本当で、父親が王都にいる神官であるのなら、男の子の存在は罪の証明になるからだ。
聖職者の婚姻は許されず、そして姦淫は大罪とされているのだから、もし本当に上位神官であれば今の地位、または今後の進退のために男の子を捨てたと考えられる。
……いや、本当は両親が密かに愛し合っていて男の子を慈しんでたけど、已むに已まれぬ事情で辺境の孤児院に預けたってこともありえるかな。
だって、父親が自分の地位や進退のことを考えていたら、無事に男の子が育つわけがないからね。
ほら、連絡しなかったのは男の子の存在が明るみに出て、彼とその母親に危険が迫ると思ったからで…希望的観測を続ける私は、出来るだけ前向きになれるようなことを並べ続ける。
だって、だって…誰かから伝え聞いた『父上』のことをうれしそうに、そして誇らしげに話す男の子があまりにも悲しいから。
「うん!そうだねー!」
「お前…返事が適当過ぎないか?」