始まり
長塚との関係が始まったのはバイトにもだいぶ慣れた半年後のこと。
イタリア語を長塚に教えてもらわなくなってだいぶたった。
長塚はバイトのみんなを連れてご飯に連れて行くことがよくあり、ある日ご飯を誘われたメンバーがたまたま私・健吾・さやかだった。
「いつのまにかお前らも一人前になって、イタリア語教えたかいがあったよ。」
ジンジャエールを飲み終えてから長塚は嬉しそうに言った。
「あんなに辞めるとか言ってたくせに、いつのまにか後輩に仕事教えてるんだから笑えるよ。」
長塚は機嫌よく話す。
「そりゃあ、さやかと健吾は辞めないですよ。仲良く2人で仕事できるんですから。」
私が言うと長塚は意表をつかれた顔をし、えっ?と驚きの声を出した。
「お前らいつのまに?!ってか言えよ。」
健吾とさやかは照れくさそうに見つめ合い幸せいっぱいの顔ですみませんと謝った。
「いーよねー、私だけ一人者、せつなーい!!」
おおげさに言うとさやかが何言ってるの?と笑って言う。
「菜々穂にはちゃんといるじゃない、ハルキ君だったっけ?」
ハルキは何度か私のバイト先に来てくれていたので、ここにいる人間はハルキの存在を知っていた。
「違うってば。ハルキはただの幼馴染み!恋愛とかそういう関係にはならないの。」
「へー、違うんだ。じゃあ、俺と付き合ってみる?」
おもしろそうに長塚が言うので私はあきれ顔で注意する。
「奥さんいる人がそんなこと言うもんじゃないですよ。」
「不倫だぁ!だめなんだー。」
さやかが笑いながら便乗してくる。
「まぁ、男としては気持ちわかるけど。」
ポロッと本音が出た健吾にさやかはきっとにらみつける。
「健吾、浮気する気??」
「いや、しないけど!!」
「本当に~!?」
「本当!!」
痴話喧嘩を始める2人に長塚が割って入る。
「お前ら、そんな見せつけると独り者の菜々穂が可哀想だろ??」
「ひどっ!!店長の言葉が今私を傷つけましたよ!!」
わざとらしく長塚はごめんと笑って言う。
こういうところが長塚が慕われる理由の一つ。顔もいいし、みんなと平等に話してくれ、会話をはずませる。バイト先で長塚を嫌いな人なんて誰もいなかった。
長塚はいつも車で私達を送ってくれる。でも今日は健吾とさやかが2人で帰ると言い出したので、私だけが家まで送ってもらうことになった。
「お前はいつ知ったんだ?2人のこと。」
「いつって、付き合うって決まったときに2人からバラバラにメールがきて。私、2人ともの相談にのってましたから。」
「人望あついんだな。」
「そうなのかな…?」
独り言っぽくつぶやくと長塚はクスっと笑った。
「でも彼氏いないなんて、可哀相に。」
「店長って結構ぐさって刺さるセリフ平気で言いますよね、さっきだって…」
ものすごく傷付いたというわけではないがそれなりにちょっとは傷付く。
「悪い…。」
長塚が真剣に謝るので私は申し訳ない気持ちになってしまった。
「そんな真剣にならないでくださいよ!そんな顔されたら、逆に私が悪いみたい…」
微妙な空気になり沈黙がおとずれた。私は目線に困り下を向く。しばらくして長塚がぼそっと言葉を発した。
「…飲みなおすか…」
「へ?」
不覚にもまぬけな声を出し、私は顔をあげた。
信号が赤なのもあり、長塚はじっとこっちを見ていた。車の外からは車のライトやネオンで長塚の顔が赤や白にかわる。気付くと私は返事をしていた。
「はい。」
「うちでお茶飲んでいったら?」
晩ご飯を食べ終わり店から私の家までハルキは送ってくれた。
「いや、今日はいいよ。家帰ってやることあるから。」
「そっか。気をつけてね。」
「ああ。お前も戸締まりちゃんとしろよ。」
「言われなくても大丈夫!」
「どうだか?」
ハルキが鼻で笑いながら言う。私は頬をふくらます。そして、お互いが同じタイミングでクスっと笑う。
「また学校でな。」
「うん。おやすみ。」
「おやすみ。」
そう言って私とハルキは別れた。私はなんとなくハルキの後ろ姿を見続ける。一度も振り返ることなくハルキの姿は見えなくなった。
私は階段をあがり、2階にある自分の部屋に入る。ハルキに言われた通りドアの鍵を閉めてチェーンをかけて私はミュールをぬぎ部屋の電気をつけた。
すると床のかばんからブーと言う定期的な音が聞こえる。マナーモードにした携帯の音だと気付き私は鞄から携帯を取り出した。
サブディスプレイにあらわれたのは
『長塚司』
電話だったので私は通話ボタンを押す。
「もしもし。」
『菜々穂?昨日は悪かったな、勝手に帰って。』
そういえば、いつもは一言言ってから帰るか簡単なメモが残されてたりするのに今回はそれがなかった。
「何か急ぎだったんでしょ?気にしてないよ」
『そうか。』
「そのことで電話してくれたの?」
『いや、まぁそれもあるんだけど、今部屋の電気ついたからさ。』
「え!?」
私は驚いてベランダに急ぎ窓を開けて外に出て身を少し乗り出して下をみた。
私の部屋の真下で長塚はこっちを見てにこやかに手をふってくる。
『ちょっとドライブしないか?』
私は一瞬迷ったがすぐに鞄を持ち部屋を出た。
長塚が飲みなおすと言って連れて行った場所はホテルのラウンジだった。
「私こういうところ始めて!!」
大人な場所にテンションがあがり私は声をおさえながら喜んだ。
「それだけ喜んでもらえたならよかったよ。何頼む?」
メニューを見てもいまいちピンっとこず、私は長塚にまかせることにした。
そんなに飲んだつもりはない。でも私の体は熱くて仕方なかった。
窓に設置されたカウンターの席だったので、私も長塚もあまり顔を合わせることなく外の夜景を眺めた。窓の向こうはキラキラ輝いていて宝石箱をひっくり返したようなという表現がしっくりきた。
そして、窓にうつる長塚はいつもより大人な男を感じさせた。
窓を見るとどうしても長塚が目に入るので私はうつむくことにした。すると、肩らへんの髪がそっと持ち上げられた。
「お前、直毛だな。」
全身の神経が髪に集中し、私は微動だにできなくなった。
すると髪を持ったまま長塚がクスッと笑った。
「顔まっか。」
私はかっとなり長塚の手を払いのけ自分で髪をつかんだ。
長塚は少し驚いたようだったが、私の頬にそっと触り笑顔で言う。
「菜々穂、俺と付き合わない?」
「……本気で言ってるんですか?」
「もちろん。」
顔は笑っていたが、目は真剣だった。
「別に強制する気はないし、お前と付き合うからって俺は家庭を捨てる気はない。いわば不倫だ。」
悪びれもなく長塚は笑顔のまま言う。
「でも、俺はお前が気に入った。かわいいと思ったし寝てみたいと思った。」
私は何も言えずにただじっと長塚を見つめた。
長塚はふっと笑って四つ折りにされたメモ帳を私の前に置いた。そうして私の耳元で囁きそのままラウンジを出て行った。
私は震える手でゆっくりとメモをひらいた。そこにはここのホテルの部屋番号がかかれていた。そして私の脳裏には長塚が言った言葉が反響する。
「あとはお前しだいだよ。」
その後のことは考えるより体が勝手に動いた。
「奥さんは?」
長塚の車の助手席に座り車が走り出してから私は聞いた。嫌味かもとも思ったが気になったので私は聞く。すると、長塚は顔色一つかえずに旅行に行ってると言う。
「男とだったりして。」
冗談めいて言うと長塚はかもなっと笑って返す。
「そんなことより、そんなかわいい格好してどこ言ってたんだ?」
別に意識してかわいい格好をしたつもりはないが、長塚にはそう見えるらしい。
「別に、ハルとご飯食べにいってた。」
「もしかしてお前の家まで送ってた?」
「うん、ハルはいつも送ってくれるから。」
今日は違ったが私の部屋にあがってお茶を飲んでいくこともあると言うと長塚は安堵の溜め息をついた。
「裏で待ってて正解だったな。」
私が首をかしげると長塚は苦笑する。
「お前の幼馴染みは俺のこと大っ嫌いだからな。出くわしたら殴られてたかも。」
私は笑ってそれを否定する。
確かにハルキは長塚のことはよく思っていない。でも人を殴るハルキなんて想像できない。実際今まで一緒にいてそんなハルキをみたことなんて1度もない。それを聞くと長塚は笑ってわかってないなっとつぶやく。
どういうことかと気になったが私はこれ以上ハルキの話題をしたくなくそこで終わらせた。
さっき長塚とのことでハルキが不機嫌になったばっかりなのに、私は今長塚と2人でいる。
(私はバカだ…)
わかっていても自分の行動を止められない。
私は黙って窓の外を眺める。街の灯はキレイだけど私には色褪せて見えた。全ての色がうそくさくて滑稽に眺め続ける。
そんな私を長塚がどう思って見てたかなんて、私には知るよしもなかった。
私は煙の匂いで目が覚めた。
私がそっと目を開けると横には上半身裸でベットに座っている長塚の姿があった。
ふっとこっちに目線をよこし私が起きたことに気付くとにこっと笑って灰皿にタバコを押し付けた。
「悪い、起こした?」
「いえ…」
ぼーっとする頭で答えて私は長塚を眺める。
「寝ぼけてるのか?」
そういって長塚は私の頭をなでる。その感触が気持ち良く私は目をつぶる。
またウトウトしかけると長塚が私の名前を呼ぶ。私は目をあけてまた長塚を見る。長塚は笑っていた。
「どうする?」
なんのことかわからず私は首をかしげる。
「このまま俺との関係続けるか?それとも今日で終る?」
私は黙り込む。
本当は部屋に来ては行けなかった。
今ならまだ引き戻せるかもしれない。でも…
「俺としては続けたいんだけど?相性いいみたいだしな、俺たち。」
それは性格が?それとも身体が?そう聞いてやろうかとも思ったが愚問すぎてやめた。
私は答えずにただ長塚を見る。長塚は笑って布団に入り私と目線を合わせる。
「まだ寝ぼけてる?」
長塚は私の頬に触れる。長塚の手は心地よい。私はこの手に触れられることが好きなんだと気付く。
「菜々穂、続けないか?この関係。」
卑怯な聞き方…。そう思ったが私は黙ったままコクンと首を縦にふった。
長塚は満足げに笑い私を抱き締めてキスをした。