ダブルスタンダード
自分の好きな人間の罪は、過小に評価され、
嫌いな人間の罪は、過大に燃やされる。
罪は、その人間の好感度によって、大きく変質する。
同じ罪を犯しても、Aは激しく罵倒され、Bは「むしろ被害者」などという謎の弁明が成される。
こういった現象(=部族主義)を見ていると、筆者は自分がつくづく、社会とは「裏返った人間」なのだということに気づかされる。筆者の場合、罪に対する罰は、身内に対してほど重くなる傾向にある(ここでいう身内とは、血縁だけではなく、仕事や友人関係全般の話)。
外の罪に対しては、それほど深く追求する気にもなれない(どうせ他人事だからだ)が、身内の罪には反省の色が見れるまでは厳しい。
しかし、世間一般は違うらしい。
自分の「嫌いな人間」を燃やすために、常に手ぐすねを引いて待っており、スキャンダルがあれば、そこに様々なものを付随させ、盛大に燃やす。これはいったいどういった心理構造なのだろうか?
「他責思考のルサンチマンが増えた」
これに尽きる気がするが、なんとも情けない話である。
―― ただ、これと「政治の話」は切り離すべきである。
話をわざと低次元なものへとすり替える政治家も多いので念のため。
◇
ただし、ここで「世間一般」のイメージについても、補足しておく必要がある。多くのひとは、SNSなどでのトレンドを「世論」と勘違いしがちだが、SNSは「極端な人々」の意見しか拡散されない。
「わざわざ、そこに投稿し、自らの意見を主張する人々の声」が、SNSの世論の正体であり、大半は大した興味もなく、何も言わずに傍観している。だが「みんなが怒っている」と社会全体が怒っているかのような錯覚を与えるのが、SNSというものであり、政治家たちですら、それにのめり込み、「世論誘導」に躍起となっている(今は業者を使い、自分の意見を補強するためのアカウントまで無限増殖させている)。Xなどが「バカ発見器」と呼ばれたのは、そのためである。
ここでヤフコメの数字をひとつ。
全体の登録ユーザーに対し、およそ1~2%ほどのアカウントが、ヤフコメのコメントの大半を書き込んでいる。という話を聞いたことがあるだろうか?(「1%ルール」「90-9-1の法則」)―― これが、みなが世論と思い込んでいるものの「正体」だと知れば、もう少し、いろいろと冷静になれるのではないだろうか。
Xにしても、わずか1%のユーザーが炎上している話題の半数以上を投稿しているという話もある。だとすれば、これほど世論誘導のしやすいメディアも他にはないということだ。




