隣人は生きているのか?
最近住んでる町が、静かになっているような気がする。
洗濯物が干してなかったり、
庭木が荒れ放題になっていたり、
人の気配がしない。
5年ほど前、町内会がなくなった。
会計による町内会費の横領が発覚し、
もともと不満が多かった町内会は廃止された。
全国的に町内会は廃止の方向に進んでいるらしい。
町内会がなくなって、良かったと多くの人が言っていた。
ただ、
どこの誰が亡くなったか、そういう情報は入ってきにくくなった。
別に町内の知らないお爺さんが亡くなった所で興味も湧かないが、
町内を可視化するものがなくなったのは事実だろう。
7日目
「隣人は生きているのか?」
というメッセージが届く。
昨日同様これ以外には、何もない。
ただこれだけのメッセージ。
今回のメッセージは……、
町内会の話とリンクして、
少し不気味に感じた。
時計を見ると午前6時30分。
いつものように、
父と母は朝ご飯を食べている。
今日もテレビがついていない。
「おはよう」
と俺が言うと、
二人ともニコッと笑った。
「そういえば、町内会がなくなって5年ほどたつね。どう?」
と俺は言った。
「どうって?」
と母さんは言った。
「いや困った事とかなかったかなって」
と俺は言った。
「そうね。困ったことはなかったわね。よくよく考えると、本当に町内会っていらなかったわね。うちで毎年1万2千円くらい払ってたから、返してもらいたい」
と母さんは言った。
「そんなに払ってたの」
と俺は言った。
「そうよ。あんなの町内会の役員が飲んで食ってする金になってるだけだったからね」
と母さんは言った。
「それはひどいね。会社だったら横領だよ」
と俺は言った。
「そうよ。それだけで済んだらまだよかったけど、町内会で集めていた公民館建設の積立金を会計が着服してて、捕まってるからね」
と母さんは言った。
「そうなんだ。じゃあまったく無意味だったってこと?」
と俺は言った。
「無意味は言いすぎかな。町内の人の事は割と知れたから。今はわからないものね」
と母さんは言った。
「そうだね。ここらへん人減ってるんじゃないの?」
と俺は言った。
「そうよね。お隣さんは、去年亡くなったしね」
と母さんは言った。
「そうなんだ。葬式してなかったんじゃない?」
と俺は言った。
「今は病院から直葬ってのも多いみたいよ」
と母さんは言った。
「親方が言ってたが、直葬は今一割くらいは、そうみたいだな」
と父さんは言った。
「そんなにいるの?」
と母さんは言った。
「なんでそんなに直葬が多いんだろうね」
と俺は言った。
「そんなもん。葬式なんて、あんな金かかるもんねぇぞ。あぁ言うのをな、弱り目に祟り目って言うんだ」
と父さんは言った。
「そんな不謹慎ですね。まぁそう思いますけど」
と母さんは言った。
「どれくらいかかるの?」
と俺は言った。
「昔はな。ひどくてな。300万とかかかったもんよ。立派な葬式しないと、恥をかくみたいな風潮でな。それで相続した財産、全部葬儀屋に持ってかれたって泣いた後家さんを何人見た事か」
と父さんは言った。
「まぁね。最近は少し安くなってるみたいですけどね」
と母さんは言った。
「どれくらい」
と俺は言った。
「それでも100万とかするっていうぜ。俺の時はな。直葬で誰も呼ばねぇで一番安く済ませてくれ」
と父さんは言った。
「わかりました。そうします」
と母さんは言った。
「うん。わかった。お坊さんくらいはいらない?」
と俺は言った。
「いや。どうだろうな。俺……無宗教だしな。いらないんじゃないか?」
と父さんは言った。
「私の時は、お坊さんだけ呼んで、お経だけあげてもらって」
と母さんは言った。
「父さんはいらない」
と俺は言った。
「まぁ……。お経だけあげてもらおうかな。戒名とかはいらないわ」
と父さんは言った。
俺はふと気が付く。
昔は死んだら『お星様になる』とよく言っていたが、
今もその言葉は生きているのか?
死はたんなるコストであり、
それ以外の何物でもないのではないか。
死がセンチメンタルで、
死が悲観的で、
死が非日常だった時代が、
たしかにあったはず。
今はどうだろうか?
死はセンチメンタルか?
死は悲観的か?
死は非日常か?
俺は自らの問いに答えが出せなくなっていた。
きっと、
ニュースや物語で、あまりにも日常的に死を見続けているせいだろう。
死は悲しい出来事というより、
あまりにも身近な出来事にしか感じられない。
俺はふと過去に自分探しで行った写経について思い出していた。
写経とは経を書き写すことで、精神を鎮めるという作業だ。
写経でよく使われるのが般若心経。
般若心経の中に色即是空という言葉があり、これが般若心経の中心的概念に
なっていると、俺は思っている。
色即是空とは、色すなわち空なり。
色というのは、様々なモノや出来事、
空というのは、空虚や形が本当はないものという意味である。
昔は、
死がセンチメンタルで、
死が悲観的で、
死が非日常だった。
しかし、ニュースや物語で、大量に死に触れたことで、死が空虚なものになってしまった。
つまり死の観念の希薄化は、意図せずにこのような結果になっているが、
同時に、色即是空の根本概念を、意図せず直感的に理解しているのではないだろうか。
どうなんだ?
感情が死んだのか?
それとも悟ったのか?
悟りは感情の死なのか?
それとも理解なのか?
ぼーっと考え込む俺を見て、母さんが言った。
「まぁあんまり考え込まないで、あっそうだ。卵豆腐貰ったから食べな」
と母さんは卵豆腐を出してくれた。
「珍しいね。どうしたの?」
と俺は言った。
「俺もくれ」
と父さんは言った。
母さんは父さんにも卵豆腐を出しつつ、
「スーパーで当たったのよ」
と母さんは言った。
卵豆腐の冷たさが、俺の脳を強制終了させた。
そうだ。
わからないままで放置する勇気も必要なんだと。




