その食べ物は本物か?
「お前は社会の、システムのパーツにすぎない。
何も考えず、ただ与えられた業務をこなしていればいいんだ」
とオーナーは冷たい目でそう言った。
「日々同じくり返しで、嫌だ。嫌だ。嫌だ。考えたい」
と俺は叫ぶ。
「考えたい?
贅沢をいうな。
お前のような末端のパーツが考える余地などない。
全ては上の考えで動く」
とオーナーは言った。
「確かに多くの人は社会のパーツかもしれない。
しかし、そのパーツの中に、時として突然変異が生まれる。
それらの一部は駆逐されるが、
それらの一部はシステムに感染し、
社会というシステムの態様(OS)を変容させる。
俺がパーツ側か、突然変異側かは、重要ではない。
ただそういう事実があるという認識を持つことが重要なのだ。
そうすれば混乱せずに済む」
と俺は言った。
ふと気が付くと、俺は自分の部屋にいた。
5日目
「その食べ物は本物か?」
というメッセージが届く。
昨日同様これ以外には、何もない。
ただこれだけのメッセージ。
今回のメッセージは……、
なんだろう。
当たり前の質問のように感じた。
時計を見ると午前6時30分。
いつものように、
父と母は朝ご飯を食べている。
今日もテレビがついていない。
「おはよう」
と俺が言うと、
二人ともニコッと笑った。
これがコミュニケーションか……。
俺はそう思った。
コミュニケーションとは、言語的なつながりが主だとばかり思っていたが。
笑顔というのも、コミュニケーションの一つの態様なのだと知った。
食べ物が本物か?
この疑問自体珍しいものではない。
いちごの香料が入ったお菓子は、いちごの香りはするが、いちごではない。
あくまでいちごという体験をするためのモノだ。
それが悪いものではないだろう。
ではなぜ。
「その食べ物は本物か?」
というメッセージが届いたのだろうか。
これもなにかの気付きがあるのかもしれない。
整理してみよう。
①なにかの食べ物を再現する別の食べ物がある⇒いちご味のプリン、ステーキ味のポテトチップ、カニ風味のかまぼこ。
②もはや本来の味ではなくなった作物⇒品種改良により味の変わったミカンなど
③産地偽装や品種偽装
これらが代表的なものであろう。
では……
なぜ、偽物の食べ物を作ることになったのだろう。
偽物が作られるのは、経済原理があったときだけだ。
たとえば、安値で放置されているものの偽物は出ない。
偽物が出るのは、高級だったり、手が入りにくいものだ。
希少価値があるから、産地偽装や品種偽装が行われる。
もし
「その食べ物は本物か?」
が比喩だったとすると、
本来は価値の低いものを高値で買わされていないか?
ということになる。
そういうことはあるのだろうか?
しかし、この本物か?という問いは、かなり難しい。
真偽を確かめるには、本物に何度もあっていないと、ムリだ。
たとえば高級牛肉を食べたとする。
いつも安い肉しか食べてなければ、それが高級牛肉だと言われてもわからない。
ブランド物でもそうだ。
いつも高級ブランドばかり見ていれば、偽物が見分けられるかもしれない。
しかし……、
大半の場合、安い偽物に騙されるのは、金のないものだ。
金がないから、
リスクを取る。
そして騙される。
そうか……。
金持ちがますます金持ちに、
貧乏人がますます貧乏になるのは。
こういうところでもあるのか。
騙されるのはなぜか?
欲だ。
欲が人の判断を複雑にさせる。
しかし欲が悪いわけではない。
では……、
なぜ?
焦りか……。
なんの焦りだ。
豊かになりたい。
良い恰好がしたい。
早く楽になりたい。
そういう焦りなのかもしれない。
俺もずいぶん焦っていた。
自分探しというのは、いわゆる焦りの産物なのかもしれない。
自分に十分満足していれば、自分なんて探さない。
満足できず、それでいて、時間的に切羽詰まると、自分探しを始めるということではないだろうか。
そういう焦りに惑わされて、
本当の自分が見つかると謳った、様々なものに飛びつく。
今度こそ、本当の自分が見つかって。
そして覚醒する。
今きっと俺は覚醒したと思う。
俺は再びメッセージを見た。
「その食べ物は本物か?」
食べ物というのは、単に食べ物ではなく、自らに取り入れるものの、比喩だと仮定する。
自らに取り入れるものは、本物か?
という事になる。
俺は座禅を組んだ。
この経験は紛れもなく本物だ。
しかし……、
覚醒は生まれなかった。
なぜか?
座禅では、そう簡単に覚醒は生まれないからだ。
達磨大師は、壁に向かい座禅を組むこと8年で悟りを得たという。
達磨大師のほかに、座禅を組んで、悟りを得たという人物を聞いたことがあるだろうか。
おそらくいるのであろう。
しかし30分で悟りを得ました。50回の座禅体験で悟りを得ました。
みたいな話は聞いたことがない。
つまり達磨大師レベルの優秀な僧侶でも8年間かかった。
というのが、正確な判断なのだろう。
つまり……。
座禅で覚醒は得られる。
しかし、それはインスタントな効果ではなく、かなりの積み上げが必要。
ということなのだろう。
今朝の夢を思い出す。
…
「お前は社会の、システムのパーツにすぎない。
何も考えず、ただ与えられた業務をこなしていればいいんだ」
とオーナーは冷たい目でそう言った。
「日々同じくり返しで、嫌だ。嫌だ。嫌だ。考えたい」
と俺は叫ぶ。
…
座禅などは、日々同じくり返しだ。
なにも動かないから。
業務上の同じくり返しよりタチが悪い。
そして優秀なものなら8年で覚醒する。
俺は一つの可能性を考えた。
座禅という究極の単純作業が、覚醒になりうるなら。
ガソリンスタンドでさえ、覚醒の現場になりうるのではないか……。
青い鳥は家にいた。
それが答えなのかもしれない。
まさか……。
そんなことが。
まさに……、それだ。




