君は本当に守られているのか?
2日目
「君は本当に守られているのか?」
というメッセージが届く。
昨日同様これ以外には、何もない。
ただこれだけのメッセージ。
今日は昨日のように疑問は湧かなかった……。
俺は考えた。
守られるとは何か?
警察機構、国防、災害、食料自給率?
あらゆる所で守られるというキーワードは当てはまる。
時計を見る。午前6時30分。
どうもメールはこの時間に来るらしい。
父と母は朝ご飯を食べている。
うちでは毎朝テレビがつけっぱなし。
今朝は自給率が低いことについての報道があった。
ある有識者はこう言った。
「アメリカは127%、日本は39%しかありません」
と……。
俺は再び思い出した。
「君は本当に守られているのか?」
「日本はなんで自給率が低いんだ」
と俺は言った。
「あぁそれはな。アイスクリームとかチョコレートとか外国のお菓子ばっかり食うからだよ。日本人は日本人らしく、ご飯と、納豆と鮭を食ってりゃいいんだよ」
と父は言った。
「お父さん。冴えてるわね」
と母は言った。
「そうか……アイスクリームとかチョコレートのせいなんだ」
と俺は言い、食器をまとめて洗い出す。
ふと鮭の入っていた発泡スチロールの容器と、納豆の容器が目に付く。
鮭はアルゼンチン、納豆の豆はアメリカ産だった。
俺はそのことについて何も触れなかった。
『無知は罪』
という言葉を思い出した。
俺は感じた。
少なくとも自給率の部分では、この国は守られているとは言い難いと……。
……
俺は準備をして、スタンドに向かう。
昨日とはうって変わって、快晴だった。
俺はふと『カラザ』という少女の事を思い出した。
あれは2年前の春。
カラザという18歳の少女がスタンドのバイトに入った。
「君、珍しい名前だね」
と俺は言った。
「おじいちゃんが養鶏やってるもので」
とカラザは言った。
「養鶏?」
と俺は言った。
「カラザというのは、卵の白身と黄身をつなぐ白い線です。卵を守っているそうです」
とカラザは言った。
「そういえばあるね」
と俺は言った。
「カラザは捨てる人もいるが、栄養があるのだと、おじいちゃんは言ってました」
とカラザは言った。
「そうなんだ。白身と黄身をつなぐって……なんか素敵な名前かもね」
と俺は言った。
「そんな事ないです。
……これは呪いの名前です」
とカラザは言った。
「どうしたの?」
と俺は言った。
「私の両親は離婚しました。そして私は多くのカラザのように捨てられました。引き取ったのはカラザを栄養があると言ったおじいちゃんだけでした」
とカラザは言った。
「ごめん。無神経な事を聞いたね」
と俺は言った。
「いえ。いいのです。名は体を表すといいますが、名前倒れという言葉もありますから。私は名前倒れなだけです」
とカラザは言った。
俺は言葉を失った。
彼女に適切な言葉をかけられなかった事が、
いけなかったのだろうか。
それとも名前に触れたことが、
いけなかったのだろうか。
カラザは3日でスタンドをやめた。
「最近の若い子は、すぐに辞めるから困る。うち3Kだからね。まったく求人コストが高くついて仕方がないよ」
とオーナーは言った。
俺は思った。
そうか経営者というのは、
その本人の事情や、やめるという物語に興味はなく。
ただ求人コストという数字だけで、全てを判断しているんだ。
それが冷徹であるとか、
それが悪いとか、
そういう評価をしたのではなく。
ただ。
人ではなく、数字なんだと。
……
カラザは守られていたのか?
彼女の名前は、彼女が世界を守ることを示唆していた。
しかし彼女は守られなかった。
父からも母からも。
守られなかった。
必要とされなかった。
俺はどうだ。
社会から必要とされている?
それは個人として?
それともガソリンスタンドのパーツとして?
必要とされるものは、守られる。
物語の王女様がいい例だ。
ドラゴンにさらわれようとも、魔族にさらわれようとも、
必ず勇者や騎士が助けにくる。
王女は必要とされているのか?
カラザと王女の違いは何なのだ?
学歴か。
親か。
育ちか。
そうか……、
社会は平等にはできていないのだ。
よく言われる。
『平等な社会』
この言葉は、すなわち、平等という状態が、スローガンなしでは、
到達しえないことを、暗示しているのではないだろうか?
しかし……、
人類は常に平等について戦ってきたのではないのか?
なぜいまだに、平等な社会というスローガンが使われる。
仮に、
俺が平等な社会を革命で成し遂げたとする。
俺は父と見ず知らずの老人を、平等に対等に扱うのだろうか?
それは現実的にムリだ。
仮に、俺の革命を手助けしたものを、反対したものと同様に、対等に扱うことができるのだろうか?
これも現実的にムリだ。
ちょっと待て、平等な社会なんて、到達が不可能な幻想なのではないのか?
俺は再び、メッセージを見る。
「学校教育は真実を教えているのか?」
「君は本当に守られているのか?」
平等な社会が到達不可能な幻想であるとするならば、
人々はどう思う?
怒るのではないか?
だとするなら、
社会はどうなる?
混乱に陥るのではないか?
学校教育が真実を教えない原因は、
真実を教えると、
社会が混乱に陥るからなのではないか。
だから安全という到達不可能な幻想を抱かせ。
なんとなく、やりすごす。
そんな事を日常的に行ってきたのではないだろうか。
ある意味、守られてはいる。
混乱に陥り、アナーキズム、無政府主義に陥った国では。
力こそ正義になり、暴力の温床となる。
それが良いわけはない。
なんだ……。
この煮え切らない態度が、安全域だとでも言いたいのか。
俺は世界を理解したのだろうか。
それとも、世界からずいぶん解離した地点にほうり投げられたのだろうか。
真理を追究し、真理にたどり着いたものは、どうなったのだろうか。
俺は正しく歩けているのだろうか?




