第8話 声優と、作者と、弟と。
週末。
出版社が借りているアニメ収録スタジオの一角に、東雲悠真は立っていた。
隣には担当編集の朝陽。
場慣れしている彼女とは対照的に、悠真はどこか落ち着かない。
「本当に来てくれて助かりますよ。
原作者チェックがあると、現場の動きが全然違うので」
「僕なんかが来て意味あるのかな……」
「あります。めちゃくちゃあります」
朝陽は苦笑しながらも、強く言い切った。
(※業界全員が“天才新人”扱いしている本人だけが理解していない)
その時、スタジオの扉が勢いよく開いた。
「おはようございます! “黎明先生”はもう来ていますか?」
鈴のような明るい声が響く。
入ってきたのは――
人気声優・白鷺ゆり。
彩花の姉にして、東雲作品の熱狂的ファン。
白いカーディガンに淡いピンクのワンピース。
小柄なのにステージ映えする“華”のある女性だ。
朝陽が挨拶する。
「白鷺さん。今日は原作者さんが視察に来ています」
「え!? 会えるんですか!」
ゆりの瞳が一瞬で輝き、空気がぱぁっと明るくなる。
(※もちろん“地味男子=黎明先生”とは思っていない)
「どんな方なんですか!? 文章があんなに繊細で……
絶対、雰囲気のあるクリエイターって感じですよね!」
「……紹介しますね」
朝陽は横に立つ東雲を軽く押す。
ゆりが振り返った。
「――あれ?」
ゆりの足が止まった。
そこにいたのは、
学校にいたら間違いなく“普通の男子”に分類される――
いや、やや地味寄りの青年。
「こちらが原作者の東雲悠真くんです」
「ど、ど……どっ、どうも……白鷺ゆりです……」
顔が一瞬で真っ赤に染まっていく。
「ほんとに……普通の人なんだ……っ」
「普通でごめんね……」
「いえ! すごくいいです!!!(何が!?)」
ゆりは慌てて台本を取り出し、誤魔化すようにめくった。
「こ、このシーン!
“……ありがとう”のセリフの“間”がすごく好きなんです!」
「間?」
「はい! 先生の文は、言葉の後に“3文字くらいの沈黙”があるんです!
それが自然で、温かくて……!」
東雲はきょとんとする。
「そんなふうに考えて書いたことないけど……」
「えっ……無意識で……?」
ゆりは衝撃で台本を落とした。
朝陽も苦笑しつつ呆れている。
「白鷺さん、先生は全部“無意識の天才”なので」
「……天才……」
ゆりは東雲の横顔を見つめ、胸を押さえた。
気づいてしまった。
地味なのに、普通なのに、
“作品だけで世界を動かす人”だと。
――その時だった。
壁の向こうから妙な物音。
「うぅ……また……東雲……姉貴と仲良くしてる……
僕のライバル……敵わない……」
朝陽はため息をつき、壁を開けた。
「桐谷さん、何してるんですか」
出てきたのは新人作家・桐谷海斗。
ゆりの弟。
そして東雲の才能に勝手に燃えて勝手に負けて勝手に落ち込む男。
「ぼ、僕はただ……原作者の視察に来て……
姉貴がまた才能ある男にときめいてて……
東雲がまた一歩先にいて……
ぐぬぬぬぬ……!」
「帰ってください」
「わかったよ!!」
泣きそうな顔で去っていった。
東雲は困ったように笑う。
「桐谷くん、いつもあんな感じなの?」
「はい。先生のファン兼ライバル兼めんどくさい弟です」
ゆりが少し照れながら東雲に近づいた。
「せ、先生……
よかったらこの後、キャラの心情についてお話ししたいです。
私、先生の書く“温度”をもっと知りたくて」
東雲は自然体のまま微笑んだ。
「うん。僕でよければ」
ゆりの心臓が跳ねた。
(……こんなはずじゃなかったのに……
私、作品のファンだっただけなのに……
なんで……この人、こんなに……)
距離はほんの少しだけ縮まる。
だが、ゆりはまだ知らない。
――目の前の“普通の男子”が、
自分の妹・彩花が崇拝している“作者そのもの”であることを。
そして彩花は
“この男を告白で振ったばかり”であることも。
物語は、三人の運命をゆっくり絡ませ始めていた。




