愚かな王太子の婚約破棄の下でうごめく王宮の陰謀
「まぁ何で料理にバウスの実が入っているんだ」
「まったく。なんていうことでしょう」
「何でこんな縁起悪いバウスの実が料理に?」
ディアス王太子は焦った。
何でだ?どうしてだ?料理のメニューは細かい所まで、チェックしたはず。
それなのに、なんでバウスの実が?
マリ王国では、バウスの実は縁起の悪い実とされている。
黄色く丸いバウスの実。味はほくほくしていて、少し甘くて美味いのだ。
だから、人々に好んで食べられているのだが、先代国王がバウスの実を喉に詰まらせて亡くなった事から、おもてなしの場で出されるには縁起の悪い食べ物として、避けるようになった。
ディアス王太子はそれはもう、金の髪に青い瞳の美しい王太子だ。
歳は18歳。
今日はディアス王太子主催で、父や母である国王夫妻。異母弟のバレウス第二王子。異母妹のマリーヌ王女。高位貴族達を招いて、食事会が行われていた。
そこには、ディアス王太子の婚約者であるフレデリアも出席していた。
ディアス王太子の傍でにこにこ微笑んでいるフレデリアは王立学園で知り合ったルド男爵家の出身の令嬢だ。
金の柔らかい髪に緑色の瞳をした彼女は可愛らしかった。
そして、まるで礼儀を知らなかった。
貴族なら誰でも通う王立学園で、ディアス王太子に話しかけてきたのだ。
それもいきなり。
「綺麗な王子様。私、フレデリアっていうの。ねぇ。手を繋いでいい?」
護衛も兼ねている生徒達が、フレデリアに向かって注意をする。
「王太子殿下に触れては駄目です」
「なんて礼儀がなっていない」
「ごめんさいっーー。だってあまりにも綺麗な王子様だったから。触りたくなっちゃったの」
にこにこして言うフレデリアがとても新鮮に映った。
自分の婚約者の公爵令嬢アイスリーヌ・イルド。
彼女は銀の髪に青い瞳のとても冷たい容姿をしていた。
話をする内容も、事務的で。
何だかとてもつまらない。
「王太子殿下。今週の王太子妃教育は殿下も顔を出して下さるようお願い致しますわ」
「何故?私が顔を出さねばならない」
「それは、ダンスの練習だからです。王太子殿下と息を合わせて踊れないと、恥をかきますわ。わたくしに恥をかかせる気ですの?」
「いや、そう言うなら。顔を出そう」
名門公爵家の令嬢だから気位が高い。
だから、ディアス王太子は彼女が苦手だった。
しかし、アイスリーヌが婚約者になったお陰で、アイスリーヌの父であるイルド公爵家派閥から、ディアス王太子は支持をされるようになった。
アイスリーヌのお陰で、王宮でも大きな顔が出来るようになった。
前王妃フェリアの息子であるディアス王太子。
それに比べて、現在のエリーヌ王妃の息子と娘である。バレウスとマリーヌ。二人はディアス王太子18歳より、二つ年下の16歳の双子である。
現在の王妃はイルド公爵家と対抗派閥、マセル公爵家の出である。彼女の兄が現当主だ。
だから、現王妃エリーヌは、ディアス王太子を煙たく思っていた。
ディアス王太子は、国王になる為にも、アイスリーヌと婚約を結ぶ必要があったのだ。
だが、耐えられなくなった。
アイスリーヌの冷たさに。
そして、フレデリアの優しさに惹かれるようになったのだ。
フレデリアはいつも励ましてくれる。
「王太子殿下は頑張っておいでです。それなのに。アイスリーヌ様は褒めて下さらないのですか?」
「褒められた事はないな。出来て当たり前。恥をかかせるなとそういう考えの持ち主だ」
「可哀そう。私だったら、沢山癒して褒めてあげるのに」
そう言って手を握ってくれるフレデリア。
彼女の事が愛しいと思った。
アイスリーヌなんて、顔を見ればいつも、
「わたくしに恥をかかせないで下さらない?王太子殿下。もっとしっかりして下さらないと」
と小言ばかり言ってくる。
そんな女は嫌だ。
だから、王立学園卒業パーティで婚約破棄をしてやった。
「アイスリーヌ・イルド公爵令嬢。そなたの冷たさに嫌気が差した。
だから婚約破棄をする。そして、新たにフレデリア・ルド男爵令嬢と婚約を結ぶ」
フレデリアはディアス王太子の隣で、
「嬉しい。私、王妃様になれるのね。なんて素敵なんでしょう」
対照的にアイスリーヌは、
「わたくしと婚約破棄をして後悔なさらないの?」
「後悔なんてしない。心の冷たい君より、優しいフレデリアと私は結婚するんだ。優しいフレデリアなら、素晴らしい王妃になるだろう」
弟のバレウス第二王子に笑われた。
「兄上は愚かだな。ふん。まぁいい。こちらとしては都合の良い」
アイスリーヌは淡々と、
「婚約破棄、了承しましたわ」
と受け入れてくれた。
可愛く愛しいフレデリアとなら、フレデリアなら王国を照らす優しい王妃になるだろう。
そう思ったのに‥‥‥
アイスリーヌへの婚約破棄の慰謝料を自分の与えられている予算から払ったが、アイスリーヌと別れて、フレデリアと結婚出来るなら安いものだと思った。
フレデリアは婚約者として王宮に移り住んで、王太子妃教育を受ける事になった。
しかし、まったく、教育は進まない。
そもそも、王立学園の成績もあまりよくないのだ。
彼女と話をしていて新鮮だった。
自分を褒めてくれて嬉しかった。
冷たいアイスリーヌと別れたかった。
だから、フレデリアと婚約をしたのに。
フレデリアに会った時に、
「もっとしっかりしてくれないと困る。君は王妃になるのだから。勉強を真面目にしてくれないと」
フレデリアは笑って、
「だって難しいんですもの。私には無理かも」
「そうは言わずに。フレデリアっ」
フレデリアは渋々、王太子妃教育を受け続けた。あまり進まなかったが。
そして、王太子として、国王夫妻や弟妹、そして高位貴族をもてなすことになった。
ディアス王太子は準備に気を遣ったのだ。
食事のメニューも、細かく指示を出して万端に準備を整えて、もてなした。
それなのに、肉料理の添え物にバウスの実が使われていたのだ。縁起の悪いバウスの実が。
先代国王が喉を詰まらせて亡くなったというバウスの実。
ディアス王太子は真っ青になった。
「私は、バウスの実を入れないようにメニューまで気を遣った。何故?バウスの実が」
父である現国王が、
「お前、私に死ねというのか?縁起の悪いバウスの実を使うだなんて」
義母であるエリーヌ王妃にせせら笑われた。
「バウスの実を使うだなんて。ディアスも教養がまったくなっていないわね。国王になるのにふさわしいかしら?」
王妃の兄であるマセル公爵も、
「どういう事ですかな?王太子殿下。国王陛下に早く死ねとおっしゃられているとしか」
慌ててディアス王太子は、
「父上。誤解です。私はバウスの実を入れるように指示はしていません。何かの間違いです」
隣でフレデリアが、
「私が指示したの。だって、バウスの実って美味しいじゃない?だから、後から指示したのよ。縁起が悪いだけでバウスの実を食べないだなんてもったいない。だって美味しいじゃない?」
そう言って、バウスの実をパクパク食べた。
フレデリアの仕業だったのか?確かにバウスの実は美味しいが。
あああっ。なんてことをしてくれた。
散々な接待になってしまった。
王太子殿下は礼儀知らずと、王宮で囁かれ、父である国王の態度は冷たくなった。
フレデリアには反省して欲しかったが。
「私はやりたいと思った事をやったまでよ。美味しいバウスの実を料理に出したいから出しただけよ」
と言って反省もしなかった。
夜会に一緒に出ても、ダンスをまともに踊ることが出来ない。
フレデリアはダンスも下手で、足を踏みまくられる位に下手だ。
そして、ドレスはフリルの沢山ついたピンクのドレスを好んで着た。
品がない。あまりにも酷い。
周りの貴族夫人達が口々に悪口を言っていた。
だが、ディアス王太子も同様に思ったのだ。
なんて品がない。
それに比べて、アイスリーヌは紫紺のドレスを優雅に着て、銀の髪をアップにし、兄にエスコートされて、夜会の会場に入場してきた。
大勢の派閥の貴族達がアイスリーヌに挨拶をする。
優雅に答えるアイスリーヌ。
それに比べて自分の隣にいるフレデリアは、ただただ品がなく。
「あそこへ行って美味しいものを食べましょう」
「いや、食べるより貴族達に挨拶をしないと」
「疲れるから嫌よーー。美味しいものを食べたいの」
このままでは王太子の位も危ないのではないのか?
このままフレデリアと婚約をしていていいのか?
アイスリーヌが近づいて来て、扇を手に話しかけてきた。
「再び婚約をしてもよろしくてよ」
「私は、フレデリアを愛しているんだ」
「まぁ?あの女を?礼儀も何もない、犬の方がマシですわ」
フレデリアはテーブルに行って、ケーキをパクパク食べていた。
アイスリーヌはディアス王太子に、
「我がイルド派閥は大打撃ですわ。貴方がわたくしを婚約破棄したのですもの。マセル公爵派閥に負けたくない。このままでは貴方は王太子を下ろされるわ。あの女じゃ貴族社会を生きていくのも、ましては王妃は無理でしょう。だから、婚約を再び結んでもよろしくてよ」
「君のそういう所が私は嫌いだ」
冷たい女。政略だから?派閥の為だから?
だから私は婚約を破棄したんだ。
フレデリアは私自身を見てくれた。
私自身に対して、褒めてくれた。
「いつも頑張っていて凄いわ」
って、アイスリーヌは一度も褒めてくれた事がない。
恥をかかせるな。としか言ってくれない。
「私は王太子として頑張っているんだ。だから、私自身を見つめておくれ。
私自身を褒めてくれ。何で私自身を見てくれないんだっ。君は冷たい女だ。だから、私はフレデリアに惹かれたんだ」
思わず叫んでしまった。
アイスリーヌは扇を手に、睨みつけてきた。
「わたくしが冷たい女だから嫌いですって?貴方、市井に下るといいわ。王太子に、将来の国王陛下に向かない。王妃フェリア様も嘆き悲しんでいられることでしょうね」
「母上を知っているのか?」
「幼い頃、お会いした事がありますわ。優しい王妃様だった。わたくしは父から貴方と将来婚約するだろうと言われた時、フェリア王妃様みたいになりたいって思ったの」
「だったら、もっと私に優しくっ」
「出来ないわ。だって、わたくしは刃の上に立っているような物ですもの。イルド公爵派閥はマセル公爵派閥と争っているわ。隙を見せる訳にはいかないの。貴方の婚約者になったわたくしは、最高の女性でなくてはならない。でないと、第二王子バレウス王子やその婚約者の令嬢。マセル公爵派閥の令嬢だったわね。アレド公爵令嬢。彼女にも負ける訳にはいかないの。だから恥をかかせるなって。貴方に言ったんだわ。貴方だってバレウス王子殿下に負ける訳にはいかないでしょう。わたくしは刃の上に立って、必死に走っているの。将来の王妃になる為に。フェリア王妃様のような優しい王妃様にはなれないけれども、どんな荒波にも乗り越えて戦える王妃様になりたいわ。
わたくしは派閥の為に、そして王国の為に戦いたいの。わたくしに愛を求めないで頂戴。無理だから。わたくしと貴方は政略。わたくしは必死に走って来たのに。貴方に裏切られた。婚約破棄をされたわ。でも、貴方の婚約者は愚かだった。
さぁ選びなさい。王太子の位を落とされるか、それともわたくしと再婚約をするか?選びなさい」
「再婚約をしないと言ったら?」
「わたくしは派閥の誰かと結婚することになるでしょうね。マセル公爵派閥と戦うのは大変になるけれども、それでも父や兄を助けて戦うわ」
覚悟が違うと思った。
自分はなんて甘い人間だったのだろう。
自分自身を見つめて欲しい?
そんなの甘い寝言だ。
アイスリーヌは刃の上に立っていると。
その覚悟があったのだろうか?
自分が王太子でいる為には、フレデリアでは駄目だ。
アイスリーヌではないと戦えない。
刃の上に立つ覚悟が。
戦う覚悟が甘かった。
アイスリーヌに向かって謝った。
「私が間違っていた。もう一度。婚約を結んでくれないか?」
「ええ。喜んで。これで再び戦えるわ」
アイスリーヌの手の甲に口づけを落とした。
フレデリアと婚約を解消した。
フレデリアは泣き叫びながら、
「アイスリーヌ様に何かされたのね?私の事を愛してるって言ったじゃないっ。私、王妃様になるのっ。王妃様になるのよーーー」
胸が痛んだ。
一度は愛した女だ。
純粋に自分の事を褒めてくれた。
笑顔がとても可愛かった。
話をしていて楽しかった。
でも、現実は厳しい。
私は王太子になりたいのだろうか?
ああ、なりたい。私はフレデリアと結婚し、王太子の位を落とされて生きてはいけないだろう。
戦う覚悟がまるでなかった。
だから、アイスリーヌと再婚約をする。
彼女が戦うのは必要だ。
アイスリーヌに謝った。
「今まですまなかった。君と共に戦いたい。私は国王になるよ」
「ええ。期待しておりますわ」
アイスリーヌの微笑みが眩しかった。
本当に愚かな人ね‥‥‥
自分自身を見て欲しかった?
わたくしはとっくに諦めておりましてよ。
イルド公爵令嬢として生まれた時から、恥をかかない、公爵家の令嬢として生きる事を強要されてきたのよ。
厳しい教育。美しい見た目。隙を見せたら足を掬われる。
父も母も兄も皆、わたくしに完璧を求めてきたのよ。
フェリア王妃様は素晴らしい方だった。
とても優しくて。王宮の庭で幼いわたくしに優しく接して下さったわ。
あんな王妃様になんてなれない。
わたくしは恥をかかないように、完璧に生きるだけで精一杯なの。
あんな余裕のある様子を見せる事なんて出来ない。
優しい王妃様。暖かな王妃様。
それでいて、厳しい所は厳しく、器の大きい王妃様だった。
それに比べてディアス王太子殿下のなんて愚かな事。
甘い事ばかり言って、いつもいつもいつも。
勉強が足りない。足元を弟のバレウス第二王子殿下に掬われるわ。
だから、わたくしは、恥をかかせないで頂戴とつい言ってしまうの。
貴方も完璧であって欲しい。
でないと、王太子の位を落とされるわ。
わたくしと共に戦って欲しい。
そう思っていたのに。
フレデリア?
何?その女?
わたくしを婚約破棄?
わたくしは完璧だったはずよ。
そんな馬鹿な女に何が出来ると言うの?
どこかで恥をかくに決まっている。
思った通りだわ。
接待の席でバウスの実を出すだなんて。
夜会のドレスも何て品のない。
他にも無知で問題発言が多くて最低な女。
わたくしは完璧なのに。何であんな女に惹かれるの?
褒めて欲しかった?だったらわたくしを褒めてよ。
刃の上で戦っているわたくしを褒めて。
どれだけ今まで頑張って来たというの?
ええ、許してあげるわ。再婚約を結んであげる。
でも、貴方‥‥‥今度、わたくしを裏切ったらさすがに許す気はないわ。
地獄へ突き落としてあげる。
アイスリーヌとお茶を飲む。
彼女と再婚約をした。
アイスリーヌは微笑んで、
「あのフレデリアでしたかしら?元婚約者の」
「ああ、フレデリア。王宮から出て行った。私と婚約を解消したのだから当然だ」
「亡くなったそうよ。馬車の事故で。お気に毒に」
「君が???君が殺したのか?」
アイスリーヌに睨みつけられた。
「婚約破棄と言う恥をかかされたのですもの。あの女が原因で。当然でしょう。それに、わたくしに心が無いとでも?」
「君は冷たい女だ」
「戦う為には仕方なかったのですわ。わたくしだって、貴方の婚約者に、イルド公爵家の娘に生まれなければ、こんな冷たい女にならなかったわ。フェリア王妃様は立派ね。とても優しくて、余裕があって。大きな器を持っていた方だったわ。父が良く言っているもの。あの方は素晴らしかったって」
「だからって。フレデリアを殺さなくたって」
「女の恨みは怖いのよ。わたくしはあの女を恨んでいるわ。わたくしから貴方を盗ったのですもの。貴方とは政略。でも、わたくしはプライドを傷つけられたわ」
アイスリーヌの青い瞳から涙がこぼれる。
ディアス王太子ははっとした。
「本当に政略だけ?私に心が一つも無かったのか?」
「政略よ。政略。本当に政略よ」
「手が震えているね」
アイスリーヌが涙をポロポロ流して。
「わたくしだって女ですもの。貴方に愛されたい。愛されたいのよ。だから、あの女が憎かったの。ああ、将来の王妃失格ね。側妃だって妾妃だって娶る必要が出てくるでしょう。でも、わたくしは愛されたい。貴方に愛されたいの」
ディアス王太子はアイスリーヌを抱き締めた。
「私が悪かった。君の心を傷つけて。ああ、反省している。二人でこれからも頑張っていこう」
そう心に誓った。
弟のバレウス第二王子から嫌味を言われた。
「再婚約するだなんて。兄上はあのフレデリアとかいう愚かな女が似合っているのに」
妹のマリーヌ王女も顔を歪めて、
「本当に。それで失敗すれば、母上も大喜びだったでしょうね」
ディアス王太子はにこやかに、
「私にはアイスリーヌがふさわしいと良く分かったからね。愚かな女?彼女の事は忘れたよ」
「運河に馬車が落ちたってさ」
「乗っていた男爵令嬢が亡くなったと」
「死体も運河に沈んで見つからなかったと」
「お気の毒に」
「そうね。お気に毒にだわ」
一人の女性が運河を見つめながらつぶやいた。
一人の男が背後から声をかけてくる。
「もう少しだったのにな。兄上を王太子から落とすのは」
「さすがにあの公爵令嬢が苛烈で無理ですよーー私、死にかけたんですもの」
「で?これからどうする?」
「幽霊になっちゃいましたね。幽霊は遠くに消えますよ。仕事は終わりましたし」
「これは約束の報酬だ」
「さすが、バレウス様。気前がいい。それじゃ私はこれでっ」
元フレデリアは、運河の前を後にした。
「これからどうしようかな。ま、なるようになるかしら。でも、ちょっと好きだったな。あの、ディアス王太子殿下」
涙がこぼれる。
でも、フレデリアは涙を拭うと、しっかりと歩き出すのであった。




