表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/59

59.遡る、光

 時を戻す力――その力がまだ失われていないと知った瞬間、澪は胸の奥が跳ねるのを感じた。

 走り出したい衝動が、足の先までせりあがってくる。


 でも……違う。

 ただ巻き戻すだけじゃ、カイは救えない。


 あの時の自分は、何も知らなかった。

 この力のことも、あの世界の理も、カイが背負っていた秘密も、痛みも――全部。


「ちゃんと考えなきゃ……。カイを……絶対に救うために」


 澪は自分の部屋へ戻り、机にノートを広げた。

 ページを開く音が、静かな部屋に小さく響く。

 指先は震えていたが、ペンを握る手には迷いがなかった。


 世界の時間を巻き戻せるのは、一度きり。

 失敗は許されない。


 澪は深く息を吸い、あの世界で自分が見てきたもの――

 聞いた話、走った廊下、裂かれた光、それらをひとつひとつ思い出しながら書きつけていく。


 どの瞬間に戻るべきか。

 どう動けば、カイを救えるのか。

 だれも傷つけない為には、どう行動したらいいのか。

 モルフェウスが動くタイミングは。

 

 文字がページを埋めるほどに、澪の胸に眠っていた光が静かに灯り始める。


 気づけばその瞳は、ソフトテニスの試合で戦略を組むときの――

 あの時と同じ、強い光を宿していた。


「……負けない。絶対に」


 澪はそっとペンを置いた。

 ページの上には、震えと覚悟が混じった自分の筆跡。

 そのどれもが、未来への宣言になっていた。




 ***




 準備は整った。

 澪は深く息を吸い込み、自分の頬を両手でパシンと叩いた。


「……よし。気合い入れろ、私」


 胸が震えている。

 怖い。でも――止まっていられない。


 部屋のドアを見つめ、そっと呟いた。


「お父さん……絶対にちゃんと戻ってくるから。……いってきます」


 胸の前で手を組み、瞳を閉じる。

 心の奥の、あの日触れた魔力の温度を必死に探る。


 ――時よ、戻れ。

 あのクリスマスの夜に。


 澪の身体が光に包まれ、空気の層がゆっくりとねじれていく。

 世界が、軋むように反転し始めた。


 走馬灯のように景色が流れ、時間が逆向きにほどけていく。

 夜の灯りが巻き戻され、雪が空へ返り、人々の足跡が元に戻っていく。

 音も色も、世界そのものが逆さに滑っていく。


 澪の意識はその渦に溶けていった。


 

 ***


 

 温かい。

 

 手の甲に触れる、懐かしい体温――。


 澪はゆっくりと目を開けた。


 自分の部屋のベッドの感触。

 天井の色。

 そして、


 ……廊下へ出て行くカイの背中。


(……カイ……生きてる……!)


 声を上げたい衝動を、澪は喉の奥で必死に押し殺した。

 胸が痛いほど震えている。

 本当は泣き叫びたかった。

 でも――今はまだ。


(ダメ……今カイに全部話すわけにはいかない。

 カイの行動は全部モルフェウスに筒抜け……。カイを危険に晒すことになる……

 それに、今話したら――きっと、また一人で全てを背負おうとする)


 隣の部屋に微かに感じていた気配が離れていくまで、澪は動けなかった。

 やがて完全に気配が消えたのを確認し、そっと起き上がる。


 しばらく深呼吸して、落ち着きを取り戻し、ベッドに腰をかけた。


「……きっと、私を連れ去りに……あの人が来るはず」


 迎えに来るのが誰なのか、澪にははっきりとは分からなかった。

 けれど――胸の奥に、ひとつの顔が浮かんでいた。

 この世界でも、一度だけ出会った、紫の髪の女性。

 あの時カイと自分を助けてくれたひと……もし彼女なら。

 話を聞いてくれるかもしれない。

 協力を願えるかもしれない。


 ――でも。


 もし、現れるのが、あの男だったなら。


 胸が強く脈打つ。

 そして数分後。


 澪の部屋の窓辺で、空気がゆらりと揺れた。

 紫の髪が月光をふわりとすくった。


「……やっぱり……あなただったんだね……」


 澪が小さく呟くと、

 窓をすり抜けて現れたリュシアが、驚愕の表情で澪を見た。


「……娘!? なぜ目を覚ましているの……!」


 反射的に右手が持ち上がり、その掌に光が集まる。

 

「待って!!」


 澪は慌てて立ち上がり、リュシアの前に両手を出した。


「あなた……カイの部下のリュシアさん、だよね……?

 お願い、魔法はかけないで……話を聞いてほしいの!」


「何を言っている……怪しい娘め!」


 リュシアの声は鋭い。

 澪の一挙手一投足を警戒している。


「お願い!! カイを助けるためなの! ……だから、話を聞いて」


 澪の必死な声、その震え。

 “カイ”という名前が出た瞬間、リュシアの手がわずかに止まった。


 振り上げていた右手が、ゆっくりと下ろされる。


「……話だけでも、聞こう。だが下手な嘘を言えば――」


「ありがとう」

 澪は息を整え、リュシアをまっすぐ見た。


「今から言うことを信じてほしいの。……私は、あなた達の探していた星永の乙女なの」


「は……? 何を言っているの?

 団長は、あなたは“花を枯らした”と報告していたわ」


「それはきっと……カイが、私を守るためについた嘘。……リュシアさん、私の瞳を見て」


 澪は一歩近づき、リュシアの前に顔を向けた。


 リュシアは一瞬だけ迷ったが、その瞳を覗き込んだ。

 次の瞬間――


「……な……この瞳は……星永の乙女の……!?」


 夜空の星を散らしたような光、深い闇の奥に瞬く光の粒。

 紛れもなく、古の伝承に語られる“選ばれし者”の瞳だった。


「本当に……あなたが……? でもおかしい……白月花の儀はアストリア神殿の神官にしか……!」


「私は、そのアストリア神殿のアゼルさんの行った、白月花の儀で星永の乙女になったの」


「アゼル……!? なぜその名を……!」


 リュシアの声が震える。

 澄んだ目の奥で、警戒と困惑が交錯する。


「私は一度、あなたたちの世界に行った。そこで白月花の儀を受けて星永の乙女として覚醒した。

 そして――時を戻して、ここに帰ってきたの」


「時を……戻した……ですって……? 星永の乙女に、そんな力があるなんて聞いたことない……」

 リュシアは言葉を失った。


「聞いて。私が世界を巻き戻した理由を」

 澪は一度唇を噛み、胸の奥から絞り出すように続けた。


「カイは……あの世界で私をアストラリオスの犠牲にさせない為、モルフェウスに逆らったの。

 そして……私を元の世界に帰すために戦って、モルフェウスに胸を貫かれた……」


 言葉が震えた。

 涙がこぼれそうになる。


 リュシアの表情が硬直する。

 信じられない、という言葉がその瞳に浮かんでいた。


「……団長が……? あなたを守るために……?」


「信じられないよね。でも、カイだけじゃないの。あなたも……多分アゼルさんも……モルフェウスに……」


 澪は拳を握りしめた。


「だから私は……カイも、あなたも、アゼルさんも傷つかない未来を、やり直すために戻ってきたの」


 深い闇の中で、澪の言葉だけが真っ直ぐに向けられる。


「お願い……協力してほしい」


 まっすぐな瞳。

 その必死さと透明な光に、リュシアは息を呑んだ。


(この娘の言葉は……信じがたい。だが、この瞳は……嘘ではない)


 リュシアはゆっくりと魔力を収めた。


「……もし、それが嘘でないのなら。あなたは……私に何を望むの?」


 澪は迷わず言った。


「カイにかけられた呪いを解きたい。モルフェウスに奪われたカイの魂の在処と、あなたしか彼を癒せない呪いの解き方を教えてほしい」


 リュシアの瞳が揺れる。


「……そんなことまで知っているのね」

 リュシアは澪を鋭い目で見つめた。


「……ねえ。あなたが言ったことが全部、事実だったとして――あなたは団長に命を救われて、元の世界に帰ってこられた。

 本来なら、そのまま平穏に過ごせたはずよ。あの世界のことも、団長のことも……忘れてね」


 その声音には、疑いと、わずかな怒りと――

 理解できないという戸惑いが混ざっていた。


 澪はしばらく黙ったまま、両手をぎゅっと握り締めた。

 リュシアの言うことは、正しい。

 

「……ごちゃごちゃ言い訳する気は、ないよ」


 ぽつりと澪が言った。

 その声は力強く、リュシアの耳に届いた。


「ただ……ただ、私が……カイに、生きていてほしい。命を助けたい。それだけなの」

 

「生きていてほしい?

 団長があなたに近づいたのは“星永の乙女”を見つけるため。

 あの百日間は、そのためだけの偽りだったって……知っていて言っているの?」


「分かってる!」

 澪は即座に言い返した。

 

「カイの嘘も、隠してた本当の目的も……全部アゼルさんに聞いた。でも……」


 胸の前で、ぎゅっと手を握りしめる。


「でも、それでも……私をモルフェウスに差し出さずにいてくれた。

 あの最後の瞬間も、カイは……命をかけて、私を元の世界に戻してくれた」


 澪の息がかすれる。


「だから……この世界で一緒に過ごしたカイが、全部嘘だったなんて、そんな風に……思えない。

 私はカイを助けたいの。

 そうじゃないと……カイのあの姿を……あの、悲しそうに笑った顔を……心に抱えたままで……

 私、この先……どうやって生きていけばいいのか……分からない……」


 リュシアの瞳が鋭さを弱める。

 少女の声は震えていたが、嘘がひとつも混じっていない。

 そして――リュシアは初めて“澪の覚悟”を理解した。


「……そう。そこまで……言えるのね」


 ほんの一瞬の沈黙。

 その後で、リュシアは静かに息を吐いた。


「でも、あなた……分かっているの?

 あなたが星永の乙女なら――帝国に戻れば、今度こそアストラリオスの贄にされるかもしれない。

 団長の命だって助けられる保証はない。

 それでも行くというの? 恐ろしくはないの?」


 澪は胸の前で拳をきゅっと握った。


「怖いよ。

 時を戻しても、カイを救えないかもしれない。

 私だって……今度こそ戻ってこれないかもしれない」


 一度、目を伏せる。


「それでも……たったひとかけらでも、カイを救える道があるなら……

 私は……もう一度、あの世界に向かう。

 カイを、一人で苦しませたままには……絶対にしない」

 

 視線が揺れる。

 喉の奥に痛みと熱が混じる。


「何もせずに諦めて、元通りに生きていくなんて、そんなこと、できない」

 

 リュシアはしばらく澪を見つめていた。

 その瞳の奥の震えと、言葉の熱。

 ふざけても、嘘にしても、できるものではない。


「……あなた、本当に……愚かなくらい真っ直ぐね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ