5.ざわめく教室、銀色の転校生
朝練を終えて戻ってきた3年3組の教室。
澪は肩にかけていたフェイスタオルを外し、額の汗を軽くぬぐう。首元の熱を逃がすようにタオルを一度仰いでから、いつもの席に腰を下ろした。
ショートカットの髪はまだ少し湿っていて、前髪の一房がぴたりと額に張りつく。風が抜けるたび、耳のまわりがひんやりと心地よかった。
(ふー……今日も走ったな)
リュックからペットボトルを取り出し、ひと口だけ水を飲む。身体は疲れてるのに、心のどこかが不思議と冴えていた。
チャイムが鳴って、担任の先生が教室に入ってくる。
「はい、ホームルーム始めまーす」
そんな変わり映えのしない朝の挨拶を聞きながら――澪はふと、今朝のことを思い出す。
(……あ、カイ、職員室………行けたよね。迷ってたら誰かに聞くだろうし、そもそも勝手に人が寄ってきそう…………)
あの銀色の髪と、よく通る声。そして飄々とした態度。
(でも、同じクラスじゃなくて、ほんとよかった)
本気でそう思う。あんなのが隣の席にでもいたら、落ち着く暇なんてなさそうだ。
そのとき、隣の三年四組から、やたらと女子のざわめきが聞こえてきた。
歓声まじりの声、弾んだ笑い――
(カイは……隣のクラス、か)
澪は首筋に残った汗をもう一度タオルで拭きながら、小さく息をついた。
嫌な予感が、風のすき間からそっと背中に入り込んでくる。
***
チャイムが鳴り、三年四組の教室に担任が入ってきた。
「えー、今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。前に出て、自己紹介してくれるかな」
注目が集まる前に、すでにひときわ目を引く姿は教壇に立っていた。
白銀の髪と深い蒼の瞳。あまりに整った顔立ちは、まるで現実の世界に突然、物語の中の王子様が現れたみたいだった。
「カイ・ルクレシオです。名前はちょっとややこしいけど、好きに呼んでくれていいよ。よろしくね」
飄々とした笑みと軽い口調。堂々としているのに、どこか肩の力が抜けていて、妙に印象に残る。
その瞬間、教室の空気が明らかにざわついた。
最初は、ひそひそとした囁き声。次第に笑い声や驚きの声が重なり始め、あっという間にざわめきが教室中に広がっていく。
その瞬間、教室内の空気がわずかに揺れた。
「えっ……超イケメンすぎない……?」
「ハーフ? モデル? ていうか目の色、やば……」
「こっち向いた……死んだ……(小声)」
席を立ちかける生徒まで現れ、教卓前に立つ担任の声さえかき消されていく。
女子たちの視線は一斉にカイへ向かい、ひそひそ声が一気に湧き上がる。男子は男子で、ちらちらと様子を伺っていた。
「おい、神様って不公平だよな……」
「……せめて性格最悪であれ……っ!」
「いやでも、あのルックスならもう性格関係ねぇって……」
やっかみ半分、でも本気で敵視するほどでもなく。ただただ理不尽さを嘆きながら、男子たちはちょっとだけうなだれていた。
先生が「じゃあ、空いてる席に」と促すと、カイは悠然と窓際の席に歩いていく。その歩き方すら、まるで映画のワンシーンのようだった。
***
「……なあ澪、その弁当、普通に男子部活生サイズじゃね?」
昼休み、教室の一角。
澪は購買で手に入れたおにぎり3個、焼きそばパン、唐揚げ串、野菜ジュースを机の上に並べていた。
「ん? これくらい普通でしょ」
箸を構えながら、きょとんとした顔。
「……いや、女子高生の“普通”ではないな」
苦笑まじりにそう言ったのは、クラスメイトで同じソフトテニス部の佐伯詩音。
控えメンバーとはいえ、去年からの仲間で、穏やかでどこかお姉さんっぽい雰囲気の子だ。
「詩音のほうが少なすぎなんだよ〜。午後も授業あるし、そのあと部活で夜まで練習だよ? 捕食用とか持ってきてないし、今食べとかないと持たないって」
「……さすが副部長。胃袋も精神もアスリート」
「ほめてないよね、それ」
口では言いつつも、澪は箸を進めながら、しっかり咀嚼。
気にする様子もなく、唐揚げを頬張る。
「ってかさ、さっき購買で“焼きそばパン最後の一個”争奪戦になってたけど、まさかそれ……」
「うん、全員吹っ飛ばしてゲットした」
「……やっぱ最強」
詩音がわずかに引いた目でそう呟いた頃、周囲ではちらほらと、
「カイくん」なる謎の転校生についての噂話も流れ始めていた。
「……でさ、澪のいとこっていうカイ君、4組なんだってね。なんかクラスの女子たち、誰が一緒にお昼食べるかでもう軽く争奪戦らしいよ。
朝、ひなたが騒いでた時は、正直ちょっと大げさじゃない?って思ったけど……あれは本物なんだね、イケメンっぷり」
「へぇー……」と流しながら、澪は野菜ジュースを一口。
(……昼ごはん争奪戦って、何その平和な戦場、
でも、あれ? あいつお昼ご飯持って行ってないよね? 買うか? いや、そもそもお金持ってないかも…………)
そんなことを考えて、少しだけカイの、お昼ご飯の心配をした澪だったが、まぁ、なんとかするでしょ、魔法使いだしね、と結論を出した。
けど今はそれより──
「……インハイ予選」
澪はそっと、ジュースのパックを置き、空を見上げた。
その瞳に宿っていたのは、青春ど真ん中の闘志。
「よし、午後も集中しよ。で、部活。今日から走り込みメニュー追加ね!」
「……え、澪、それ補欠の私も含まれるやつ?」
「うん。もちろん! 登録メンバーだからね」
「ひぃぃぃ……」
佐伯詩音の小さな絶叫が、昼の教室に響いた。




