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33.幻

 翌朝になっても、答えは出なかった。

 夜はろくに眠れず、今日は自分がお弁当を作る約束だったのに結局澪をキッチンに立せてしまった。

 

 (……僕らしくない)

 

 ため息が増えている自分に気づくたび、苛立ちよりも戸惑いの方が大きかった。


 昼休み。窓辺の廊下には冬の日差しが斜めに差し込み、床に細長い影を落としている。

 外からはグラウンドでボールを打つ音や、吹き抜ける風に混じった生徒たちの笑い声がかすかに届いてくる。

 カイはその光景をただぼんやりと眺めながら、ガラスに額を近づけて息を吐いた。


「カイ先輩!」

 背後から明るい声が響き、思考を断ち切られる。振り返れば、ひなたとりりあが並んで笑っていた。


「この前話しした、打ち上げ、来てくれますよね?」

 新人戦の打ち上げは今週末の焼肉屋。引退した三年生も呼ばれていて――なぜか僕までリストに入っている。


「……澪が行くなら、僕も行くよ」

 そう答えると、二人は顔を見合わせて「やったー!」と声を弾ませた。冬の光が二人の笑顔に反射して、いっそう眩しく見えた。


 そのはしゃぎぶりに思わず笑いながら、ふと口が勝手に動いていた。

「……ねえ、ちょっと手、貸して」


「えっ、て、手ですか?」

 ひなたの頬が一瞬赤くなり、りりあも目を丸くして口元を押さえる。

 

「ど、どうしたんですか急に……」

 それでもおずおずと両手を差し出してくる二人。


 差し出された手を取る。小さくて温かいのに――心は揺れない。

 (やっぱり……違う)


「……うん。ちょっと手が冷えちゃって、ごめんね二人とも」

 とっさにそんな言葉を並べて誤魔化すと、二人はほっとしたような、それでもまだ照れを残した笑みを浮かべていた。


「あ、あの……カイ先輩、もしかして私のこと好きなんですか?」

 りりあが赤い頬のまま、ためらいがちに声を落とす。


「ううん、違うよ」

 微笑んで首を横に振ると、りりあは「即答されたー!」と泣きまねをして、ひなたに肘で小突かれていた。

 廊下に笑い声がこだまし、冬の冷たい光と不釣り合いなほど温かい空気が広がる。


「じゃあ澪先輩に時間と場所、送っておきますね」

 ひなたがまとめるように言って、二人はルンルンとした足取りで去っていった。


 取り残されたカイは、再び窓に目を戻す。校庭を渡る風が落ち葉を転がし、その影がガラス越しにちらついた。

 静かな廊下に、ため息だけが落ちる。

 胸の奥では、昨夜の熱がまだ消えないままだった。



 ***


 

 週末、天気予報は夕方から雪になると言っていた。

 リビングのテレビを見つめながら、澪がふいに声をもらす。


「朝から寒かったもんね。今日、雪降るかもしれないね」


 言葉の調子は軽く、まるで雪が降るのを楽しみにしている子どものようだ。


「雪か……」

 カイは窓の外に視線をやった。曇り空はどこか鈍く、まだ雪の気配はなかった。


「もう十二月だし、降ってもおかしくないね。カイの世界でも雪って降るの?」

 振り返った澪の瞳は、何気なく問いかけながらも、どこか無垢な輝きを帯びていた。


「降るよ。ただ……積もらないけど」


「じゃあ、この辺りと同じくらいか」

 澪は小さく笑い、ソファから立ち上がった。

「今日の打ち上げ、暖かい恰好していかなきゃね」


 そう言って足早に部屋へと戻っていく。軽やかな足音が廊下に消えた。


 残されたカイは、微かに息を止める。

 ――あの世界で雪が積もる場所は、ただひとつ。


 白月花の咲く山の上。天に最も近いとされる場所だった。

 そこにしか咲かないその花は、星永と呼ばれる恒久の魂に反応して咲く“魂の鏡”。


 少女の傍らに置かれた白月花は、百日間その魂と共にあることで変化する。

 百日を経てなお咲き続け、ついには花弁が黄金に輝くとき……その娘が星永の乙女として選定される。

 それは神の意志でも、帝国の命でもなく、花が見出す真なる魂の光。


 もし娘が禁忌の願いを囁けば、その瞬間に音もなく散り落ちる。

 けれど星永の乙女であるならば――百日のあいだ、夜空の月のように美しく咲き誇り続ける。


 禁忌の願いとは、すなわち。


 ――誰かの未来を奪うこと。

 ――過ぎた時をねじ曲げること。

 ――そして、永遠を縛ろうとすること。


 もうすぐ、約束の百日目が訪れる。

 その時まで、この白月花は果たして咲き続けるのだろうか。


 彼女が屈託なく笑った声が、まだ耳に残っている。

 ――いっそ彼女が禁忌の願いを口にしてくれたら。


 アストラリオスを動かす贄として、奪われていく未来を思うたび、胸の奥で鈍い痛みが走る。

 本来なら、僕の役目はそこへ導くことなのに。


 彼女が星永の乙女となれば、僕の務めも果たされ、孤独な星の旅を終わらせられる。

 けれど――彼女のいない世界で終わりを迎えたとしても、それもまた別の孤独なのかもしれない。


 気づけば、彼女を遠ざける方に、救いを見てしまっている。


 けれど同時に、別の幻が胸をよぎる。

 ――君が禁忌の願いを口にすれば、僕は再び夜空に帰り、流れ落ちる流星となる。

 そしてまた、君が星になった僕を見上げ、願いを託す。

 そのたびに僕は地上に降り、君と百日を重ねる。

 そうやって永遠にこの百日間を繰り返したら、このまま君のそばで、穏やかな世界で生きていけるんじゃないか――。


 そんな、夢とも妄想ともつかないことばかりが浮かんでは消えていく。


 

 その思いに気づいた瞬間、カイは自分自身に戸惑いを覚えた。

 雪を待ちわびる無邪気な笑顔と、己の心に潜む黒い影。

 その落差が、胸を焼くように苦しかった


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