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32.痛みに似た

 昼休みの教室は、あちこちで机を寄せ合う音と弁当箱を開く匂いで満ちていた。

 窓際から射す冬の陽が机に帯のように伸び、白いカーテンがふわりと揺れる。


 澪は灯と詩音と机を並べ、三人で弁当を広げていた。ちょうど箸を伸ばしたところに、影が差す。


 「ここ、空いてる?」


 振り返ると、カイが弁当を抱えて立っていた。迷いのない足取りで澪の隣に椅子を運び、そのまま腰を下ろす。

 机に置かれた弁当箱は、澪と同じ柄。


 「澪と同じ? ……まあ、一緒に住んでるんだから、同じお弁当持ってくるのも当たり前か」

 灯が笑う。


 カイは箸を手にとりながら、何気ない調子で言った。

 「そう。今日のお弁当は澪が作ってくれたんだ」


 「いいねえ、愛妻弁当、私も食べたいなー」

 詩音が口元をにやりとさせる。


 「残念、追加注文は受け付けてません」

 澪が苦笑交じりに言うと、灯と詩音から笑いが上がった。

 窓の外では、冬の冷たい風が校庭の落ち葉を転がしていた。


 「じゃあ、いただきまーす」

 カイが弁当箱のふたを開け、最初に箸を伸ばしたのは卵焼きだった。ひと口かじると、ふわりと甘い香りが広がる。

 「……うん、おいしい。澪のおかずの中で、卵焼きが一番好きなんだよね」


 自分の分を食べ終えたあと、カイはさらりと澪のほうに箸を向ける。

 「ねえ、卵焼き、もう一個ちょうだい」

 「は? 自分のさっき食べたでしょ」

 「うん、だから。澪のが食べたい」


 あまりに当然のように言うその様子に、灯と詩音はまた顔を見合わせ、こっそり吹き出した。


 「……しょうがないな」

 澪は小さくため息をつきながら、卵焼きをひと切れ摘んでカイの弁当へと落とした。


 「ありがとう」

 カイはそれを満足そうに頬張り、口元をゆるめる。


 「じゃあさ、明日は僕がお弁当作るよ。おかずのリクエスト、ある?」


 「え、ほんと? じゃあ……鶏の照り焼き入れて! 前に作ってくれたの、めっちゃおいしかったから」

 澪がぱっと声を弾ませると、灯と詩音が顔を見合わせて目を丸くした。


 「へえ、カイ君って料理できるんだ、しかも鶏の照り焼きって……私、作れないわー」

 灯が肩をすくめて感心する。


 澪は冗談めかして胸を張る。

 「うちの嫁、料理上手なんだよね」


「いいなー、私もお願いしたいわ」

 灯がうらやましそうに笑うと、詩音も続けてにやにや顔を向ける。

「ほんとそれ、私も食べたいな、カイ君お手製のお弁当」


 笑いが広がる中、カイはひと呼吸おいてから、わざと真顔になった。

「ごめんね。僕、澪の専属シェフなんだ」


 決め顔でさらりと放ったその一言に、灯と詩音が同時に吹き出し、机のまわりに小さな笑い声が弾んだ。

 

「じゃあ今夜の夕飯も期待してるわ」

 澪もすかさずノリで返す。


 カイは肩をすくめて、さらりと口にした。

「任せて。愛情たっぷりで作るから」


 灯と詩音が同時に吹き出した。

 澪は小さく笑って、短く言った。


 「はいはい」


 カイはその笑みのまま、箸を動かす。

 「本気なんだけどな」


 その軽い一言に、再び笑いがこぼれた。

 弁当のふたが閉じる音、風に揺れるカーテン。

 冬の陽射しが机の上を静かに撫でていく。

 

 ――そんな様子を、少し離れた席から田辺が眺めていた。友達と弁当を囲みながらも、視線は自然と澪たちの方へ向かう。


 「田辺ー……いいの? あれ」

 茶化すように声をかけられ、田辺は曖昧に笑った。


 「んー……でもさ、ただのいとこだろ」


 そう言いながら視線をスマホに落とす。画面には、ついこの前交換したばかりの澪の名前。

 その名前を見つめ、田辺は小さくため息をついた。


 


 ***




 その日の夜。

 湯気の立つ味噌汁と焼き魚の香りが食卓を満たしていた。

 澪が味噌汁に口を付けようとした瞬間、スマホが震えた。ちらりとスマホの画面をのぞき込むと、通知の名前は「田辺」。


 ――今日も村本先生キレッキレやったな


 メッセージを見て、思わず吹き出す。

 

 ――最後の数学の小噺、あれ授業より盛り上がってたよね

 ――あの人、教師より芸人の方が向いてるわ

 ――ほんとそれ! 黒板に書くのよりツッコミの方が早いし


 くだらないやりとりに笑いがこみ上げ、味噌汁の湯気で曇った画面を親指で拭う。

 隣でお茶を飲んでいたカイが、ちらりと横目に見た。


 「……そんなに楽しい?」

 「え、なに?」

 「いや」

 短く返すと、カイは湯のみを持ち直し、静かに口をつけた。


 「澪、食事中にスマホはやめなさい」

 父の低い声に、澪は「あ、ごめん」と慌ててスマホを伏せる。

 食卓にカチリと箸の音が戻り、気まずい沈黙を笑みでごまかした。


 

 ***


 

 風呂から上がり、タオルで髪を拭きながら廊下を歩くと、スマホが震えた。

 画面には着信の表示――「田辺」の名前。


 「……田辺君?」

 通話をタップして耳に当てる。


 「もしもし?」

 『あ、白川? ごめん、ちょっと宿題のことで聞きたいんだけど』

 「うん、いいよ」


 声を弾ませながら部屋へ向かう途中、ちょうどカイとすれ違った。

 

 「――あ、カイ。お風呂空いたよ」

 何気なく声をかけ、そのまま通話に意識を戻す。

 「ごめん田辺君、で、どのページ?」


 カイは立ち止まり、濡れた髪のままの澪の背を見送った。

 通話の向こうから響く笑い声が、妙に耳に残る。


 ――胸の奥に、正体のわからないきしみが走った。

 理由を拒む静かな波紋がひろがっていく。ただ、自分以外の声に澪が楽しそうに応えているのが、どうにも面白くなかった。


 一方で、電話の相手である田辺もまた、廊下で聞こえた「カイ」という名前に気づいていた。

 電話越しの澪の声が、一瞬だけ遠く感じられ――彼の胸にも、小さな棘が残った。 


 


 ***




 風呂から上がったカイは、濡れた前髪を指でかき上げながら廊下を歩いた。

 澪の部屋の扉の向こうから、楽しげな笑い声がもれてくる。

 その声の相手がまだあの男だと思った瞬間、カイの足は自然と扉の前で止まった。


 コン、と扉を軽くノックして開けると、澪がスマホを耳に当てたまま振り向く。

 「あ、カイ。上がったの? ……ごめん田辺君、ちょっと待って」


 カイはほんの一瞬、目を細めてから口角を上げた。

 「澪、もうそろそろ寝る時間じゃない? 今日も僕が寝かしつけてあげようか?」


 「はあっ!? な、なに言ってんの!!」

 耳まで真っ赤になった澪は、慌ててスマホを握り直す。

 頭に浮かんだのは――夜、魔法で眠れるようにしてもらってる“いつものお願い”のこと。

 (まさか、田辺君と話してる時に言うなんて! バカ!)


 「カイ、ちょっと今電話中だから! 後にして!」

 小声でそう言いながら、半ば押し出すように扉の外へ追いやった。


 スマホを耳に戻すと、田辺は妙に黙り込んでいた。

 

 澪は肩で息を整えながら、いつもの調子で笑う。

 「ごめんね、カイいつも冗談ばっかり言うんだ」


 軽くそうごまかすと、声のトーンを落とした。

 「……あー、じゃあそろそろ切るね。また明日学校で」


 通話が切れると同時に、澪は大きく息を吐いた。

 けれど廊下の向こうで、カイはまだ立ち止まっていた。

 ――彼女にとってはただの冗談でも、自分の胸に残ったざらつきは、そう簡単に誤魔化せなかった。


 通話を切った澪は、ため息まじりに扉を開けた。

 廊下にはまだカイが立っていて、こちらをじっと見ている。


 「もー……田辺君に誤解されちゃうから、電話中にああいうこと言わないでよ」

 澪が眉をひそめると、カイは首をかしげる。


 「誤解? どう誤解されるの?」

 「……え?」

 「なんで誤解されたら嫌なの?」


 声はいつもより低く、どこか意地悪な色を帯びていた。

 

 澪は目を瞬かせ、逆に問い返す。

 「……どうしたの、カイ?」

 

 「何が?」

 

 「だって、すごく苦しそうな顔してる。……具合悪いんじゃないの?」

 澪が心配そうに近づき、そっと手を伸ばした。指先がカイの額に触れる。


 ――その瞬間。

 肌がぶわっと総毛立ち、頬が一気に熱を帯びる。

 胸の奥がどくどくと波打ち、初めて味わう感覚に息が詰まった。


 「……っ!」

 思わず後ずさりし、口元を手で覆う。


 「えっ、なに?」

 澪はきょとんとして首をかしげる。

 「あー、よく見ると顔真っ赤じゃん。……長湯しすぎた?」


 心配そうに覗き込む澪の声が、ますます胸をかき乱す。

 カイは堪えきれずに短く言った。

 「……寝る!」


 それだけ残してくるりと背を向け、自分の部屋に戻っていった。

 廊下に残された澪は、ぽかんと口を開けて立ち尽くす。


 「……なんなの、あれ」


 誰も答えない静けさだけが、廊下に落ちていた。



 ***



 部屋に戻ったカイは、背中を扉に預けて荒く息を吐いた。

 冬の夜気で冷えたドア板に熱を持つ身体をあずけると、余計に体温の高さが際立つ。


 胸が苦しい。熱い。頭に血がのぼって、どうにも冷静になれない。

 (……なにこれ。息が整わない。体温も上がってる。呪い?)


 手のひらを額に当てると、さらに鼓動が強くなる。

 「……っ」

 思わずベッドに倒れ込み、薄い布団がふわりと舞った。

 顔を枕に押しつけても、耳の奥では脈打つ音がやまない。


 (こんな感覚、今まで一度も……)


 胸を締めつける痛みに似た熱。

 不快なはずなのに、離れたくない。

 この感情の答えを探しても見つからない。

 思考の迷路に足を取られたまま、夜は静かに更けていく。


 眠気は訪れず、ただ澪の笑顔の残像だけが、瞼の裏でいつまでも離れなかった。

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