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29.途切れた日々の続き

 病院での診察を終え、澪とカイは父と共に家に戻った。

 玄関をくぐると、冷えきった外気とは対照的に、家の中はあたたかかった。

 時計の針はすでに夜遅くを指していて、静まり返った家は一層ぬくもりを濃く感じさせた。


 簡単な夕飯を済ませ、冷えきった体を温めるように順番に風呂に入る。

 湯気の中でようやく震えが抜けていくと、心地よい疲れと安堵がどっと押し寄せた。

 居間に戻る頃には、家全体が眠気を帯びた静けさに包まれていた。


「カイ、帰国した日に大変だったな。でも、君が偶然通りかかってくれて本当に助かったよ。澪を助けてくれて、ありがとう。

 澪も、よく頑張った……でも、もう二度とこんな無茶はしないでくれ。お父さん、生きた心地がしなかったよ」


 父の声に、澪はうつむいたまま小さく「……ごめん」と答えた。

 その隣でカイは穏やかに微笑み

「でも、澪のおかげであの子は助かったんだ、よく頑張ったよね」と静かに言った。

 

 二人のやりとりに父は短く息をつき

「二人とも、明日は一応学校を休んで、家で体を休めなさい」と告げた。

 

 父は、まるで最初から彼が今日帰ってくることを分かっていたかのように自然に受け入れていた。

 きっと今回も、カイの魔法で周囲のつじつまが合うようになっているのだろう。


 突然消えたはずなのに、まるで当然のように隣に戻ってきた彼。

 胸の奥には、ぶつけたい問いがいくつも渦巻いていた。

 けれどリビングには父がいて、川で張り詰めた緊張と疲れ切った体に、言葉へ変える力はもう残っていなかった。


 澪はただ、ちらりと彼に視線を投げる。

 カイはいつものように笑みを浮かべ、その奥を読ませようとはしなかった。


「ごめん、私……ちょっと休むね」

 そういって自分の部屋に戻ると、布団に身を横たえた。

 

 身体は極限まで疲れているはずなのに、目だけは冴えて眠気がやってこない。

 深いため息をひとつついた、そのとき。


 コンコン、と扉を叩く音。


「……澪、起きてる?」

 静かな声とともに、戸が少し開き、白銀の髪が月明かりに揺れた。


「疲れてるだろうけど……少しだけ話さない?」


 そう言いながら、彼は当たり前のように部屋に足を踏み入れる。

 澪はしぶしぶ上体を起こし、ベッドの縁に腰を下ろした。


 カイの蒼い瞳が、じっと澪を見つめる。

「……あれ? 髪、伸びた?」


「え?」

 唐突な言葉に澪は思わず髪に手をやった。

「ああ……そういえば、伸ばしっぱなしだった。部活ももうないし、夏も終わったし……気にならなかったな」


 彼は小さく考え込むような間を置き、窓の外に視線を投げた。

「……結構寒いけど。今って、何月?」


「そりゃ、半袖短パンなんか着てたらね……もう11月だよ。カイがいなくなってから、三か月以上経ってる」


「……そっか。もうそんなに」

 カイは小さくつぶやき、何かを噛みしめるように黙り込む。


 澪はためらいながらも、ずっと胸の奥に引っかかっていた言葉を口にした。

「あのさ……今までどこに行ってたの?」


 問いかけに、カイはしばらく黙り込む。

 やがて肩をすくめて、苦笑のようなものを浮かべた。

「んー……何て言い訳しようか、何も考えてなかった」


「言い訳って……」

 澪の胸に苛立ちが広がる。

「カイはいつもそうだよね。誤魔化してばっかりで、全然本当の自分を教えてくれない」


 そこで、少しだけ間を置き、言葉を重ねる。

「カイが言ってた“百日間の願い事”……もう途切れちゃったけど、まだやるの? もし、私が何か失敗したんだったら……他の子、探した方がいいんじゃない?」


 静まり返った部屋に、その言葉が重く落ちた。

 カイは一瞬だけ目を細め、ふっと笑った。


「……他の子?」


 まるで聞き慣れない言葉を転がすように、その響きを繰り返す。

 澪には、その笑みの奥で彼の瞳がかすかに揺れたように見えた。


「そんな選択肢、最初から考えてない。途切れたとしても、君と過ごした今までが無くなる訳じゃない」


 澪は瞬きをして彼を見た。


「だから――残りの日数を、君と一緒にやり遂げたい」

 カイは軽い調子の声で言った。けれど、その瞳の奥はふざけていなかった。


 胸の奥が少し温かくなるのを、澪は抑えられなかった。

(……そっか、失敗したわけじゃないんだ、途切れても、終わりじゃなかったんだ)


「じゃあ……次は黙っていなくなったりしないって約束して」

 澪の声は、いつになく真剣だった。


「努力するよ」

 カイは片眉を上げて、軽くかわすように言う。


「だめ。ちゃんと約束して」

 澪は食い下がる。

「これから先、呪いが解けるまで、今回みたいにいなくなる時は、一言でもいいから伝えて。

 ……それに、もし私が失敗して、カイが他の子を探しに行くときも。最後くらい、挨拶していって。じゃないと、また……」


 澪は拳をぎゅっと握った。

「今回、結構しんどかったんだよ。カイがいきなり居なくなって……私が呪い解くの失敗したせいかなとか、また誰かを助けようとして大けがして動けないんじゃないかとか考えて、ずっと心配してたんだから!」


 言葉の勢いに、カイは瞬きをする。

「そんなこと考えてたの?……なんで?」


「は?」


「なんでそんなに、僕のこと心配してくれるの?」

 カイは首を傾げるようにして、ふっと笑った。

「……ああ、そっか。僕も“誰かに望まれて、愛されて生まれてきた存在”だと思っているから? だから君は――」


 彼が妙に納得したように頷くのを見て、澪は思わず枕を掴んだ。


「はあ!? ばっかじゃないの!? 誰かにとか関係ないでしょ!」

 枕を思いきり投げつける。ボンッとカイの肩に当たったが、彼はキョトンとしているだけだった。


「私が、ただあんたのことを心配だから! それだけだよ!」


 その言葉が部屋に響く。


 カイはしばらく黙り、ぽつりと呟いた。

「……だから、なんで僕が心配なの?」


「だから!」

 澪は思わず声を張り上げた。

「あんたが、私にとって大切だと思えるからでしょ!」


 その言葉に、カイは目を瞬かせる。

「……僕が、大切?」

 しばらく考え込むようにした後、片眉を上げ、ふっと笑みを浮かべた。

「もしかして澪……僕のことが、好きなの?」


「はあ!? ち、違うから!」

 澪はカイから枕を奪うと、もう一度勢いよくカイに叩きつけた。

 

「大切っていうのはね! 家族とか友達とか、そういうことを言うんだよ!」


 バフッと枕がぶつかっても、カイは痛がる素振りもなく、面白そうに澪を見ていた。

 その蒼い瞳の奥に、からかいと、ほんのかすかな本気が混ざる。


 ――不思議だった。

 今まで数え切れないほどの女性から好意を向けられてきた。

 それは決まって熱に浮かされたようで、飽きるほど同じだった。

 けれど澪のそれは違う。

 まっすぐで、混じりけがなくて、どこか心地よい。

 胸の奥に、微かな温もりを残すような感覚。


 カイは小さく息を吐き、肩をすくめる。

「……ふーん。大切、ね」


 その軽い調子に、澪はさらに枕を振りかざし――

 「だから、大切って……本当、変な意味じゃないからね! 友達としてだから! 誤解しないでよね!」

 澪は枕で何度もカイをバフバフと殴りながら言った。

 

「ハイハイ」

 カイは片眉を上げ、相変わらずの調子で軽く受け流す。


 ――戦場の怪物と恐れられている、この僕を。

 友達だといって、心配してくれる子がいるなんて。


 不思議だな。

 あの戦の日々を帳消しにできるくらいの、心地よい温もりを感じるのは――なぜなんだろう。


 カイはふっと息を吐き、澪の手から枕を奪い取った。

「……そろそろ、もう寝なよ」


 近づいて、澪の額にそっと手を当てる。

「僕がいない間、まともに眠れていなかったんでしょ?」


 その言葉に澪は何か言い返そうとしたが、抗えないほどの眠気が一気に押し寄せる。

「……っ」

 崩れるようにベッドに倒れ込むと、意識はすぐに闇に引き込まれていった。


 カイはそんな澪に布団をかけると、額にかかる前髪をやさしく払う。

 

「……約束するよ。もう君に黙っていなくなったりしない」


 自分でも驚くほど自然にその言葉が口からこぼれた。

 一瞬、息を呑む。

 手を離すと、カイは小さく首を振り、何事もなかったかのように部屋を後にした。

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