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27.星永の乙女

 戦勝の余韻に包まれた帝国の街。

 通りの石畳は兵士や市民の足音で揺れ、どの酒場からも笑い声と音楽が溢れていた。

 その一角、明かりの灯る扉を押し開けると、熱気と酒の匂いが一気に押し寄せる。


「団長、乾杯です!」

 杯が次々と差し出される。

 カイは片眉を上げ、手を軽く振った。

「僕はすぐ帰るって言ったはずだが」


「そんな冷たいこと言わないでくださいよ!」

「命を救ってもらったんです、せめて一杯!」

 兵士たちが次々に酒を注ぎ、止める間もなく杯は満たされる。


 隣に座るリュシアが静かに告げる。

「陛下の命で“魂の見極め”は中断されているのです。……せめて今夜ぐらいは肩の荷を下ろしてください。

 団員たちも、あなたと勝利の酒を酌み交わしたいはずですから」


 その声音は穏やかだったが、目はまっすぐで揺るぎない。

「団長として皆の気持ちを受け止めるのも、責任の一つでしょう?」

 

 カイは小さく息を吐き、渋々杯を取った。

 酒精の熱が喉を落ちていき、胸にじんと広がる。


(……うるさいな。責任も勝利も、酒の泡みたいにすぐ消えるくせに)

 

 周囲は笑いと歌で満ちていた。

「やっぱり副団長と団長ってお似合いですよね!」

「ほら、リュシア副団長も顔が赤い!」


 囃し立てる声に、リュシアは困ったように笑みを浮かべ、軽く首を振る。

「……赤いのは、お酒のせいよ」


 そう言いつつも、耳の奥まで熱を帯びているのを自覚していた。

 だがカイは一向に関心を示さず、杯を静かに空けていく。


 リュシアが視線をカイにむけ、語り掛ける。

 「……団長が、他人を庇う姿を。今日、初めて見ました」


 カイは杯を弄びながら、片眉を上げる。

「そう? そんなことあったかな」


 笑みともため息ともつかぬ息を洩らし、視線を伏せる。

 ややあって、卓上の酒の水面を見つめながら、ふいに零れるように言葉を落とした。


「……この前、気づかされたんだ。

 人は誰だって一人で生きてきたわけじゃない。誰かに望まれて、守られて……そうやって命をつないできたんじゃないかって。

 全部がそうだとは限らないけどさ、……でもそう思うと、名前も知らない部下でも、あっさり死なせるのが――妙に引っかかるようになった。

 ……ま、敵には容赦しないけどね」


 炎に照らされた横顔は、いつもの冷たさを削ぎ落とされ、どこか儚さすら帯びていた。

 その声には、彼自身もまだ持て余している優しさが、かすかな熱として滲んでいた。


 リュシアの胸がわずかに凍りつく。

(……これが、本当にカイ・ルクレシオ? 戦場の怪物と恐れられたこの人が、こんな言葉を口にするなんて……)


 ざわめく酒場の喧騒が遠のき、彼の言葉だけが鮮明に響く。

 思わず彼を凝視する。

 

(彼を変えたのは……まさか、あの異世界の少女……?)

 

 動揺を悟られまいと、リュシアは杯を置き、わざと落ち着いた声を作った。

「……少し、外の空気を」


 やがて、彼女が席を立つと、カイはその瞬間を待っていたかのように立ち上がる。

 

「……そろそろ帰る」


 夜の帝都。

 石畳はしっとりと夜露を帯び、路地の先には魔導灯が淡く灯る大通りが広がっていた。

 遠くからは笛と太鼓の音が響き、どこか祝祭のざわめきが夜気に混じる。

 酔いのせいで足取りはふらつき、視界が揺れる。

 それでもカイは、天を仰ぐように夜空を見上げた。

 

(……血と埃の匂いにまみれた戦場の日々に比べて、あの世界は――やけに澄んでいた)

 脳裏に浮かぶのは、汗に濡れた額を拭いながら笑う少女の姿。

(……なぜこんな時に君を思い出す……)



 視線を落とすと、通りの角に小さな飾り細工屋の灯りが洩れていた。

 豪奢な宝飾店とは違う、木の扉とガラス窓に囲まれた素朴な店だ。

 ふらりと引き寄せられるように足を踏み入れる。


 棚の上に並ぶのは、高価な宝石に飾られた煌びやかな品ではなく、職人の手で丁寧に磨かれた小さな石や、素朴な金細工の首飾り。

 そのひとつ――月明かりを受けて青く光る小さな石が、なぜか彼の視線を奪った。

 無意識に、そのネックレスを手に取る。

 

(……そういえば、誕生日に渡せないままだったな)

 心の奥に疼く思いが、気づけば指先を強く握らせていた。


 店を出ると、冷たい夜風が頬を撫でる。

「団長!」

 振り向けば、息を切らしたリュシアが駆け寄ってきた。


「そんなにフラフラなのに……つかまってください」

「一人で歩ける」

 強がる声に反して、足は今にも崩れそうだ。

 

 リュシアはためらわず彼の腕を取り、自分の肩へ重さを預けさせる。

「今夜は本部に戻って休んでください。……団長室までお連れします」


 帝都の一角にそびえる魔導士団本部。その無骨な石造りの建物に入ると、夜更けの静けさが広がっていた。

 リュシアに支えられながら、カイは自室――団長専用の部屋へと歩み、靴を脱ぐこともなく力任せにベッドへ身を投げ出した。

 リュシアの細い体も、その勢いに巻き込まれる。


「きゃっ……!」

 柔らかな寝台が軋み、薄暗い部屋に布擦れの音が広がった。

 倒れ込んだ拍子に、二人の距離は一瞬でゼロになる。


 カイの吐息が頬にかかる。ほのかに酒の匂いが混じり、リュシアの胸は早鐘を打った。

 顔をわずかに上げれば、至近距離で眠気に曇った蒼い瞳とぶつかる。

 その視線に囚われ、時間が止まったように感じられた。


 リュシアがそっと名を呼ぶ。

「……団長」


 うつろな瞳を開いたカイの唇が、夢と現の合間で揺れる。

 リュシアの額に優しく手を添えると呟いた。

「……ぐっすり眠れる魔法をかけて欲しいの?……澪」


 その名が落ちた瞬間、リュシアの心臓がきゅっと縮む。

 

 

 ――聞いたことがない、こんなに優しく囁くあなたの姿を………。

 ――見たことがない、こんなに穏やかなあなたの瞳を…………。



 返す言葉も見つからず、ただ肩に残る重みを抱きしめるように、彼女は目を伏せた。



 カイは微睡の中で、毎晩のように「ぐっすり眠れる魔法を」と口にしていた少女の姿を思い出していた。


(君は……あの魔法がなきゃ、まともに眠れなかったんだよね)


 一緒に暮らし始めてすぐに気づいた。

 朝にはわずかに重たげなまぶたをして現れ、どこか眠気を引きずっている。

 そして夜――静まり返った家の中で、ふとした気配に目を開ければ、彼女の部屋からわずかな物音が漏れていることがあった。

 何度も目を覚ましては眠りにつけずにいるのだと、すぐに察した。


 強くて、真っ直ぐで、仲間の前ではいつも頼れる存在。

 それでも年相応の少女らしく、自分の中で抱えきれない不安を、夜ごと眠りに持ち込んでいたのだろう。


 気づいてしまった以上、無意識のうちに彼はその姿を案じ続けていた。



 

 ***



 

 差し込む光に瞼をしかめながら、カイはゆっくりと身を起こした。

 こめかみを押さえると、鈍い痛みが脈打つ。

「……頭が割れそうだ」


 重い吐息をひとつ落とす。

(……帰らないと。あの世界に――)


 だがその思考を遮るように、低い声が響いた。

「ずいぶん楽しそうな夜を過ごしたようだな」


 振り向けば、薄闇に佇む影。

 黒衣をまとった老魔導士――モルフェウスが、氷のような瞳で彼を見据えていた。


「先生……」

 カイは無表情のまま名を呼ぶ。

 

 モルフェウスの声音は冷ややかだった。

「陛下は、魂の見極めを中断させてまでお前を戦場に立たせた。成果は出した。……だが一刻も早く、その魂を見極めるのだ。星永の乙女を見つけ出すためにな」


 その名を聞いた瞬間、カイの胸に古い伝承が甦る。


(星永の乙女……)


 古代、帝国は白月花を使い永星の乙女を見出し、その魂を魔術兵器アストラリオスの贄として取り込んだ。

 アストラリオスの力により帝国は周辺国を支配し、栄華を極めた。

 だが神は乙女を哀れみ、その魂を救い出すと同時に帝国へ呪いを課した。

 ――「二度とこの地に永星の乙女は生まれない」と。


 それでも時は流れ、帝国に仕える星詠みが、次なる乙女の出現を預言した。

 彼らが示した場所は、異世界――あの少女のいる世界。

 帝国が乙女を求めるのは、再びアストラリオスを甦らせるため。



(……結局、僕の役割もその鎖の中にある。花を使い魂を見極め、星永の乙女を差し出すために)


 カイは頭痛を押さえ、目を伏せる。

 窓の外の光は白々しく、戦場の血と埃よりもなお重くのしかかっていた。


 モルフェウスの瞳がじっとカイを射抜く。

「……ところで、今お前が目をかけている娘はどうだ」


 低く響く声に、カイの指先がわずかに止まる。

「リュシア副団長からは、“乙女らしからぬ娘”だと聞いているが……」


 カイは肩をすくめ、笑みを作る。

「確かに……伝承に謳われる“星永の乙女”のイメージからは程遠い」


 頭に浮かぶのは、汗で額に貼りついた短い髪を、タオルで乱暴に拭いながら笑う姿。

 太陽に磨かれた琥珀のような肌、真っ直ぐすぎる声。

 白月花の儀で語られる神秘的な乙女像とは、あまりにかけ離れている。


 泥にまみれながらも諦めずラケットを振り抜く背中。

 仲間を鼓舞するために、声を張り上げる眼差し。


(……聖女でも巫女でもない。ただの、普通の少女だ)


 そう思うほどに、なぜか胸の奥がざわめいた。


「どうあれ、見極めは続けろ」

 モルフェウスの声は冷ややかだった。

「帝国にとって価値があるかどうか。それを見極めるのは、皇帝の命で作られたお前の役目だからな」


 静寂が落ちる。

 カイはゆっくりと息を吐き、視線を逸らさずに答えた。


「……わかってるよ」


 その言葉の裏で、胸の奥では別の光景が揺れていた。

 澪の笑顔と、戦場にこびりついた血の匂い――あまりに遠い二つの世界が、ひとつの心に重なってしまうことに、彼自身が戸惑っていた。

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