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26.鎖

 ――その頃。


 ヴァルディア帝国、西の国境。

 荒れ果てた大地の上に、火と血の匂いが立ちこめていた。反乱軍が隣国と結託し、帝国の防衛線をじりじりと押し崩していく。矢の雨と怒号の渦の中、第二宮廷魔導士団の旗がはためいていた。


「団長!前線、持ちません!」

 泥にまみれた部下の声が、爆炎にかき消されそうに響く。


 その中心に立つのは――第二宮廷魔導士団団長、カイ・ルクレシオ。

 白銀の髪を乱しながらも、蒼い瞳は冷たく澄んでいる。


「……退けと言っても、どうせ退かないんだろ?」

 その口ぶりに、隣で剣を構える副団長リュシアが眉をひそめる。

「当然です。ここを崩されれば首都への道は開かれます。団長、あなたの力が必要です!」


 その時、耳の奥に甦るのは帝都から届いた勅命の響きだった。

 ――陛下の命により、“魂の見極め”を一時中断し、戦に加わるように。


(……あの世界に残した少女。願いを叶える契約は、いったん凍結か)

 思考の奥で一瞬だけ澪の姿がよぎる。だが次の瞬間には、その映像を切り捨て、戦場の現実に意識を戻す。


「……いいさ。見せてやる。僕が“帝国の切り札”と呼ばれる理由を」


 次の瞬間、空気が震えた。

 カイの足もとから奔った魔力が大地を裂き、黒雲を切り裂く閃光となる。彼が片手を掲げるだけで、前線を埋め尽くす敵兵が一斉に吹き飛んだ。

 轟音と共に炎の壁が出現し、反乱軍の陣が混乱に包まれる。悲鳴と怒号が夜空を裂いた。


「……っ、これが団長の本気……!」

 部下たちの目に、畏怖と熱が宿る。


 しかし敵も黙ってはいない。魔導士たちが一斉に詠唱を始め、無数の光弾が矢のように降り注いだ。

 リュシアの警告を待たず、カイは指を鳴らす。瞬間、不可視の障壁が広がり、光弾は次々と砕け散った。

 

「団長、背後に!」

 振り返れば、泥に足を取られた部下に刃が迫る。カイは面倒そうに片手を振るだけで、敵兵ごと衝撃波に呑み込み吹き飛ばす。

「……しっかり立て。僕の後ろで死ぬのは許さない」


 その言葉に、兵士は震える声で「は、はい……!」と返すしかなかった。


 リュシアは息を呑んだ。

(……団長が、自ら他人を庇うなんて……)


 敵の大軍が波のように押し寄せても、カイの歩みは乱れない。

 一歩踏み出すたびに大地が震え、放たれる魔力が奔流となって戦場を塗り替えていく。

 炎の龍が空を駆け、氷刃の嵐が前線を切り裂く。剣や槍を構えた敵兵は次々と吹き飛ばされ、近づくことすらできなかった。


 その背を見つめる帝国兵たちに、熱狂と恐怖が入り混じる。

 ――彼こそが、今この戦場をねじ伏せる“怪物”だった。

 

 だが当の本人は、炎に照らされた横顔を冷え冷えとした無表情に保ったまま。


 燃え盛る炎の向こうで、敵軍はついに総崩れを起こした。帝国軍の兵士たちが勝ちどきを上げる。


 剣を握ったまま、リュシアが駆け寄ってきた。頬には返り血がついているが、その瞳はまっすぐだった。

「……さすがです、団長。あなたが前線に立つだけで、戦の流れが変わる」


 カイは肩越しに彼女を見やり、ふっと片眉を上げる。

「大げさだな。僕ひとりで戦が終わるなら、こんな泥臭い場面はとっくに消えてる」


 リュシアは剣を収め、ほんの一瞬だけ口を噤んだ。

「それでも――あなたは帝国の希望です。誰もがそう思っています」


 炎に照らされたカイの横顔は、皮肉めいた笑みを浮かべるでもなく、ただ冷ややかに沈んでいた。

「希望、ね……。僕から見れば、首にかけられた首輪と同じだ」


 その言葉に、リュシアの瞳がかすかに揺れた。けれど彼女は何も言わなかった。


 ――だが戦は、まだ終わっていなかった。


 地響きとともに、敵陣の奥から黒い巨影が現れる。

 全身を鋼で覆った異形の獣。反乱軍が隣国から引き入れた禁呪の兵器だ。

 その咆哮は大地を揺らし、帝国兵の列が一瞬にして乱れた。


「……厄介なのを連れてきたな」

 カイは息を吐き、再び歩み出る。

 

 獣の振り下ろした巨腕が地を砕き、土煙が舞い上がった。逃げ遅れた兵が飲み込まれそうになる――。

 

「下がれ!」

 カイが片手を振ると、光の奔流が兵士を包み込み、土煙の外へ弾き飛ばした。


 続けざまに鋭い爪がリュシアを狙う。

 彼女が構え直すより早く、カイの身体が割り込む。

 蒼い閃光と黒い爪が激突し、轟音が戦場を震わせた。


「……くっ」

 防いだはずの一撃が、肩口を抉る。鮮血が衣を染める。

 

「団長!」


 駆け寄るリュシアの叫びを振り切り、カイは傷を押さえもせず前に出る。

 雷鳴のような魔力を纏った掌が閃き、異形の獣の巨体を貫いた。咆哮とともに大地が震え、怪物は崩れ落ちる。


 勝敗は決した。だが、その場に立つカイの足取りは重い。

 鮮血が地面に滴り、傷はなおも開いたままだ。


「……無茶を……!」

 リュシアが駆け寄り、両手を翳す。

 

 光が流れ込み、カイの肩口に広がった裂傷がゆっくりと閉じていく。

 彼女の眉は怒りと焦燥で震えていた。

 

「あなたの傷は、私しか癒せないんだから……! 無茶をすれば本当に――」


 カイは小さく息を笑いに変えた。

「そういう呪いをかけたのは君だろう」


 リュシアの手が一瞬止まる。

 しかし唇を噛み、再び治癒の光を強める。

 返す言葉はなかった。ただ彼女の横顔には、押し殺した想いが微かに滲んでいた。


 夜風が戦場を抜け、炎の残り香をかき消していく。

 勝利の喧騒の中で、カイだけがひとり、静かな虚無を抱えていた。

(戦場は、何時だって同じだ。血と絶望ばかり。……結局、僕は逃げられない)


 それでも彼は歩を進める。

 蒼い光を纏い、仲間を導く矛先となって。

 ――最強の魔導士として、帝国に鎖で縛られたまま。

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