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22.月下のざわめき

 放課後の廊下。

 窓から差し込む西日が床を赤く染め、生徒たちのざわめきがあちこちで弾けている。部活に向かう足音や、教室から漏れる笑い声が入り混じり、夏の夕方らしい賑やかさに包まれていた。


 カイは手をポケットに突っ込み、何気なく廊下を歩いていた。

 その背後から、元気な声が飛んでくる。


「カイ先輩!」


 振り返ると、ひなたが駆け寄ってくる。その隣には、りりあが当然のように腕を組むように並んでいた。

 

「そういえば、もうすぐ澪先輩の誕生日ですよね!」

 廊下を駆け寄ってきたひなたが、目を輝かせながら言う。


「……誕生日?」

 カイが片眉を上げる。

「そうなの? いつ?」


「七月五日です!」

 ひなたが胸を張るように即答すると、りりあが口を添えた。

「ね? 特別な日なんですよ。カイ先輩、忘れちゃダメですから」


「七月五日……」

 カイは小さく復唱し、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

 その顔を見て、ひなたとりりあは顔を見合わせる。


「カイ先輩、プレゼントは用意しましたか?」

「まだなら一緒に選びに行きましょ。絶対楽しいですよ!」


 カイは苦笑し、肩をすくめる。

「……遠慮しとくよ。君の彼氏に、また睨まれちゃいそうだからね」


 りりあは「えー」と唇を尖らせる。

「でも、プレゼントは絶対に用意するべきです! 私、いつでも相談乗りますから♡」


 下心の透けて見えるりりあの言葉に、ひなたは苦笑し、カイは曖昧に笑うだけだった。

 西日に照らされ、三人の影が床に長く伸びていく。



 

 ***


 

 

 夜の静けさに包まれたカイの部屋。

 窓から流れ込む月明かりが床を淡く照らし、外を走る車の音がかすかに聞こえている。机の上には開きっぱなしの本と、飲みかけの水のグラス。


 ベッドの端に腰を下ろしたカイは、手にしたスマホを見つめていた。

「……誕生日、か」

 ぽつりと呟くと、頭の中に浮かぶのは廊下で聞いたあの言葉。


 ふいに、室内の空気が揺らいだ。月光がにじむように広がり、窓際にひとつの影が形をとる。

 

「ひと月ほど経ちましたね」

 リュシアが姿を現し、落ち着いた声で告げる。

「これほど長く持ったのは、あの娘が初めてですね、白月花の様子は変わりありませんか?」


 しかしカイはスマホの画面から目を離さなかった。ショッピングサイトに並ぶアクセサリーの写真をスクロールしながら、眉をひそめている。


「団長?」

 リュシアが首を傾げる。

「……お聞きになっていますか」


「ああ、ごめん」

 カイは画面をリュシアに向け、少し気の抜けた笑みを浮かべた。

「ちょっと頼みがあるんだ」


「……頼み、ですか」


「君だったら、どんなアクセサリーが欲しい? この中から選んでくれないかな?」

 画面に映るネックレスやブレスレットを指先で示しながら、カイは真剣な声で言う。

「誕生日に渡したいんだけど、正直センスが皆無でさ。僕ひとりじゃ選べない」


 リュシアのまつげが震えた。

「……まさか、それは――あの娘へ?」


「そう。もうすぐ誕生日なんだって」

 あまりに自然な口ぶりに、リュシアは息を呑む。


「……なぜですか? 団長。今まで、そのようなことはなさらなかったはずです」


「そうだっけ?」

 カイは軽く笑い、再び画面に視線を戻した。

「まあ、確かに誰かの誕生日を祝うなんて、したことないかもね、でも今回は、彼女の後輩たちに念をおされちゃったからね」


 その言葉を耳にした瞬間、リュシアの胸の奥に、小さなざわめきが生まれた。

 知らぬ間に芽生えた感情が、かすかな棘となって胸を掠める。

 どうしてだろう。

 ただの違和感のはずなのに、胸の奥に針のような痛みが走る。


「……承知しました」

 リュシアは視線を落とし、わずかに唇を結んだ。

「ですが――団長。あなたへの執着を強めるようなことは、あまりなさらない方がよろしいかと」


 カイが片眉を上げる。

「執着?」


「ええ。今までの娘たちも……あなたに心を寄せすぎたせいで、禁忌の願いを口にし、花を枯らした者が少なくなかったではありませんか」

 その声は淡々としていたが、押し殺したはずの焦りが、わずかににじんでいた。

 

 リュシアの言葉が胸に刺さった瞬間、カイの耳朶にかすかなささやきが戻ってきた。

 

 

 色褪せた記憶の断片――薄暗い部屋で震える声、涙ににじむ瞳、必死にこちらを掴もうとする手。

「カイ! 私、あなたのことが好きなの。お願い、私以外誰も見ないで! 私だけのものになって……!」


 その声が記憶の底から甦る。

 かつて近づいてきた娘たちが、同じように縋り、同じように願った姿。

 けれどカイの目には、それは愛の言葉ではなく、ただ欲望に飲み込まれた滑稽な光景として映っていた。


(……結局、どの娘も僕自身じゃなく、“僕に愛される自分”を求めていた)

 


 カイはゆっくりと息を吐き、目を閉じて記憶を遠ざけた。


(……でも、澪が僕にこんなふうに縋る姿なんて、まったく想像できないな)


 そう思った途端、不思議と胸の奥にひとすじの安堵が流れ込む。

 澪の顔を思い浮かべると、過去の記憶に絡みついていた重苦しさが、少しずつほどけていくようだった。


「なるほど、忠告ありがとう。気をつけるよ」

 軽い調子を装いながらそう返すと、リュシアは言葉をのみ込み、再び画面に目を落とした。


「でしたら……私が、似合いそうなものを選びましょう」


 カイは満足げに笑みを浮かべ、スマホを差し出した。

 月明かりに照らされた画面には、数々のきらめくアクセサリーが映っていた。


「……では、選ぶうえで、その娘のことを少し教えていただけますか」

 リュシアは静かに問いかけた。


 カイは一瞬考えるように目を細め、それからぽつりと口を開く。

「身長は……君と同じくらいか、ちょっとだけ高いかな。髪の毛は僕くらい短くて、肌は日焼けしてる」


「背が高くて髪が短くて……日焼け?」

 リュシアは思わず言葉を返す。

「つまり……男のような見た目、ということですか?」


「いや、そういうんじゃなくて……」

 カイは首を振り、少しだけ笑った。

 

「真っすぐで、どこか抜けてるんだけど……心の芯が強いんだ。でも確かに、女の子らしいっていったら嘘になるなあ。めちゃくちゃ食べるし、声も大きいし……でも、困っている誰かのために立ち止まれる子なんだ」


 窓から差し込む月明かりに照らされる横顔は、不思議なくらい柔らかい。

 リュシアはその光景に、思わず息を呑んだ。


 ――なぜだろう。

 女らしさに欠ける娘のことを、どうしてこんなにも誇らしげに語れるのか。

 その問いが、胸の奥で針のように疼いた。


「……では、これで」

 リュシアはスマホの画面を覗き込み、ほんの一瞬だけ迷ったのち、指先で軽く弾いた。

 選ばれたのは、繊細なリボンと小さなハートが組み合わさった、あまりにも可愛らしいブレスレット。澪の姿を思い浮かべれば、どうしても似合わないだろうとわかる。


「そうか、じゃあこれにするよ」

 カイは迷いもなく頷き、画面をスライドして注文を確定させた。

「選んでくれてありがとう、助かった」


「……いえ。それでは、私は戻ります……」

 リュシアはわずかに目を伏せると、身を包む淡い光に溶けて消えていった。


 静けさを取り戻した部屋。

 カイは手にしたスマホを何気なく眺め、画面に映るブレスレットへと視線を落とす。


 月明かりに照らされた液晶の中で、小さなそれが淡く光っていた。



 

 ***




 帝国と澪の世界を繋ぐ扉を抜け、冷えた石畳の回廊に足を踏み出した瞬間。

「……どうした、リュシア。随分と慌てて戻ってきたな」

 低い声が響いた。


 影の中から姿を現したのは、第一宮廷魔導士団の団長にして、カイの師であるモルフェウス・アストレイアだった。

 銀糸を織り込んだ黒衣をまとい、鷹のように鋭い眼差しでリュシアを射抜く。彼は“天永の魂”を追い求め、この世界と異世界を繋ぐ扉を作り上げた張本人であり、帝国において恐れと畏敬を一身に集める存在だ。


「……モルフェウス様。いえ、何も」

 リュシアはうつむき、足早に通り過ぎようとする。


「待て」

 冷ややかな声が背を打った。

「どうだ。今回カイが見つけた娘は、“星永の乙女”に相応しいと思うか」


 足を止め、リュシアは唇を噛む。

 脳裏に浮かぶのは、月明かりに照らされて澪のことを語ったカイの横顔。あまりにも優しい表情に、胸が焼けるようなざわめきが広がる。


「……いえ」

 やっとの思いで絞り出した声は、冷ややかに響いた。

「白月花はまだ枯れてはいないようですが……見た目も中身も、乙女らしからぬ印象です。とても相応しい存在には思えません」


「ふむ……」

 モルフェウスは顎に手をやり、思案げに目を細める。

 

「ひと月ものあいだ、花を枯らさなかった娘は初めてだというのに……今回も、“白月花の儀”までたどり着けそうにないか」

 落胆の吐息が、冷たい回廊に溶けた。


 リュシアは深く頭を垂れ、その場を後にした。

 石畳に響く自分の足音が、ひどく大きく感じられる。


 ――乙女らしからぬ。

 そう言い切った自分の言葉が、胸に鋭く刺さっていた。

 どうしてだろう。あの娘を貶めるように口を動かしたのは、主に報告するためではない。

 ただ――あの娘を語る団長の横顔を、もう二度と見たくなかったから。


 冷たい風が回廊を抜ける。

 リュシアはひとり歩きながら、胸に芽生えた感情の名を、認めまいとしていた。

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