21.道
午後の教室は放課後特有のざわめきに包まれていた。黒板には「進路面談」の文字がまだ残っていて、机の上には生徒たちのプリントが広がっている。窓の外からは蝉の声がちらほらと混じり始め、初夏の気配を濃くしていた。
澪は自分の席に腰を下ろし、隣に詩音、前の席を灯が借りて、琴羽も加わって机を寄せ合っていた。四人で話すのは久しぶりだった。
「はぁ~……面談、ほんっと疲れた」
琴羽が机に突っ伏して、わざとらしくため息をつく。
「第一志望の大学、先生に“箸にも棒にもかからない”ってバッサリ言われちゃったんだよ。ランク落とさなきゃダメだって」
「えー! ひどくない?」
詩音が目を丸くする。
「それ、高田先生でしょ? 言い方きっついんだよねー。去年担任だったうちのクラスの子達も言ってたわ」
「ほんと、もっと言い方あるよなぁ……」
澪も苦笑しながら頷いた。
「灯はどうだったの? 面談」
話題が向けられると、灯は少しだけ肩をすくめた。
「うん……この前ベスト八まで行けたから、前から目指してた大学でスポーツ推薦、受けられるかもって。でもね――」
小さく笑いながら続ける。
「推薦条件の評定平均値が微妙でさ。だから提出物もテストも、今まで以上に頑張らないと」
「なるほどね……推薦でも大変なんだ」
澪が感心すると、詩音は「でも、灯なら行けるっしょ」と頷いた。
「私はね、専門学校だから書類選考だけでいいんだ」
詩音が肩を回しながら、少し気楽そうに笑った。
「でも、面接はあるから、練習しっかりしとかないと」
自然と三人の視線が澪に集まった。
「で、澪は?」
灯がにこやかに尋ねる。
「……え?」
澪はペンを回していた手を止め、気まずそうに笑った。
「いや、私……実はまだ全っ然、考えてなくて」
「はあ!?」
琴羽が机から身を起こして大きな声を上げ、詩音も目を丸くした。
「澪、それはさすがにヤバくない? 高三の夏に“何も考えてない”はちょっと……」
「だって、今までソフトテニスのことしか考えてなかったし」
澪は頭をかきながら、情けなさそうに笑う。
「オープンキャンパスとか行った?」
灯が首を傾げる。
「んー……春休みに国立のO大学に」
澪が小声で答えると、三人の反応が一斉に跳ね上がった。
「えっ、あのO大!?」
「偏差値めっちゃ高いじゃん!」
「え、澪って実は頭いいの!?」
ざわつく三人に、澪は慌てて両手を振る。
「ち、ちがうって! お父さんがO大の卒業生で、半ば強引に連れて行かれただけ、それこそ私の成績じゃ、“箸にも棒にもかからない”よ」
「あー、なるほど……」
三人の声が揃って納得のトーンに落ち着く。
「でもさ、澪。将来なりたいものとかあるんでしょ?」
琴羽が身を乗り出すように問いかける。
澪はしばし黙り込んだ。窓の外に目をやり、考えを探すように言葉を選ぶ。
「……気になる学科はあるけど、“これになりたい!”って強く思うわけでもなくて」
「そっかぁ。でも、とにかく気になる大学のオープンキャンパス行ったり、情報集めるだけでも全然違うと思うよ」
灯が真剣な眼差しで言うと、詩音と琴羽も「うんうん」と頷いた。
澪は苦笑いでごまかしながらも、心のどこかで胸が重くなるのを感じていた。
部活を引退して一区切りがついた今、次に向かうべき“道”を示されているような気がして――でも、その答えはまだ出せないままだった。
***
家に帰ると、夕飯とお風呂を済ませてから、澪は自室に籠った。
ベッドに寝転び、スマホの画面をスクロールしていく。
検索窓には「オープンキャンパス 大学 スポーツ科学」の文字。いくつもの大学名と日付が並んでいた。
「……こういうの、やっぱ行ったほうがいいんだろうな」
タップしてサイトを眺めながら、胸の奥にまだ答えきれない迷いを抱く。
その時、軽くノックが響いた。
「ねえ、澪」
声とともにドアが開き、カイが部屋に入ってくる。
「部活も終わったんだし、そろそろ“ぐっすり眠れる魔法”以外に願いはないの?」
からかうように片眉を上げる。
「……あー、またその話?」
澪はスマホを握ったまま振り返り、苦笑する。
「カイってさ、そんなに魔法使いたいの?」
「そういうわけじゃないけどね」
肩をすくめ、わざとらしくため息をつく。
「僕の素晴らしい魔法が、君の眠りのためだけに費やされてるのが……いたたまれなくて」
「ふっ、じゃあもう残りの日数ぜんぶ同じ魔法でいいや」
澪はわざと軽口で返して、くすっと笑った。
だがすぐに、ふと真顔になり、声を落とす。
「ねえ……もしかして、このままだとカイの呪い、解けなかったりする?」
予想外の問いに、カイの瞳がわずかに揺れた。
次の瞬間、小さく笑って首を振る。
「そんなことないよ」
そう言いながらも、その表情にはどこか複雑な影が差す。
澪はじっと彼を見つめて、言葉を探すように呟いた。
「じゃあさ――もうすぐ夏休みだし、オープンキャンパス、一緒に来てよ」
「……は?」
カイがきょとんとする。
「あ、でも今日のことじゃないから、願い事にはならないかー」
澪は舌を出して笑った。
呆れたようにため息をつき、カイは肩を落とす。
「前も言ったけどさ、それ、魔法使わなくても叶うやつじゃん」
スマホの画面を覗き込んだカイは、不思議そうに首を傾げる。
「で? その“オープンキャンパス”って?」
「大学の見学とか、体験授業とかできる日だよ。実際に行ってみると、雰囲気わかるんだって」
澪は画面をスクロールしながら日にちを読み上げる。
「一番近いのが……今週の土曜日。その次が……七月、五日。……この日はダメだ……」
小さくつぶやき、別の日を探す。
「じゃあ……七月三週目の土曜日に行こう、ちょうど夏休みも始まってるし」
「いいよ」
カイはあっさりうなずくと、ふっと笑う。
「でもどうして僕と? ちょっと前まで、“僕と一緒に出かけると目立つから嫌だ”って言ってたじゃない」
「……そういえばそうだよね」
澪は苦笑しながら頬をかく。
「高校生にもなって親と行くのも微妙だし、友達誘うのもなんか違うし……カイが付いてきてくれたら心強いかなって思ったのかも?」
「思ったのかも?、って。なんで疑問形なの?」
カイが呆れ顔を向ける。
「とにかく、カイのこと前より信頼してるってことだから!」
そう言って笑う澪に、カイは肩をすくめて笑った。
「調子いいなぁ、君は」
「で、今日の願い事は?」
促され、澪は少し考えてから首を傾げる。
「じゃあさ……何か物を出してって言ったら、そういうのもできる?」
「物を? 大体できるよ。今までも、お金出してとか宝石出してってお願いした子もいるし」
「へぇ……じゃあ、満開のサクラの花とか出せる?」
澪の瞳が期待を帯びる。
「え? 花?」
思わず聞き返すカイに、澪はこくりと頷いた。
不思議そうにしながらも、カイは指先をかざす。
青白い光がふわりと広がり、風が起きる。次の瞬間、カイの手には数本のサクラの枝が現れた。
「はい、どうぞ」
差し出された枝を受け取ると、澪の顔がぱっと明るくなる。
「……すごい! ……ありがとう」
嬉しそうに笑い、そして少し寂しそうな表情を浮かべながら、澪はお礼を言った。
「じゃあね」
カイは軽く手を振って部屋を出て行く。
自分の部屋に戻ると、ぽつりと呟いた。
「澪が、花を欲しがるなんて意外だな……まあ、お金や宝石を欲しがるような子にも見えないけど」
ふと、澪が笑って言った言葉を思い出す。
――「カイのこと前より信頼してるってことだから!」
「……」
思い返した瞬間、カイの顔にわずかな迷いがよぎった。




