20.観覧車の下で
日曜の午後。六月の陽射しは少し蒸すけれど、街の空気はどこか浮き立っていた。
待ち合わせ場所の駅前は、人の流れでごった返していた。改札を抜けた先には大きな広場が広がり、行き交う人が絶えない。
澪とカイが並んで現れると、待っていたひなたとりりあがぱっと顔を輝かせた。
澪は、ダボっとしたグレージュのトレーナーに黒のパンツ、足元は白いスニーカー。背中には黒いリュックを背負い、ショートカットの髪と合わせて、ぱっと見は男の子にしか見えない姿だった。
一方のカイは、濃紺のシャツをさらりと袖まくりし、黒のタックパンツに黒いスニーカー。肩からはシンプルなショルダーバッグを斜めにかけている。派手さのない装いなのに、白銀の髪と蒼い瞳が映えて、周囲の視線を自然と集めてしまう。
「カイ先輩! 澪先輩!」
ひなたが元気いっぱいに手を振る。その横では、りりあがくるんと巻いた髪を揺らしながら、くるりと一回転してポーズを決めた。
「じゃーん、今日は全力で“街カワ”コーデで来たんだよ。どうどう? カイ先輩!」
白いハイウエストのミニスカートに黒のリブニットを合わせニーハイソックスを履いたりりあは、自信満々に胸を張る。
「うん、今日もかわいいね、りりあちゃん」
カイがにこりと笑って答える。
「気合入ってんねーりりあ。……カイ先輩が一緒だからでしょ?」
ひなたがニヤリと茶化すように言う。
「当然!」
りりあがにこりと笑う。
「うわぁ、今日の澪先輩、イケメン男子にしか見えない~!」
「だよねだよね! もう“澪先輩”じゃなくて、“澪君”って呼んだほうがいいかも!」
ひなたとりりあがはしゃぎながら口々に言う。
「……君って……」
澪は頭をかきながら小さくため息をついた。
「ちょっと傷つくんだけど」
そして、ぽつりとつぶやく。
「今まで部活ばっかりだったからさ。他に服って、ジャージくらいしか持ってないんだよね」
その言葉を聞いた瞬間、りりあはぱっと手を叩いた。
「大丈夫です! 今日、私が澪先輩の全身コーデをスタイリングしますから! だから落ち込まないでください!」
「落ち込んでないし……」
澪は苦笑しながらも、少しだけ視線を逸らす。
「でも……本当、どんな服買ったらいいか分かんないんだよね」
「お任せあれです!」
りりあが胸を張り、ひなたが
「わー、澪先輩の変身楽しみ!」と笑う。
そんな女子トークに盛り上がる三人を、カイは少し後ろから見守っていた。微笑ましそうに目を細め、心なしか肩の力が抜けていく。
駅ビルを抜け、地下街を通り抜けると、ぱっと視界が開けた。ビルの谷間に広がる大通りは、人の流れが途切れず、巨大なビジョンや看板がきらめきを放っている。足早に歩く会社員の列に混じって、買い物袋を下げた若者たちの笑い声が響き、街全体がざわめきに包まれていた。
「わっ、澪先輩これ似合うんじゃないですか?」
「えー、こっちも可愛いと思うなぁ!」
りりあとひなたに両腕を引っ張られ、澪は慣れないアパレルショップで半ば強引に試着させられていた。
カーテンを開けられて鏡の前に立たされると、二人が「かわいい~!」と大盛り上がり。澪は頬を赤くして「ねえ、二人とも私で遊んでない?」と抗議する。
そこへカイがひょいと近づいてきて、わざとらしく腕を組み、真剣な顔でうなずいた。
「うん、確かに似合うね。でも、こっちの方が大人っぽくて君らしいんじゃない?」
「えっ、ちょ……!」
澪は一気に顔を真っ赤にして、りりあとひなたが
「きゃー!」「やっぱりカイ先輩が言うと説得力違いますね!」と拍手する。
カイは軽く肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。
「だって――かわいい澪ちゃんに、一番似合う服を選んであげなきゃでしょ?」
「はあっ!? だ、誰がかわいいって……!」
澪が慌てて声を荒げると、りりあとひなたが「きゃー!」とさらに盛り上がる。
カイは楽しそうに笑い、澪の反応を面白そうに眺めていた。
買い物を終えたあとは、屋台の前で足を止める。鉄板の上でじゅうじゅうとソースの香りをまとった“いか焼き”が焼き上がっていく。
「ここ来たら、これ食べなきゃでしょ!」
りりあが目を輝かせて列に並び、四人分を買ってきた。
紙に包まれた薄い生地を手に取ると、ひなたは「熱っ!」と慌てて口を開け、
りりあは「んー! やっぱりおいし~!」と幸せそうに頬を押さえる。
澪も豪快にかぶりつき、「学校の近くにあったら、絶対部活帰り寄るのにな」と笑った。
カイは少しだけ熱そうに息を吹きかけてから口に運び、驚いたように目を瞬かせた。
「……ほんとだ。初めて食べたけど、美味しいね」
その素直な言葉に、澪が思わず吹き出す。
「でしょ? でも、カイって初めて食べるものでも、躊躇なく食べるよね? 故郷の味と違って戸惑ったりしないの?」
カイは少し考えるように空を見上げてから、肩をすくめた。
「もう、ずいぶん長いことこっちの世界にいるからね。それに、“故郷の味”って思うようなもの……特に思い出にないな」
「そうなんだ……」
澪は意外そうに目を瞬かせ、それ以上は踏み込まず、手の中のいか焼きに視線を落とした。
いか焼きの屋台を離れると、ビル街の谷間からネオン色の大きな観覧車が目に飛び込んできた。夕暮れの光を浴びて赤や青のライトが点滅し、街のシンボルのように回っている。
「わぁ……観覧車! せっかくだから乗りましょうよ!」
りりあが両手を胸の前で組み、目を輝かせる。
「えー……」
澪は思わず顔をしかめた。
「一回乗るのに、結構いい値段するよ……」
「じゃあ澪先輩は下で待っててください。その間に、私とカイ先輩で乗ってきますから♡」
悪戯っぽく笑うりりあに、澪少しだけあきれて、何か言おうと口を開いたが――
「ちょっと! 私のこと忘れてない!?」
ひなたが慌てて割り込んだ。背中のリュックを揺らしながら両手を広げ、わざとらしく抗議する。
「どう考えても三人じゃバランス悪いでしょ!」
「あはは……」
澪が肩をすくめ、カイは口元に小さく笑みを浮かべる。そんな他愛のない掛け合いに、周囲のざわめきやアーケードの明かりが重なって、街全体が少しだけ華やかに見えた。
――そのとき。
「……りりあ」
低く押し殺した声が前から響き、空気がぴたりと止まった。
歩道の先に、一人の男が腕を組んで立っていた。街灯の光が肩口に落ち、影が長く伸びる。周囲のにぎわいの中で、その存在だけが異様に際立って見える。
「今日、友達と買い物って言ってたのに、嘘だったのか? ……なんだよその男達。……ひとりは4組の転校生だよな」
鋭い視線でカイと澪を指さすその男に、澪は目を丸くした。
「……あれ? 野球部3年の北山悠人?」
「……あ?」
悠人が怪訝そうに眉をひそめる。
「なんで俺の名前知って――」
澪の顔をまじまじと見て、目を見開いた。
「おまえ、ソフトテニス部の白川?」
「そうそう。今日はりりあとひなたと買い物してたんだ」
気安く答えた澪の隣で、りりあが震える声を上げた。
「私、嘘なんてついてないのに……ひどい……!」
頬に涙がつたう。街の喧噪の中でその嗚咽だけがやけに大きく響き、周りの光や音が遠のいていくようだった。
「お、おい……」
悠人は目を泳がせ、手を伸ばすこともできずに立ち尽くす。
その場の空気に耐えきれず、ひなたが思わず口を開く。
「……もしかして、北山先輩とりりあって……」
りりあはぐっと唇を噛みしめ、やがて小さくうなずいた。
「……うん」
「つ、付き合ってるの……?」
ひなたの声が震え、澪も目を見開いた。
「うそ……。あんなに“カイ先輩推し~”って言ってたのに……まさか彼氏持ちだったなんて!」
ひなたはショックを隠せず、両手を頭に当ててオロオロする。
悠人は深く息を吐き、視線を逸らしながらぼそりと言った。
「……りりあ、疑って悪かった。……白川も、巻き込んで……てか、男と間違えて悪かった」
「いや、私は別に」
澪は肩をすくめて答える。
けれど、悠人はカイの方には一度も目を向けなかった。
そんな空気の中、カイがふっと口を開いた。
「君さあ、女の子泣かせちゃダメだよ。ねえ、りりあちゃん?」
軽い調子の声に、澪がすかさず眉をひそめる。
「……どの口が言ってんだか」
カイが肩を竦めて澪に笑いかけると、悠人はぎろりとした視線をカイに向け、しばし睨み合いになった。
「……謝ってくれたから、もういい」
りりあは涙を拭って、小さな笑みを浮かべると、そのまま悠人の腕にそっと手を絡ませた。
「先輩、ひなた、ごめん! このまま帰るね!」
りりあは振り返って手を振り、悠人と並んで歩き出す。ふたりの肩が自然と寄り添い、夕暮れの街に消えていった。
「ちょ、ちょっと待って! りりあの荷物、私が預かったままなんだけど! 澪先輩ごめん、私りりあ追いかけます! さようなら」
ひなたが慌てて声を上げ、慌ててリュックを背負い直し、両手に抱えた紙袋を揺らしながら駆け出す。
残された澪とカイは顔を見合わせ、同時にため息をついた。
「なんか……すごい展開だったね」
「うん……」
にぎやかだった四人の一日は、思いがけない幕切れを迎えていた。
***
夜の街は昼間の喧騒が落ち着き、ビルの窓明かりとネオンが川面に映って揺れていた。
りりあとひなたが先に帰ってしまい、残されたのは澪とカイ、二人だけだった。
並んで歩いていると、不意にカイが立ち止まり、夜空に浮かぶ観覧車を見上げた。
「……乗る?」
横顔のまま、澪に問いかける。
「えっ……いや、私、実は高いところ苦手なんだよね」
気まずそうに笑って打ち明けると、カイは「そっか」とだけ言って、また歩き出した。
澪は少し引っかかるものを覚えて、隣を歩きながら問いかけた。
「ねえ、カイってさ……こっちの世界で観覧車、乗ったことあるの?」
「……うん。何度か乗ったことあるよ」
あっさり返すカイの声に、澪は首をかしげる。
「もしかして……歴代の彼女たちと?」
カイは目を細めて、ふっと苦笑した。
「いや。澪みたいに、“百日間願いを叶える対象”の子たちと」
その言葉に、澪はしばらく黙り込んだ。夜風に髪を揺らしながら、胸の奥が少しだけざわめく。
「……そうなんだ。
あのさ、その子たちにはカイにかけられた呪い、解けなかったんだよね?」
小さな声で尋ねると、カイは足を止めず、澪を見ようともしなかった。
「百日間、毎日お願いを叶えれば呪いは解けるって言ってたじゃん。……なのに、どうしてこんなに長い間、解けなかったの?」
カイは一瞬だけ言葉を探すように黙り、夜空を仰いだ。
「さあ……願い方が、ちょっと違ってたのかもね」
軽い調子で答える声の裏に、どこか影が差す。
「……そうなんだ」
澪は小さくうなずいたものの、胸の奥に小さな棘のような違和感が残る。
(ほんとに、それだけ……?)
けれどカイの横顔を見上げると、それ以上は聞けなくなってしまった。
「……カイの呪いってさ。このまま順調にいけば、解けそう?」
「んー……澪次第かな」
カイは何でもないことのように言う。
「出会ってから毎日欠かさずお願い叶えてもらってるし、このままの調子でいけばいいんだよね」
澪は自分に言い聞かせるように微笑んだ。
「……解けるといいね、カイの呪い」
「……そうだね」
カイは澪の笑顔を見返しながら、どこか他人事のように答え、ほんの一瞬、瞳の奥に影を宿す。けれどすぐに消して、また歩き出した。




