14.瞳
――ふ、と眠りについていたカイの瞼が開いた。
深夜の静寂。薄闇に慣れた視線の先で、気配が動く。
「……リュシアか」
ベッドのすぐ脇に片膝をつく人影。
濃い紫の長い髪が闇に溶け、同じ色の瞳が氷のように静かに光を宿す。
月光に照らされた横顔は、カイよりいくぶん大人びた落ち着きを帯びていた。
帝国第二宮廷魔導士団――カイが団長を務めるその部隊で、副団長を任される女性、リュシア・ヴァレンティナだった。
「団長。お久しぶりです」
その声音には、隠せぬ緊張と敬意が混じっていた。
カイは上体を起こし、髪をぐしゃりとかきあげると、飄々とした笑みを浮かべる。
「僕の監視に来たの? ちゃんと仕事してるよ」
「新たなる魂の選別が始まったとのことで――第一宮廷魔導士団団長、モルフェウス・アストレイア様より命を受け、進捗を確認に参りました」
「先生から言われたんじゃ、リュシアもこんな夜中に訪れるよねぇ」
軽口を叩くカイに、彼女は眉をわずかに寄せながらも問う。
「団長。今度の娘はいかがですか? “星永の乙女”の素質はありそうですか?」
カイは肩をすくめ、窓の外に目をやった。
「流星になった僕を目視できた時点で、彼女がそうである可能性はゼロじゃない。……まあ、今までの娘たちもそうだったけどね」
ゆるく笑いながらも、吐き出す言葉にはどこか冷えた影が差す。
「だからといって最後まで“花が咲き続ける”かどうかは――百日後までわからない。結局、それを判断するための百日間なんだから」
言いながら、カイは両の手をゆっくりと広げた。
闇に沈む空間の中、掌の間にふわりと光が生まれる。やがて白く可憐な花が形を成し、かすかな香りとともに宙に咲いた。
その花は、百合のようにすらりと伸びた茎を持ちながら、花弁は桜のように薄く繊細だった。五枚の花弁の中心には星粒を閉じ込めたような光が瞬き、揺れるたびに銀の雫が零れ落ちそうに煌めく。花全体がまるで月光のように淡く光をにじませる、美しい花だった。
「この“白月花”がまだ咲き続けているということは、彼女の魂が――星永の理と、いまだ調和を保っている証だ」
淡い光をたたえる花弁はまだ瑞々しく、夜気に揺れるたびに露を宿したようにきらめいていた。
「……もっともです。ですが、モルフェウス様が――」
「先生も皇帝にせっつかれて焦ってるんだろうね。上手く対応しておいてよ、リュシアちゃん。きみ、副団長なんだから」
ごろりとベッドに身を投げ出し、背を向けるカイ。
リュシアは小さくため息をつき、言葉を続けた。
「近々、北境のリオネス王国との国境で戦が起きます。第二宮廷魔導士団団長として、あなたの出陣を命じられています」
「……わかったよ。その時には必ずそっちに戻るからさ」
「団長がこちらの世界に送られてから、帝国ではすでに数年が過ぎています。……ドミナス陛下からも、“あやつは裏切る気ではないのか”との言が出ています。どうか真剣に、“星永の乙女”を探して下さい」
リュシアの声は硬い。
だがその言葉は、カイが澪に語った「呪いを解くために、毎日願いを叶えさせてほしい」という理由とはまるで異なるものだった。
「はいはい――わかってるって。僕、こんなに頑張ってるのに、皆ひどいよねー」
リュシアは口を開きかけ、しかし言葉を選ぶように視線を伏せた。
その沈黙を読み取ったカイは、ゆるりと寝返りを打ち、わざと大げさに伸びをしながら呟いた
「……あんまり皇帝がうるさく言うようなら、帝国なんて潰しちゃおうかな?」
「――っ! 団長、それは……!」
リュシアの顔色がわずかに変わり、思わず身を乗り出す。
カイはそんな反応を楽しむかのように、くつくつと喉を鳴らした。
「冗談だよ。そんなこと、今の僕にはできない。……君が一番よく知ってるでしょう?」
軽口の奥に、ふと鋭い影がよぎった。
それを見て、リュシアは言葉を失い、唇を引き結ぶしかなかった。
……リュシアが去った後、静寂が戻る。
薄闇の天井を見上げながら、カイはふと昨日の河川敷を思い出していた。
「やめてください!」と真っ直ぐに声を張り上げ、僕をかばった澪。
暴力に暴力で返すなと僕を睨み、
「カイの魔法を、そんなことに使わせたくない」と言った、震えながらも揺るがないその瞳。
――正直で、曲がらない子。
――僕の手を汚させまいとして、かばってくれる子。
あの子なら、“星永の乙女”にふさわしいのかもしれない。
花を枯らさずに、この百日間を、最後までやり遂げてくれるんじゃないか。
……僕の嘘に、一生懸命応えてくれる。
――本当に、かわいい子。
カイは唇の端をわずかに持ち上げ、目を閉じた。
***
昼休みの廊下。窓際の一角に、澪は腕を掴まれるようにして立たされていた。
目の前には、カイの元カノ留美華とその取り巻き二人。三人分の視線が一斉に突き刺さる。
「……どうしてくれるのよ、白川さん」
友人の一人が口を開いた。
「あなたのせいで……留美華はカイ君に振られたんだから!」
「そうよ!」
もう一人の友人も一緒に澪を責め立てる。
(……いや、私のせいじゃないし)
心の中でそう突っ込みながらも、澪はぐっとこらえた。正直者の性格がこういう時に困る。
「……ごめん。佐木さん」
言葉を探すように一拍置いて、澪は潤んだ瞳で口をつぐんでいる留美華に向かって、ゆっくり口を開いた。
「カイは確かにひどいと思う。でも……そういうやつだって早く分かってよかったんじゃないかな」
留美華の眉がぎゅっと寄る。澪は慌てて続けた。
「だって、佐木さんは可愛いし、モテるし……他にもいい人、きっといるよ。だから――」
自分でも、どこかで聞いたような慰めの言葉を必死につなげているだけだと分かっていた。
けれど、とにかく今は、この空気をどうにかしなきゃいけなかった。
「違うの!」
留美華は首を振り、ついに涙をこぼした。
「私は……カイ君がよかったの! あんなにカッコいい人、きっともう現れないんだもん!」
廊下にしゃくりあげる声が響く。澪は困ってしまい、手を宙に迷わせた。
どうしたらいいのか分からない。ただ必死に、彼女の肩にそっと手を置く。
「……私が、もう一度カイに佐木さんの気持ちを伝えようか?」
澪がおそるおそる口にすると、留美華は一瞬だけ考えるように黙り込んだ。
けれどすぐに、首を振ってぽつりとつぶやく。
「……ダメ。どうせ、また“めんどくさい”って言われちゃうから」
「え……そんなこと、言われたの?」
澪は目を丸くした。
「ひどい……。ほんとに、ごめんね、私のその……いとこが……」
どう慰めていいか分からなくて、手に持っていた紙袋を見つめる。
中には購買で買った焼きそばパンとカレーパン。
しばらく迷ってから、焼きそばパンをそっと取り出し、留美華に差し出した。
「私、何もできないけど……これでも食べて元気だして? ね?」
差し出されたパンを見つめ、留美華は泣き腫らした目で変な顔をする。
「あ……足りないんだったら、これも」
澪は慌ててカレーパンも取り出し、両方を彼女の手に押しつけた。
「わ、私、こんなに食べないし……」
困ったように言われ、澪は「あ、そうだよね」と赤面しながらカレーパンを受け取る。
留美華は渡された焼きそばパンを見つめ、泣き顔のまま小さく笑った。
「でも……ありがと。白川さんって、変な人だね」
「えっ……あ、うん……」
不意に礼を言われて、澪は耳のあたりがほんのり熱くなる。苦笑いしながら言葉を続けた。
「ごめん、パン渡されて慰められても微妙……だよね」
その時だった。
「じゃあ僕がもらおーっと」
ひょいっと伸びた手が、カレーパンをさらっていく。
「……あ!」
澪は思わず叫んだ。
「カイ! ちょっと、人のパン取らないでよ!」
「え、澪食べないんでしょ?」
と笑いながら、カイはカレーパンを片手に留美華を見やった。
「――あれ? 留美華ちゃん、どうしたの? 泣いてる?」
その優しい声に、留美華は目を潤ませながら「カイ君……」と呟く。
「もしかして……澪に何か怒られちゃったの? 大丈夫?」
「なんで私が……!」
澪は思わず突っ込んだが、カイは気にも留めず、留美華へと微笑みかけた。
「留美華ちゃんは、笑ってる顔が一番かわいいんだから。涙を拭いて……ね?」
「……うん……」
頬を赤らめて見惚れるように答える留美華。
けれど次の瞬間、はっと我に返り、また涙をぽろぽろこぼした。
「カイ君……! 別れたのに、そんなに優しくしないで……!」
「え? だって、別れてもクラスメイトだし。毎日会えるよ? お昼ご飯だって一緒に食べられるし、今までと何も変わらないじゃない。だから――泣かないで」
「……そう、いわれると……確かに、そうかも……」
涙を拭いながら、留美華は小さく頷いた。
そのまま、自然とカイの隣に並び、ふたりは教室へと歩いていく。
取り残された澪は、紙袋をぶら下げたまま、廊下に立ち尽くした。
「……なにあれ……」
疲れきったため息が、廊下に溶けていった。




