孤独と涙と哀しみと
流星はため息をついた。
「なぁ、おまえ……何してんの……!?」
若干怒りをにじませて少女に尋ねる。
さもありん。少女――椿 悠は殺人現場をうろちょろ動き回っているのだ。しかも許可無く色んなものに触りまくってる。
流星の声に、悠は首に巻いた十字架付きのチョーカーをいじりながら一瞬だけちろっとこちらを見た。
それだけである。何も言わない。こちらを歯牙にもかけてないようだった。
「無視かてめぇ!」
「……うるさいな。黙ってなよ」
悠はハエを追い払うような手つきをした。
……流星の怒りのボルテージが五十上がった。
「ってめぇ、人ん家引っかき回す気じゃねーだろうなぁ?」
「まさか。他人の家に興味無いよ。ましてや」
悠は冷笑を浮かべた。背筋どころか、全身が凍り付くような笑みを。
「金持ちの家の事情なんて知りたくもないね。華凰院財閥のお坊ちゃん」
「っ……」
流星はぎり、と奥歯を噛み締めた。
「おまえ……何が目的なんだよ。この家の金か? それとも俺に媚び売ろうって魂胆か? 言っとくけどなぁ」
「勘違いしないでよ」
悠に睨まれ、流星は口をつぐんだ。
「私は高野刑事に頼まれて来てるの。じゃなきゃ、誰が金持ちの依頼受けるもんか」
悠の言葉は底冷えしており、嫌悪さえにじみ出ていた。
「……おまえ、金持ちに恨みでもあるのかよ」
「別に。条件無く金持ちはクズだと思ってるだけ。君もそうじゃないの?」
「まさか。俺、俺は……家族は好きだけど、この家は、嫌いだ」
悠の手が止まった。
「……ふぅん。金持ちのくせに、金持ち嫌いなの?」
矛盾してる、と言いたげな悠に、流星はため息をつく。
「そりゃ……俺の親族にもクズ並の奴はいるぜ。例えば」
「叔父上のことをおっしゃってますか?」
全然別方向からの声に、流星は飛び上がりそうになった。
「だ、誰だっ」
振り向き、今度は絶句する。
いつの間にか、部屋の隅に一人の少女がたたずんでいたのだ。
肩上で切り揃えられた茶髪、薄赤の大きな瞳はどこまでも静かで、感情の欠片も感じられなかった。
「だだ、誰だおまえ!」
「あ、朱崋。彼の情報集めてくれた?」
流星と悠、それぞれの反応をする。
流星は顔を歪めて悠を見た。
「……またおまえの知り合いかよ」
「まぁね。彼女は朱崋。私の助手みたいなものだよ」
「助手ぅ!?」
何か、ますます胡散臭くなってきた。
「で、朱崋。彼、華凰院 流星の情報集められた?」
「はい」
朱崋と呼ばれた少女は、深々と頭を下げた。
一方、目の前の会話に、流星は目を丸くする。
なぜ自分の情報を集める必要があるのか、さっぱり解らない。
「で、説明してちょうだい?」
悠が言うと、朱崋はまた頭を下げて、つらつらと話始めた。
「華凰院 流星、十七歳。現在高校二年生、空手部所属。日本経済を担う華凰院財閥当主の一人息子。得意科目は無し。苦手科目は理科と英語。性格は熱しやすく冷めやすい。誕生日は……」
「待て待て待て! 何でんなことまで知ってんだよっ」
流星は朱崋の話を遮った。
「依頼人のことを下調べするのは、当然のことでしょ?」
悠は当たり前のように言った。
「依頼人って……俺はなぁ」
「別に信用しなくてもいいよ。結果さえ理解してくれればそれでいい」
悠は朱崋に目配せした。
朱崋は一礼すると、どこからともなく紙とペンを取り出し、流星に差し出した。
「……何だよ、それ」
「契約書です」
朱崋の答えに、流星は紙を見下ろした。
確かに、一番上に契約書と書かれている。その下にも、びっしりと文字が並んでいた。
「一番下に名前を書く欄があるでしょ。そこに名前を書いて」
「誰の……?」
「君のに決まってるでしょ」
悠はあきれ顔で言った。
「勿論、私を信用できないのなら書かなくていい。家族を喰い殺した奴を知りたくないならね」
悠はすぅ、と微笑んだ。
不敵かつ綺麗で、流星の背筋がざわっとした。
「契約するか否か、全ては、君次第だよ」
契約を促すものではない。ただ、こちらの意思を確かめているだけ。
なのに……逆らえない。
流星はペンを取った。そのまま、無意識に名前を書いていく。
書きなぐるような自分の文字を見て、ようやく意識が現実に戻された。
「契約成立♪」
悠は笑みを深くした。
「さて、契約成立したし、ここの残留思念を蘇らせるか」
「残留思念?」
流星はまだぼうっとしたまま尋ねた。
「そう。まぁ、見てなよ」
そう言って、悠は床の血痕に触れた。が、しばらくして顔を歪める。
「本当は、被害者に何が起きたのかこの場に蘇らせるんだけど……無理か」
悠の謎の言葉に、流星は眉をひそめる。
「恐怖を感じる前に、殺されてる。残留思念もほとんど残ってないな。となると」
悠は胸の前で腕を組んだ。
「妖魔の気配が手がかりか。この、妖気と一緒に感じる悪意……まさか半よ」
バアァン!
突然ドアが開き、流星は飛び上がった。
「……お、叔父さん」
「ふん……ここにいたのか」
いきなりの叔父の出現に、流星は目を丸くした。
上質のスーツに金色のゴツい腕時計、オールバックの髪型。
いつものことながら、卑しい目をしてる。流星は内心でそう思った。
「殺人現場でうろちょろと……まったくしつけのなってない甥だな。……ん?」
流星を睨み付けていた叔父は、悠に気付いた。
「……誰だ、おまえ」
明らかに声音が変わった。
小さな目は悠の顔や腰を眺め、口元には嫌な笑みが浮かんでいる。
それが何を意図しているかは、流星も解った。
だから叔父は嫌いだ……
金と女しか興味無い、父さんと違ってゲスなんだ!
でも、と流星は唇を噛んだ。
自分は、そんな叔父には逆らえない。悔しいが、口でも頭でも勝てたことない。
手を出せば怒鳴られ、自分や両親のことをなじられる。
だから嫌いだ。兄である父のことも憎んでいたし……
……待て。
もし家族を殺す動機があるとしたら、それは、まさか。
「私は椿 悠。ある事情でお邪魔してます」
悠はニコッと笑った。実に愛想がいい。
「そうか。まぁ、ゆっくりしたまえ」
叔父はニヤニヤしながら、部屋を出ていった。
「……なるほど。確かにクズだね。……ん? どうしたの、華凰院 流星?」
「……あいつだ」
「え?」
流星が呟くと、悠は目を瞬いた。
「あいつが、父さんや母さん、じいちゃんを殺したんだ! あいつが、あいつがっ」
「落ち着け」
後ろから腰を蹴られた。ちなみに、蹴ったのは悠である。
流星は無様に床へダイブした。
「っ~~~!」
鼻を打って悶えていると、悠がしゃがんで目線を会わせてきた。
怒鳴ろうとした流星だが、悠の澄んだ瞳を見て、頭を冷えていく。
「叔父を疑う気持ちは解らないでもないよ。でも、彼は犯人じゃない」
「え……?」
「あのね、私がここに来たのは、妖魔が絡んでるからなの」
まるで聞き分けの悪い子供に粘り強く話す母親のように、悠は話し始める。
「私達退魔師は、その妖魔の気配を感じ取ることができる。でも、彼から気配は感じられなかった」
「……つまり?」
「もし少しでも妖魔と関わり合いがあれば、残り香があるはずなの。でも彼からはそれすらない」
悠は笑みを消して、話をくくる。
「つまり、彼は犯人、もしくは犯人をけしかけた奴じゃない」
流星は絶望的な気持ちになった。
叔父が犯人じゃないなら、誰が家族を殺したというのだ。
うつむいた流星の頭に、軽い負荷がかかった。
顔を上げて、思った以上に悠の顔が近かったせいで流星は固まってしまった。
「な……何してんだよ」
「なでなで」
「……はい?」
「やっぱり変わってるね、君」
悠はクスッと笑った。流星の心臓が跳ね上がる。
「気に入ったよ」
「は!?」
流星は悠をまじまじと見つめた。気恥ずかしくなって、すぐ目線を外したが。
「ね、幾つか質問していいかな」
悠がじぃぃっとこちらを見てきた。
すぐ傍にある綺麗すぎる顔に落ち着いていられず、流星は反射的に何度も頷く。
「君、霊感は強い方?」
「え? ……あ、う、おぅ」
「次。君確か、空手部だったよね」
それがどうしたんだ、と言いたくなったが、素直に頷く。
「……もしかして、昨夜はいつもより遅かったんじゃない?」
「えっ。な、何で解ったんだ?」
流星は目を丸くした。
確かに昨日はいつもより部活が終わるのは遅かった。
一年生と二年生が数人遅刻したため、部活全体で顧問の大目玉を喰らったのだ。
説教は二時間近く続き、更には練習量がいつもより一時間も増えた。
結果、七時過ぎに帰れるはずが、十時過ぎに帰宅した。
そう話すと、悠はなるほどと呟いた。
「目的は解ったね。となると、また……」
すくっと立ち上がる悠を見上げていた流星は、ふと、昨日のことを思い出した。
もし、あの時早く帰ってたら、どうなっていたろう。
もしかしたら、家族と一緒に殺されていたかもしれない。
そう考えると、背筋が凍った。だが……独りぼっちになることは、なかったのではないだろうか。
様子がおかしいことに気付いたのだろう。悠が「どうしたの?」と訊いてきた。
「……俺、家族を失って、哀しいっていうより、寂しいんだ」
何を話してるんだ、と自分でも思った。
だが、口にせずにはいられなかった。
「薄情だよな。死んでも哀しくないって。でも、それよりどうして置いてったんだって思って……」
どうして独りにした。
どうして行ってしまった。
どうして、どうして、どうして、どうして。
沸き上がるのは孤独感で、哀しみはやってこない。
ただ、置いていかれた寂しさと、自分自身を失ったような喪失感が心を占めていた。
あまりにも唐突すぎた。あまりにも突然すぎた。
「どうしたらいいんだよ。俺、どうせならみんなと一緒に死にたかった。置いていかれたく、なかった」
瞳から熱いしずくが押し出された。止まれ、と願っても、むしろ前より流れ出て、頬を濡らす。
口を押さえて声が出るのをこらえていると、悠の声が降ってきた。
「あまり自分を責めないでよ」
自分を責める? 自分は、置いていった家族に憤っているのに。
「どんなに願っても、過去は取り戻せない。大事なのは、今をどう生きるかでしょ」
自分を責めてはいない。悠の言葉は、とんだ検討違いだ。
なのになぜ、自分はこんなにも救われた気持ちになるんだ……
流星はしばらく、声を押し殺して、泣いていた。
―――
屋敷に光は無かった。
電気はついておらず、人の気配も無い。
だが、『彼』は目的のものがここにあることを知っていた。
彼はニヤリと笑うと、三メートルはある門を飛び越えた。
地面に降り立った彼は、くるりと辺りを見渡す。
「遅かったね」
彼は肩を震わせた。
「待ちくたびれたよ。もっと早く来てくれればよかったのに」
庭から、数人の人間が現れる。その先頭に立った悠は、ニヤッと笑った。
「さぁ……狩りの時間だよ」