8.執務室にて――覚悟と勇気
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「御主人様!! ユーシアお嬢様に『出て行ってくれ』と仰ったのは本当ですか!? 使用人の一人がたまたまその場にいて、お二人の会話を聞き、慌てて私のところに伝えに来ました! それを聞いた使用人全員が、御主人様の言葉に怒り心頭に発しておりますよ!?」
ノックをした後、すぐに執務室に駆け込んで来たヴォルターに、立って窓の外を眺めていたジークハルトは、そのまま振り返らず頷いた。
「……あぁ……。本当だ……」
「……!! ――そんな……何ということを……! 御主人様、お嬢様にどこに帰れと仰るのですか!? ランブノー家に戻って、また酷く虐待される日々を繰り返せと!? 御主人様も御存知でしょう!! お嬢様の身体中に、無数の人為的な打撲創や傷痕があることを!! ここにお嬢様が最初に訪れた時、可哀想なくらい痩せ細っていたことを……!!」
「……っ!」
珍しく強い口調のヴォルターの言葉に、ジークハルトは、ユーシアを抱き上げた時の羽根のように軽い身体を思い出していた。
顔合わせをした時は、彼女をチラリと見た後は殆ど視線を合わせなかったので気付かなかったが、あんなに痩せていたなんて……。
彼は目をギュッと瞑り、悲痛の混じった声を荒らげた。
「――分かってる……分かってるんだっ! けど彼女がこのままここにいたら、俺は彼女を絶対に愛してしまう! 俺はもう、あんなに辛くて苦しい思いはしたくないんだ……!!」
そう言って震える拳を握り締め下を向くジークハルトを、ヴォルターは静かに見つめる。
「……確かに御主人様は幼い頃、大切に愛していらした“彼女”を亡くしました。御主人様に襲い掛かる魔物から、身を挺して庇って、“彼女”は……。けれどもうあの頃とは違いますよ、ジークお坊ちゃん。お坊ちゃんは大人になり、とても強くなられた。それこそこのウルグレイン領を守れるくらいの。なら、女性一人護るくらい簡単なのでは?」
「……ヴォルター……」
優しい声音で諭すように紡がれる言葉に、ジークハルトは迷子になった子供のような顔でヴォルターの方を振り向いた。
「ジークお坊ちゃん、“勇気”を出して下さい。心の奥底に根付く“怖さ”を断ち切るくらいの“勇気”を。今のお坊ちゃんならきっと出せる筈です」
「……俺……俺は――」
その時、ノックの音が聞こえ、使用人が慌てた様子で中に入ってきた。
「お話中失礼いたします! 今、町の者達がこの屋敷を訪れて、一人の若い女性が例の魔物がいる山に向かったと……! その女性は、栗色のフワフワした腰まで届く髪で、同じく栗色の瞳だと――」
その女性の特徴に、ジークハルトとヴォルターは互いに顔を見合わせる。
「……まさかユーシア嬢!? 馬鹿なッ! 何故その山に!?」
「町の者達が申すには、山にいる魔物が町に下りて来たら困る旨を話していたところ、突然その女性がその山の場所を訊いてきたとのことです」
使用人の返答を聞いたヴォルターは、低く唸るとポツリと呟いた。
「ユーシアお嬢様……。その魔物を倒しに行かれたのですな。彼奴を倒せば、御主人様が喜ぶと思って――」
「……っ!!」
ジークハルトの顔が驚愕へと変わる。
「――馬鹿だ……大馬鹿者だアイツはッ! 魔法も何も使えないのに丸腰で、あんな細い身体で……! 自殺行為にも程がある!! 本当に――くそッ!!」
駆け出そうとしたジークハルトを、ヴォルターが鋭い一声で止めた。
「お待ち下さい、御主人様! 貴方様は一度お嬢様を突き放しています。貴方様が助けに行って彼女に期待を持たせるのは酷というものです。中途半端な行動はお止め下さい」
「…………ッ!!」
ヴォルターの胸にグサリと突き刺さる言葉に、ジークハルトは石のように固まってしまった。
「お嬢様救出はわたくしが参りましょう。わたくしなら今からでも間に合います。では行って参ります」
「――待て、ヴォルター!!」
颯爽と踵を返し扉を開けたヴォルターの背中に、ジークハルトは心の奥底で渦巻いていた想いをぶちまけていた。
「……俺はッ! 俺はユーシアを愛しているんだッ!! ――あぁそうだよ! もう手遅れだったんだ!! 俺は既に彼女に心を奪われていたんだ!! あの笑顔がもう二度と見られなくなるなんて絶対に嫌だ! 俺が行くッ! 俺が必ず彼女を助けるッ!!」
ジークハルトはそう強く叫ぶと、疾風のように部屋から飛び出して行った。
「御主人様! ――あぁ、行ってしまわれたか」
「ヴォルター様、良かったのですか……?」
使用人の問い掛けに、ヴォルターは微笑みながら頷いた。
「――えぇ、きっともう……大丈夫だと思いますよ」
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