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余話――それは、とても幸せな日々




 ――ウルグレイン伯爵家にて。


 セトラとレスカが、他愛もない話に花を咲かせながら廊下を歩いていると、厨房の方から甘く香ばしい匂いが漂ってきた。



「ん? 何かうまそーな匂いがしてるなぁ」

「――あぁ。きっと、ユーシアが主用のクッキーを焼いているんだろう」

「おっ! もしかしたらオコボレが貰えるかも? よっしゃ、行ってみようぜレスカ!」

「あっ、おいセトラ! ――ったく、食い意地は人の倍以上あるからな、アイツは……」



 レスカが一つ息をつき、走って行ったセトラを追って厨房に入ると、そこには案の定エプロン姿のユーシアの姿と、その隣で早速焼き立てのクッキーを摘んでいるセトラがいた。



「うっめーっ! 外はサクサク、中はホクホク! 味も言うことナシ! 冷めたのも美味いけど、焼き立てもサイコーだなっ!」

「ふふっ。ありがとうございます、セトラさん」

「ユーシア、すまないな。セトラが美味しそうな匂いにつられて乱入してしまった。――こら、セトラ。食べ過ぎだ」

「だってさ、美味過ぎなんだよ。これは――」

「大丈夫ですよ、レスカさん。これは試作品で、完成品は別にありますから。レスカさんも宜しければ召し上がってみて下さい」

「あぁ、ありがとう。じゃあ戴こうかな」



 自分が作ったものを美味しく食べてくれることが嬉しいのだろう。満面の笑顔でユーシアに勧められ、レスカもお言葉に甘えて一つ口に入れてみた。



「……美味しいな! いつも通り甘過ぎず丁度いい。これは――」

「良かった! お二人の御墨付きで自信が持てました! 実はこれ……。――何とっ! 葉物と幾つかの野菜が練り込まれてるんですよ!! 全く気付かないし分かりませんよねっ!? 野菜嫌いの旦那様も、きっとこれなら食べてくれる筈! ふふっ」

「…………」



 ユーシアの、星が舞う程にキラキラした輝きの瞳を向けられて、セトラとレスカは無言で目を見合わせる。

 二人は、味の感想の後、言葉を続けようとしたのだ。



「これは野菜が入っているとは思えない位の美味しさだな」



 ……と。

 クッキーの見た目が思いっ切り“緑色”なのだ。

 誰がどう見ても「野菜が練り込まれている」と思うだろう。

 けれど、とても嬉しそうに鼻唄を歌ってお皿に完成品を並べているユーシアの笑顔を曇らせることなど、二人にはどうしても出来なかった。


 彼女は頭の回転が早いが、たまにとんでもなく抜けている部分も見せるのだ。



「旦那様、葉物を一切食べないんですよ。何度勧めても『俺は絶対に食べない』の一点張りで。終いには『もし俺に葉物を食べさせることが出来たら、何でも言うことを聞こうじゃないか』って、意地悪な顔でニヤリとして言ってきて! その挑戦、受けて立ちましたよ! 何度も失敗を重ね、苦心に苦心を重ね、ようやくこのクッキーが完成したんです!! 言わば私の最高傑作ですっ!!」

「お、おぉ……。それはすげぇな……」

「そ、そうか……。うん、頑張ったんだな……。偉いぞ……」



 震える拳を胸の前で握り締め、鼻息荒く力説するユーシアに、二人は益々言い出せなくなってしまった。



「――あ、でもさ、奥サマが主に『あーん』すれば喜んで食べるんじゃねぇか?」

「あぁ、確かにそうだな。確実にユーシアが勝つぞ」

「えぇえっ!? まさかそんなっ!?」



 セトラの言葉にレスカは頷いて同意し、ユーシアは顔を真っ赤にさせて大きく後退った。



「あ、あの旦那様がですよ!? 私ごときの『あーん』で葉物を食べるわけないじゃないですか!! 絶対にありえないですっ!」

「いや、ありえるぜ」

「あぁ、十分ありえるぞ」



 ジークハルトの、ユーシアに対する溺愛っぷりが半端ないことは、セトラとレスカだけではなく、ウルグレイン家の使用人全員が周知の事実だ。

 ユーシアが『あーん』すれば、彼はそこら辺の地面に生えている雑草でさえも喜んで食べるだろう。

 いや本当に冗談抜きで。



「そ、そんなことしたら、私が羞恥で爆発してしまいますよ! 無理です無理っ、絶対にムリッ!!」



 グラグラと沸騰状態の顔を両手で覆い、頭を左右に振るユーシアに、二人はフッと微笑して温かな目線を送る。



(初々しくて眩しいぜ……。主に感化されずに、いつまでもそんな奥サマでいてくれよ)

(人前で平気でユーシアに長いキスをして使用人達を困らせている主に、その恥じらいを少しでも分けて欲しいものだな)

(全くだぜ。アイツらの居た堪れなさがすっげー伝わってきて、可哀想になってくるもんな)



 そんな二人のコソコソ会話など露知らず、ユーシアは立ち直るとクッキーを乗せたお皿を手に取った。



「とにかく、善は急げで旦那様にこのクッキーを渡しに行ってきます! 彼をギャフンと言わせてきますね!」



 ユーシアはグッと拳を作ってそう言うと、小走りで執務室へと行ってしまった。

 セトラはそんな彼女の背中を見送ると、ポツリと呟く。



「……なぁ」

「ん? どうした、セトラ」

「主の反応、気にならねぇ?」

「……まぁ、気にならないと言ったら嘘になるな」

「だろ? ちょっと覗きに行ってこようぜ」

「こら、またお前はそういう――」

「いいからいいから」



 セトラはニヤッと笑うと、レスカの手を掴んで執務室へと歩き出した。

 彼は言い出したから聞かない性格なのを分かっているレスカは、抵抗せず大人しく手を取られ付いて行く。



「後で主に怒られても知らないぞ」

「上等上等。オレの好奇心が疼きまくって、こっちを満足させるのが優先だ。――おっ? やった、少し扉が開いてるな。どれどれ……」



 執務室の前に来たセトラは、開いている扉の隙間から部屋の中を覗き込む。レスカも己の好奇心に負け、彼の下から隙間に目をやった。



「旦那様、新作のクッキーが出来ました! おひとつ召し上がってみて下さい! 私の自信作ですから! 絶対に後悔はさせませんから!」



 そこには、満面の笑みで夫の前に立ってクッキーを勧めるユーシアと、執務椅子に座り、そんな妻を愛おしい表情で見上げるジークハルトの光景があった。

 


(うわっ、見ろよ主の顔! あんな優しい表情、他のヤツらには絶対見せないよな?)

(あぁ……。見ていてこちらが気恥ずかしくなってくるな)



「あぁ、新作のクッキーか。色が緑だが、もしかして『野菜』が練り込まれているのか?」

「っっ!?!?」



(うっ、うわあぁッ!? ちょっ、主ぃッ!? いきなり核心を突いてきたぜッ!?)

(くそっ、容赦無いな主め……っ。そこには触れないのが優しさというものだろうが……っ。この絶体絶命の危機をどう切り抜ける、ユーシア……?)



 ユーシアがアタフタする姿を、セトラとレスカは手に汗握り、固唾を呑んで見守る。

 慌てるユーシアを微笑んで見つめるジークハルトが、好きな子に意地悪をして楽しむ悪魔に見えてきてしまった。



「こ、こ、これは……っ」

「あぁ、これは?」

「…………と、『突然変異』して『進化』したクッキーですっ!!」



(『()()()()』してッ!?)

(『()()』ッ!? クッキーが……ッ!?)



 唐突な『強烈な単語(パワーワード)』に、セトラとレスカはブホッと吹き出してしまった。



「……そ、そうか。『突然変異』して『進化』したのか、このクッキーは。だから、こんな色に……」

「は、はいっ! 一歩先を行く“進化形クッキー”ですっ!」



 幸いジークハルトはこちらには気付かなかったようで、下を向いて身体を小刻みに震わせ、笑いを堪えているようだった。



「く……っ。では、その“進化形クッキー”を戴こうか」

「は、はいっ、是非とも!!」



(……主が……)

(食べたぁッ!!)



「……あぁ、本当だ。美味しいな。いつものクッキーも好きだが、これも気に入ったよ」

「…………ふっふっふっ。旦那様、召し上がりましたね!? 実はそれに、葉物が練り込まれているんです! その他の野菜もいくつか入ってるんです! 少し疑問に思われたかもしれませんが、完全には気付けなかったでしょう!? 驚きましたかっ!?」



 夫が野菜入りクッキーを食べてくれた喜びで、瞳をキラキラさせ、興奮し前のめりで訊いてくるユーシアに、いよいよ笑いが抑え切れなくなったジークハルトはプハッと吹き出しながら頷いた。



「あぁ、驚いたよ。野菜独特の苦みが全くしない。これは何枚でも食べられそうだ」

「でしょう!? まだありますから、沢山召し上がって下さいね? 挑戦は私の勝ちですね!!」



 嬉しそうに満足気に笑うユーシアに、ジークハルトも笑みを返して口を開く。



「そうだな。俺の負け、君の勝ちだ。約束通り、何でも君の言うことを聞こう。但し五秒以内に言ってくれ。ではいくぞ。一、二……」

「え、えっ!? いや、ちょっ、待って? まだ何も考えてな――」

「三、四、五。――あぁ、時間切れだ。残念だったな、ユーシア。間に合わなかった罰として、君が俺の言うことを聞いて貰おうか」

「へ、う、えぇ……っ?」

「今から君を抱く。丁度仕事も片付いたところだ。俺の部屋に行こうか、ユーシア。夕飯まで時間はたっぷりとある。じっくり君を堪能させてくれ」



 ジークハルトはそう言い、切れ長の目を細めて妖艶に笑うと、まだ状況が掴めず固まっているユーシアを軽々と抱き上げた。そして執務室の扉へと向かう。

 予想外の展開に呆然としていたセトラとレスカは、扉を開け廊下に出てきたジークハルトとバッチリと目が合ってしまった。

 二人がそこにいるのを最初から分かっていたように、ジークハルトは彼らを見下ろすと、フッと美麗な微笑を浮かべる。



 その笑みに、『邪魔するなよ』の圧をたっぷりと込めて。



 一方のユーシアは、二人に潤んだ瞳を向けてきた。

 『旦那様を止めて』――と、その目が必死に訴えている。



 二人はジークハルトとユーシアの顔を交互に見ると――レスカは唇を噛み締め首を横に振り、セトラは頭を下げ両手を合わせると『すまん!』のポーズを取った。

 そんな二人に、ユーシアは更にウルリと涙目になる。



「ユーシア? そんな顔をされたら、今すぐに襲いたくなるんだが?」

「ヒェッ……」

「ふふ、君は本当に可愛いな。俺の理性が今すぐにも飛んでいきそうだ」

「……く、首輪して頑丈な紐でしっかりと繋いで下さいぃ……っ」

「ははっ! ヴォルターも似たようなことを言っていたが、無茶な注文だぞそれは。君が可愛い過ぎるのがいけない」

「ま、また責任転嫁をして……っ」

「事実だろ?」



 ジークハルトはくつくつと笑い、ユーシアの額と頬に唇を落とすと、彼女を抱き上げたまま踵を返して自室へと歩き出した。

 そんな二人の姿は、野性の狼に囚われた小さな子羊を連想させて――



「……すまねぇ、奥サマ……。主に逆らうと、後で何されるか分かったもんじゃねぇから……」

「主……。最初からこの展開を狙っていたんだな……」

「主は約束なんか無くても、奥サマの言うことは何でも聞きそうだもんなぁ」

「あぁ、だな……」



 遠ざかって行く二人を見ると、ユーシアがジークハルトを見上げて一言二言何かを言い、小さく微笑むのが確認出来た。

 そんな彼女に、ジークハルトは嬉しそうに笑い返すと口付けをし、彼の自室へと入って行った。




「……あの調子じゃ、新しい家族が出来るの、そう遠くないかもしれねぇなぁ。奥サマが来てから賑やかになったこの家が、益々賑やかになりそうだぜ。ま、オレは大歓迎だけどな?」

「ふふっ。――あぁ、私もだ。それはきっと、とても幸せな日々だな」

「“きっと”じゃないさ、レスカ。“絶対”、だ」




 セトラとレスカは顔を見合わせると、楽しそうに笑い合ったのだった――










伯爵夫妻は、これからも変わらず甘々イチャイチャを続けていくことでしょう。周りに呆れた目で見られながらも(笑)

幸せな日々を、これからもずっと――



完結後もブックマーク、評価、いいねをして下さり、嬉しさと感謝の気持ちで一杯です。

本当に、心からありがとうございました!!



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