3.伯爵様との顔合わせ……そしてあの台詞が!
ウルグレイン伯爵家の応接室で、初めて伯爵を見た瞬間、私の頭の天辺から足の爪先まで電撃が貫いたような衝撃を受けた。
スラッとした長身で、短く切った無造作に流れるサラサラの金色の髪、晴れ渡る澄んだ空色のような蒼の切れ長の瞳、形の良い鼻、唇――
誰がどう見ても上級の美形に入る顔つきだった。
こりゃあ姉が伯爵の顔を一目見たら、「アタシが嫁げば良かったわぁ!」とハンカチを噛み締めて悔しがるに違いないわ……。
光り輝くウルグレイン伯爵の姿に目と口をあんぐりと開けていると、テーブルを挟んで向かい合わせで座っている彼が不機嫌そうに私を見返して言った。
「ジークハルト・ウルグレインだ。このウルグレイン伯爵家の当主をしている。ユーシア嬢、遠路はるばる来てくれたところ申し訳ないが、君に最初に伝えておきたいことが何点かある」
その台詞を聞いて、私は惚けた顔を引き締め、ソファに座り直した。
きっと、“あの言葉”を言うのだろう。
「君を愛することはない。愛する気もない。ここに嫁ぎに来てくれたのは有り難いが、俺は君に一切関わらない。君は君でここで好きに過ごすといい。婚姻届はまだ出さない。二ヶ月間、様子を見ることにする。ここを出て行きたいのであれば止めはしない。勝手にするといい」
はいキタァーーッ! なるほど、これが“例の台詞”ね!?
別に私はそれで全然構わない。ならお言葉通り好きにさせて貰うまで!
「分かりました。では逆に、私は全力で伯爵様を愛しますとも! 心の底から伯爵様に愛を貫き通しますとも!!」
「…………はあぁ??」
私のとびきりな笑顔に乗せた宣言に、ウルグレイン伯爵は美形な顔をポカンとさせ、言っては悪いがマヌケ面で言葉を失っていた。
「…………なぁ、俺の話をちゃんと聞いていたのか? 俺は君を――」
「はい。勿論バッチリと聞いていましたよ? 別に私を愛さなくて一向に構いません。好きになってくれなくてもいいです。愛人や恋人が何人いようとも問題ありません。けれど私は伯爵様を愛します。とことん愛して、とんでもなく巨大な愛を捧げます。私の勝手にしていいと仰ったのは伯爵様ですから」
「……っ!! 俺は縁談相手がいるのに愛人や恋人を作るほど節操無しじゃない!! ――あぁもう、本当に勝手にしてくれ!! 失礼する!!」
ウルグレイン伯爵は聞いていられないと言った感じで、怒ったように叫んで立ち上がると、口を手で隠してズカズカと大股で応接室から出て行ってしまった。扉を開けっ放しで。
「……あらら、耳まで真っ赤になっちゃって。私の盛大な告白に照れちゃったのかしら」
私はクスリと笑うと、これからのことを考え始めた。
まずは彼の一日の行動と嫌いな物、嗜好等、彼に関わるもの全てを調べなきゃ。
彼がストレスを溜めないように、気持ち良く生活出来る為に。私が出来ることを全てしよう。
「よしっ、まずは聞き込みね。このお家の執事さんや使用人さん達と話してみよう。――まだ奥さんでも何でもない、ただの小娘な私なんかと話してくれるかな……」
「そんなに御自分を卑下なさらないで下さい、お嬢様」
穏やかで落ち着く声音と共に、優しそうな白髪のお爺さんが微笑みながら姿を現した。
手を胸に当て、キリリと締まった姿勢のそのお爺さんは、皺一つ無い執事の制服を着ていた。
私は慌ててソファから立ち上がる。
「あ……。し、失礼いたしました。私――」
「大丈夫です、存じておりますよ、ユーシアお嬢様。わたくしはこのウルグレイン家の執事をしております、ヴォルターと申します。遠慮せず、何なりとお申し付け下さいませ」
「あ、ありがとうございます」
微笑しながら優雅で完璧な一礼をしたヴォルターさんに、私は思わず見惚れてしまった。
本物の執事さんを初めて見たからだ。
うちはケチって屋敷の清掃全般をほぼ私に任せて、執事さんを雇い入れてなかったからなぁ……。
そう言えば、私がいなくなった後の家の掃除どうするんだろ? あの人達が自ら掃除するなんて考えられないし、使用人さんを追加して雇うしかなくなるだろうな。
タダ働きがいなくなった訳だしね。そこはざまぁみろだわ。
「扉が少し開いておりまして、御主人様とお嬢様の会話が耳に入ってきまして……。勝手に聞いてしまい大変申し訳ございません」
「えっ!? ――そ、そんな……全然大丈夫ですよ?」
「ユーシアお嬢様は、これまでの縁談のお相手とは違うようです。あんなに真っ赤になって慌てた御主人様を初めて拝見しました」
クスクスと可笑しそうに笑うヴォルターさんに、私はどういう態度を取っていいのか分からず、同じように微笑み返した。
「あの……ヴォルターさん、早速ですが伯爵様のことについて色々と教えて下さいますか? ――あっ! 勿論、時間が無ければ後日でも全然――」
「ふふ、構いませんよ。早く御主人様のことが知りたいのでしょう?」
「……っ。はい……!」
「ではそちらのソファにお掛け直し下さいませ。お茶とお菓子を持って来させますので、是非とも沢山召し上がって、どうぞお寛ぎ下さい」
「あ、ありがとうございます……!」
そして私は、お茶菓子をこれでもかと持って来てくれた使用人さんを交えて、ウルグレイン伯爵について沢山の話を聞いた。
二人とも、私の拙い質問にも笑顔で親切に答えてくれて、涙が出そうになるほど嬉しかった。
ウルグレイン伯爵が子供の頃からここに務めているのもあって、ヴォルターさんが色んな情報を知っているのも心強かった。
「――ここ最近、御主人様の仕事がお忙しいこともあって、食事を召し上がらない回数が増えているのが気になりますね」
「そうなんですね……。軽くつまめるものとかは……?」
「御主人様は好き嫌いが激しいのです。甘いものが苦手ですし、辛いものも駄目ですし、サンドイッチも、パンがボソボソして好きじゃないと仰っていました」
「全く、御主人様の偏食にも困ったものです。このままこの状態が続けば、御主人様が倒れてしまわないかって心配になっちゃいますよ」
「ふーむ……」
私は唸り、そしてあることを思い出した。
「本当にありがとうございます、お二人とも。伯爵様について沢山知ることが出来ました。――ヴォルターさん、これから町に出掛けても大丈夫ですか?」
「え? 今から……ですか? こちらに来たばかりでお疲れでしょうし、本日はゆっくりとお休みになられて、外出は明日にされた方がいいのでは……」
「大丈夫です! うちでは掃除で一日中――ンンッ! 日頃から身体は鍛えていましたので、全く問題無しです!」
「……うーむ……。気は進みませんが、お嬢様がそこまで仰るなら……。では護衛を付けて――」
「あ、護衛もいりませんよ! 一人で大丈夫です。まだウルグレイン家の一員じゃありませんし、私なんかの為に人員を割かないで下さい。何かあれば一目散に逃げますよ。私、逃げ足だけは速いですから! では行って参りますっ!」
私は笑いながら二人に言うと立ち上がり、ペコリと頭を下げて応接室を飛び出した。
嵐のように走り去る私に、ポカン顔を浮かべている二人を残して。