竜は目覚める・2
再びセージの研究施設に戻ってきたウルフリートはまず―元の治療室でも食堂でもなく、中庭へ通された。
散歩から帰ってきた泥だらけの犬にするように、ホースで全身に水と洗剤をぶちまけられ、屈強なオーガ族の男二人ががりで、モップでぐわしぐわしと掻きむしるように洗われた。その間もウルフリートはただ不動で、されるがままに、研究施設の派手な漆喰の壁を見つめ、あー、昔に同じことしたなー、そこは変わってないんだなーとか少年兵時代に想いを馳せていた。
「エンチャントも無し、鎧も無しに、あれだけの魔物の血を被ったのに呪いの一つも受けてないとは、恐れ入るよ」
とはセージの言で、これは一種の医療行為だよ〜などと付け加えながら、入念にウルフリートの身体を洗浄し終えると、自分好みの下着とシャツとズボンと靴を揃えて押し付けた。
ようやく文明人らしい出立になったウルフリートは今度こそ腰を落ち着けられる場所に案内され、点滴を繋がれ、口の中に無理矢理、味のしない乾いた栄養食をぶちこまれた。
「あ。お湯か何かでふやかせば良かったな。まあいいか、リハビリだと思って、噛んで噛んで。それさえ胃に入れれば三日は何も食べずに生きられるような代物だ。頑張って食べたまえ」
魔導アカデミーの校長とはいえ、人間の世話にはとんと慣れていない魔女・セージであった。
ひと心地ついたウルフリートを連れて、セージは―報道陣が待ち構える応接室へ向かった。
事前に予定していた記者発表の場だった。
本来はセージ一人で、招いた記者達にウルフリートを保護した旨を伝える筈だったがー思いの外ウルフリートが早く覚醒したことを受けて、急遽“公開対談”という体で、英雄の姿をいち早く世間に晒すことになった。
部屋に入るなり、ウルフリート達は既に待ち構えていたカメラやマイクを手にした記者達の喝采の拍手で歓迎された。
セージの趣味全開で、黒や赤を基調としたゴシックパンク風の調度品が並べた応接室は、ウルフリートからすればまさしく魔女の館に思えた。
部屋の真ん中を陣取る、四隅に髑髏の意匠が施されたスクリーンには、ウルフリートとアイスドラゴンについてのライブ中継が延々と映し出されていて、室内の異様な雰囲気に拍車をかけていた。
彼らは、と記者達の存在について訊ねるウルフリートに適当に記録係の部下だから無視してほしいとかなんとか答えて誤魔化し、皮張りのソファに座らせると、セージは自らもその対面の席についた。
「―改めて初めまして、英雄ウルフリート・ブルース。お会いできて光栄だ」
「こちらこそ、セージ・ヘルキャット殿。未だに信じられないが―八百年も眠っていたこの身を蘇らせてくれて。感謝する」
ウルフリートが目覚めて初めて、二人はようやく音のついた挨拶を交わした。
二人を観覧するように入り口側の壁に張り付いた記者達が、その光景をカメラに収めようと必死にシャッターを切った。見慣れないフラッシュに目を覆うウルフリートの姿さえも貴重だと言わんばかりに、しつこくカメラで追う。
しかしセージはまるで彼等が居ないように振る舞うので、ウルフリートもそれに倣い、今だけは彼女との対話に専念することにした。王子の護衛をしていたウルフリートにとって、こういった公の場は比較的珍しいものではなかった。
「いいんだよ。この際だから率直に言おう。君を解凍したのには、私なりの思惑があるのさ」
「…そうだろうとも。俺は、アイスドラゴンと運命を共にしたのだ。今更、この王国で…望むべくことも無い」
「死人も同然だから意志を放棄するって?随分乱暴な考え方だね。…気持ちはわからないでもないけど」
魔騎士はアメジストの瞳に虚な翳りを見せ、しかし、それでも毅然とした態度で、膝の上に揃えた拳を握り込んだ。
「…貴女の服装や、ホワイトサロンの街並みを見て思った。ここは例え未来ではなくとも、俺の知る世界ではないと。であれば、我武者羅に振舞うよりは。理を理解している先人に倣うほうが建設的である筈だ」
ウルフリートに迷いは無かった。
今までも、ヘリオ達と旅した新天地でそうしてきたように。
ただあるがままを受け入れて、現地の種族と共に生きる。ウルフリートにとっては、言葉が通じるだけ、まだ有難いとすら感じていた程だった。
「成程。根っからの真面目だね、君は」
「この肉体と魂がある内は、力強く生き続ける。そう誓ったまでのこと」
「うんうん。さすが伝説の偉人は精神まで伝説クラスときているらしい。話しが早くて助かるよ」
一方のセージも、伊達に百五十年を生きたわけではない。長い足を組み直して、英雄ウルフリートが自分の思い描いた、あるいはそれ以上の人物であることに感服した。
「取引ならば応じよう。俺は俺のすべきことをする。その理由を探す為にも。今はただ貴女を信じて、恩義に報いよう」
「…コールドスリープから目覚めるのが、君の本意じゃなかったとしても?」
「俺を必要とする人間が居るのならば、俺はその者の為に戦う」
ウルフリートの低い覚悟の声に、報道陣ならずセージからも恍惚の感嘆が漏れた。
「かっこいい…」
「おい」
それを茶化されているように捉えたウルフリートの一睨に、応接室の人間全員が気まずそうに鼻を啜り、咳払いとともに自らの職務に集中し直した。
「では。ウルフリート殿。君にはこれから―この現代で生活してもらう。私の学園の教師としてね」
「…きょうし」
きょうし。キョウシ。狂死。いや、彼女は学園を経営しているのだから、教師か。
再びフラッシュが焚き乱れる。
全く想定していなかった提案に、ウルフリートの思考が凍結した。恐らく自分の人生の中でもほとんど口にしたことのないであろうその単語を、ぼんやりともう一度繰り返す。きょうし…。
「そう、教師。実はここのところ、私のヘルメス魔導学校は営業不振でね。それもこれも魔法庁のクソ…いや、お偉方が、金に飽かせてぽこじゃか士官学校を設立したり、魔導士じゃなくても魔法を扱えるようになる道具を生産しまくるせいで、魔導アカデミーそのものの需要が低下してるんだ。あと単純に私と魔法庁の仲が悪いので、うちの卒業生をどこでも摘ま弾きにするもんだから就職率は低いわ離職率は高いわでうちの評判まで落としてくれちゃってあのクソジジイ~~~度し難ぇ~~~!!」
明らかに特定の人物を罵倒する叫びを上げて、ウルフリートを置き去りに一人でに盛り上がるセージ。仮にも報道陣を前にしてその素直すぎる態度はどうなのか。実際に悪意ある記者はセージの怒りの叫びを事細かにメモに書き起こしていた。
しかし魔騎士は狼狽えない。
「魔法庁…というのは?」
「ええと…君が仕えていた旧アトリウム王国の魔術議会は分かるかな?」
「ふむ。あの人類の敵どもか」
真顔で端的に言い放つ当事者の姿に、記者の何人かがぶっと吹き出した。
「そうそう。原初の魔人・ドラクルーカと内通していた真の裏切者たち。彼等は戦いのあと、新アトリウム王国を建国した聖騎士王ヘリオを追い出して、結局、魔法庁という新たな行政機関を作って、今日まで国の実権の半分を握ったままなんだ」
「…主要な幹部はヘリオとルカに粛清された筈だが」
「腐った思想っていうのは受け継がれるものなのさ。君たちの奮闘によって規模こそ減少し、体制は大きく見直されたものの―立ち位置はそう変わっていない、といったところだ。勿論、もう悪さはしていないけど。まだ私のように、彼等の支配に反抗的な魔導士に対しては風当たりが強いんだよねぇ」
「王家は黙認しているのか?」
「手が出せないんだよ。この国で魔法が戦闘力として基盤を築いている以上、どうしても、魔導を管轄にしている魔法庁が怖い。彼等を排除すれば、最悪、魔物や災害から市民を守っている結界を解除されてしまうしね。それに吸血鬼だって滅んじゃいない。昔ほど干渉はしなくなったけど、魔法庁の後ろには真祖たちが控えている」
と、ここまで話して、セージはウルフリートの眉間に無念の皺が寄っていることに気がついた。
彼等の過去の行いを称賛することはあっても否定するつもりは毛頭無かったのだが、セージの個人的な立場からの物言いで、あたかも人魔戦争が遺した爪痕のような印象を与えてしまったのかもしれない。
「…」
「君たちの戦いは決して無駄じゃなかった。聖騎士王ヘリオが立ち上がらなければ、八百年前にこの世界は滅んでいたんだ。それに比べたら、生あることのなんと幸福な事か」
慌ててフォローするセージに、ウルフリートも自分が辛気臭い面持ちになっていたことを自覚し、気を取り直すように息を吐いた。
「つまるところ…貴女は俺をその魔法庁への、抑止力にしたいと」
「そういうこと。別に直接殴り込めとは言わないけど…今回の発掘の折りに君の身柄を引き取るのだってめちゃくちゃに苦労したんだ。おつりくらいは期待してもいいでしょう」
セージは先程、王子と王女に向けたのと同じように、無邪気にウインクをしてみせた。彼女なりの気遣いだった。
「で、だ。話を元に戻すと…新しい顧客…じゃなかった、生徒獲得のために、新しい学科の創設を目論んでいてね。君にはそこの担任になってもらいたい」
「お………俺が…教師か…」
「何も今すぐじゃないさ。来年の新学期までに、君に必要なものを授ける」
住居に職業、それから現代で生きていくための知識もろもろ。必要とあれば、彼が生きた八百年前のモノだって。
それらを保証する代わりに、魔女は、英雄を広告塔として買い付けようとしていた。
魔女はダメ押しで更に付け加える。
「現代を知る一番良い方法は、現代を知る人間から直に生活を教わることだ。そして教育とはこれすなわち、教師と生徒が共に学び合う最強の交流の場!」
どうかね、と得意げに髪を靡かせる。
その愉快な仕草に、ウルフリートは仲間達の面影を重ねた。彼らはどうしているだろうか。本当に八百年の月日が流れているのだとしたら、当然、誰一人生き残ってはいないだろう。
―それならば、会いに行きたい。会って確かめたい。一人一人彼らの墓を巡って、花を供えたい。弔いの言葉を述べて、感謝の祈りを捧げたい。それで初めて、ウルフリートは現実を受け入れられる気がしていた。
ならば、その旅の為にも。
出された飲み物ひとつの名前も分からないままではいけない。いつまでも異国人を気取ってはいられない。
ウルフリートは席を立ち、わざわざセージの前で膝をつくと、主君にそうするように頭を垂れた。
「宜しくお願いします、学園長殿」
「よーし!こちらこそ、これから色々と頼むよ、ブルース“先生”」
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