7話 忍び寄る影
夕陽が落ち、周囲が夜の闇に包まれていく中。御者台に吊るしたランプの光を頼りにゆっくりと進み、遠くに街の灯りが見えてきた時だった。
「——!ミリヤちゃん!そこにある袋をこっちに投げてくれ!」
「っ!?は、はい!」
ガタンと馬車が急停止し、御者席にいたライルが振り返らずに叫んだ。言われるがまま近くにあった袋を投げれば、ライルは片腕でそれを受け止めた。確かその袋の中身は、冒険者向けの商品の一つでアンデッド系の魔物に効く聖水だったはず。
「何が……っ……!」
ライルが顔を向ける先にミリヤも視線を移し、思わず息を呑む。そこには馬に乗った一人の騎士がいた。闇の中にひっそりと佇む、首の無い馬と、首の無い騎士が。
「どうして……」
デュラハン。冒険者ではないミリヤでも知っているくらいの上級の魔物である。
その無いはずの目に留まったが最後、死ぬまで追いかけられるという。
「……“王国の墓場”からあぶれた魔物か……こんなところで……!」
通常魔物はダンジョンと呼ばれる森や洞窟、魔塔などの魔力の溜まり場に出現する。しかしごく稀にその縄張りから出てくるものもいる。今目の前にいるこの騎士のように。
ライルが零した言葉により、ミリヤも思い出した。王都から少し離れたこのあたりの草原に、“王国の墓場”と呼ばれるアンデッド系モンスターが集うダンジョンがあったことを。
「ギ……ギギ……」
声とも金属音ともつかない音が不気味に響き渡り、ミリヤは震える身体を必死に抑えた。
街に辿り着きさえすればその街の結界がある。いくら上級の魔物とはいえ、聖女の結界は破れない。しかし、今から全力で馬を走らせたとして、デュラハンが追いかけてきては街に着くまでに後ろから斬られてしまうだろう。
逃げるか、迎え撃つか、二つに一つ。
「馬には乗れるんだったな!?」
「えっ、あ、はい!」
張り詰めたライルの言葉にミリヤはすぐさま答えた。そうだ、馬は二頭いる。荷車から外して馬だけに乗って駆ければ逃げ切れるかもしれない。
「今一頭荷車から外した!この馬に乗ってあの街まで逃げろ、それまで俺が引きつける!」
「そんな!それじゃあライルさんは!」
「旅商人やってりゃこんなこともあらぁ!」
ついにデュラハンがこちらに狙いを定めた。ゆっくりと近づいてくるその胴体に向かい、ライルが聖水を瓶ごと投擲する。鎧に当たった瓶が砕け、中の聖水を被ったデュラハンが一瞬怯んだように見えた。
「ライルさん!!」
懐から護身用の短剣を抜き、御者台から飛び降りるライル。
どう考えても無事で済むとは思えない。本当に囮になる気なのだ、ミリヤを逃すために。
「待ってください!囮なら私が!」
本来ならばライルはこの道を通ることはなかった。万が一魔物に遭遇した時に逃げる手段も用意していた。それなのにミリヤだけその手段で一人おめおめと逃げられるわけがない。
「……っ!」
しかし荷馬車から飛び降りて真正面から見たデュラハンは、思わずここがどこか別世界だと錯覚してしまいそうになる程の恐ろしさだった。
首もなく、頭もなく、両の目もない騎士と馬が、それでもこちらに狙いを定めてやって来る、現実からかけ離れた恐ろしさ。
——逃げられるわけがない。
ミリヤが死を覚悟した、その時。
「本当に効くんでしょうね!?ルヴェルト!」
どこからか凛とした少女の声と共に、銀の鎖でできた鎖鎌が飛んできた。
「首無しで目なんてあるのか本当に……!」
鎌の先が首無し騎士の鎧の首穴に引っかかり、騎士が動きを止める。続いて飛んできた石を巻き付けたロープはその胴体に巻き付いた。
「だから言ってるだろ!あれは見えてる奴の動きだ!」
その次の瞬間、鎖とロープの元を辿るように、騎士が無い首で振り返るような動作をして。
「!」
誰かと目が合ったのか、騎士が視線の先を固定したと思われるや否や途端に馬上からバランスを崩して地に落ちた。
「なっ……!?」
ガシャンガシャンと大きな音を立てて転がる錆びた鎧。それに驚いた首無し馬が大きく前足を上げて仰け反る。
そして丁度足の下に転がった鎧の胴体、そのすぐ上の“何も無い空間”を、首無し馬の掲げた前足が踏み抜いた。
「ギィイイィヤァアァアア!」
何も無い場所からガラスを引っ掻いたかのような甲高く不快な音が上がる。馬の混乱は止まらず、騎士の悲鳴などお構い無しに騎士の足や腕を次々と踏み抜いていく。
「っしゃあ!ラッキー!!」
「うぉっ、急に飛ぶんじゃねぇおい待っ……!」
そんな大混乱に陥っている首無し達を、中型のドラゴンに乗った少年がその背の上から剣を振り下ろし貫く。
「トドメよ!」
数秒遅れてもう一匹のドラゴンに跨った赤毛の少女がスピードを緩めずに突撃し、馬の横腹に拳を叩きつけ、もんどり打った馬が倒れ伏しそのまま動かなくなった。
地面に散らばった鎧も糸が切れたように動かず、もう何の気配も感じない。
誰もその様子を注視し動かないまま、数秒が経った。
「あ……」
助かった。
助けてくれた。
そう理解した途端、恐怖で竦んでいた身体の強張りがようやく解け、ミリヤは今更ながら滲んできた涙を拭った。
こんなに離れた場所でも助けてくれたのだ、ずっと会いたかった頼りになる彼が。
「飛ぶ必要は無かっただろ馬鹿野郎が……」
「うわー落ちるとは思わなかった!大丈夫かルヴェルト!」
ドラゴンの跳躍からの着地の衝撃で地面に転がり落ちたルヴェルトにイアンが駆け寄る。
「もう、一人で乗れないならせめてしっかり掴まってなさいよ。怪我は無い?」
「いきなり飛ぶ方が悪い」
一足先に駆けつけたユイに助け起こされながら不満げに口を尖らせるルヴェルト。
「……ルヴェルト!?イアン!ユイも!なんでこんなところに!?」
「えっ?」
ミリヤもその側に行こうとしたところで、隣にいたライルが我に返ったように驚きの声を上げた。
「兄貴!?なんでここに!」
ライルの方を向いたルヴェルトも面食らったように叫ぶ。
「この子をそこの街まで送ってく途中だったんだ。ルヴェルトこそどうしてこんなとこまで」
「俺達は上級者パーティに“王国の墓場”攻略に誘ってもらって、その帰り……で……」
そういえばルヴェルトは前に兄がいると言っていた。ライルもミリヤの故郷に家族がいると。まさかこの二人が兄弟だったとは。
「ミリヤさん!!?」
「あっ、はい!」
奇跡的な巡り合わせにミリヤがただただ呆然としていると、ライルから視線を移したルヴェルトと目が合った。
「えっ……え!?何で君がここに……え?本物……?」
「ルヴェルトさん……」
先程より更に驚いた声を上げるルヴェルトに、ミリヤもまた実感が沸いてきた。本物だ。王宮に連れて行かれてから夢で何度も見た本物のルヴェルトである。
「助けてくれてありがとう、ルヴェルトさん!」
「うぉあっ!」
夢ではないなら触れられるはず。
そう判断したミリヤは善は急げと駆け出し、いまだ目を白黒させているルヴェルトに飛びついた。
◆◆◆
時は遡り、王都の冒険者ギルドにて。
「移動用のドラゴンを使役している上級冒険者に依頼をしたい。大至急だ」
「はい、承りま……おっ、王太子殿下!?」
堂々たる態度で言いつける依頼主に事務的に依頼票を差し出した受付嬢が、その依頼主の顔を見上げた途端に片手に持っていたペンを落とした。
「王命ではない。私個人としての依頼だ」
「は、はい!で、でででではこ、こここちらに記入をお願い致します……!」
祭典などで遠目からしか見たことはなくとも、見目麗しい王子の絵姿は市井でも飛び交っている。その雲の上の人物がいきなり目の前に現れ、受付嬢はパニックに陥っていた。
「ああああのっ、移動用ドラゴンを使役している上級者パーティなら、ちょうどそちらにおりまして……!」
「ほう」
本来なら冒険者への依頼は依頼票をギルド内部で審査したのち掲示板へ張り出すことになるが、王族を前にした衝撃でそんな段取りも飛んでしまう。
「すみませんっ!先程受付された方っ……!」
「はっ、はい!」
受付嬢の呼び声に、一つのテーブルを囲んでいた四人組パーティのリーダーが立ち上がる。
「あの……すみません、移動用ドラゴンは三匹使役してるのですが、ちょうど少し前に同行していた他の冒険者に二匹を貸してしまいまして……一匹では二人乗りが限界なので、殿下をお乗せして護衛となると……」
王子が冒険者ギルドに入ってきた時から、それに気がついたギルド内の者達は全員聞き耳を立てていた。たった今指名を受けたパーティのリーダーである剣士もその一人である。
王子と受付嬢の会話から、王子がどこか遠出するために移動手段と護衛を望んでいるのだと判断した。
「我らパーティ全員で護衛しながらの移動をするなら、貸したドラゴン達が帰って来てからになります。帰りは飛んで帰ってくるとして、おそらく最低でも一週間はかかるかと……」
「いいや、護衛はいらん。自分の身は自分で守れるからな。ドラゴンだけ貸してくれたまえ」
「え?は、はあ……し、承知しましたっ」
しかし予想は外れ、王子は護衛は無く足だけで良いと言う。一国の王子がそれでいいのかとおおいに疑問に思うも、一介の冒険者が口を挟めることでもなく。
「ではあの、外に繋がせてもらってるんで、そちらに……あ、いえ今連れて参ります!お姉さん、いいですよね?」
「はい、勿論ですっ」
普段はギルド内に中型以上の魔物を連れ込むのはご法度であるが、今はそうは言っていられないだろう。剣士の要望に受付嬢も裏に確認を取ることなくすぐに許可を出した。
「待っていろ、ミリヤ。今迎えに行くぞ……」
そうして慌ただしく剣士が駆けていく後ろで、アルフォンスは懐にしまった書状に手を添え、一人ニヤリと笑った。
すみません!今週中にざまぁするんで!
何はともあれミリヤとルヴェルトがやっと再会できました(*´∇`*)