6話 騎士達の心配
「ミリヤ様、一体どこへ行ってしまったんだろうな……もしこのまま見つからないなんてことになったら……」
暗く重い空気が漂う食堂の一角にて。殆ど手をつけていない夕食を前にして、騎士の一人であるケビンがポツリと呟いた。
「見つからないわけないだろう。アルフォンス殿下がこれだけ全力で探しているのだからな。それに、王都を出て行く者の中にもそれらしい人物は一人も居なかった。まだこの街にいることは確かだ」
隣に座っていたケビンの同僚ブルーノが、自分自身にも言い聞かせるかのように力強く答える。
彼らが誠心誠意仕えるこの国の王太子の妃候補……いや、既に婚約者と言っても過言ではない少女が、婚約のお披露目を目前にして忽然と姿を消してしまってから何時間も経った。
珍しい水色がかった銀髪に、王都中に敷かれた包囲網。どこへ逃げようと見つかるのは時間の問題と思われていたミリヤだったが、何故か依然として見つからないまま日も傾きかけている。
未来の王太子妃の一大事といえど、流石に王宮中の人員を一度に駆り出すわけにはいかない。二番捜索隊と入れ替わりに城に戻った一番捜索隊の面々は、ミリヤへの心配で気もそぞろになりながら早めの夕食についていた。
「でもさ、あまりにも行動が早すぎるよ。ミリヤ様がアルフォンス様の言葉を誤解したのがきっかけじゃなくて、本当に前から逃げたくて機会を伺ってたんだとしたら、あんまり探すのも可哀想なんじゃないかって俺は」
そのとき、同じテーブルでパンを頬張っていた騎士の一人が不躾に声を上げた。
その騎士の名はエイト。四日前に長期の遠征から帰ってきたばかりで、聖女の護衛などの任務にはこの二、三日しか関わっておらず、ミリヤとの面識も殆ど無い。
「何を言う!あのミリヤ様以外に殿下に相応しいお方などいないというのに!」
「その通りだ。それに仮にミリヤ様が自らの意思で姿を眩ましたのだとしても、それは殿下を想ってのことに違いない」
「ああ、誰よりも慎ましく謙虚なミリヤ様のことだ。聖女とはいえ平民という出自に引け目を感じていたのだろう。我々がもっと早くにフォローしていれば……」
「え、ええー、そうかなぁ?」
そのため帰還した時から王宮で渦巻く真の聖女ミリヤブームに若干ついていけてない部分があったのだが、そんなエイトの素朴な疑問も同僚二人によってあっさり否定されてしまった。
「でもさぁ、普通好きな人から貰った首飾りを質屋に売り飛ばすか?躊躇無さ過ぎじゃね?全然アルフォンス殿下に未練無いじゃん」
「お前っ!ミリヤ様を侮辱する気か!」
「ひぇっ」
それでもどうしても納得いかないエイトが反論し続けるも、額に青筋を立てたブルーノの本気の怒気に危うくフォークを落としかける。
「ブルーノ、落ち着け。俺達が争っても何も解決しない。ミリヤ様をよく知らないエイトがそう思ってしまうのも仕方ないさ。きちんと説明してやろう」
エイトの胸ぐらに掴みかからんばかりに激昂するブルーノを宥めつつ、ケビンはエイトに言い聞かせるように話し出した。
「ミリヤ様は聖女の力が判明したそのときからずっと、ただひたすらにこの国に尽くすことだけを優先し、一切私利私欲に走ることはなかったんだ。それは、いずれこの国を背負うアルフォンス殿下の支えになりたい、それこそがミリヤ様の何よりの願いだったからだ」
ケビンは先月の地方巡回中に教会から聖女発見による召集を受け、王都までミリヤの護衛につきそのまま王宮に残った騎士の一人である。
王都へ向かう道中のミリヤの無欲さ、意志の強さ、王宮に着いてからも事あるごとに帰ろうとする慎ましい姿をずっと側で見ていた。
「そしてミリヤ様はあの首飾りをとても大切にしていた……殿下にそれを手渡されたときは何度も固辞し、『茶会につけてくるように』と言われてようやくおそるおそる受け取って、その後は傷一つつかないように部屋の金庫にしっかりしまって……そんな大事な宝物を手放すなんて、ミリヤ様だって本当に辛かっただろう」
胸のあたりで拳を握りしめながら、熱弁を振るうケビンの声は次第に大きくなっていく。
「けれど!それこそがまさに彼女の覚悟の現れだ。愛する殿下の未来のために、殿下との思い出の品さえ手放して未練を断ち切り身を引こうとした。これほどまでに美しい愛があるだろうか!まさに真の聖女だ!」
「その通りだ!そんなミリヤ様だからこそ、女性不信に陥りかけていた殿下の凍てついたお心をも溶かせたのだ!」
「もはやミリヤ様以外の女性など、殿下は見向きもしないだろう。この国の未来のためにも、なんとしてでもミリヤ様を見つけ出さなくては!」
握りしめた拳をテーブルに叩きつける勢いで言い切ったケビンに、いつしか周りの席に居た騎士達も視線を向け、そうだそうだと喝采を浴びせていた。
「と、言うわけだ。わかったか?」
喝采を受け誇らしげに食堂を見回したケビンが、最後にエイトに視線を戻し胸を張る。ブルーノもすっかり機嫌を直し、力強く頷いていた。
ケビン、ブルーノだけでなく、いつのまにか食堂に居たほぼ全ての騎士達の視線がエイトに集まっている。
「えっあ、あー、うん……そうだな、早く見つかるといいな……」
さあこれで納得しただろうと言わんばかりの同僚達に、エイトはぎこちなく頷いた。
◆◆◆
「やっぱりおかしいよなぁ」
皆より早く食事を終え、一人寮へと向かっていたエイトが王宮の廊下を歩きながらポツリと呟く。
ケビン達は『聖女ミリヤの行動は全てアルフォンスを愛するが故』と当然のように主張している。しかし肝心の『何故ミリヤがアルフォンスを愛しているとわかるのか』という疑問には結局答えてもらえなかった。
確かにあの顔と地位と権力と財力全てに恵まれた王子に言い寄る女は後を絶たないが、そんな女達とは違うからこそ彼らはミリヤを持て囃していたのではなかったか。ミリヤが王宮に来てからまだ半月程度しか経っていないというのに、王子のことを顔や身分以外でそんなに深く愛することになる機会なんてあるだろうか。
正直なところ、ほんの二日三日護衛の一員を勤めた程度のエイトには、ミリヤがそんなにアルフォンスを愛しているようには見えなかった。アルフォンスといて楽しそうな素振り一つ見せないし、むしろ何かに耐えているような無表情だし、二言目には帰りたいと願い出ていたし。そんな媚びない態度をアルフォンスが気に入ったのはわかるが、では、ミリヤはアルフォンスのどこを気に入ったのか?
『そんなミリヤ様だからこそ、女性不信に陥りかけていた殿下の凍てついたお心をも溶かせたのだ!』
ふと隣のテーブルの騎士達が声高に叫んでいた言葉が脳裏に蘇る。
まあ確かにそれが本当ならミリヤを逃す手はない。何を隠そうエウレア国王太子アルフォンスは筋金入りの女嫌いであり、25歳になっても浮いた話一つなかった。痺れを切らした側近達が婚約者候補を見繕ってくるも、未だに誰一人として選ぼうとしていない。
王太子という身分に寄ってくる女ばかりで嫌気が差したというのがその理由らしいが、彼が王族に産まれた以上王族であることを考慮せずに接することの出来る女性などそうそう居るわけがない。かといって次期国王が一生独身というのもあり得ない。
未だに現役の国王が今は亡き王妃との一人息子を甘やかし現状を良しとしているせいで、周りは相当やきもきさせられていた。
そんなところに現れたのが、アルフォンスの地位や身分にまったく擦り寄る気配を見せず、アルフォンスに気に入られ、聖女としての力も遺憾無く発揮したミリヤ。
『もはやミリヤ様以外の女性など、殿下は見向きもしないだろう。この国の未来のためにも、なんとしてでもミリヤ様を見つけ出さなくては!』
今思い返して見ればブルーノも若干鬼気迫るような表情だった。そう、ミリヤさえ頷いてくれれば長年の心配事が解消される。アルフォンスに冷たくあしらわれた令嬢のフォローをしたり、強引に迫ろうとする令嬢を引き剥がしたり、地味に精神を削られていた業務もなくなる。
女嫌いの王子が心を溶かし、身分は低くとも心の美しい少女が王子に選ばれ、文句無しのハッピーエンドに……。
「うわっ!」
「え?あ、すみません!」
そんな考えごとをしながら歩いていたのが悪かったのか。エイトは廊下を曲がろうとして、ちょうど反対側から出てきた一人の男とぶつかってしまった。
「すみません、俺がボケっと歩いてたせいで」
「いえいえ、大丈夫ですよ。それにしても今日はよく転ばせられるなぁ」
エイトの前で裾を払いながら立ち上がったのは、この国の一級神官の制服に身を包んだ男。二級以上の資格を持つ神官は王宮への自由な出入りを許されているが、こんな時間に王宮に用があるとは珍しい。
「あ、そうだ、良かったら、聖女ミリヤ様が今どこにいらっしゃるか教えてくれませんか?」
何処と無く気の抜けたような話し方でその神官が尋ねてきた。この国では教会は王族とは独立した権力を持っており、聖女に次いで貴重な人材である神官にも様々な特権がある。例えば出自に関係無く、貴族の様々な慣習やマナーを飛ばして目上のものと面談や自由な会話をしても許されるとか。
だからかは知らないが、たまに交流の機会がある神官達は大抵のんびりしているというか、貴族達の権力争いとは無縁の呑気さを感じる。
「ちょっとミリヤ様に関する重大な報告がありまして、国王陛下は外遊中なので王太子殿下にお伝えしたんですけど、途中でいきなり飛び出して行ってしまって……ミリヤ様にもお伝えしなきゃいけないことなのに居場所を聞きそびれてしまい……」
「ええっ!?殿下が飛び出したって、割と一大事じゃないですか!?え、一体どこに!?」
「なんか『迎えに行くぞ我が妃よ』って言ってたので婚約者候補の誰かのところじゃないですかね?」
「ええええっ!?」
そんなついでみたいな感覚で言っていい話じゃない。
ミリヤに関する重大な報告、それを聞いた王太子の『我が妃』発言。なんとなく何が起こったのかわかるようなわからないような。
「エイト!大変だ、アルフォンス殿下が!」
後ろから同僚の慌てたような声が聞こえてきた。どうやらアルフォンスの脱走が知れ渡ったらしい。
「わかってる!すぐ行く!」
聖女ミリヤ捜索隊の次は王太子アルフォンスの捜索隊を結成することになるとは、少し前までのエイトも思いもよらなかった。