5話 大事な贈り物
一方その頃、ミリヤの消えた王宮では。
「——遅い!!まだ見つからぬか!!」
「も、申し訳ございません!」
執務室にて、苛立ちを隠しもせずにアルフォンスが目の前の机を叩きつける。
ミリヤが王宮を抜け出してから数時間。城下町の質屋でミリヤに贈ったネックレスが換金されていたこと以外、いまだ何の手がかりも掴めていない。
そのネックレスの宝石には離れていても居場所がわかる魔術が刻まれていたのだが、それが仇となった。どこにいようと分かるはずという思い込みが油断となり、ネックレスを手放された今、途端に行き詰っているのである。
「……何故、何故だ、ミリヤよ……私に一言もなく、こんな逃げるように……」
ミリヤから妃候補達のもとに戻るように言われ、ついキツい口調で返してしまったのは確かだ。売り言葉に買い言葉で「帰れ」とも言った。しかし、あくまで自分の部屋に帰るようにと言っただけで、この王宮から去れとまで言ったつもりはなかったのに。
「そもそもっ!お前がキチンと引き留めるか、私にすぐさま報告していればこんなことにはならなかったんだ!」
悩んでも好転しない状況に湧き上がる苛立ちのまま、アルフォンスは最初にミリヤ逃亡の報告をしてきた若い騎士を怒鳴りつけた。
「も、もちろんお引き留めしました!王妃に相応しいのはミリヤ様しか居ないのだとお伝えもしました……しかしミリヤ様はそんなことはあり得ないと仰られて……すぐに殿下に報告しようと庭園に走りましたが、殿下はずっと高位のご令嬢達に囲まれ、近づくことも出来ず……」
「……っ!」
しかしそこで返ってきた答えに、一瞬言葉に詰まる。
もしかしたら遠くから見ているかもしれないミリヤに見せつけてやりたくて、アルフォンスはわざと令嬢達を円のように侍らせ絶え間なく談笑していた。王宮勤めとはいえ、下級貴族の次男か三男でしかないその騎士が割って入れるはずがない。
「もういい!言い訳する暇があるなら、さっさと探してこい!今すぐにだ!」
「は、はいっ!」
都合の悪さを誤魔化すように声を荒げた王子の命に、騎士達も反論することなく飛び出して行く。
最後の一人がやや乱暴に扉を閉めた後、執務室にはアルフォンス一人が残された。
「そなたが何を想い、何を考えているのか……わからなくなってしまったよ、ミリヤ……」
愛しい少女の姿を思い浮かべながら、アルフォンスはポツリと呟く。
ミリヤこそ王妃となるに相応しい女性だった。そのように接していたし、当然伝わっていると思っていた。
この期に及んでアルフォンスを試すようなことを言った彼女に少し意地悪をしただけのつもりだったのに。
到底信じられないことだが、護衛騎士の話が本当ならば、ミリヤは本気で王妃の座から逃げるつもりだったということに。
『王妃に相応しいのはミリヤ様しか居ないのだとお伝えしました……しかしミリヤ様はそんなことはあり得ないと……』
そのとき、騎士に伝えられたミリヤの最後の言葉が脳内に甦り、アルフォンスはハッと息を呑んだ。
「そうだ……ミリヤは私の妻になることをあり得ないと言ったのではない……王妃に相応しいという言葉をあり得ないと言ったのだ……」
よく考えてみれば当然のことだ。ミリヤは今までの強欲で身の程知らずな平民の聖女候補とも、親の権力しか取り柄のない高慢な令嬢達ともまるで違う。
無欲で、清廉で、ただ国に尽くすことだけを喜びとする聖女の鏡。そんな彼女が、平民という身分でありながら王妃の地位を享受することを良しとするはずがなかったのだ。
「そういうことだったのか。ミリヤ……そなたは本当に……」
思い返せば、気付くサインはいくらでもあった。
己に茶会に戻るように、妃候補である令嬢達をきちんと見るようにと言った時の、何かにじっと耐えているような声。無遠慮な他の女共が己に我先にと話しかけてくる中、ひっそりと菓子を口に運んでいたときの寂しげな表情。
妃の選定と聞いて、ミリヤは最初から身を引く決意をして臨んでいたのだ。平民の自分では相応しくないからと、高位の令嬢達の誰かにその座を譲ろうとして。
たとえ、本心では泣いていたとしても。
「くっ……!では私は、どうすればいいのだ……!」
ミリヤはアルフォンスの愛をわかった上で、アルフォンスを愛するからこそその身を引くことを決めた。
そんな健気な心を無視して正妃の椅子に縛り付けることは、ミリヤの無償の愛に対する裏切りであり、何より彼女自身が自分を許せないだろう。
ミリヤと引き合わせてくれた王子という地位が、今度は障害となって二人の前に立ち塞がっている。
人生最大のジレンマに、アルフォンスは頭を抱えた。
「殿下!今よろしいでしょうか?お伝えしたいことが……」
そのとき、執務室の扉を叩く音と、聞き慣れない男の声が部屋に響く。
「神官長の命により参りました。この報告書をご覧いただきたく」
アルフォンスの許可すら待たずに扉を押し開けて入って来たのは、この国の一級神官の制服に身を包んだ若い男。
いくらその制服が王宮への自由な出入りを保証する許可証代わりにもなるとはいえ、何の事前連絡もなく神官が真っ直ぐ王太子のもとに来るなど普通ではない。
「各地で結界の定期検査を行っている神官達から、つい先程このような調査結果が届き……」
「なっ!こ、これは……!」
今はミリヤのことで手一杯であり神官などにかまけている時間はない。しかしそれが結界に関することなら、国を揺るがすほどの一大事となる。無視するわけにもいかず、アルフォンスがその報告書に目を通すと。
「失礼ですが、ミリヤ様はどこにいらっしゃいますでしょうか?神官長はミリヤ様に……」
「ああ、大丈夫だ。これでもう、何の心配も無い」
そこに示されていた内容は新たなる問題どころか、今まさに頭を悩ませていたミリヤとの恋に立ち塞がる障害を、丸ごと吹き飛ばす真実だった。
「そなたは本当に神に祝福されているようだな……ミリヤ」
「で、殿下?」
こんなときに公務などしていられない。いや、最初からこうしていれば良かったのだ。
「今迎えに行くぞ!無欲で臆病で素直じゃない、我が妃よ……!」
「え、あの、殿下……うわあっ!」
呆けた神官を片腕で乱暴に押し退け、アルフォンスはマントを翻し執務室の扉を開け放った。
◆◆◆
「本当にありがとうございます、お兄さん」
「いいってことよ、妹よ。乗りかかった船だ」
王都を抜け、隣街までの道をカラカラと荷馬車が走る。
今現在ミリヤは兄を名乗る旅商人の馬車の荷台に、積荷と一緒に乗っていた。
「それにしても随分遠くから来たんだなぁ、ルル、じゃなかったミリヤちゃん」
あの車掌による乗客確認が終わった後、この中に王宮からの尋ね人はいないとして、再び列車が動き、それから間もなく王都の正門の前の終着点に着いた。
「はい……隣街で降ろしていただければ、後は自分で馬を買うかギルドに移送を依頼しますので……」
しかし鉄道に連絡鳥が着いていたなら王都正門でも同じこと。ちょっと考えればわかることであったが、そこでも王都を出ようとする人達に門番による確認がなされていたのである。
そこで立ち往生してしまったミリヤを、この親切な兄なる人がまた助けてくれたのだ。
「最後まで送ろうか?港街のマディロなら商売にも仕入れにもいいし、実は俺の家族も住んでるんだ。久しぶりに会うのもいいしな」
「いいえ、そこまでしていただくわけには」
期間限定の兄、王都の門を出た時にライルと名乗った彼は、ダンジョン冒険者向けのアイテムを扱う旅商人だった。本当なら今日の午前中に王都を出るはずだったところ、出発直前で城下町に落し物をしたことに気付き路面魔鉄道でUターン、その帰りでミリヤと鉢合わせることになったと言う。
そして朝に門の近くの宿に預けていた荷馬車に鉄道を降りたミリヤを乗せ、荷物で隠して門番のチェックを突破し今に至る。
「それにデートまであと一週間しか猶予がないので荷馬車だとちょっと」
「おお、だいぶハードスケジュールだな!?」
このまま次の街まで乗せていってくれるとのライルの言葉に甘えさせてもらうとして、さすがに最後まで送ってもらうのは忍びない。
あと単純に荷馬車のスピードだとちょっとだいぶ間に合わない。
「ギルドで魔輪車乗りかドラゴン使いが捕まりゃいいなあ」
「はい。幸いお金はあるので」
ミリヤに残された手段は二つ。大きな街に着くたびに馬を買い、乗って来た馬を売りつつ進むか、冒険者ギルドにて何かしらの高速の移動手段を持つ冒険者を雇うか。
馬は多少大きな街なら割とどこでも買えるが、高速移動手段持ちの冒険者がそこに滞在してるかは運である。それに王都のギルドが最大規模である故、そのすぐ隣の街のギルドはそこまで大きくない。そこまで来たら大抵の者は王都まで行くからだ。
「よし、じゃあ隣街じゃなくてもう少し先の大きいギルドがある街で降ろしてやる。女の子一人で馬に乗ってくってのも心配だし、良い冒険者雇えた方が安心だろ」
「ありがとうございます!」
出来れば馬を乗り継ぐより、条件に合う冒険者を雇えた方がいい。丁度そう考えていたミリヤは、ライルの申し出にありがたく甘えさせてもらうことにした。
「ところで、そのデートの相手ってどんな男なんだ?」
ライルのなんてことない質問に、ピョコンとミリヤの髪のアンテナが立つ。
この問いを待っていた。
「えっと冒険者をやってる方で……どんなって言うとそうですね、とても可愛い人で」
「へぇ。弟タイプか」
「そして凄く格好良い人で頼りになってパーティの参謀役で、仲間がうっかりスライムを無限増殖させてしまった時は増えたスライムを寒天で一つに固めて自我を崩壊させただの巨大なゼリーになったところを倒す冷静沈着なところも」
「えげつねぇ弟タイプだなぁ!?」
デートの約束をした翌日の聖女測定で聖女と認定され、あれよあれよと王宮に連れて行かれてから三週間。お偉い方に囲まれ下手なことを言えずにいた間、誰かに話したくて話したくてたまらなかった。
こんなに可愛くて格好良くて頼りになる素敵な人とデートをするんだということを!
「あと凄い特技があって、目が合った人の……人の足をすくうのが得意です」
「大丈夫なのかその男は!?」
続いてルヴェルトの特技も自慢しようとして、直前で冒険者だとあまり能力の秘密を他者に知られるのは良くないのではないか?と思い直し軌道修正した。嘘は言っていない、嘘は。
「あと凄く人見知りで知らない人の前ではフードを目深に被ってまともに目も合わせられないみたいでそんなシャイなところも可愛いなって」
「ううん……人の好みはそれぞれだからな……」
そんな人見知りなのに、ミリヤがタチの悪い酔っ払い客に絡まれた時はそのフードを取り払って助けてくれるのだ。
「あと店の扉につけた鈴を全く鳴らさずに入ることができたり、殆ど目を隠してるのに何故か難無く移動できたり、字が凄く綺麗だったり」
「まあ最後のは長所ではあるな」
「あと、あと、これも!見てください、彼がプレゼントしてくれたんです!」
「へぇ、どれどれ」
一度タガが外れたミリヤは止まらなかった。次々と溢れ出るルヴェルトの長所を挙げ、三週間前にルヴェルトから貰ったリボンを髪から外しライルの前に掲げた。
小さな青い魔石のついた、ミリヤの水色がかった銀髪によく似合うリボンを。
「ああ、それその少年からのプレゼントだったんだな。ふぅん、センスいいじゃないか」
「はい!!えっとどんな経緯でこれを貰ったかというとですねちょっと長くなるんですけど」
そしてもう一度それを髪に付け直しながら、そのリボンを受け取った時のことを話し始めた。
◆◆◆
「ええと、店員さん」
「ミリヤでいいです。もうお客さんと店員じゃなくて、お友達でしょう?」
「……!じゃ、じゃあ、ミリヤ……さんも、敬語じゃなくていい。と、友達……からお願いしていいだろうか……」
「うん、わかった!」
大きく遠回りして歩いた結果、酒場からミリヤの住むアパートに着くまでかなりの時間が経っていた。それでも二人で話していたらあっという間で、まだまだ話し足りない。
「あれ?そういえばイアンさんとユイさんは」
「あいつらならさっきレッドビーンズライスの材料採りに行った」
「行動が早い……」
いつのまにか背後からの応援が聞こえなくなったと思ったら、イアンとユイの姿がなかった。どうやら少し前に言っていたレッドビーンズライスとやらの用意のためらしい。
「ルヴェルトさんの故郷の料理なの?」
この街では聞いたことのない料理である。レッドビーンズという名の豆も心当たりは無い。
「ああ、めでたいことがあった時に炊くんだ。レッドというか、見た目はピンクの米の山に赤くて丸い具を散らした感じだな」
「へぇ、可愛い!」
想像するととても可愛らしい見た目の料理である。小さい子供が喜びそうな。
「レッドアイフィッシュの目玉を具にして血で米を染める」
レシピは可愛くなかった。小さい子供が泣きそう。
「俺が君とまともに話せたことの祝いのつもりなんだろう。多分これから三日は三食それになるな。きっと麻袋いっぱいに採ってくるから」
「釣りが得意なんだね、イアンさんとユイさん」
呆れたように言いながら、幼馴染達のことを語るルヴェルトの表情は柔らかい。
今頃イアンとユイの二人もルヴェルトの話をしながら和やかに夜釣りをしてるのだろうか。
「いや、素潜り」
ちょっとルヴェルトの故郷の文化に馴染めるか唐突に不安になってきた。今頃イアンとユイの二人は豪快に水飛沫をあげてるのだろうか。
「夏の川ならなんとか……」
「何だって?」
釣りと銛なら孤児院時代の院長の教育方針によりミリヤも多少腕に覚えがあるが、あいにく素潜りはまったくの初心者である。今から慣れていった方がいいかもしれない。これは由々しき問題である。下手をすれば「あそこの嫁はレッドアイフィッシュ一匹まともに掴めないのよ」とご近所さんに陰口を叩かれる可能性も。
「今からでもユイさん達の見学をさせてもらえないかな」
「はっ!?ちょ、ちょっと待ってくれ!」
甘かった。魚を三枚におろせる程度じゃアピールポイントにもならない。ルヴェルトの故郷ではきっと水を泳ぐ魚を自らの手で掴み上げてこそ一人前なのだろう。
「イアン達は……レッドビーンズライスの準備のためもあるが……気を利かせてくれたとこもあるから……」
「え?」
今からでも二人を追いかけようかと考えるミリヤに、ルヴェルトが焦った様子で止めに入った。
「もし……もし、今日、願掛けを承諾してもらえたら、礼をしようと思ってだな……」
「お礼?」
反射的にお礼なんて必要ないと答えようとして、これは何らかの前振りであるとすんでのところで察する。
「その……つまらないものだが……これを」
「わぁ……!」
何度も視線を彷徨わせたのち、ルヴェルトが懐から取り出したのは、小さな青い魔石のついた髪留めのリボンであった。
「綺麗!これを私に?」
ミリヤの水色がかった銀髪に合うようにだろう、透き通った青い魔石に同じ色のリボン。
なるほど幼馴染の二人はルヴェルトがこれを渡しやすいようにと気を利かせてくれたのか。
「嫌じゃなければ、あ、嫌だったらこの場で捨ててくれていい可燃物用と不燃物用のゴミ袋も持ってきてる」
「斜め上に用意がいい……!」
「魔石部分は不燃物リボンの布は可燃物」
「きちんと分別まで……待って捨てない!捨てないから!」
ルヴェルトの手から宙を経由しゴミ袋へ向かいそうになったそれをミリヤが慌てて回収する。
「何故ラッピングの袋より先にゴミ袋を」
「常に最悪の事態を想定しておこうと……」
ラッピングが無かったのは余計なゴミを増やさないようにという配慮だろうか。だいぶズレた配慮である。配慮を通り越して卑屈。
「でも、これはこれですぐ使えていいよね!」
受け取ったリボンをすぐさま自身の髪に結び、ルヴェルトに見せる。鏡がないので多少不恰好だろうがそこはご愛嬌である。
「ありがとう、ルヴェルトさん!」
「……あ、ああ」
サッと頬に朱が差し、頷いたと思いきやついに両手でフードを被って俯いたままになってしまったルヴェルトを、ミリヤはてるてる坊主のようで可愛らしいと思いつつ眺めたのだった。
ちょっと更新遅れます。少々お待ちください。
いつも感想などありがとうございます(*´∇`*)何よりの燃料です。